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おちる

 路地から路地へ、もうどれくらい走っただろう。足の感覚はとうに消え失せ、少しでも気を緩めると重力に負けそうになる。重い身体を支えているのは、わずかにつないだ精神力のみだった。それすらも、いつ切れてしまうかわからない。
 人の見棄てた町というものは厄介だ。棄てるにはそれなりの理由がある。戦争、ライフラインの断絶、モンスターや凶暴な動物による脅威。いずれにしろ、廃墟に立つ人間にも同じ苦痛を与えることに変わりはない。
 この町は規模としてはかなり大きかったが、国境紛争地帯にあることであおりを喰らった。通常、国と国との境はたとえ戦争があろうとも交易や闇市であんがい栄えるものなのだが、この町は大国ハルモニアによる統制がはいったらしい。
 住人は何故か強制的に移動させられ、反発した何人かは捕らえられて所在不明になったという。その後、完全なるハルモニアの管理下に措かれるとともに立ち入りが厳しく監視され、そしてある時突然うち棄てられた。
 妙な噂がたったせいか、人は誰一人として町に戻ろうとしなかった。そうやってこの町は廃墟になった。
 興味あって来たわけではない。自分が無知だったのだ。
 こんな寂しい場所でも廃屋で雨宿りくらいはできるだろうと考えた自分に慎重さが欠けていただけの話だ。それが、こんな事態を招くとは。
 ハルモニアは真の紋章狩りを行っているらしい───まことしやかに囁かれるその噂を、自分も耳にしていたはずなのに。

 心臓がバクバクと跳ねあがる。脈打つたびに、肩に受けた傷から血がにじみ出し、衣服を伝って足元から抜けていく。
 動脈は無事だったかもしれない。だが、このままではいずれやばいことになる。
 血液が失われている証拠に、小刻みなふるえが止まらない。尋常でない気温のせいもあるとは思うが、何故か寒さはあまり感じなかった。どこか、感覚が奪われている感じとでも言おうか。
 水たまりを散らす靴の音だけが五感のすべて。
 寒さはおろか、痛みも、恐怖も感じない。
 逃げなくては。
 なんとしてでも、逃げのびなくては。
 いまの自分にはそれ以外の余裕はない。逃げるのだ。あの男に捕まってはいけない。

 あの男───全身黒ずくめの、禍々しき闇の鎧をまとった男。
 確信はない。ないが、直感は信じられた。前触れもなく襲撃してきたその理由は、物盗りや気晴らしなどではあるまい。はじめから自分を狙ってきたのだ。
 なぜならば、おそらくはあの男と自分は、初対面ではないからだ。
 会ったとしても、それが真実ならもう恐ろしく昔の話だ。自分がまだ何も知らない、幼いガキだった頃。記憶の彼方にかすみそうな一場面。
 背の高い魔女と、それに寄り添う異形の男ふたり。
 姿形など憶えているはずもない。自分はただ怯えて見ていただけだから。
(───あのときの片割れだ)
 だがその直感が当たっているとしたら、いま自分を追っている男はなんだ?
 人ではありえない。なぜならば、その記憶ははるか三百年も前の話なのだ。
(真の紋章の所有者か)
 いちばんわかりやすい仮説をたててみる。
 三百年前、獲物を捕まえそこなった襲撃者がいた。獲物というのは、ほかでもないこの自分だ。諦めてくれればよいのだけれど、おそらくそういうわけにはいかないだろうから、逃げるしかなかった。
 必死だった。誰の救けも期待できない。何度もくじけながら、それでも逃げた。
 だが、百年あまりが経ち、どこかで(もう大丈夫だろう)という安堵が芽生えたのは否定しない。襲撃者が人の世の者たちなら、もうこれ以上は追ってこられまい。逃げのびたのだ。もうおれは自由だ───
 自嘲の笑みが漏れる。
 自由など、あるわけがなかった。
 自由を意識しはじめたとき、もっとも深い挫折が襲ってきた。孤独という名の新たな枷が、すっぽりと我が身をからめとって離れないことに気づいた。
(───そして、おれは)
 運命から逃げた。
 あれが最初で最後。霧が深く、こんな寒い日だった。
 崖のむこうに広がる海を見たとき、もうこの先に道はないと思った。
 自らの意志で落ちた躯を闇色の海が抱きとめた。
 結局、海は運命を変えることを許してはくれなかったのだが。
 生きろ、ということなのだろう。おまえは意味無き存在ではないのだ、と。
 だが、惨めだった。
(……あっ)
 いらぬことを考えていたせいか、ついに足が命令を拒んだ。
 それとも少し血を流しすぎたか。思う間もなく、わずかな石畳の段差に足払いをかけられた身体は一回転をして、無様に地面へ叩きつけられた。
 起きあがらねばと焦る意識の片隅に、もうどうにでもなれと叫ぶ自分がいた。
 雨が接着剤のように自分と地面を貼りつかせる。水をたっぷり吸った衣服はもはや血の通り道だ。どっちにしろ、ここが限界なのかもしれなかった。
 襲撃者に引き裂かれるのが先か、出血多量が先か。
(じいちゃん)
 とうの昔に亡くなった祖父の顔をふいに思い出す。
 自分に災いの紋章を継承し、それが永遠に逃げのびることを望んだ祖父を。
(じいちゃん、ごめんな)
 いま祖父のもとへ行ったら、こんなに長いあいだよく頑張ったと抱きしめてくれるだろうか。それとも、愚か者と叱責されるのだろうか。
 もう二度と、運命からは逃げないと誓ったはずなのに。こんなに早く挫けるなんて。それでも自分は精いっぱいやった。必死になってここまで生きてきたじゃないか。
(眠い)
 目を閉じた。

