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SOUL EATER

※「裁かれし町」改題

 月光の恩恵にありつくことはついになかった。墨一色に沈んだ夜はのろのろと、仕方なしとでもいうように明け、空は重く白みはじめた。テッドは緩慢な動作で、寝ぼけた子どものように半身を起こした。
 静かだった。その静けさが、よけいに不安をあおった。いつも目覚ましがわりになってくれたスズメのさえずりも今朝はきこえてこない。
 不気味なほどの静寂は、町が息絶えたことをテッドに教えてくれた。
 ――また取り残された
 腫れぼったい瞼をこすりながら、テッドはぼんやりと確信した。
 耳をすましてみる。あの人たちはどうしたのだろう。
 その小部屋はかたく閉ざされ、昨夜は押し殺した複数のすすり泣きが漏れこぼれていたのに、いまはことりとも物音がしない。
 なかの様子をうかがう気はしなかった。案ずるには遅すぎる。十中八九、生きのこっている者などいないだろうから。なにも好き好んで、しかばねをおがむ必要はない。
 テッドの眠りをおびやかしたものは、外の喧噪だけではなかった。薄い壁ごしにきこえてくる嘆きと呪詛のうめきは、はるかに凄惨なものだった。追いつめられ、逃げ場を喪った集団の、破滅へとむかうしかない心理。もうだれにもとめられない。自決をこころみようとしているのだということは容易に想像がついた。
 壁のむこうにいなくてよかった、とテッドは身をちぢめて耳をふさいだ。
 浅はかだととがめても詮無いこと。彼らがその結末を選択したのだから、部外者たる自分はそれを尊重しよう。
 長い、長い夜だった。うつらうつらを繰り返し、換気用の役に立たない小窓から朝の光がさしたときも彼はひとりだった。
 否。今度こそ、ほんとうにひとりであった。
 同情や哀れみといった感傷的な気持ちはわいてこなかった。かわりにテッドが思ったのは、いまならこの呪われた町から脱出できるかもしれないという至極まっとうな一点だけであった。
 身体がどこも傷ついていないことをかんたんに確かめると、テッドは気のすすまない様子で行動を開始した。願わくばなにか、パンの耳でもいいから胃袋におさめておきたいところだが、ないものはしかたがない。さがしているひまもそうそうあるまい。
 建物内の構造を彼は把握していなかったが、そこが半地下であることはかろうじて知っていた。頭の高さに外の地面がある。小窓は小さすぎて、そこから出るのはネズミにでも変身しないかぎり不可能だ。
 階段をさがして、テッドは右往左往した。だがそれはあんがいかんたんに見つかった。
 すぐわきに、えれべーたもある。こんな田舎町で見るのはめずらしい。だが動力は落ちているようだった。
 音をたてないように慎重に階段を上がっていく。壁に身を隠してうかがってみたが、人の気配はない。
 上の階は飾り気のないホールのようなところだった。地下よりは格段に明るく、清潔な雰囲気がただよっている。よく見ると、常夜灯がともされたままになっていた。
 大扉を見てぎょっとした。板を打ちつけて、その前に机や棚を積みあげたのだろう。破られたバリケードが無惨な姿をさらしていた。
 敵はこの建物をも蹂躙し、略奪行為を行なったのだ。テッドが見つからなかったのは偶然のつみかさねに相違ない。
 地方官僚の事務所と憲兵の駐在所を兼ねているのだろうとテッドは推測した。つまらない書類以外に、何を盗るものがあろうか。
 敵も味方も、生きている者はひとりもいなかった。床のところどころに不自然な格好で横たわっているのは、すでに人の姿をしていない屍体だった。
 テッドは表情も変えずに血だまりをまたぎ、出口に向かった。
 ここを出ても出なくても、見るもの踏むものは地獄でしかない。テッドは覚悟をきめた。
 住民たちは奴隷として連れ去られたか、猛火に生きたまま投げこまれたか、いずれにせよ無惨な運命に殉じたにちがいない。女子供とて例外はなかろう。略奪者はいつの世でも快楽主義者で、欲望に対して貪欲だからだ。
 テッドが見つかることなく略奪者の魔の手から逃がれえたのは、彼が牢にとらわれていたからにほかならない。ほかに収容されている者はいなかった。この平和そのものの町で、犯罪者はテッドひとりだった――皮肉にもその符合が、テッドの命だけをかろうじて永らえさせたのだ。
 いっしょに殺してくれてもよかったのに。テッドは自嘲して口をゆがめた。
