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ソウルイーター

 むかし、シンダルという名をもつ一族がいたらしい。
 非常に高度な文明を誇っていた。いまその栄光は失われてしまい、各地に遺跡が点在するのみ。
 熱意ある学者たちの研究の成果で、シンダルの物語は伝説ではなく、歴史として語られるまでになった。だが、もはやこの世の誰もが、その全容を知るすべを持ちはしない。
 いちど失われたものは、掌には還らない。いつの世においても、それは真理だ。
 シンダルの遺跡と呼ばれるもののひとつをこうして目の前にしても、俺にはなんの感慨もわかない。失われたものに憧れる感情なんてのは、あいにく持ち合わせていなかった。
 それでもモンスターたちに襲われる危険を冒してまで来てみたのは、ただ単に、退屈だったから。
 とりあえず見ておけるものは見ておくか、というのが唯一の理由だった。
 想像したとおり、そこは俺にとってけして面白い場所ではなかった。
 廃墟は好きではない。人の姿などありはしないのに、無駄に人の匂いがする。
 あるいは気配といったものたちだろうか。人の残留思念。そんなものに取り囲まれると、いい気持ちがしない。見張られているようで。
 ぶるっと震えて、早々に立ち去ろうと踵を返した、そのときだった。

 背後になにかその場にはあり得ない気配を感じ、俺は身を固くした。
 身についた反応でとっさに背中の矢を引き抜くと、弓に番えた。矢先は瞬時に標的を捕らえる。一分の隙もないはずだった。
 だがしかし、向けた先にすでに相手はおらず、刹那、刃の煌めきがふたつ俺の周囲を踊った。
 やばい!と感じる間も与えてくれない。右の上腕に熱い痛みが奔る。放たれることのなかった矢は力無く地面に落ちた。
 俺は傷をかばうより先に、襲撃者からできるだけ遠く飛び退く行動を選んだ。太刀打ちできる相手ではないかもしれない。だが背を向けてはいけない。やられる。
 少しだけ距離ができ、相手の姿が確認できた。男。若い。双剣を構えている。
 弓矢は慣れているが、いまは不利だ。腰の皮ベルトに短剣があるが、それを抜こうとしようものなら容赦なくあの双剣が襲ってくるだろう。俺はその場に固まったまま、相手の目をにらみ返した。
「……ガキじゃねえか」
 沈黙を破ったのは、相手のほうだった。ふん、と鼻をひとつ鳴らすと、手慣れた動作で双剣を左右の鞘に収めた。
「そっちこそ、ガキじゃないか」
 言わなきゃよいのに。ガキ呼ばわりされると俺はついカッとなる癖がある。
「うん……?」
 案の定、男は変な目つきで俺をにらんだ。
 見たところ、10代後半。20は越えていないだろう。俺から見れば、じゅうぶんにガキの部類だ。見かけは俺のほうが下だということは、認めてもいいが。
 男はからっぽの両手をひろげて見せて、これ以上襲撃する意志のないことを暗に告げた。
「怖い顔をするな。悪かったな。傷を見せてみろ」
 言われてやっと、俺は右腕の痛みを思い出した。シャツがそれを覆っているマント(の、なれの果て)ごとぱっくりと裂けて、けっこう大量に血が流れ出ている。これでも手加減してくれたのかもしれない。そうだとしたら空恐ろしい。
 俺が黙りこんでいると、男が近寄って勝手に腕をとった。
「……いっ!」
「すまん、ちょいと派手にやりすぎたな。だがいきなりあんなものを向けてくるお前も悪いんだぞ」
 そう言って手荷物らしい麻袋から茶色の瓶を取り出すと、中身を口中でころがして、吐き出した。ふたたび口に含むと、今度は俺の腕にブウッと吹きかける。
「うわああああっ!」
「我慢しろ。男だろ」
「痛ってえ……この野郎!」
 男だろと言われても、こんなのはいたわりのかけらもない。男だろうが人生長かろうが、痛いものは痛いのだ。それもてめえなんかが想像しているより強烈にだぞ。
「これしきのことが我慢できないのなら、武器など持つな」
 俺は二の句が継げない。なんだか奇妙に分が悪いような気がする。悔しいが、痛みは歯を食いしばって耐えた。
「更には、だ」真新しい包帯を惜しげもなく俺の腕に巻きながら、男はボソボソと話を続けた。
「死ぬことが怖かったら、武器は持つな。死にたくないから持つというのは、ただの言い訳だ」
 抑揚の少ないその話し方に、俺はふと興味をひかれた。
「死ぬことは怖くない」
「ふん……そうか?」
「あんたはどうなんだ。怖くないのか」
「俺は」男は躊躇もなく言ってのけた。「死に場所を求めている」

