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勇気

_#1

 騙されていることになどとうの昔に気づいていた。
 結局のところ、どうなってもよかったのだ。逃げ場所さえ与えてもらえるのなら。海の底深くソウルイーターを封印することも叶わず、ましてや自分に死ぬ勇気すらないことを思い知らされた崖っぷちで、差しのべられた手にすがったとしても何の咎があろうか。
 もう限界だった。なぜならば自分は神でも悪魔でもない。人間だったから。
 世界を司る真理のひとつなど抱えきれるわけがなかったのだ。いい加減、誰かが憐れんで解放してくれてもよかったのに、誰も「もういいよ」と言ってくれなかったから───
 だから、憎かった。復讐してやりたいと思った。
(────誰に?)
 『あの人』は諭した。復讐など愚かな人間のすることであると。人はみな憐れむべき生命であり、愚か者なのだと。
「だが、お前は違う。テッドよ。この世界の生と死を司る者よ。お前にはこの世界の行方を見守る権利がある。時と決別せよ。我と共に────」
 地獄への道でも構うものかと思った。目の前に逃げる場所がある。もう誰も死に追いやらなくてよい選択肢がある。
 魂を奪う苦しみから解放されるなら、自分は悪魔に飼われてもいい。もう笑えなくなっても泣けなくなってもいい。人間であったことすら忘れてもいい。
 ソウルイーター。この呪われし紋章との絆を切ることが許されるのなら、代償に何を失ってもきっと耐えられる。
 そして少年は、感情も過去も彼の名前すらも、封じた。

_#2

 少年に与えられた居場所はこの世界では「船」と呼ばれるものの形をしていたが、その存在自体が不安定であやふやなものだった。常にまとわりつく濃い霧も、船底を打つ波も現実のものではない。世界との接点も不確かで、存在理由すらもなかった。
 まるで自分みたいだ、とテッドは思った。
 その船が航海を続けている理由はただひとつ、それは船長の言葉を借りれば「救済」であった。テッドと同様、この世界に27あるという真の紋章を身に宿す、選ばれし者たちを乗せるため。
 テッドは創世の物語にそういうストーリーがあったことを思い出し、皮肉に満ちた笑みを浮かべた。神話の選ばれし者ノアは齢六百だったらしい。その間ただの一度も絶望することなく真摯に神に仕えたというのだから計り知れぬ。
 いまだに憎しみや哀しみを棄てきれないでいる自分とはずいぶん違うものだ。
 松明のひと束をほどくと炎が自らの意志でそうしたかのように勝手に灯った。明々と燃え上がる、熱さを感じぬ現実には存在しない炎。それでも暗闇の船内を歩くためにテッドにはそれが必要だった。少なくとも、夜目の利かない自分の存在だけはテッドにとっての現実であった。
 白のローブにまとわりつくように魂の切れ端があとを追いかけてきた。成仏しきれず彷徨い歩く魂はこの境界無き船に引き寄せられる。それらの中には悪霊と化したものもあったが、けしてテッドには危害を加えようとしなかった。もしかして現実でないのは自分のほうなのかも知れない。
 そもそも、現実というのは何なのだろうか。
 ローブの端からのぞく袖が少し短くなった、成長という名の現実。船長は言った。この船は時の支配の及ばぬ場所。願えば願ったように時は操ることができる。
 自分は無意識に願ったのだろう。焦がれ求めてきた成長を。背が伸び、髪や爪が伸び、体つきが変わっていくごく自然な流れに、憧れて。
 実感が無くともこれが精一杯の現実だ。ほかに何を求めよう。何を悔やむことがあろう。あれほど忌み嫌ったソウルイーターはすでに手元から離れ、呪いの支配は及ばなくなった。いいことじゃないか。
 骨だけで構成された白い腕が儚げにテッドのローブを引っ張った。鎖がカランと鳴る音がした。
 大扉の前まで来ると、テッドが命じる前にそれは音もなく開かれた。
 無表情でスッと中に入る。かすかな結界の閃光が魂たちの侵入を阻んだ。もっとも深いところにあるこの部屋は船長の居室であった。もちろんほかの部分と同様不確かな空間であることに変わりはなく、テッドを迎え入れるときはいつも異なる趣向を見せてくれた。
 いまのそれは古い書斎のようであった。山と積まれた革表紙の古書に埋もれるように、賢者のなりをした男がこちらを向いてニヤリと笑った。
「珍しい。お前からここを訪ねてくるとは」
 あたたかい紅茶の香りが鼻を突いた。船長の悪戯である。飲むことも食べることも眠ることも、この船では特に望まない限り必要ではない。
 テッドは頭をもたげて何か言いたげに瞬きをした。
「なんだ。まだそんなものが必要か」
 顎をしゃくった先で、テッドの白い指が首の鎖に触れた。目が動揺したように空を漂い、やがて力無く俯いた。船長は来客の行動を興味深そうに眺めた。
「まあよい。繋ぎ止めぬと崩壊すると言うのなら、それにすがるのもよかろう。いずれお前も我と共に赴くのだ。永遠の都に。それまではお前の気の済むようにするとよい」
「……永遠の……都」
 テッドの思考に薄色の膜が張った。迷うな。なにも考えるな。船長の語る理想の世界というものはただの人間である自分は理解せずともよいことなのだから。疑問を抱かずただひたすらに従えばよいのだ。せっかく自分は選ばれたのだから────
「力を集めねばならぬ。テッドよ。わかるね」
 頷く。
「いい子だ」
 船長は立ち上がってテッドを手元へ引き寄せた。彼はテッドより頭ひとつ分しか高くない老人の姿をしていたが、それが見せかけであることはわかっていた。確かなものなどなにも無いからこそ、テッドは身をゆだねるしかなかったのだ。
 いまのテッドには自由や希望という言葉はむしろ苦しかった。
「そうだ。お前の望むがままに」
 テッドはひんやりと冷たい船長の掌を頬に感じながら、小さく「おじいちゃん」と呟いた。

