自分の部屋を持ったのなんて久しぶりだ。
この船は大きいが、乗組員の数だけ部屋があるわけではない。相部屋で甘んじているやつもいるし、どこが気にいったのか倉庫で猫と寝起きしているやつもいる。
誰かと相部屋にされるくらいなら、おれも倉庫のほうがマシだ。
得体のしれないおれにひとり部屋を配慮してくれたのは、リノだ。大雑把に見えてじつは意外にも細やかな神経をもっている。オベル王国の王様だと聞いたときはさすがにびっくりしたが、観察してみてわかった。王位に立つような人物はなんらかのカリスマ性があるものだ。成程。
まあ、鍵はないがプライベートは守られる。あのお節介さえいなければな。
まだ、そのへんをうろうろしているんだろうか?
おれはドアに近づいて、廊下に意識を向けてみた。人の気配は感じられない。
あいつが用もないのに第四甲板に居座っている理由は想像がつく。おれもいちどこの船のリーダーのノエルにこっそり苦情を申し立てたのだが、あいつはちっとも引っ込みやしない。
いっぺん、本当のことをビシッと言ってやったほうがよいのだろうか。
まあ、それは、またいずれ。
とりあえず、いまのおれは図書室に用があった。ひとりで部屋に閉じこもっているのもさすがに退屈で、暇つぶしにと行ってみたら興味深い本が山のようにある。あれをぜんぶ持ちこんだターニャという女に敬服。
先日借りてきた本も面白かった。たしか続きがあったはずだ。
ドアをそっとあけて素早く廊下に目を走らせる。エレベーターのほうにたたずんでいる男がいたが、あいつではない。しめた。
図書室は第四甲板の最奥にある。なるべく早く行って戻ろう。
個人部屋の前をいくつか足早に通り過ぎた。そのとき。
「あ、テッドくん」
ぎくっ!
目の前の空間から、あいつ───アルドがあらわれる。
そこに無意味な死角があったことを、おれはうっかり忘れていたんだ。
おれはかっかと腹がたってきた。無視。無視にかぎる。
「テッドくん?」
速度をゆるめずに、おれは靴音をひびかせて脇を通り過ぎた。
目的の部屋の前に到着すると、一瞬の躊躇もなくドアを開ける。
「あ……そこは」
バタン!
頭にきた。なんなんだ、あいつは。つきまといやがって。畜生。
苛々と首をふるおれの頭上に、あやしげな声が降ってきた。
「よくぞ参られた、悩める子羊よ」
あ───
しまった。まちがえた。
あのテッドくんでも、こういうことろには来たいと思うんだ。
それは少し、というかかなり意外だったけれど、ぼくはなんだかほっとした。
彼でもやっぱり悩みを打ち明けたいときもあるんだな。いつも気持ちを抑えこんで我慢していたのをぼくは知っているから、いたたまれなかったんだ。
でも、なにを話してるんだろう。
聞いてみたいな。聞きたい。
ああダメダメ。こういうの、よくない。
ちゃんと彼の口から聞くまでは、卑怯なことはしないんだ。
でもちょっと心配だな。テッドくん、大丈夫かな。
なんだかあやしい懺悔室だって噂も聞いたことあるしな。ああああ心配だな。
そーっ
その時。
金ダライがはじけるような音が、扉の向こうに轟いた。
ぼくはあわてて飛び退く。目と鼻の先で扉が荒々しく開けられた。
「くそっ!」
捨てぜりふのようなものを残して出てきたテッドくんは全身濡れ鼠。
おまけになにかキラキラしたものを頭のてっぺんから足の先まで貼りつけている。
クリスマスツリーみたいだ。
ぼくと目が合うと、ものすごい形相で睨みつけて、ずかずかと自室へ行ってしまった。
「おかしいのー」
ひとつ先の扉が開いて、懺悔室の主が出てくる。滅多に顔をあわすことはないけれど、目のギョロリとした猫背の老人。なんだかとても人の悩みを聞く役職には見えない。いつもながら思うけれど、変な船。
「壊れたんじゃないですか。何度もバシバシ落とすから」
「それにしても、全部いっぺんに降ってくることはなかろう。運のないやつよ」
「水はともかく、あのドラム缶は当たったらちょっと痛いですよ。考えなおした方がよいです」
老人のあとに続いてきた人物がかなり意外だったので、ぼくはあっけにとられた。ノエルさん。
えっ、どういうこと。つまり、その。ああそうか。
グルなんだ。
ぼくがぽかんと立っているのを見て、ノエルさんはにこっと笑った。リーダーのそういう表情を見るのは珍しかった。いつもわりと無表情で、口をひらくことも滅多にないのに。
いまのノエルさんはなんだか楽しそうだ。
ぼくもクスッと笑った。
「アルド、テッドにタオルもってってあげてよ」
「うん、そうするよ」
ぼくは思い出し笑いを浮かべながら、ついでにあったかいまんじゅうでも貰ってくるかと施設街への階段を急いだ。
しまった。まちがえた。
「迷える者よ、汝の罪を告白めされよ」
「……はあ?」
急いだので、うっかり向かいの部屋にはいってしまったんだ。図書室の向かい。ええと。
そうだ。たしかリノのおっさんがぼやいてたのを聞いたことがあるぞ。たしか。
オラオラオラのチクリ室。
ふう。
おれはため息をついた。ついてない。人と話すような気分じゃないのに。だが外にはまだあいつがいるだろうし、仕方がないか。
「罪って……なんだよ、それ」
相手の姿も見えないのに、おれは声に返答した。どうやら部屋の真ん中を仕切っているカーテンの向こう。めくって顔を拝む気力もなく、おれはなげやりに言った。
「人はみな罪深き子羊。心の内を我に話し、潔く裁きを受けよ」
(……裁き?)