「シンダルの一族は生死をも支配していたと聞くが、やはりこの地で得るものはないな」
 そうぼそりとつぶやくのを、俺は何とはなしに聞いていた。
 男はキルケと名乗った。ただし、名前以上のことは語らなかった。
 背のひょろりと高い痩せた体躯で、ボサボサの髪の下に隠れた眼光は鋭い。
 腕の傷を包帯で不器用にグルグル巻きすると、革手袋の下に見えている古びた包帯を取り替えてやろうかと訊くので、これはいいと断る。
「マメに消毒しないと、かえってよくないぞ」
 死が云々とぬかしやがるわりには、お節介な野郎である。
 キルケは自分のことを語らないかわりに、俺の素性も訊かなかった。それをいいことに、やつの立ち去る後を俺はついていった。遺跡のもっとも近くに位置する町で、宿にはいったのを見るや、俺もすかさず同じところに投宿した。
 バレバレなのは承知の上である。
 俺は自分から他人に関わることはほとんどないが、今回は別だった。キルケという男と、もう少しだけ話をしてみたいと思った。いつもの気まぐれに過ぎなかったが。
 わざとらしく隣の部屋を確保した晩、ちょっと困った事態になった。
 腕の傷が思ったより深かったらしく、夜中に熱が出てきてしまったのだ。
 体力のない自分が情けない。こんな身体でも、ムチャすればきちんと弱ってくれる。歳をとらないのと死なないのは別の次元の話なのだ。
 暗闇の中、身体を丸めてベッドにもぐりこんでいると、昼間キルケが言ったことが思い出された。
(死ぬことが怖かったら)
 死ぬことなど、怖くはない。
(そうか?)
 自問自答する。ほんとうにそうなのか? 俺。
 俺は死をいやというほど見てきた。俺の周囲には否応なしに死の場面がまとわりついていたし、否定しても呪っても、いつでも死は俺からたくさんのものを奪っていった。
 代償に与えられるものなんて、俺はいらない。
 無駄な生なんて、俺はいらない。
 熱に潤んだ目から、涙がこぼれた。参ったな。身体も心も弱ってやがる。こんなことは、滅多にないのだが。
 発熱する双方の手のひらを俺はぎゅっと合わせた。右の手に宿るそいつを左できつく握りしめる。人の世の生と死を司るという、禍々しい闇の紋章。
 ソウルイーター。
 こいつのせいで、という恨みは幾年月を経てもぬぐえるはずがなかった。