_#3

 知識というものは苦をして手に入れることはない。世界を外側から見ると、現在起こっていることも歴史書を紐解く気楽さで把握できる。
 この世界は混沌だ。どうして人はみなあれほど一生懸命なのだろう。黙って生きていてもみな百年そこらで滅ぶ魂なのに。なにをそんなに頑張ることがあろう。
 彼らの信じる真理はじつは指一本であっけなく崩れ去る。世界がそのようにならないでいられるのは、真の理を正に統べる者が慈悲深いからだ。人が賢いからではない。
 テッドは伸びた前髪を鬱陶しそうに掻き上げたその手で、まとわりつく白い影をついでに払った。何をして欲しいのか、哀れな魂どもはいつでもテッドについてまわる。苛々しているときにつきまとわれたらたまったものではない。
「お客さんが来るんだからおとなしくしとけよ」
 言ったあとで自分のセリフに苦笑する。彷徨う魂たちを鎮魂するため水の紋章が欲しいと告げたときの船長の意外そうな顔といったら。まだそんなことにこだわっている自分に呆れたようだったけれど、蔑みながらもこうして叶えてくれたし。
 友だちが死者の魂だなんて可笑しすぎる。
 ひょっとして自分もとっくに死んでたりして、とテッドはまた思い出し笑いを始めた。
 笑ってでもいなければ、おかしくなりそうだった。
 ここが地獄なら祖父や村の人たちをいくら捜しても見つかるわけがなかった。
(行き損ねちゃったよ、天国)
 なんだかそれでもいい気がした。頑固な祖父に合わす顔もなかったので。
(おっと)
 接舷した気配を感じてテッドは気を引き締めた。霧の中ではこちらが主導権を握っているとはいえ、相手は血の気の多い軍船である。売られた喧嘩は買うぞといったツラがぞろぞろと列んでいるはずだ。だがそいつらに用はない。
 船の代表者らしき男が上半身裸の短パン姿でさっそくいちゃもんをつけてきた。この男の名は知識として心得ている。オベル王国国王、リノ・エン・クルデス。そして。
 隣にいるのが『罰の紋章』の宿主。
(若い)
 第一印象がそれだった。とは言っても、テッドより背も高く見た目は少し年上だ。紋章を継承してからまだあまり時を経ていないと聞いていたが、真の紋章というヤツらはつくづく若い命を犠牲にしたがるものだ。
(おれの知ったこっちゃないがな)
 罰の紋章を促すと王様が同行を申し出てきた。予想はしていたことだ。いざとなれば人ひとりくらいどうにでもなる。テッドは了承した。
 テッドの首を巻く鎖を物珍しげに凝視しながらリノ王は「気味悪い船だぜ」と独り言ちた。
 たちまち魂どもが客人たちを取り巻いた。悪霊と化した者にとって生きた人間はご馳走である。止めても無駄だろう。テッドは薄笑いを浮かべながら見物を決め込んだ。ほんとうに危なくなったら助けてやらなくもない。
「……ぅわっ、なんだこいつら! 倒しても倒しても起きあがってきやがるぜ!」
「王様気をつけて! アンデッドみたいだよ。一気にケリをつけないとエネルギーの補完をする。遺跡にいたヤツらと一緒だけど、こいつら、強い……わっ!」
「ノエル!」
 咄嗟にかばったリノ王の皮膚が裂ける。テッドの眉がひそめられた。だいじょうぶ。まだ致命傷ではない。心を動かすな。
 呻くリノ王の身体を今度は少年────ノエルがかばう。双剣を巧みに振り回しながら、襲撃してくる悪霊どもを必死ではねつける。
 だが多勢に無勢だ。そろそろ潮時か、とテッドが思った、その時。
 一匹の伸ばした魂の触手がリノ王を捕らえようとした。
 刹那。振り向きざまにノエルの左手が輝きを放つ。まるでスローモーションで見るように光彩が放射状に広がっていった。血のように赤い禍々しき光。テッドは硬直した。
(────罰!)
 悲鳴にも似た発動であった。テッドは思わず自らの何もない右手をかばうように握りしめた。長年寄り添ったソウルイーターとは違う、だが禍々しさだけは本質的に同じもの。
 だが、その血を啜るような厭な感じの正体をテッドはまだ知らなかった。
 襲撃する者たちの影が霧散するのと同時に、血の色の帯がノエルを包み、彼は絡め取られるように倒れ込んだ。
「こっ……」
 こんなことがあるかよ。
 何という強欲な紋章なのだろう。力を貸してやった代償が、宿主の────
「命だってのか?」
 テッドは目眩がしてきつく目を閉じた。リノ王はすでに立ち上がり、ノエルを介抱している。気を失っているらしい。くそっ、やりすぎだ。
「……ちょっと、下がってください」
 抗議しようと口を開きかけるリノ王を無視してテッドはノエルの脇に跪いた。左手を触れるか触れないかぎりぎりのところで翳す。ぼうっと青白い光が傷口を覆った。
「お、お前、水魔法使えるのか」
 テッドは答えずノエルに意識を集中した。みるみる傷口が塞がっていく。ほどなくノエルはうっすらと目を開けた。
「……ありがとう」
 いきなり返ってきた感謝の言葉にテッドのほうがたじろいだ。礼を期待して治療したわけではない。己の無謀さをわかってほしかっただけだ。
「今のが……罰の紋章……なんですか」
 わかってはいたが、テッドはノエルの口からそれを訊きたかった。ただひたすらに隠し通すことだけに必死になってきた自分と彼はずいぶん違う。
(おれは誰かのために、ソウルイーターを使ったことなんて、なかった)
 考えたこともなかった。
 真の紋章はテッドにとって、けして軽はずみに発動してはいけないものだったから。
 ノエルは少し微笑んで、頷いた。
「そうだよ。いまきみが見たのが罰の紋章。怖がらせて……ごめんね」
 テッドはビクッとして荒々しく立ち上がった。
(なんだよ、こいつ!)
 腹立たしくなってきた。なんで笑むことができるんだ? なんで謝るんだ?
「お前……」声をかすかに震わせながら、テッドは溜め込んできた感情を吐き出しはじめた。抑えようとしても、もう止まりそうになかった。「なんで、そんなに平然としていられるんだ? どうして自分だけ、って……な、なんで思わないんだ? 失ったものだって、おっ、多かったんだろっ」
 ノエルの表情がスッと冷たいものになった。だが青い瞳はテッドを真っ直ぐに見据えたまま動かない。
「紋章だって……お前は罰を受けるようなことはなにもしていないんだろ。それなのにどうしてわざわざそんな、紋章が悦ぶようなマネをするんだよ。わかんないよ。代償が、こ……怖くないのかよ」
「怖いよ」ノエルはひとことだけ返した。あまりにもきっぱりと。
「じゃあなんでそんなモノを持って戦争してんのさ! 人をたくさん殺すかもしれないのに!」
 自分は何を叫んでいるのだろう、とテッドは思った。

