烏合の衆。休戦中の彼の軍団は、そんな例えがぴったりだった。
個性の強い集団同士が狭い戦艦に押し込められて、洋上を漂っているのである。海賊、商人、政治家、元兵士、傭兵、殺し屋、異種民族、善良な一般市民。あまつさえそれを率いているのが剛胆無比なオベルの王様ときた。
何をしでかすかわからないという観点ではこれ以上ないほど優秀な軍団であった。
寝食ひとつとってもまるで統率性というものがない。これはリーダーの少年の「ヘンにルールなんか決めるつもりはないよ。自由にしてくれていいんじゃない」というあり得ないような発言の象限化なのだが。
そんなわけで本日の第三甲板施設街も喧噪に満ちあふれていた。
メシの盛り方が多い少ないでお決まりのように大声を張り上げるのがダリオとその周辺。止まることのない口をフル回転させるのが十代仲良し少年少女グループ。相変わらずぶつぶつと小言をつぶやいているのは王家の従者セツとデスモンドだ。騒ぎに負けじと小言も自然大声になる。
その時。
どこかで発せられた怒号とそれに続くいやな音に、施設街はシンと静まりかえった。
「もういちどぬかしやがれ、ガキ!」
『モズのはやにえ』と称される剛毛をいつもより余計に逆立てて声を荒げている男は、忍者のアカギであった。
普段から悪態ばかりついているアカギではあるが、これほどまでに激高するのは珍しい。肩を怒りにふるわせて、いましがた殴り飛ばした相手をぎっと睨みつけている。
好奇心を抑えられず人混みを小魚のようにスルスルと縫ってきたジュエルは、床に座り込む無表情な少年にぎょっとした。
いったいなにがあったというのだろう。人情味豊かな乗組員代表のアカギ青年と、何を考えているのかわからない幽霊乗組員代表のテッド少年。
「そのへんにしておけアカギ。らしくない」
「だってよ、ミズキちゃん。アタマくるじゃねえかよ!」
アカギは目を合わせようとしないテッドをまた睨みつけると、ぺっと唾を吐いた。
誰かお節介が伝令したのだろう。バタバタと慌てたような足音が人を割り、二の腕に真新しい包帯を巻いたアルドが血相を変えて飛び込んできた。
「どういうこと? テッドくんがケンカしてるって」
瞼を伏せたままかすかに眉間にしわを寄せるテッドを確かめて、
「唇切れてるじゃないか!」
逆にアカギを睨み返す。
「アカギさん! どんな理由があったかしらないけど、一方的に殴るなんて卑怯だよ。テッドくんは手を出さなかったんでしょ? 謝ってください」
「フン。そいつがおまえに謝ったら、考えてやるさ」
バカバカしいという顔でアカギは背を向けた。「オラ、見せ物じゃねえぞ!」と群衆を払いのけて、そのまま階段に消えてしまう。呆然とするアルドを無視して、テッドも立ち上がった。
「あ、だいじょうぶテッドくん」
「さわるな」
「でも」
「オレに関わるな」
いつもの反応を残して、その場を立ち去ろうとする。波が引くように人の道がつくられた。いたわりの声をかけようとする者はひとりとして、いない。
まだなにか言いたげなアルドに、パムがまんじゅうを蒸かしていた手を止めてそっとささやいた。
「アカギさん、我慢ができなかったのよ。テッドさんがアルドさんにとっている態度」
「……あ」
アルドは悲しげに目を伏せた。そんなこと、自分はちっとも気にしていないのに。拒絶するテッドにつきまとって、迷惑をかけているのは自分のほうだ。そのことはすでに自覚している。責められるべきは自分なのに。
今日、危険海域を航行するためにテッド、アルド、ロウハクの弓部隊がチームを組まされ甲板のモンスター退治にあたった。テッドの攻撃は素早く確かだが防御に無頓着で、アルドはつねにはらはらし通しだった。案の定、詠唱に気をとられて隙をつくったテッドに賢いモンスターの一撃が飛び、はじき倒されたところへさらに別のモンスターが喰らいつこうとした。アルドは咄嗟に我が身でテッドを庇った。
包帯に包まれた二の腕の傷はその時のものである。
「だいじょうぶ、テッドくん」
自分の方こそ大量の血を流しているのに、相手を心配するアルドにテッドは一瞥をくれて言い放った。
「オレに構うな……と言ったろう」
いつものことだ。
いつものこと。
だが、医務室へ運ばれるアルドに誰かが同情したのか、その経緯がアカギの耳に入った。
もともとテッドにはよい印象を抱いていないアカギであったが、涼しい顔で施設街に食事をとりに来たテッドに、いつにない苛立ちをおぼえた。
「ヨォ。アルドに助けられたんだってな。見舞いはもう済んだのか?」
テッドは表情を崩さぬままアカギをちらりと見、返事をくれようとはしなかった。
「で、オマエは無傷なのかよ?」
トゲを含んだ声色でわざと訊ねる。その問いにテッドはひと言だけ答えた。
「……うるさい」
アカギの頭にかっと血が上った。躊躇いもなく、その拳が全身全霊を込めてテッドの頬を殴り飛ばした。手加減など、微塵もなかった。
