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#22【お題”テッド”】

お題配布元:dolce さま(リンク切れ

孤独な夜

 その気配は途切れることはなく。
 重くひきずる足にねっとりとまとわりついてくる。返り血にも似たねばつき。鼻をつく赤錆の臭い。
 月光までもが血の色をしている。
 どこへ逃げても無駄だ。この夜すべてが闇の王の胃袋なのだから。
 生きるものたちを監視し、狙いをつけるよどみ。魔物たちを養うため、今宵も幾つかの魂を犠牲にするつもりなのである。
 夜をつかさどる王には、慈悲がない。
 群れからはぐれた少年は、魔物たちにとって恰好の獲物であった。頼りなさそうな弓をそれでも背負い、フラフラと歩いている。足元はかなりおぼつかない。
 夜のしもべたちはいままで何度も少年に牙を剥いてきた。だがその小さな躯を串刺しにしようとして、夜の王に戒められた。
 また、ぬしか。懲りぬやつだ。
 何者だ、子供。
 怯えてしゃくりあげる少年から満足な返答は得られない。夜は急に興味を失い、悪意を持った魔物のただなかに少年を置き去りにする。
 魔物たちは王の許しなく少年に手出しはできない。舌なめずりをしながら、取り囲むだけ。
  憐れみと蔑みのかわりに、夜は問う。
 ”愚かなヒトの子よ、なぜそれほどまでに闇を渇望む”
 少年はようやく震える唇をうごかした。
「……だって」
 ほかに、居場所がないから。
 相容れないことを少年は知っている。彼の躯はひどく幼く、未熟だ。夜と取引するにはそぐわない。
 本来なら、速攻で魔物に喰われても文句はいえない。少年は子どもだったが、賢かった。己の分をわきまえなかった者の末路は大人以上に心得ていた。
 こんな時代だ。人はほんとうに簡単に死ぬ。
 なにも魔物だらけの森を歩かずとも、その気があればすぐに死ねる。
 魔物よりもむしろ人の心のほうが荒んでいる。
 少年の表情が歪む。自嘲であった。
 戦乱を巻き起こしているのは、ほかならぬ自分であったから。
 罪も後悔も遺さずに、簡単に死ねたら。
 どんなによかったか。
 死すらも拒まれたら、どこへ往けというのか。
 そこでもまた戦乱が起きるだろう。
 ひとり取り残されるのを、また黙ってみていろというのか。
 ささやかなしあわせを手にしたことも、たしかにあった。さらさらと砂のように指のあいだからこぼれていった。
 砂粒すらも残らない。
 この手は呪われているから。
 からっぽの手のひらをぼんやりとみつめて、少年は思った。
 なにもかもすべて奪われるなら、はじめからないほうがいい。
 どうせひとりになるのなら、はじめからひとりのままでいい。
 顔をあげる。感情の消えたふたつの瞳に、夜が映る。
 人の縁をすべて捨てて、少年はまた歩きはじめた。
 気配はまだ途切れなかった。おまえの血がほしいと、まとわりついてきた。
 少年は夜のやさしさを知っていた。
 突き放し、怯えさせ、たくさんの絶望を味わわせて。
 そして最後に、つかの間の眠りを与えてくれるのだ。
 その眠りは憧れてやまない死にも似て。
 だからそこが最後に許された居場所だった。幾たびの、百億の、永劫の。

おいてかないで

 自分のなかに、封印された記憶の箱がある。
 記憶というものはひどく厄介だ。思い出ですませるうちはそれでよい。
 それが痕跡というたぐいのものに変貌するとき、終わりのない苦しみははじまる。
 叫びながら飛び起きて、テッドはシーツをかたく握りしめた。
 おびただしい寝汗をかいていた。
 またあの夢だ。
 しばらくなかったのに、最近になってまた頻繁にみるようになった。
 発作のようにおこるこの得体の知れない悪夢は、いつまで自分の人生についてまわるのか。
 夢の内容を憶えているわけではない。おそらくは無意識に思い出すまいと抵抗しているからだろう。それすらも考えてみると病的で、我に返ると情けなくなる。
 過去を引きずっていてもいいことなどはなにもない。どうせ変えられないのだから、さっさと捨て去るにかぎる。
 頭ではわかっているのだが、心の奥底でイヤだと声がする。
 己の弱い心に腹が立つ。
 いつもそこで目が覚める、その寸前の叫びだけが鮮明に残っている。
 いったいだれに向けた願いだったのか。
 ”おいてかないで”
 あれがいちばん最初のできごとだったのだろう。みなから置いてきぼりにされるテッドの長い人生の。
 願いは虚しく、人はみなテッドのもとを去っていった。
 叫ぶ声は嗄れはて、もはや声を出すのも面倒になってきたというのに。
 幼い自分が必死になって、叫ぶ。
 おいてかないで。いっしょうのおねがいだから。
 汗がひやりと冷たくなり、テッドはぶるっと毛布をかぶって身を丸めた。
 泣き叫び、必死に懇願するあの子を置き去りにしたのは―――
 なんてこった。おれか。