 かの紋章を継承したあと、俺はその正体を知ることなく、故郷の村を去らねばならなかった。いま思うと、それは正解だ。幼い俺が、突然そんなものを押しつけられて正しく理解できるはずがない。
 それの持つ真の意味を理解するには、長い時間を必要とした。最初のころは自分の身体が周囲の人間と違うことに愚かにも気づかず、結果として俺は心にたくさんの傷を受け、また近しい者たちを死に追いやった。
 周りの人間が次々に「不慮の事故」で死んでいったとき。ただ子供らしい考えで、我が身のみを運がなく不幸だと嘆いていたそのとき。
「みんな消えちゃえ」
 不意によぎったその思いが、最初の「暴走」のきっかけだった。
 あの事件で俺は、ようやく人の死が自分の右手にある謎の紋章に関わっていることに気づいたんだ。時遅しというわけだけれど。
 俺の大切なものを奪うとき、あるいは暴走するとき、決まってこいつは意志を持った生き物のように蠢く。そして俺は「その時」がわかる。
 ソウルイーターが次になにを狙っているか、俺には感じ取ることができるのだ。
 発動する条件はふたつだ。まずは、俺と魂を共有する者があらわれること。もうひとつは、俺自身が人の死を願い、命令すること。
 ひょっとしたら、コントロールできるのではないか。他人と接触することなく生きられたら、紋章はただ眠ったままで役目を終えるのではないだろうか。
 その思いつきはすばらしかったけれど、俺は自分の精神が病むことまでは考慮していなかった。
 ある時期は、ソウルイーターを肯定したこともある。死を求める者たちを導く。これこそ究極の救済ではないのかと信じていたころ。
 だが紋章は、穏やかな死を与えることを嫌った。死にまつわる苦しみ、痛み、それこそが彼の最高のご馳走なのだと知ったとき、俺は自分の魂を喰えと懇願した。そんな蝕まれた生からはただちに解放してもらいたかった。もちろん、受けいれてもらえるはずもなかったが。
 そうして俺は忘れるくらいの年月を生きて、いまもこうやって惨めに生きている。
 こいつのせいで。
 こいつの。

「おい……だいじょうぶか、テッド」
 額にひんやりとした感触を確かめて、俺はゆっくりと目を開ける。瞼はまだ腫れぼったくて重い。
 ベッドサイドの灯りに照らされて、キルケが心配そうにのぞき込んでいた。
「うなされているのがきこえたものでね。悪いとは思ったんだが」
 ああ、冷たいタオルを乗せてくれたのか。
「すみません……」
「いいって。まったく。意地をはりやがって」
 呆れたようにため息をつくと、キルケは昼間には見せなかった表情を俺に向けた。
 あ、まずい。ひょっとして、涙のあとでも見られたんだろうか。
 そうだとしたら、ムッチャクチャ弱味を握られてしまったってことにならないか? この状況は。うわあ。
 人の内部葛藤を見透かすように、キルケはクククと笑いやがった。
「熱がある。休め。俺が看病してやるから」
 言われずとも、身体が動かない。こういうときは眠るに限る。
 次の瞬間、俺は違和感をおぼえて右手を毛布から突き出した。包帯が新しいものに取り替えられている。手のひらのそれも一緒に。
 心臓が破裂しそうに泡だった。
 飛び起きようとした身体を、キルケが押し戻した。
「貴様ッ……よくも!」
「興奮するな。真夜中だ。宿の連中が起きる」
「……てめえ……」
 キルケの力は強く、俺はベッドに押し戻される。何故か悔しくて、苛立って、また涙が出てきた。いちばん触れられたくないものに、土足で入りこまれた感触。
 気づかれたのか。いや、知っていたら、おそらくはもう。
「泣いているのか」キルケは例の抑揚のない声で訊いた。俺は唇を噛んでそっぽをむいた。
「あれは、そんなにお前を苦しめているのか」
 俺は猛烈に腹が立った。だから何だというのだ。何も知らないくせに。
 偉そうに死のことなど語りやがって。畜生。
 俺の返事を諦めたかのように、キルケが言葉を継ぐ。
「俺の父親は、首斬り役人だった。何千人もの罪人の首を斬った。なかには無実の罪の者も、陥れられた者もいた。だが父は、命令されるがままに首を斬りつづけた。そうして、ある時父は……壊れた」
 その話は突拍子もなく始められて、俺は怒りを殺がれてしまった。 「俺は父のあとを継いで首斬り役人になった。俺のはじめての仕事は、父の首を斬ることだった」
「……」
「お前も、意地をはるな。あれが何かは知らないが、父が最期まで持っていた鎌の形をしていた。お前は、父のようにはなるな」
 最後の言葉は独り言のようにもきこえた。キルケは背を向けると、タオルを絞りなおした。


あんまり長くなってもなんだから、中途半端に終了。キルケさん、憶えてます? 憶えてねーか(ははは)。ジャッジメント!
まあ一応パラレル設定ということで、深いツッコミはナシね。

2005-02-01