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人嫌い

 昼食の時間を迎えて施設街は活気づいていた。フンギのランチコーナーはすでに長蛇の列で、キカの船からわざわざこのために乗り移ってきた海賊たちとミツバが割り込んだ割り込まないで小競り合いを開始したところだった。
「わあぁっ!」
 突如として喧噪を裂く悲鳴。その直後に、ものすごい音が施設街全体に轟いた。親友のラクジーと座る席を探していたナレオは、悲鳴の主が父親であることを瞬時に悟って、トレイをそばのテーブルに置いて駆けだした。
 大混雑のなかでも父親を見つけることは容易だった。ダリオは頭からワカメをぶら下げ、階段下であらんかぎりの罵声をはりあげていた。
 自慢の海賊ベルトは春雨がからまってまるで白髪の骸骨である。
「ばっきゃろー! 右左よく見て墜ちて来やがれこのやろう!」
「パパ!」
 トレイを昼食ごとひっくりかえした父親と、床で痛そうに後頭部をさすっている海賊仲間のハーヴェイ。そしてもうひとり、飛散したスープの海に突っ伏して動かない少年。
 見渡すと、上の踊り場で呆れたように立っているシグルドもいた。
「……バカが」
 額を押さえてシグルドが頭を振る。ナレオはそれでなんとなく状況がのみこめた。おそらくはハーヴェイが階段から足を踏み外して、たまたま下にいたふたりを巻き添えにしたのだろう。
「あーっ! テッドどけろ! 俺のアジフライ」
 ダリオは今度は床の少年に向かって罵倒をはじめた。よく見ると、その背中の下に魚のシッポがのぞいている。でもパパもう諦めた方がいいよ、と言いかけてナレオはハッとした。
「ダメだよパパ動かしちゃ! テッドさんなんか変だよ」
 さっきからぴくりとも動かないのである。
 シグルドが階段を下りてきながら言った。「すぐ医務室に運んだ方がいい。頭を打ったのかも知れない」
 そして相棒ハーヴェイの襟首を掴んで立たせると、「この単細胞」と拳骨で小突いた。

「……で、ハーヴェイは自分が悪いってことを認めてくれるんだよね?」
 抑揚の少ない口調でノエルが訊くと、栗毛の海賊はボサボサ頭をぶんぶん振った。
「だから、おれは海賊流に礼儀ってもんを教えてやっただけだって! 人が挨拶してんのに無視するほうがよっぽど悪いぜ!」
「いくつだよ、お前」とシグルド。
「そうだそうだ。だからって足をひっかけるこたあないだろう。しかも自分まで勢いづいて一緒に転げ落ちただと?」
「けどよ、王様」四面楚歌で責めたてられてハーヴェイは憮然とした面持ちになる。
 騒ぎを聞いて様子を見に来たリーダーのノエルとオーナーのリノ・エン・クルデスが、第四甲板通路の病室前で当事者たちと対峙していた。気を失って運ばれたテッドはいまだ病室の中だ。
 シグルドという冷静沈着なる目撃者がいたことが幸いだった。怒りがおさまらず吼えたけるハーヴェイを牽制しながら事の一部始終を報告してくれたため、リーダーはその事件の概要を正確に知ることができた。
 リノは盛大にため息をついた。「ったく、ガキのケンカじゃあるまいし、挨拶ひとつしたしねえで」
「どーせおれはガキだよ!」よせばいいのにハーヴェイがまた噛みつく。「けどあっちのほうがもっとガキじゃねえか。目上のモンには礼を尽くせって教えてもらってねーんじゃないの?」
 そのとき病室のドアが乱暴に開いて、看護助手のキャリーがものすごい形相で睨みつけて一喝した。
「あなたたち静かにしてください! まだ中で寝ているんですよ。もめごとならよそでして頂戴!」
 バタン。
 座がシーンと静まりかえった。
 ノエルの顔に(……怖っ)という苦笑が薄く張り付いている。
「ま、まあそういうことだし、テッドも脳震盪を起こしただけだって言うしよ、ここは罰としてハーヴェイにまかせておれたちは退散しようじゃないか」と、リノが逃げの手に出る。
「ちょっちょっと待ってくれよ、看護の人もいるんだしなにもおれがついてなくてもいいんじゃないのか」
「だからそれがキミの罰なんだよ」
 ノエルがにっこりと頬笑んで小首を傾げた。ふだん無表情で何を考えているか表に出さないぶん、どこまでが冗談でどこから本気なのかわからないこういうときが強烈にいやな感じだ。
 ハーヴェイは肩をすくめた。その背を「じゃあな、がんばれよ」と叩きながらシグルドが耳打ちした。「意識ない患者サンをけっ飛ばすのは卑怯だからな?」
「あー、わかったよ! ついてりゃーいいんでしょついてりゃ!」
「うるさーい!」
 ドアの中から黄色い怒鳴り声がした。