俺に構うな

「それって、口癖のつもりなの?」
 騎士団ラーメンなる謎のヌードルをすすりながら、ノエルがお行儀悪く割り箸でおれを指さした。
「モグ……似合ってない。やめたほうがいい。説得力もいまいち。ってゆーか逆効果」
「べつに、意識してるつもりはないけど。あいつがあんまりしつこいから、つい」
「無口をよそおうならそれなりに語彙も吟味したほうが、ぜったいにいいって」
 よそおうだって。黙って聞いてればなにをぬかしやがる。
 おれは無性に腹が立った。目安箱の投書の件で話し合いたいからランチにつきあわないかと誘われてついてきたのが間違いだった。
 いや、そもそも目安箱なんてシステムをあてにしたおれが短絡的だったのか。
 王様や軍師の検閲がはいると信じきっていたのに、ノエル直通だったとは恐れいった。
 残ったアジフライをさっさと口につっこみ、おれはトレイを手に立ち上がった。
「そう急かさないでゆっくりお茶でも飲もうよ。例の問題もまだ解決してないし」
「あれはもういい。ごちそうさま」
「じゃあ軍主命令で、お茶つきあって」
 おれはぎろりとノエルをにらんだ。雇用契約をいいことに、わがままのし放題。こんなやつだと最初からわかっていたら、つきあい方ももう少し慎重にしたのに。
 精いっぱいの仏頂面をこしらえて、イスにどっかと腰を戻す。
 ノエルはセルフサービスのジャスミン茶をふたつとりに行った。
 その後ろ姿をぼんやりと見ながら、つくづく若いとおれは思った。スネまるだしの短パンはともかく、実年齢がとてつもなく若い。これで軍のリーダーとは、聞いて呆れる。
 罰の紋章が取り憑いていなかったら、存在感の薄いただの少年だ。とりわけ目立つわけでもなく、むしろみなより一歩退くタイプである。はっきりとした物言いはするけれど、積極的に語りかけるのを見たことがない。
 まったく運命とは残酷な真似をする。おれはある程度時間が経ってしまったからともかくとして、ノエルの場合はいまからでも逃れるすべはあるのではないだろうか。
 重い紋章を背負っているという自覚が彼にあるのだろうか。しばらく傍観してみたが判然としなかった。霧の船に招いたときのノエルはやけにさっぱりとした態度をしていたが、それも若さゆえだったのかもしれない。
 これからいくらでも思い悩むときは来る。運命を呪うことだって。
 テーブルに頬杖をつきながらそこまで考えて、おれはハッとした。
 ノエルと自分のちがいをすっかり忘れていたのだ。
 両手にお茶を持ったノエルが鼻歌をうたいながら戻ってきた。
 おれは動揺を見せまいと、わずかに顔をそむけた。
 胸がどきどきした。どうして歌などうたえるのだ。死を覚悟しているくせに。
 女の子を思わせる華奢な指がコップを置こうとして、ぴたりととまった。
「なにかあった、テッド」
 こいつは勘がいい。そしてすぐに気取られる自分は甘い。
「なんでもねえよ。茶、サンキュ」
「ふーん? いいたいことがあったら遠慮なくいってね」
 ノエルはにたりと笑って白い歯を見せた。
「ぼくはテッドに構われてもぜんぜん平気だからさ!」
「え……はあ?」
 目をぱちくりしたおれは、一瞬ののちユデダコよろしく紅潮してしまった。
 たしかに、意識しすぎだ。むしろこれこそ構い過ぎというやつだ。
 認めたくはないがノエルのほうが一枚上手であった。
 軍主の器か。なるほどね。
 おぼえていやがれ、クソガキ。
 冷たいジャスミン茶を一気に流しこんでクールダウンをはかり、なんだかおかしくなったおれはめずらしくにやりと頬をゆるませた。

一生のお願い、だ

「いっしょうの、おねがい……」
 テッドはどきどきして目を瞑った。
「ちゅーして」
 ステラは「テディのおませさん」とはにかんで、かわいい唇にぎこちないキスを落とした。
 たんぽぽの咲き乱れる丘の上。
 小さな恋人たちの誓いは、このときはまだ永遠を約束されていた。
 テッドにはステラしかいなかった。ステラにとってもそうだった。
 定められた愛情であっても、ふたりはなんの疑問も抱くことはしなかった。
 テッドの一生はステラに捧げられるはずだった。
 それが隠された紋章の村の掟だったから――――

