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お風呂

作者注:挙動不審なヘルムートがいます。好きな方はお気をつけください。

 港へ戻ると、あるはずの船が忽然と消えていた。
「あれ……」
 今朝入港したときには、物資補給のために三日は停泊すると聞いた。その船がいまは影も形もない。小さな港なので見間違うはずもない。
「置いていかれたかな……」
 ボソリとつぶやいて、テッドはかじりかけだったリンゴを再びもそりと口に運んだ。
 寄港中の単独行動は禁止というルールをいつでも無視しているので、メンバーチェックから漏れたのかも知れない。自分は印象が薄いはずだからそれは結構あり得るかも。
 穏やかな潮風が栗色の髪をサラリと揺らす。その姿には別段慌てたような様子もなく、夕日を映した瞳は静かに水平線を捉えていた。
 さて、どうしたものか。
 おっとりと思案する。
 足元を膨大な数のフナムシがざわざわと通り過ぎる。
 リンゴがあらかた芯だけになりかけた頃、背後で声がした。
「あれ……」
 振り返ると、見知った顔がやはり水平線を見つめていた。
「どうも」
 テッドにしてはめずらしく自分から挨拶を繰り出す。と同時に、相手に関する情報をかき集めようと脳が活動を開始する。
 同じ船の仲間だということは間違いない。他人には興味はないけれど、狭い船の中のことだ。顔ぐらいイヤでも憶える。名前は、たしか。
(ヘル……)
「ヘルメットさん」
 チョコレート色の瞳がきょとんとしたようにテッドを見た。微妙な沈黙のあと、青年は抑揚なく返答した。
「……ヘルムートです。こんにちはアルドさん」
 ふたたび痛痒い間を挟んで、テッドはやや硬直ぎみに訂正した。「テッド」
 時が止まったような気がした。

 機能しているのかいないのか判然としない港湾管理事務所の門を叩くと、中では派手な毛糸の帽子をかぶった爺さんがひとりで薪を割っていた。床は木くずだらけである。
 こういう作業は一般的には屋外でやるものではなかろうか、とテッドはうっすらと危惧したが自分には関係ないので口にしなかった。
 爺さんは玄関に突っ立っている二人組を怪訝な表情で見ると、大儀そうに「オベルの船の人?」と訊いた。相手がうなずくのを確認して「よっこいしょ」と腰をあげる。
 あの窓があいてる。けれど余計なことだからテッドはやっぱり口にはしなかった。
「あー、船ね。もうすぐ西回りの定期便が入港すっから、場所を空けてもらっただよ。ホレ、こんなにちっけえ港じゃなあ、でっけえのふたつも留められねえでなー。航路も狭ぇし……ああ、あんたらの船なら島影に待避しちょるでな」
 訛り混じりでそう言うと爺さんは上着のポケットからがさごそと紙片を取り出してテッドに渡した。くしゃくしゃに折りたたまれた紙を開いてみる。
『下船者各位。
 ヘルムート殿、アカギ殿、トラヴィス殿、マキシン殿、テッド殿。
 本船は港の都合により一時移動することになりました。突然の変更で申し訳ありません。
 明日夕方には再入港できる予定ですのでそれまで各自自費で宿をとって待機してください。
 今後は単独行動を慎むようお願い申し上げます。
 ノエル』
 ヘルムートが背後から「なるほど」とのぞき見た。
「と、いうことみたいですけれど」
「どうします?」
「どうしますと言われても……」テッドはぶっきらぼうに付け加えた。「とりあえず今夜はそのへんに泊まるしかないんじゃないですか」
 爺さんはそれ以上は無関心を決め込む感じだったので、ノエルのメモは事務所の看板に突き出ているクギに留めておいた。こうしておけば残りの三人も勝手に気づくだろう。
 テッドとヘルムートは高台にある宿屋へ向かって肩を並べて歩いていった。

