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笑顔

 まるまるふた月ものあいだ金物拾いで得た金は、びた一文残さず袋ごと、北へ向かう足代に充ててしまった。
 文無しになったとき、実年齢とはうらはらなその外見を憎たらしいと思う。
 金なら真っ当でない手段でいくらでも得るすべはあるのだが、気にいった町ではそういう手は使いたくなかった。自分でもチャンチャラおかしいとは思うけれども、住まわせてくれた町には一応の敬意を表するのが彼なりのけじめだった。
 この町はよかった。戦災孤児がそうめずらしくもなくうろついている。そして住人はみなそろって貧乏だ。だが圧制するものはいない。人々は社会的弱者に心やさしく、だが構ってやれるほど生活の余裕がない。
 だからこそ自分もけして目立たずに、自由きままに暮らすことができた。
 せめてあと歳三つほど見かけが上であったなら、眠る場所も橋の下でなくて済んだのにな。ふとそう僻んだ自分が愉快で、テッドは笑った。
 気分は悪くなかった。だが今日、俺はこの町を出て行く。おそらくもう二度と訪れることはない。
 もう少し滞在していても不審には思われまいし、次の場所でふたたび平穏な日々が待っているという確信もない。じっさい、きのうの昼間まではまだ出て行くつもりはなかった。

 いつものように橋の下で戯れに釣り糸を垂れているときに、顔を洗いに下りてきたひげ面の男に声をかけられた。
 男は風貌はむさ苦しいが、剛胆で明け透けな人間だった。言葉を交わすうち、テッドは男に好感をもった。
 男は週一便だけやってくる荷馬車隊の人夫だった。
 ここから三日ぶんほど北に離れた町と、物資の往復をしている。この町はその荷馬車隊によって支えられているも同然だった。北の町から生活物資を運び、帰りにはこの地特産の鉄鉱石を積んでいく。クズ鉄より安っぽい石の塊にどれほどの価値があるのかテッドには計り知れなかったが、人夫を雇うだけの儲けはあるということだ。
 男は薄汚れたなりのテッドを見て、勝手に戦災孤児だと決めつけたようだった。
「オマエ、ずっとこの橋の下で暮らすつもりか」
 テッドが言葉を濁していると、男は返事を待たずにべらべらとしゃべりはじめた。
「うーん、それはマズかろうて。いまはいいが、冬になるときついぞ。ほら、俺っちも経験あるからよ。俺はまあでかかったからなんとかなったけど、オマエのそのちっこいカラダで、なあ」
 ちっこいカラダでカチンときたが、実際そのとおりなので、テッドは黙りこんだ。
「悪いこたあ言わねえ。冬だけでもなんとかしな。このへんは寂しいけど寺とか教会とか、ころがりこむところはなんぼでもあるからよ。まさか追ん出すような薄情な坊さんもいやしまいて」
 そうしてニッと笑いながら「ただし、頭丸めなくちゃいけなくなるかもしんねえけどな」とつけ加える。
 テッドもつられてニッと笑った。同時に、脳内でなにかがやはりニッと笑った。
「俺……ボクもいっしょに北の町に連れて行ってくれないかな」
「はあ?」
 男はポカンとした表情になった。
「僕もいっしょに行きたい。おじさん、いいでしょ」
 テッドは確信犯の笑みを満面にたたえて、あらん限り純朴そうな声をあげた。
 男があきらかにうろたえるのがわかった。
「で、でもよ、あっちに行ってそのあとのあてはあんのかい? 北はよけい寒いぜ。ここなんかよりよっぽどよ。それにその、俺っちも雇われもんだからよ、親方がなんて言うかよ」
「あ、そっか……」
 内心面白がりながら、テッドはしょぼんとしてみせた。普通ならこのへんで「じゃあな」とか言って逃げるシナリオだろう。まあ、それはそれでよいが。
 さあ、どう出る?
 男はしばらく考えこんだあと、おもむろに訊いた。
「オマエ、いくら持ってる?」
「はあ?」
 今度はテッドがポカンとする番だった。
「小銭ぐらいは稼いでたんだろ。それで車に乗せてもいいか、親方に掛け合ってみるからよ」
 意外な展開だ。こんな素性も知れない薄汚い小僧に、よくもまあ。
 呆れ半分で、それでも笑顔をつくってしまう自分が怖い。
「ホントぉ、おじさん!」
 語尾がひきつってなかっただろうか。
「えっとね、あ、でも僕、お金こんだけしか……」
 毒を喰らわば何とやらで、寂しげな小鳥のような演技をしてみせる。ズタ袋の中にはここふた月で稼いだ有り金が全部。
 男は中を見てあからさまに失敗したなあという顔になった。
「これじゃあ、冬に着るコートも買えやしねえな。まっ、いいか。男に二言はねえ。そんかわり、ダメでも恨むなよ」
「うん」テッドも成り行きはどうでもよかった。いまが楽しければそれで。
 荷馬車隊は翌日の朝市が閉じたあと出発する予定だとかで、男は返事を持ってまた来ると約束し、手を振って去っていった。
 ほんとうに戻って来るだろうか。
 約束などもう忘れるくらいしたことがないけれど、退屈な日々のなかでこういう変化がたまにあるのもいいもんだな、とテッドは思った。