「アカギさんの気持ちも、わからなくはないけれど……」
パムは手に負えない子どもたちを案ずるかのように、ほう、とため息をついた。
「よう。入るぞ」
承諾もとらずにずけずけと個室に入ってきたロウハクに、テッドは眉をしかめた。
この軍船のよくないことろは、鍵というものが存在しないところだ。プライバシーは相互理解によってのみ保たれている。もっとも個室を与えられているテッドはまだマシで、倉庫や施設街で寝泊まりしている人々にしてみれば難民キャンプもいいところだった。ただ、人との関わりを苦としない者はそれでもよいのだろう。
同じ弓使いのため幾度もチームを組むことになったロウハクは、テッド個人に対する関心は希薄で、おそらくチーム以上の感情を求めてくることはありそうになかった。彼のスピードある戦闘法と火の紋章はテッドも認めるところだったし、別に深く突っ込んできさえしなければ問題のない男だった。
だからテッドは無視を決め込む手段に出た。
訪問者から手元の本に目を落とす。ベッドに背を預けて床座りするテッドの身体がゆらりと動いた。ロウハクがベッドに腰をかけたのだ。
「だいぶ酷く殴られたな」
テッドの唇の傷をのぞき込む。
「腫れてきやがったぞ。医務室行かなくていいか」
「めんどくさい」
ほうら、ちゃんと聞いているじゃないか。ロウハクはニヤリと笑って言葉を継いだ。
「ええと、そんならそれでいいんだけどよ。ちょっとオマエの弓、見せてくれるか」
テッドは訝しんで顔をあげた。その間にロウハクは構わず壁に立てかけてある木の弓を手にとって、しげしげと見回した。
「けっこう重いな。それに、思った通りだ。柔らかすぎる」
弦を弾いてロウハクは呆れたようだった。
「いったい何年使いこんでるんだよ。一緒に戦ったときひょっとしたらと思ったけど、よくこれで身を守って来られたな。第一オマエの体力じゃ、これは重すぎだ。それにずっと使っているからクセがついちまって、バネを失ってる」
「マズいのか、それ」
珍しくテッドも少しだけ気を引かれた。
「武器ってのは単なる道具だからな。使いやすいのを選ぶに越したことはないんだぜ」
それはテッドも同意見だった。みな自分の武器に命名して大切にしたがるけれど、テッドにとっての弓は単なる身を守るための道具に過ぎない。
「木は手に入れやすいし扱いやすいがな、オマエくらい小柄なヤツだったら、あんがい鉄製のほうが相性悪くないと思うぜ」
「鉄はいざってとき火にくべられない」
ロウハクは目を丸くして笑った。「焚付けか。いいねいいねその感覚」
柄は悪いが人のいい姉兄に育てられただけあって、ロウハクは実にあっけらかんとしていた。だから何の悪気もなく、突如としてその話題を持ち出してきた。
「で、オマエはああいうときなんで怒ったりしないんだ?」
「……あ?」
不意を突かれてテッドの表情がスッと凍った。
「だからよ。殴られただろ、一方的にな。ふつうああいう理不尽なことされたら怒るもんだぜ。なんで黙ってたんだよ」
ロウハクの指が無遠慮にテッドの口元に伸びてその傷を弾いた。痛みに顔をしかめる。
「こんなにボコにされてよ」
テッドはまた貝のように口を閉ざした。自分に関する話題は好まない。
「しかたないと思ってるのか?」
答えはない。
「自分のとってる態度、自分でわかってやってんだよな」
テッドは手の本をパタンと閉じてうるさそうに目を瞑った。
ロウハクはふっと息を漏らして、訊いた。
「オマエ……その歳で、運命論者か?」
テッドが立ち上がろうとしたので、ロウハクは身を退いた。それほどこだわる意志はないらしい。用件はおそらく弓のアドバイスだったのだろう。
「ま、いいけどよ。オレは運命ってやつは苦手だからさ。なんかそいつにこだわるヤツは気になっちまうんだよな。ああ、忘れてくれよな。ケンカ売りに来たわけじゃない」
「……」
「まあ気楽にやれよ。なんかわけがあるんだろ。アカギのことは気にすんな。あ、弓のことも考えとけよ。邪魔して悪かったな」
テッドの肩をぽんぽんと叩くとロウハクは戸をあけて出て行ってしまった。
指が無意識に唇の傷を撫でた。熱を持っている。暴力に抵抗しようと抗う熱。
感情がないわけじゃない。
怒ることも笑うことも泣くこともできる。
そうしないのは、そうすることで自分と誰かが傷つくのを恐れるからだ。
「……痛」
痛みは罰。運命なんて安っぽい言葉はなにも知らないしあわせな者たちが使うもの。
テッドは誰にも気づかれることなく儚い肩をふるわせた。
ここは、深くよじれた偽りの海底。
陽の光はいまだ届かず、明けぬ夜はひどく寒い。
はい、ロウハクとアカギです。ふたりとテッドってこんな感じかな。ロウハクはドライで、アカギはテッドのことをめいっぱい嫌っていればいいなと思う。ずっと。
2005-05-19