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#23【蒼い珊瑚礁】

#18【恋の季節】のつづきです

 うららかな昼下がり。ここは根性丸の第一甲板、VIP仕様の軍主ルーム。
 出所不詳のらくがきと呪われているかもしれない招き猫にぐるりを囲まれたテーブルは、便せんが小山を築いていた。さっき目安箱にたまっていた投書をぶちまけたのだ。
 軍師エレノアの鶴の一声で設置された目安箱は、乗組員の生の声がダイレクトに伝わる画期的なシステムにはちがいなかった。だが如何せん、受付窓口がノエルその人であった。
 ノエルもけして懸案処理能力に欠けているわけではないのだが、投書のチェックを日々の憂さ晴らしと位置づけているふしのあることが問題だった。
 当初は面倒だと敬遠していたその地味な作業も、いまでは楽しくてしょうがないらしい。
 下手な三文小説を読むよりよっぽど面白いものだから、この役目だけは他に譲るまいと決めていた。
 ランダムに手にとっては、内容を確認する。
 記名をうながしてはいるものの、なかには匿名や無記名のものも混じる。
 迅速に処理をしなければいけないものは取り分けて、読んだものから足元の箱にぽいぽいと投げ入れていく。
 九割方は単なる雑談にすぎない。だがノエルはうれしかった。みな、リーダーを元気づけようと時間を割いて筆をとってくれているのである。
 なかには目安箱の意味を勘違いしている暢気な輩もいるが、咎めまい。
 くすくすと笑ったり、へえと目を丸くしたりしながら、つぎつぎと読んでいった。
 一枚の便せんで、手がぴたりと止まった。
 差出人の名前はない。ただ、この個性的な達筆には覚えがある。
 それほど多くの文句を言ってくる相手ではないが、今日のはまたいつになく荒れた字だ。
 よっぽど憤慨していたのだろう。無記名はわざとではなく、おそらくは頭に血がのぼっていて書き忘れたのだ。
『おれは無実だ。これ以上弁解をするつもりはない』
 とてつもなく上等なお笑いネタの予感に、ノエルの胸は高鳴った。
 先ほど保留しておいた何枚かの投書を横に並べてみる。
『艦内の風紀を乱しているグループがいるみたいね。
 教育上、好ましくないわ。
 いったい最近の男の子たちはなにを考えているのかしら。
 リーダーからも少し注意をしたほうがいいと思います。カタリナ』
『三日ほど前からテッドくんのようすがへんです。
 部屋に閉じこもって、トイレのとき以外ぜんぜんでてこないんです。
 ごはんもろくにとっていません。
 声をかけようとすると真っ赤になって逃げてしまいます。
 なにがあったんでしょう。心配です。アルド』
『青少年の性の悩みについての相談窓口になるようカタリナさんから依頼されたのですが、わたしは単なる医者ですし、適任の方はほかにいると思います。
 人選をお願いいたします。ユウ』
 一見して相互関係のなさそうなその四枚を、ノエルは動物的な勘でひとくくりにした。
 噂の真相を確かめる前に、少し艦内を散歩してこようか。
 立ちあがったノエルの顔は期待でにやにやとユルんでいた。

 爽やかさのかけらもない朝。ここは根性丸の第四甲板、没個性な個室のひとつ。
 眠っているあいだにカギのないドアから投げこまれたらしい通達文書をテーブルに置いて、テッドは爪先で目やにをこそげとった。
 わざわざ洗面所に出向いて顔を洗うのも面倒くさい。朝っぱらから厄介な連中と顔をあわせて気まずくなるのもごめんだ。本来ならば今日のお役目も辞退したいところだが、ノエル自らの依頼とあっては断るわけにもいかない。
 いつもは作戦室でその日の仕事を適当に割り振られる。文書で命令されるなど滅多にあることではない。よっぽどの重要任務か、あるいは極秘にちがいない。
「ちっ、しょーがねーな」
 気はすすまないが、とりあえず腹ごなしをしておこう。集合までまだ少し時間がある。食堂が混雑していたらまんじゅうでもなんでもいい。
 ドアをあけた瞬間、トラブルがいきなり突っ立っていた。
「あっ、テッドくん、ちょうどよかった。いま迎えにきたとこ」
「……はあ?」
 テッドはしんそこ厭そうな声を絞りだしてアルドをにらみつけた。
「今日は、よろしくね。がんばろうね、テッドくん」
「ちょっと待て」とテッドは唸った。「おまえもか」
「うん! ノエルさんとカタリナ副団長さん。テッドくんとぼく。フンギさんからちゃんとお弁当を四つあずかってきたから、ね」
 テッドはものも言わずくるりと踵を返した。
「テッドくん?」
「やめた」
「えっ」
「冗談じゃない」
 後ろ手でドアを閉めようとしたが、うまくいかなかった。
 舌打ちをして振り返り、ギクリとした。
 アルドの背後に見慣れた人物がもうひとり。
「命令違反は重罪だよ、テッド?」
「あっ、ノエルさん、おはようございます。今日はよろしくお願いします」
 人好きのする笑顔を満面にたたえるノエルと、人を疑うことを知らない純朴な青年アルド。
 そして廊下には、嗚呼、これ以上あり得ないほど眉間に皺を寄せて、なにか言いたげに拳をふるわせている妙齢の彼女。
 これは陰謀だ。
 テッドの確信も事ここに至ってはただ虚しいだけだった。

「なあ、コレが重要任務か」
 テッドは低い声で訊いた。
「カニ入り肉まんの材料が底をつくなんて許されない。最重要任務だよ」
 ノエルは力強くうなずきながら言った。
「でも、わざわざあんな遠くに停泊して小舟で渡るこたぁねえだろ」
 さらに低い声でまた訊いた。
「ここは珊瑚礁の島だから、大型船が近づきすぎると危ないんだよ。座礁しちゃうからね」
 ノエルは偉そうに言った。
「だったら、古代蟹くらいいつもの無人島にわんさといるじゃんかよ。なにもこんな辺鄙な島に来なくたって」
 だんだんいらいらとしてきたが、ぐぐっと抑えて訊いた。
「万が一、テッドのその紋章が暴走してみんなを巻きこんじゃったらシャレにならないからね」
 ノエルはとんでもないことをさらりと言ってのけた。
「万が一ってなんだよ、万が一って!」
 ついにキレて、テッドは叫んだ。
「素直に蟹が目的じゃないっていえよ! どうしてくれんだよ、あいつら。オレ、もう泣きたいよ!」
 指さす先には例の青年と女性が白い砂浜に座りこんで、それぞれの武器を調整している。
 とくにカタリナの杖は気のせいか凶暴な色味を帯びていた。
「まあ、じたばたしてもしょうがないから、二、三日のんびりしようよ、テッド」
 極悪参謀。
 テッドは本気で呪いの右手を蒼穹に掲げそうになった。
 ノエルは大海原によく似た色の瞳をまぶしそうに細め、「海が蒼いねえ」と平和につぶやいた。


初出 2006-07-19 再掲 2006-08-09