 背に衝撃が走る。
 どこにそんな気力が残っていたのだろうと他人事のように思いながら、テッドは石壁にぶち当たった痛みに顔をしかめた。
 心臓はまだ破鐘のような音をたてている。いつの間にか痛みと冷たさの感覚も思いだしはじめていた。あんがいしぶとい身体だ。
 とっさに避けたものの、そのあとがさすがに続かなかった。音もなく繰り出される切っ先に対し、テッドは両腕で上半身をかばうしかなかった。
 男はまるで子猫をからかうかのようにテッドを弄んだ。
 息ひとつあがっていない。雨の中を追跡してきただろうに、黒衣には泥はねすらない。口元は嬉しそうにつり上がっている。
「どうした、小僧」
 黒い帽子に隠れて表情は見えなかったが、テッドは男が嗤ったように思った。
「紋章を使わぬのか?」
 煽るように吐き捨てると、今度は鋭く手の剣を煌めかせた。
 すでに痛めていた右肩をまたいたぶられて、テッドは小さく悲鳴をあげた。
「要らぬのなら、斬り落としてやろうか」
 男の声の冷たさに、テッドはぞっとして顔をあげた。背には壁、右にも左にも飛び退くすべは見あたらない。ならばと、テッドは男を睨みつけた。
 男の顔がはじめて見て取れた。
 青白いが端正な顔。金色の髪だ。ああ、そして───
 両の目がそれぞれ異質な輝きを放っている。オッド・アイ。
 邪眼だ。テッドは思った。その刹那。
 わずかの躊躇もなく、剣が振り下ろされた。
 目を瞑る暇も与えてはくれずに。
「……!」  まず感じたのは、熱さだった。声すら発することができなかった。
 衝撃を受けた場所をつかんだのと膝が崩れたのが同時だった。
「ふん……」
 急速に広がる血の輪を汚らしげに避けると、男はまた薄ら笑いをうかべて言った。
「愚かな。泣いて命乞いをしたら、楽に死ねたものを」
 しかし、こうでなくてはつまらない、と続ける言葉をテッドは聞いていなかった。いや、そんな状態ではなかったと言ったほうが正しい。
 一瞬通り過ぎた熱さのあと、猛烈な痛みが襲ってきた。息をすることも許さないほどの痛みだった。倒れるとき、散った血片が目にはいったためか、閉じることすらできない視界は真っ赤に見えた。
 剣は頬をかすめて胸の上を抉っていた。巧妙に急所を外しておきながら、男の一太刀は相手に緩慢な死を与えるのに十分であった。
「あぅ……」
 辛うじてうめき声がひとつ漏れた。その助けで、少しだけ息ができたのだが、胸の奥で泡立つような変な音がした。肺が傷ついたのかもしれない。
 テッドの顔は蒼白だった。それでも右手を白くなるほど握りしめて、気力で焦点をあわせようと試みた。こんなところで、こんな惨めに死んでたまるか。
(ソウルイーター)
 もはや唇ひとつ自らの意志で動かせそうになかったが、テッドは必死になって右手の相棒に呼びかけた。そうだ、こんなところで、こいつを渡すわけにはいかない。
(ソウルイーター、たのむ……力を)ほんの一瞬、ためらいながらも、テッドは願った。(力を貸してくれ)  右手の甲に、もうひとつの呼吸を感じる。
 かすかだったその感触が、急速に確かなものへと変わっていく。
(ヤツの……魂を、喰え……)
 生きてきた中で、ただの一度たりとも他人に向けたことのない、邪悪なその祈り。
 右手がビクン!と跳ねあがった。
「ふっ……」
 男の目はその蠢きを見抜いていた。だが彼は畏れなかった。むしろ待っていたものを手に入れるときのように、嬉しげにうなずいた。
「そうだ……それこそが、我が憎悪の元凶……我が悪夢の、……元凶」
 邪眼が冷たく、暗く光った。幾千人の命を奪ってきた彼の剣───クリムゾンが、今度は冷酷に、正確無比にターゲットを捉える。
「禍つ友と共に、無の世界へ往くがよい」
 間にあわない───テッドは思った。