 一生のお願いなんてそうお安く連発するもんじゃないだろう。
 ルーファスはそういってすぐに顔をしかめる。文句は必ず付随するけれど、けっきょくのところお願いは聞いてくれる。テッドの手口が巧妙なこともあるけれど、ルーファス自身もこの漫才のような駆け引きを楽しんでいるのだ。
 テッドの口が軽いのはいまにはじまったことではない。単に軽薄なのならともかく、テッドの場合は緻密な計算に基づいて発言するのだから周囲も緊張を解けない。
 事実、ルーファスの父親のテオでさえも博識のテッドに舌を巻くことがあるのだから、テッドという人物はあなどれない。いったいどこでそんな処世術を覚えたコトやら。訊いてもテッドは笑って教えてくれない。
 とにもかくにも、テッドはマクドール家において異色の存在だった。こんな大それた人物は見たことがない、というのは家族そろっての共通した評価である。
 ルーファスが補足するに、天才とナントカは紙一重だ。アホといってもべつに差し支えはないだろう。その証拠に、意にそぐわないことがあるとすぐにかあっと熱くなる。ルーファスととっくみあいのケンカに至ったことも一度や二度ではなかった。
「坊ちゃんがたは、まったくもう」
 矢も棍もやりすぎですよ、とぶつくさいいながらグレミオが嘆く。絆創膏のストックもそろそろ底をついてきた。
「だって、テッドが!」
「先に棒ぶんまわしはじめたのはルーじゃんかよ!」
 治療もそこそこに、キレたパーンの右手と左手にぶら下げられて仲良く納戸に放りこまれる。
 夕ご飯抜きの罰を与えられて、背中あわせで黙りこくる。
 意地の張りあいは月がのぼってくるまで続けられる。
 グウと鳴るおなか。
 どちらからともなくつぶやきだす。
「はら、へったな……」
「ウン、ぺこぺこだ」
「ごめんな、ルー」
「ぼくのほうも、悪かったから……ごめん」
 壁のどこかに耳でもあるのだろうか。
 すばらしいタイミングでカギを開けてくれるのは決まってクレオだ。
 すっかりあかりの落ちた台所に呼ばれ、テーブルを見るとおにぎりが四つ置いてある。
 ふたりでべそをかきながらクレオ特製の塩おにぎりをぱくつく。
 この家の中では、ルーファスもテッドも完全に子供扱いだ。だが、それでよいのだとテッドは思う。家族みなそれぞれに役割というものがあるのだから。
 家族。
 自分のほんとうの家族のことを、テッドはあまり覚えていない。いま世話になっているマクドール家もしょせんは家族ごっこの延長であることを、テッドは認識している。
 笑うことは演技。ゴマをすることも、ケンカも、ふざけあいも、すべて演技。
 やがて幕が下りる。カーテン・コールなどあり得ない。
「ルーファス」
「なあに、テッド」
「おれたち、親友だよな」
 ルーファスはげらげらと笑って、「なんだよ、いまさら」といった。
 ルーファスの姿を目に焼きつけておこう。
 これが、嘘偽りのないほんとうの笑いかただ。けして忘れまい。
「一生のお願い、だから……親友だっていえよ」
 ところがルーファスは急に真顔に戻って、「ダメだよ、それ」と首をふった。
「テッド、親友って、お願いされてなるもんじゃないでしょ。一生をかけてもらわなくったって、ぼくはテッドの親友。ちがう?」
「ルー……」
「一生は、もっと大切なときに使うもんだよ?」
 反論できなかった。
 お願いなんてどうせ叶うもんか。心のどこかで醒めている自分をルーファスは見透かし、無邪気に叱った。そうとしか思えなかった。
 わかっている。
 わかっているけれど。
 いましか甘えるチャンスもない。いまがいちばん大切なんだということを、どうしたらルーファスに伝えられるのだろう。
 別れのときは着実に近づいている。
 ルーファスに心を許したぶんだけ、そのリミットは早まるのだ。
 テッドはずきりと痛む胸に右手をやった。
 そして願った。
 一生のお願いです。
 もう少し、あと少しだけ、夢にまどろませてくださいと。

・・・・・・サンキュ

 ええと、コンチワ。
 こんちわなんておかしいか。
 ひょっとして、ここまで拍手してくれたのか……?
 あー、悪ぃ。あんがとな。
 みんなのこと、オレ知らないんだ。そっち側の世界は、ないことになってるから。
 だからいつも見守ってくれてんだよっていわれても、ぴんとこない。
 オレたちのいる場所は混沌で、たくさんの世界が平行してるってことを教わった。けど実際によその世界を見たことなんてないし、オレ、自分の眼で見たこと以外は信じないたちなんだ。
 それに世界がいっぱいあるっていわれても、オレは自分のいる世界のことだけでもう溺れかけだしな。
 もちろん、思ったりはする。ちがう時代に生まれていたらとか、そういう勝手なことは。
 けど運のよしあしだけで自分を語るのはごめんだ。生まれるって、それだけで意味のあることなんだぜ。わかるか。
 わかんねよな。
 オレもわかんねえ。
 こんなんで他人様の生死をつかさどってんだからシャレにもなんねえ。
 オレの人生、いいんだか悪いんだかしらねえけど、冗談の繰りかえしさ。
 応援してくれるのはありがたいけどなあ、ごめん、ちょっと元気になれそうな気分じゃない。
 けど、あんがとな。ほんと、あんがとな。
 がんばるって約束はできないけど、おまえらは、がんばれ。
 我ながらスゲエ勝手な言いぐさだなあ。まあ、いいか。とりあえず一生のお願い。
 オレはまだしばらくはここにいるから。気が向いたら、そっち側から眺めてくれよな。
 じゃ。


初出 2006-06-16 再掲 2006-07-19