 どうにもこうにも居心地がよくなくてハーヴェイはもぞもぞと尻を動かした。目の前のベッドには額に絆創膏を貼られて横たわっているテッド。カーテンの向こうではキャリーが机に向かって薬の調合をしている。
 医療現場というところは昔から好きでなかった。自分がそんなところの世話になるのも、人が世話をされているところに連れていかれるのも御免だった。
(まさか、いちばん下まで転げ落ちちまうとはな)
 ハーヴェイは昏々と眠っている少年を鬱陶しげに見た。とたんにまた腹がたってきた。もう少しとっさに頭をかばうとか、何かその辺のものをつかんで身体を支えるとか、方法があっただろうに。
 自分が仕掛けたくせに、相手の防御力のなさばかりが気に障る。
 仲間内でもテッドを好ましいと思っている者はおそらくいない。人嫌いだという噂が立っていたのは知っていたが、そんなことは別に自分には関係なかった。ただ、そういう個人的な理由と居を共にする上での礼儀は別次元だ。誤解されては困る。
 こっちは一応声をかけたのに、おまえは目も合わせようとしなかった。まるでそこに誰もいないかのような素振りで。すれ違いざま、かっとしてつい足が出てしまったのはたしかに悪かったが。
「おまえも悪い」
 本音がつい口に出た。奥でキャリーが「はい?」と返事をした。
「どうしました?」
 カーテンをずらして様子を見てくる。ハーヴェイは慌てた。
「いえ、なんでもないです」
「そう? ちゃんと息してるか見ていてくださいね。ユウ先生は大丈夫だろうっておっしゃってましたけど、頭を打っていますから念のためにね」
 ハーヴェイは少し心配になって訊いた。「あの……ホントに大丈夫なのか、こいつ。ぜんぜん目を覚まさないんだけど」
 タオルで手を拭きながら、金髪の看護助手はベッドのそばに近づいた。青い瞳で患者をじっと見下ろす。
「ご心配なく。でもおかしなことがあったらすぐ教えてください。たとえばすごいいびきをするとか、うなされるとか、ひどく汗をかくとかですね」
「はあ」
「……きっと少し疲れていたんだと思いますよ。テッドくんここのところいつも前線に立たされていたみたいですし。先日もイルヤ島で雨に打たれたらしいですから、体調が悪かったんじゃないのかしら。つらいとか苦しいとか自分から言う子じゃないですものね」
 そういえば、階段で遭ったときもどこかぼうっと歩いていたような気もする。
 キャリーの目がこんどはハーヴェイを向いた。「となり、座ってよろしい?」
 ハーヴェイは無言で椅子をひとつずらした。「ありがとう」とにっこり笑って、キャリーはその椅子に腰をかけた。
「アルドさんがいなくてよかったわ。」
「アルド?」
「ええ。フレデリカさんといっしょに弓の調整だとかで一時下船しているの。もしあの人がいてごらんなさい、あなた、命なくってよ」
 物騒な物言いの割に明るくくすくす笑っている。
「なんで」
「アラ、ご存じないの? アルドさんってテッドくんのことをすっごく大事に思っているんだから。ケンカなんかふっかけた人には弓矢乱れ打ち地獄ですよ」
「ふうん」とハーヴェイはつまらなそうに返した。
 なんだ。ちゃんと友達がいるんじゃないか。じゃあおれなんかがわざわざ声をかけてやることもないってわけだ。これからはこっちもとことん無視してやるからな。
「でも、アルドさんお気の毒なんです」
 ふいにおかしなことを呟くキャリーにハーヴェイは興味を持った。
「テッドくん、アルドさんに対してもああですから。ああ、むしろ、もっと積極的にいやがっているのかしら」
 くっと笑いがこみあげてきた。ほら見ろ。やっぱりこいつは他人の気持ちをおもんぱかれない自分本位な人間なんだ。なんでこんなガキを仲間に引き入れたのか、リーダーの考えることは時として理解できない。確かに戦いにおいては少しばかり有能ではあるようだけれど。
「このあいだ、アルドさんがおひとりでここにいらしたんですよ。ああ、こんなことを言ってもいいのかしら」キャリーは人差し指を唇にあてて「内緒にしてね」の仕草をした。
「アルドさんはテッドくんが人を避けるのを、なにか心の病気じゃないのかって心配して相談に来られたんです。いっしょにお茶をいただいたんですけれど、あの人ずっとテッドくんのことばかり。テッドくんのことはきちんと診たわけではないですからはっきりとは断言できませんでしたけど、あのままじゃアルドさんのほうの心が先におかしくなってしまいそうな気がして」
 そこまで言うとキャリーは静かに呼吸を継いだ。「報われない恋の病みたいなものだわ」
「こ、恋?」
 あまりな展開にハーヴェイのほうがうろたえた。思わぬ裏声になってしまったことに驚きとっさに口元を押さえる。本人の寝ている前で何という大胆な憶測を。
 キャリーはけらけらと笑って否定した。「冗談ですよ冗談。でもね、アルドさん思い悩んでひっくり返ってしまいそうでしたから、わたし言ってさしあげたんですよ。アルドさんは寂しい人の気持ちを誰よりも敏感に感じ取ってしまうんですね、って」
「寂しい人?」
 ハーヴェイはまたもや素っ頓狂な声をあげた。「こいつがー?」
「そうですよ。ふふ、あなたにはおわかりにならないのね」
 からかわれたような気がしてハーヴェイは不機嫌になった。それには構わずにキャリーは壁の時計を見て立ち上がった。
「2時から医務室で診察なんです。お手伝いしなくていけないから、ハーヴェイさん、あと頼みますね。しっかり見ていてくださいよ」
「あ、ああ。いつもはあなたがいないあいだは患者はどうしてるんだ?」
「マキシンさんがお留守番してくださっているから安心なんですよ。いざとなったら彼女は看護の心得もおありですし」
「看護って……マキシン? ええっ、だってあの人、元はといえばクレイ商会の刺客だろ」
「ふふふ、ハーヴェイさん、人は見かけによらないものなのですよ。あなただってそうじゃないですか。海賊さんなのにこんなにお話しやすい方は正直いってはじめてですわ。もっとも、海賊さんとお話することもはじめてですけれど」
 では、と言ってキャリーはカルテを手に病室を出て行った。