 せめて目は閉じないでおこう、何故かそれだけは譲れなくて動かさないでいた視界の端に、もうひとりの誰かがいた。少し前からそれは見えていたはずなのだが、人だと認識できたのは、男がいつまでたっても剣を振り下ろさなかったからだ。
「もうそのへんになさい、ユーバー」
 高く透きとおる声で諭すように言うと、その人───テッドと似た濃い青色の衣をまとった若い女性は、ふわりと近づいてきた。
 ユーバーと呼ばれた男は無言で剣を退いた。
「あの方は彼と会うことを望んでいます。もうそれ以上傷つけてはなりません」
「ふん」
 男はそれ以上何も言わず、表情すら変えず、そのまま踵を返して去ってしまった。
「う……」
 そのうめき声を合図に、男の後ろ姿をきつい顔で見つめていた女性がテッドを振り向いた。その周囲をつむじ風が塵を巻きあげてくるくると纏った。ローブの裾がさらりと揺れる。
 芯の強そうな、だがどこかはかなげな姿。
 あの男の仲間なら、気を許してはいけない。だが、いまの自分にはどうすることもできない。声をあげることが精いっぱいだ。
 (あの方、と言った)
 脈絡もなく、三百年前のあの日、村を襲った魔女だと思った。
 (生きていたんだ。おれと同じだったんだ。真の紋章を持っている……)
 それは絶望にも似た予感だった。死を覚悟したときよりも、さらに深い絶望。
 女性の表情がかなしげに曇り、哀れみの色が宿るのをテッドは見た。
 女性は長いロッドを握ったまま、テッドのそばに膝をつき、その頭をそっととった。ローブが血で汚れるのもお構いなしに、手をそえて自らにもたれさせる。もはや無感覚に陥っていた全身が、その刺激で鈍い痛みを思い出した。
「怖がらないで───呼吸して」
 痛みに仰け反ったテッドの背にやさしく掌をあてながら、女性は口の中でなにごとか呟いた。その額にぽうっと淡い蒼色の光が宿る。
 水が流れこむような感覚がテッドを包んだ。淡い光はやがて奔流となり、二人の周囲に光の幕となってあらわれた。この感覚は、テッドも少しだけ知っている。
 水の紋章。それもひどくハイレベルの。
 女性の詠唱は、癒しの祈りであった。
(この人も魔女なんだ)
 身体の痛みが消えていった。皮膚感覚の戻るのはそれよりかなりゆっくりではあったが、呼吸がらくになるのを待つのももどかしいかのように、テッドは訊いた。
「どうする気だ」
 女性はすぐには答えず、悪戯っぽく白い指でテッドの口をそっと塞いだ。びっくりしてはねのけようとしたが、手がぴくりと動いただけだ。先ほどまでその場所に意志をもって蠢いていた邪悪な魂は、いつのまにかまた眠りについたようだった。
「あの方が、お会いになりたいと言っています」
 少しして、女性はまた同じことを言った。
 あの方、か。その人物から逃げて逃げて、ここまで生きてきたけれど、その旅も終わりというわけだ。勝ちか、負けか。そんなことは終わってみなければわからないけれど。
 ただ、おれは。
 ほんとうはもう少し生きてみたかったんだ。
 ちょっとだけ、やり残したことがあるような気がするんだ。
 女性の体温を感じながら、テッドはフッと笑った。そして、言った。 「いいよ」
 女性はかすかにうなずくと、座ったままロッドを地面に立てて呪文を唱えはじめた。
 ふたりの周囲にまばゆい光の輪ができ、次の瞬間急速に収縮したかと思うと、そこにあった人の姿はすでになかった。残された風の渦だけが、ただくるくると回り続けていた。


ついに自分の作品にゲートを設けてしまいました(笑)
解説、とうか弁解させてください(汗)。時代は幻想水滸伝3です。現在ある幻水シリーズのなかでもっとも未来です。ただし、テッドと坊ちゃんの物語にフラグが立っていません。ゆえに、テッドは紋章持ったまま相変わらず放浪してます。
それだけではなく、たくさんの設定無視しまくり。これはもう謝るしかない。このテッドもいずれは坊ちゃんと出会い、親友になり、紋章を継承するわけですが、それはまだ未来の話。でも「あの方」とはもうすでに魔術師の島で出逢っているのだと思います。ええ、あの方とはほかの誰でもないルック君なのですが(言うな)。
なんかこう、テッドが5人目の破壊者一行になったら愉快だな~なんて妄想してたんですが、彼はきっとならないですね。そしてまたルックとケンカして、空中テレポで追い出されるんでしょう。でもってどこかに落ちて……そういえばこのお題、「おちる」だっけ。忘れてたよ。これで一件落着じゃん!(それはぜったい違う!)

2005-02-05

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