 辺りが騒がしくなったのは夜半過ぎ。酔っぱらった男たちが橋の上で騒いでいるのだろうと、頭からかぶった毛布を少しだけずらしてみると、黒い影がわらわらと土手を下ってきた。こういう連中とはあまり関わりあいになりたくない。向こうが気づかなければそれでよし、からまれたら、黙って居場所を変えるだけだ。
 テッドが息をひそめるのもむなしく、影はこちらへまっすぐに向かってきた。
「よう、ボウズ! 寝てたのか?」
 あれ。
「うーん……あれ? おじさん」
 とっさに寝ぼけた演技をする。昼間の男だけではなく、見知らぬ男たちも数人いたからだ。みな一様にむさ苦しい雰囲気。人夫の仲間なのだろう。少し酒が混ざっているようである。テッドは警戒した。
「よろこべボウズ、オマエも乗っけてってやれるぞ」
「えっ、ほんと」
 毛布を巻きつけたまま、テッドはがばりと起きた。ただし、毛布の下に護身用ナイフを握って。
「ああ。親方にオマエのことを話したらよ、金はちいと足りねえけど子供料金で乗せてやってもいいとよ。よかったな、ボウズ」
「うん! ありがとう、おじさん」
「あー、それでだなあ、じつは」
 男が戸惑ったように周りの男たちをきょろきょろ見、テッドに口を近づけて、言った。
「あのなあ、親方が言うにはだぞ、倉庫番のやつが辞めちまって、代わりがいるんだとよ。オマエ、あっちの町に着いたら働いてもらうのが条件なんだとよ」
 テッドは合点した。ああ、これは嘘だ。おそらくはこの男が、親方に頭を下げて頼みこんだのだ。その行動を仲間にからかわれて、酒を飲まされて、それで。
 俺を仲間として、みなで迎えに来たのだ。
 周りにいた男たちが紅潮したひげ面で一斉にニイッと笑った。
 テッドも笑った。演技ではない、ほんとうの笑顔で。

 世話になった町の最後の朝。いつかそっと焼き芋を握らせてくれた老人が、荷馬車のうしろに座っているテッドを見つけてやわらかく手を振るのが見えた。テッドもまた、手を振って別れを告げた。
 別れはいつでも寂しいと思う。人々があたたかかったらそれは余計に。
 その寂しさから逃れるために、人とまったく関わらないで生きようとした時期があった。
 だがやがて気づいた。人と関わらずして生きることなどできないことを。
 だから、できるだけ自分も相手も傷つかずに別れる方法を学んだ。それは、よい思い出だけを残すこと。いつの時からだろう。自分がそういうふうに変わったのは。
 もう、忘れてしまった。なにかがきっかけだったはずだけれど。
 いろいろなことがあって、はっきりとしなくなった。ただ、忘れたいと思ったことはない。辛い思い出も、悲しい体験も、ぜんぶ自分のなかに封印している。けして失うことのないように。
 荷馬車で旅をするのは久しぶりで、テッドの心は躍った。たかが三日の距離ではあるが、知らない町とそこで待つ新たな生活にわくわくした。
「なに、笑ってるよ」
 誰かが声をかけてきたと思えば、例の男。そういえば名前も聞いていなかったが。
「オマエよ」男が隣に腰掛けた。「はじめて見たときから、面白いヤツだなと思ったンよ。孤児のくせにしけたツラしてねえしよ、なんだかいっつも楽しそうだしよ」
 テッドは、あれ、と思った。もしかして、この男。
「おじさん、ひとつ訊いていい?」
「ああ? なによ」
「いつから俺のこと知ってたの?」
 男は押し黙った。ぐ、とうめいたようにも聞こえた。
「あー……ひと月、かな」
 やっぱり。偶然を装ったな。
「俺っちもひとつ訊いていいか?」
「え、なに」
「オマエ、いつから『俺』になった?」
 男の反撃にテッドは言葉もなかった。とっさに「おじさんのマネだよ」と答えてみたものの、無性におかしくて、アハハと声をあげて笑った。
 声をあげて笑うなんて。俺が。
 男も笑った。二人の笑い声が、高い空にこだました。


「笑顔」というお題は、坊ちゃんとテッドが基本だと思うんです。だから、あえて掟破り。イレギュラーをかましてみました。
何も事件は起こらない。テッドの300年に刻まれた日常の断片です。
晩年(?)のテッドって、結構積極的に他人と関わってきたような気がするんですよ。それもまた、坊ちゃんに出逢うためのステップなのかなあって。
あんまり時間かけずに書いたけど、しあわせなテッドが描けて気分良いです。

2005-01-31