 二人きりで取り残されて、ハーヴェイはいよいよ落ち着かなくなった。こんなときに意識を取り戻してまたあんな態度をとられたら、今度は歯の一本や二本では済まさないかも知れない。
 子供はだから嫌いだ。頭だけ妙に大人で、自分がいつも正しいと思いこんでいる。寂しいなら寂しいと正直に言えばいい。アルドだってヘタに甘やかすから図に乗るのだ。
 それにリノ王やキカの態度も気に入らない。霧の中で謎の船の接触を受けたとき、リーダーのノエルにリノ王とキカも同行した。謎の船の中で何があったのかは厳に秘密とされているが、テッドをその不気味な船で拾ってきたことは仲間の誰もが承知の事実だ。それなのにリノもキカも口を噤み、けして彼を仲間にした理由を語らない。
 相手にしなければそれで済むのだということはわかる。だが、キカの行動だけが不愉快だった。ハーヴェイのもっとも信頼する頭領、キカはあの日以来、ことあるごとにテッドを目で追っている。
 同情するでもなく。疑うでもなく。ハーヴェイにその奥の意志は読み取れない。
 キカの心を煩わすテッドという少年の出現はハーヴェイにとって小さなトゲのようなものであった。
 噂には聞いたことがある。こいつは妙な紋章を使うらしいということ。それが何であるかは推測の域を出ない。テッドもまたそれをひけらかすことはしなかったので、そのうち話す者もいなくなった。また、テッドを構おうとする者もいなくなっていった。
 気まずい。
 よっぽど目をムリにでも覚まさせて、悶着ついでに病室を出て行こうかと考えたが、あとでシグルドに嫌味を言われるのもつまらないので思いとどまった。
 やることもなく、手持ち無沙汰に腕組みをする。
 視界には白いベッドとテッドだけ。
 厭だ厭だ厭だいやだ。
 いっそのこと本当に打ちどころが悪くてずっと目を覚まさなければ───いや、それでは自分の立場が悪くなりすぎる。
 はああああ。
 深いため息をついた。畜生、なんでこんなことになっちまったんだ。
 うなだれて肩を落とした瞬間、ベッドがかすかにもぞりと蠢く気配がした。
 ハッとして顔をあげる。テッドが眉間にかすかにしわを寄せている。目は瞑ったままだ。どこか痛いのだろうか。
 やがて短く小さく呼吸すると、テッドは口を開いてなにかつぶやいた。
「……」
 かすかだが、たしかに聞き取れた。それはハーヴェイの使っている国の言葉ではなかった。異国の、だがハーヴェイはその言葉の意味を偶然にも知っていた。
 どこかの陳腐な歌の歌詞にあったのかもしれない。
 待って。
 置いていかないで。
 独りにしないで。
 たしかそんな感じの意味だったとハーヴェイは思った。
 テッドのつぶやきは三度繰り返されて、静かに止んだ。短く荒い呼吸があとを引き継ぐ。ハーヴェイはテッドを見てぎくりとした。
 見てはいけないものを見てしまった。それは、ハーヴェイのもっとも忌むもの。それが一筋、かたく瞑られたテッドの目から伝って落ちた。
(……くそっ)
 誰にでも知られたくない秘密というものがある。それを無防備だったとはいえ、赤の他人に知られたとわかったらこいつならどうするだろう。死んでしまうかも知れない。
 見なかったふりをするのはだがハーヴェイにとってもつらすぎた。たかがガキの寝言、たかが子供の涙だ。大人なら笑ってごまかせばいい。だが、何故だ。それができそうにない。それくらいテッドの流したものは重く、ハーヴェイの心に滴った。
「寂しいのか、おまえ……」
 ハーヴェイは観念した。見てしまったものは仕方がない。運が悪かった。それだけだ。
 椅子から立ち、ベッドの端に腰掛けた。スプリングが軋んだが、テッドの目が開くことはなかった。ハーヴェイは指で軽く頬をぬぐってやった。次に前髪を軽くかき分けて、親が子供にするように撫でた。
「ムリしやがってよ」
 キャリーの言うとおりかもしれない。無理をしている者は強がっていてもどこかでひび割れを起こしている。静かに見ているとわかってくることもあるのだ。人はほんとうに見かけによらない。
 これが、誰も寄せ付けず、誰にも接触しようとせず、眠りのなかでだけ人を恋しがっている子供の姿なのだ。
 よく目に焼き付けておけ。これが人嫌いの少年の正体なのだ。
 テッドの呼吸がやがてらくになった。ハーヴェイはその額にしばらく手を置いたままにした。ぬくもりが伝わってきた。確かなあたたかみが感じられた。