 ネイ島というところは本当に何もない。街角ではラベルが陽に焼けた食品を平気で売っている。需要がさほどあるわけでもないのだろう。活気はないが、街そのものが寂れているわけでもない。ここの住人はみなこの暮らしも悪くないと思っているようだ。
 宿も高台の一軒だけだが清潔で意外に広い。ヘルムートがいなければテッドは野宿でも何でもよかったのだが、成り行き上別行動もまた面倒だった。
 それに投宿の相方がこの男なら、とくに問題もないだろう。先ほども自分に対してさほど感心のあるような態度ではなかった。むろんテッドもヘルムートのことはよく知らない。
 ひと晩ぐらいなら構うまい。
 相部屋をひとつとってとりあえず休憩に入っても、互いに言葉を交わすこともなかった。
 あと三人ここに来るはずだが、姿はない。子供ではないのだからそれぞれ勝手にするのだろう。テッドは手足を伸ばしてベッドにごろんと横になった。
(なんか、疲れた)
 海戦と陸上への出兵を繰り返す生活はすでにかなり長かった。外の敵には常に緊張し、平穏な時も内部の人々とのあいだに壁をつくってきたテッドには息抜きする時間も必要だった。
 目を閉じていると眠りの世界に誘われそうになる。今日一日あてもなくうろついた街でさらに夜を過ごすとは思わなかったが、こういう気分転換もたまにはよいだろう。
 気配がしてふと目を開けると、すぐそばにヘルムートが立っていた。
 びっくりして飛び起きる。ヘルムートは慌てた。
「ああ、起こしちゃいましたか。すみません」
「な、何」
「あ、いや……せっかくだから、風呂でもいかないかと思いまして」
(ふ、風呂?)
 意外な申し出にテッドは一瞬戸惑った。ヘルムートはもうすっかりその気でいるらしく手にタオルを持っている。
「……いや、いいよ、俺は」
「そうですか? ではわたしは行ってきますけれど、途中でなにかあったらあとのことはよろしくお願いします」
「はあ?」テッドは怪訝そうに眉をひそめる。「途中でなにかって……おい、どこにあんだよその風呂」
「石切が原の先ですよ。いい温泉が沸いているそうです。さっき宿の方に聞きましてね」
「石切が原……」ちょっと考えて、テッドは吐き捨てた。「モンスターの巣窟じゃないか、バカ。からかわれてるんだよ」
「おや、聞き捨てならないですね」
 ヘルムートは憮然と言った。「わたしは少しバカになったほうがいいんです。それでは」
「お、おい」
 テッドはうろたえた。真面目な男に見えたが何か妙な感じにテンパっているらしい。タオルを振り振り出て行くヘルムートをテッドは追いかけるしかなかった。