_#4

 この邂逅は恐らく、運命とやらが仕掛けた、罠だ。
 甘美な夢に浸っていたほうが楽だった。自分だってわかっていたのだ。騙されていることになど、とうの昔に。
 現実を認めるのが苦痛だった。耐えられなかった。限界だった。なぜならば自分はどうしようもなく人間だったから。
 人をたくさん殺してきたのに、どうしても自分だけは死ねなかった。呪われた永遠の生なんか望んだわけではないのに。
 ああ、船長が罰の紋章を喚んでいる。
 あと幾つその手におさめたら気が済むのだろう。あいつにとって、重要なのは真の紋章だけなのだ。宿主のちっぽけな命など、玩具がわりに弄ぶくらいにしか考えちゃいない。
 それでもよかった。それでも、よかった。
 テッドの指が鎖に伸びた。外そうと思えばいつでも外せたそれはあっけなくカランと落ちた。どうしても外せなかったのは、テッドの心の鎖がしっかりと絡みついていたから。
 逃げたかった。
 心を隠し続けてきたローブも脱ぐ。これで、もう逃げ場所は失われた。
 『罰の紋章』の宿主と目が合った。深い深い海の色。強い光が宿っていた。ノエルはテッドに向けて、親指を立てた。
「気を許すな! 来るぞ!」

_#epilogue

 ソウルイーター。
 おれはもう、逃げないよ。


幻水4テッドイベント大捏造。たしか自分設定ではこの場にキカ姐もいたはずなんだけど面倒だからお留守番(まっ!)。原作否定する訳じゃないですけどね。マジでこんくらい痛めつけなきゃテッド頑固だからノエちゃんに味方しそうにないし。選択肢どれ選んでも一緒ってそりゃーねーべという。いっそ霧の船エンディングがあってもよかったよな。2の戦争放棄エンディング並みにリアル&シュール。ついでに顔グラもらくがき王国で♪

2005-03-24