誰か知らないけれど、おまえがおれを裁くというのか。何の権限があって。
「……くだらねー」
「されど汝は罪の告白に参られた。案ずるな他言はせぬ。神はそなたを見放しはせぬ」
「あいにくだけど神とかそういうの、信じないんだよ」
「頑固よの」
少し間があった。年寄りの声みたいだが、そもそもこの船に知り合いなどほとんどいないのでわかるわけもない。だいたいチクリ室って何だそれ。
また声がした。
「よかろう。では少々こちらから質問をしよう。この船内で問題があると思う人間をそっと教えてはくれまいか」
「はああ? ……そんなの、俺の知ったこっちゃない」
チクリ室ねえ。妙な船だと思っていたけれど、そういうシステムが機能しているわけか。てことはおれもチクられていると考えた方がいいな。まあ、どうでもいけどな。
「ゴホン」
ふたたび、いやな間がある。おれもだんだんいやになってきた。
「では、この船のリーダー……ノエル殿について、汝はどう思っているか?」
「ノエル?」
どう思っているかと言われても。それを他人に訊かれるいわれなどないだろう。
「……まあ、よくやってるほうじゃないか? 感謝はしてるよ。借りもあるしな」
カーテンの向こうは無言だ。
いや、無言ではない。神経を集中させると、なにかかすかな蠢きがある。何だ?
本気でカーテンをはいでやろうかと思ったが、目立つ行動をとるのは得策ではないと判断し、おれは黙った。
しばらくして、次の質問が来た。
「汝、船の仲間に贖罪することはあるか? 感謝の言葉でもよいが」
「仲間って……」おれはカチンとした。誰が仲間だって? おれはそんな気持ちでいたことはいちどもない。手を貸してくれというから、借りをそれで返しているだけだ。
同じ船の乗組員と慣れ親しくしようなどと微塵も思っていない。いや、できない。
あいつとだってそうだ。きっとまだ扉の外で心配げにうろついているであろうアルド。あいつには特に、構ってほしくなかった。わざときつく拒絶の言葉を吐いて、嫌われようと思っているのに。
そうだ。こっちは必死なのに。何故わかってくれないのか。
「……おれに構ってほしくないんだ」
「それは何故じゃ? 天間星」
おれはギクッとして顔をあげた。こっちは向こうの正体を知らないのに、向こうは俺だと知っているわけか。
天間星。それはおれの、この船でのサブネームみたいなものだった。
ノエルの依頼で船に乗り、最初にそれを告げられたときはばかばかしいと思った。運命がおれを導いてこの船に乗せたなどと言われてみろ。なんて自分勝手だ。悔しくて、腹が立った。
星は、この船に集る。みな仲間なのだと。じゃあおれは人違いだ。
おれの存在はむしろ星々に災いをもたらす。
天間星。天には居らず、地にも居ない。
「……そんなこと、おまえに関係ない」
それだけ絞り出すのが精一杯。
孤独だった。独りでいるときよりも、大勢のなかで暮らすことのほうがはるかに。
人を拒絶して、できるだけ近づかないよう。災いが誰にも及ばぬよう。必死で。
けれどあいつひとりすらうまく遠ざけされない自分が滑稽で。
おれは唇をかんだ。弱さをけして声には出すまいと。
カーテンの向こうの声がボソリと言った。「……よいか?」
え。
いまのは誰に?
「裁きを申し渡す!」
「はあ?」
おれは無意識に身構える。何だ? この不吉な予感は!
伊達に人生長いこと生きてはいない。危険が迫っているとき、本能が知らせてくれるくらいには。
ゴゴゴゴゴ
不気味な振動を感じたと思った瞬間。
何か固いものが落ちてきた。
「ふごぅうっ!」
火花が散った。
間髪をいれずに、冷たいものが降ってきた。
パニック。
とどめのドラム缶ががごーんと脳天に響くのを聞きながら、おれは天国に紙吹雪が舞うのを見た。
……あー、ギャグ?
初出:u/Lar/nim/memo
「第四甲板」「懺悔室」「懺悔室2」 (2005-02-10)
ほんの少々(?)加筆訂正。
2005-03-02