せっかくうとうとしかけたのに、浅い眠りはまたしも破られた。
テッドは今夜何度めになるかわからない寝返りをうった。頭の奥に熱を帯びた不快感のかたまりがころがっている。
もともと寝つきはよくないうえに、ぐっすり眠るということも知らないのだ。だからこそ日頃から意識して休息をとるようにしているのに。
翌日の行動に差し支える程度ならまだしも、判断力の低下が命取りになりでもしたら失敗ではすまされない。
船上のベッドはゆりかごのようにゆらゆらと、ゆるやかな波動を繰り返し、静穏の世界へおいで、おいでと誘う。慣れないころは安定しない足元の揺れに気分を悪くしたこともあったが、いまではむしろ心地よさすら感じる。
それなのに、眠れない。
原因は単純明快。解決法は、ない。自分が折れるしかないのだ。
そのことを除けば真夜中の船内は静かなもので、みな眠りの世界の住人になっている。起きているのは見張り当番と、テッドと、諸悪の根元のあいつらぐらいなものだ。
日中いろいろあって身体はクタクタなのに、枕に頭を固定して目を閉じるという行為が苦痛でしょうがない。必ずや邪魔がはいって、意識低下に至ることがなかなかできないのだ。
うまいことウトウトしてもどうせまた現実の世界に引き戻される。その繰り返しもけっこうエネルギー消耗につながるので、あまり無駄な努力はしないほうがいいのかもしれない。
テッドはついにあきらめて身体を起こし、上着を羽織って、靴を履いた。
甲板に出て夜風にあたれば、少しは気が紛れるだろう。
念のため、弓は装備しておいた方がいいか。
武器を無造作に背負い、部屋のドアをそっとあける。
廊下は常夜灯に照らされて、明るいというほどではないが視界は利いた。
左右にいくつも連なる小部屋は乗組員の個室で、どこもしんとしている。
足音をたてないようにそっと踏み出そうとしたときだった。
足元を黒い影がするりとくぐった。
すれ違いざまにこつりと触れた感触で、それがあいつらだということがわかった。
ふたつの影はやすやすと不法侵入に成功すると、勝手知ったる我が家のようにまっしぐらにベッドを目指した。
小柄な銀色と、ひとまわり大きいうす茶色。
双方ともしましまがくっきりと愛らしい。
銀色はシーツに顔をこすりつけて、お尻を高くあげた。
うす茶色はふんふんと鼻を鳴らして、ほんのりと桜色に染まっている彼女のにおいを嗅いだ。やがて辛抱たまらなくなったのか背後から乱暴にのしかかり、その首根っこに牙を立てた。
アオーン、アオーンと甲高い声がハモる。
電灯のあかりにふわふわと毛が舞いあがる。耳を塞ぎたくなる超音波テイストの嬌声。
そしてついに、彼と彼女は事に至りはじめた。
「おれの寝床で、ヤルな!」
先にキレたのはテッドであった。
やかましいだけならまだしも、人のベッドを断りもなしに占領して、あまつさえその上で性行為――もとい、交尾に及ぶとは。
無礼千万。
発情は百歩譲って許そう。獣なのだからしかたがない。安眠妨害の罪は寛大な俺様が水に流してやる。
だが、しかし。猫風情がなぜにベッドで?
思うに、この船の猫どもは甘やかされすぎている。
そもそも、だれが乗せたんだか。
どいつもこいつもコロコロと幸せ太りしやがって。でかいツラで船内のいたるところを闊歩し、人間様を崇めようともしない。
階段で何度、蹴つまづきそうになったか。ぼうっとしていて黒いやつにうっかりマーキングされたこともあったし、先日は三毛にマグロサラダを横から食われた。
倉庫なんて最悪のひとこと。あそこは猫魔窟だ。抜け毛が床に層を築き、飲料水の木樽もおしっこでいつもびしょびしょ。壁は爪研ぎ禍で見るも無惨な状態。
それなのにだれもなにも文句を言わない。
目安箱に投書される猫関係の苦情は、暗黒組織の手によってもみ消されているにちがいない。
軍の階級を成す三角ピラミッドの頂点に、猫どもがいると見た。
「アヒーーーン」
銀色が人間の赤ちゃんそっくりの艶声をあげた。
テッドは額に青筋をたてて、お楽しみのふたりに近寄った。
呪いつきの右手でうす茶色、左手で銀色をつまむと、おそろいで廊下へ放り出した。
「出てけ!」
お休み中の人々への迷惑も顧みず、大声で怒鳴る。
ばたんとドアを閉め、靴をけっ飛ばすように脱ぐ。上着も袖がひっくりかえったまま床の上へポイ。
甲板に出る気など、すっかり失せてしまった。
乱れたベッドにころがる。衝撃でふわふわふわと毛がたくさん舞い散った。
「へ、ふへ、へっくしょん!」
銀とうす茶の織りなす繊維が鼻をくすぐり、くしゃみ鼻水が止まらない。
やつらは場所をよそに移したのか、廊下の気配はぱたりと途絶えた。
だがテッドがようやく眠りに落ちたのは、朝の太陽がおとずれてからだった。
しかも、もっと最悪の事態が起床後に待ちかまえていた。
「あの……テッドさん、昨夜の……(ごにょごにょ)……なんですけど」
こっそりと部屋を訪ねてきた女性が、投げ捨てられた衣服と丸めたちり紙の花畑に眉をひそめながら、ぐったりと横たわるテッドに耳打ちした。
同じ階に寝起きしているカタリナという名の偉ぶった女だ。いやな予感がした。
「悪いこととはいいませんけれど、ナレオくんのような子どももいることだし……壁、音がよく伝わるし……もう少し、バレないように努力してもいいと思うのよ?」
「……は?」
テッドはベッドにへばりついたまま呆けた声をあげた。あまりにも唐突な話が身に覚えのない頭にすぐ浸透するはずもなく、遠回しな棘を察知するのにそれなりの時間を要した。
「アルドさんにも、私からそれとなく注意しておきますね」
完全に誤解したカタリナさんはちょっと怒っている様子だった。そっちの弁解なども聞く耳持たないわよという毅然とした顔で、ぷいっとそっぽを向いて去ってしまった。
戦慄をともなって眠気が一気に吹き飛んだ。
それは百五十年の逃亡人生において最大級に値する窮地に思われた。
初出 2006-04-25 再掲 2006-05-11