「あなたも生真面目な方ですね、テッドさん」
「あんたほどじゃない」
 広大な石切が原を渡る風に吹かれて、テッドとヘルムートは満天に煌めく星を見上げていた。逢魔が刻の草原は野生動物やモンスターも凶暴になるらしく、普通の神経の人間ならこんな時刻にこんな危険な場所をうろつきはしない。獲物を求めてくるモンスターたちを振り払っているうちに方角がわからなくなり、森の中を彷徨ったあと途方に暮れて空を仰ぐとものすごい数の星だったのだ。
「うわ、キレーだな」
「そうですね。こんな空は久方ぶりに見ました」
 テッドはチラッとヘルムートを横目で見た。その途端、ぱちりと目があった。
「あなたはいくつですか?」
 おもむろにヘルムートが訊ねてきた。
「へ? いくつって、歳?」
 なにもかもが唐突な男だった。少し考えたあと、テッドはポツッと言った。「そんなものは知らない」
 ヘルムートはにやりと笑った。「おもしろい子ですね」
「おもしろがられることなんか、なにもないと思うけど」
「そんなことはありません。君はわたしが出逢ったどんな人間ともタイプが違うような気がします。これでもいろいろな方を見てきたつもりなのですがね。やはりわたしは、まだまだ経験が足りないようです」
 そう言うとヘルムートは腰の剣を確かめるように外側から弄んだ。テッドは返事をしなかった。知らない人間にかける思いやりの言葉などあいにく持ち合わせてはいない。
 ヘルムートもべつに言葉を期待しているようではなく、軽く首を振ると「行きましょうか」と動き出した。
 テッドの心の中にささやかな好奇心が芽生えた。いま思い出したのだ。ヘルムート。そういえば元はクールーク軍ラズリル占領部隊の隊長だったという男じゃないか。先ほどの戦い方はひどく優秀で模範的だった。どちらかというと場当たり的な戦い方をするテッドに比べて、動きが洗練されていた。時にはテッドをかばいもしたし、それで傷を受けても眉ひとつ動かそうとしない。そうか、エリート将校か。
 経緯ともかく結果として裏切り者になったのだから、思うところもあるのだろう。エリートの壁を破ろうともがいているのか、あるいはこれからの自分を模索しているのか。
 自分にはそんなことは関係ないけれど、つきあった縁というものもある。
 数歩遅れてあとを追いながら、テッドは軽く訊いてみた。
「あんたがそんなにまでして風呂に行きたがっている理由は何だ?」
 訊いて、さすがに変な質問だったかなと後悔しかけたとき、ヘルムートが立ち止まった。
「わっ!」
 急に止まれなかったテッドが激突する。
「な、なに?」
「しっ」
 口に手を当てられて、テッドの胸がドキンとした。手にした弓に力を込める。ヘルムートはテッドを背に隠したまま微動だにしない。
 なんだ?
 先ほどまでうるさいくらい聞こえていた虫の合唱がぴたりと止んでいる。奇妙だった。さわさわと渡る風の音もどこか異様なものに聞こえる。
「……来ますよ。気をつけてください」
 言うが早く、ヘルムートはテッドを引っ掴んで草むらに転がった。
「わっ!」
 今し方まで立っていた場所の草がはじけ飛んだ。
「なっ、なっ、何?」
 体勢を立て直しながらテッドが見たものは、モンスターではない。襲撃者は確かに人間だった。闇に紛れていてもその素早さは肌で感じられた。間髪を入れず、ピュッと風が鳴る。風の紋章の使い手のようだ。
「テッド! 隠れていなさい」
 ヘルムートが叫ぶ。年下だと思ってこの期に及んでかばおうとしているらしい。むろんそんな命令を聞くテッドではない。
 襲撃者の正体を見極めぬうちにテッドは自らの攻撃魔法を仕掛けた。大地の紋章の上位魔法。ごく狭い範囲の天と地の精霊を味方につける上級者のみに許された魔法だ。精神的負担もかなり大きいが威力は絶大のはず。
「やめなさい、テッド!」
 叫んだのはヘルムートだった。気勢をそがれたテッドの攻撃は中途で霧散した。あろうことかヘルムートはテッドと襲撃者のあいだに割り込んで入ったのだ。
 テッドの攻撃体勢に気づいた襲撃者が防御的に放った風魔法がこれもまた勢いを減じて、ヘルムートを捉えた。
「くっ!」
「ヘルムートぉ!」
 目の前で青年の身体が崩れ落ちる。テッドは間一髪のところでその身体を支えた。と同時に二人は全く無防備になった。
 だが襲撃者の次なる攻撃はなかった。
 かわりに発せられた「バカじゃないの」という言葉。
 テッドは星明かりに照らされた相手を睨みつけた。深紅の服。どこかヘルムートに似た髪型。
 女性。
 あれ、と思った。
 この人も同じ船の人間だ。
 名前は知らない。いつかナ・ナル島に使者として赴き、戦闘でケガをして病室で寝かされていたときに部屋で見た女の人だ。
 ヘルムートがゆっくりと顔をあげて言った。 「もう義務は果たしただろう、マキシン。これであなたとクレイ商会のつながりはもうなにもない。わたしとクールークとのつながりもまた、断ち切ることができる」
「……フン」
 マキシンと呼ばれた女性は踵を返して立ち去ろうとした。その背中にヘルムートが声をかける。
「テッドとお風呂に行くんです。貴女もご一緒しませんか」
 テッドとマキシンの目が同時に見開かれた。

「風呂って……」
 テッドが据わった目で冷たくヘルムートを睨んだ。
「猫用?」
 反対方向からマキシンがよく似た行動を取る。
「ネコボルトニャ! 人間はすぐ猫と一緒にするんニャから」
 番頭(茶トラのネコボルト)が思いっきり厭そうな顔をする。
 ヘルムートひとりだけが爽やかな表情を浮かべている。手にしたタオルはすでに血染めだというのに。
 ここまで来たんだから、もう入浴して帰らないわけにはいかないか。もちろん間違っても口には出さないが、テッドとマキシンは極度に落胆していた。猫用。
 ヘルムートがいつになく高揚した口調で言った。
「わたしは温泉が好きなんです」
 ああ、左様でございましたか、とテッドは思ったとか思わなかったとか。


リクにお応えして(誰もリクしてないよ)ヘルムートです。
いや、もう、ごめん。はははっ

2005-03-14