 結局、その夜にはテッドはけろりとして自室に戻っていったらしく、ハーヴェイの看護はお役ご免となった。
 ハーヴェイが驚いたことにテッドと自分は階段で出会い頭に衝突したことにされていて、戻ってきたアルドも特に彼を責め立てはしなかった(別の意味で騒ぎを起こしたらしいが、ハーヴェイは無論その厄介事を知らない)。
 テッド自身も現場の記憶は定かでなかったらしく、特別ハーヴェイに向かって険悪な態度をとってくることはなかった。だがハーヴェイはむしろそのことのほうが愉快ではなかった。
 ふと目を上げると、むこうからテッドが歩いてくる。
「よせよ、おい」シグルドがお節介にも耳打ちするのを無視して、ハーヴェイはすれ違いざまにわざとらしく大声を張り上げた。
「ベッドをともにしたら仲間だって、海賊の掟にあったよなあ、おい?」
「……?!」
 テッドの足が止まり茶色い目が大きく見開かれるのを面白そうに横目で確認しながら、ハーヴェイは勝ち誇ったように笑った。


意外に長くなった(汗)
主人公ハーヴェイですよ信じられますか奥さん。しかもテッドのセリフ「……」と「……?!」だけですよ。これでテッドお題ですよ。世も末ですね奥さん。
ヘルムート絡めたら話がややこしくなったんで消えて貰ったというのは内緒ですよおーくさーん!
ヘルムvsテッドは個人的要望で後ほど(ボソッ

2005-03-10