 囚人といっても、罪状は情けないほどけちくさかった。きちんと調書をとっていたかすら怪しいものだ。憲兵も本気で罰を与えようとしたわけではないのだろう。悪びれもせず盗みを繰り返す性悪なガキをこらしめようと、脅し目的で牢屋にとじこめたというあたりが関の山にちがいない。
 たかが窃盗ごときでお縄にかかるような初歩的な失態をテッドは恥じていた。しかし、なにが幸いとなるかわからない。牢内にいたテッドは火を放つという脅迫の声を聞くことはできても、勧告に従って外に出ることはできなかったのだ。
 だが、だまって座っていた。どうにでもなれという思いが強かった。たすけを求めても、いいことなどありはしないだろう。むしろ閉じこめられているのを知られずに静かに焼け死ぬことのほうが、ずっと正しいような気もした。
 命令に従って広場に集まった人々も、けして命拾いしたわけではなかった。彼らは待ちかまえていた略奪者に一網打尽にされた。略奪者の一味は数においても力においても数段勝っていて、しかも残虐非道であった。
 町の重役はむごたらしい方法で皆殺しにされ、整然とならんで広場に哀れな首をさらした。逆らう者は屈強な大男たちに生きたまま臓腑を引きずり出され、泣き叫ぶ女は猛ったやからに慰みものにされたあと、鶏のように頚をひねって殺された。
 秩序のみが唯一のとりえであった田舎の小さな町は、最期の一夜だけ殺戮と破壊の阿鼻叫喚と化したのだ。
 なおも抵抗しようとする勇気のある者たちは少なくなかった。彼らはひとかたまりになって、暴力を糾弾せしがために立てこもった。有事の場合の避難場所として広く住民に知られており、火事にも耐えうる強固な石造りの建物。その場所こそ、テッドをとらえている牢のある役場だった。
 壊されたバリケードをくぐる前にテッドは目をこらし、外で何が起こっているのかをできるだけ見定めようとこころみた。
 右手がいやな感じに疼き、悪寒がはしった。なにかがそこから絶え間なく流入してくるのがはっきりとわかる。それは痺れや痛みにも似ていたし、熱や力のようでもあった。ソウルイーターが人々の肉体から魂をつぎつぎに斬りはなして、むさぼり喰っていることはもはや否定しようがなかった。
 相方は満足するそぶりを見せない。魂の供給は続いている。どこかになおも生存者がいる――死を間近にし、断末魔の苦痛に呻き悶えているだれかが。
 ”彼”の興奮は正気の沙汰とは思われなかった。得がたい悦びにわななき、だがもったいぶるように少しずつ少しずつ。愛と狂気をささやき、死の口づけを贈りながら頸をじわりとひねるかのごとく。哀れな犠牲者を苦しめ、恐怖させ、絶望のどん底につきおとして、それを無上の快楽としているのだ。
 おれのせいかもしれない。
 おれの、せいだ。
 テッドの幼い表情が疲弊する老人もかくやとみにくくゆがんだ。
 のん気に気ままに泥棒稼業を楽しんで、他人と交わらなかったからどうだというつもりだったのだろう。思慮を怠った結果がこれではないか。
 己の非はあきらかだった。彼はひとつの町に長くいすぎたのだ。それがどうして許されないことなのか、そんなことがなぜ破滅を招いてしまうのか、知らなかったわけでもあるまいに。
 足を踏みだすと熱風と死臭がテッドをとりまいた。
 見慣れた町はごうごうと火柱をあげていた。屋内で感じた静けさとのあまりのちがいに、テッドは驚愕した。
 素朴な木造家屋が、町の象徴である風車が、うずたかく積まれた人の死骸が燃えている。消す者のないいまとなっては、すべてが燃えつきるまで、鎮火は望むべくもないだろう。
 テッドはふと、炎にのまれた故郷を想った。
 あのときと同じだ。けれども決定的にちがうところがひとつある。故郷の村が滅びたのはどうしようもないできごとだったけれど、今回の悲劇はテッドの意志ひとつで未然に防ぐことができた――殺戮を望んだのは荒くれどもであり、手を貸したのはソウルイーターなのだけれども、それを容認したのはほかでもない、テッド自身だということ。
 胃がむかついて、こらえがたい吐き気がこみあげてきた。むせかえるような血の匂いのせいばかりではなかった。
 後悔と自己嫌悪にさいなまれて、テッドの足はふらついた。
 何度だって、回避できるチャンスはあった。そのすべてを見過ごしたのは、もちろん己が未熟だからではあるのだけれど、もっと異質の、抗えない力によって誘導されたような――そんな気もした。だが、いまとなっては言い訳だ。
 憲兵を甘く見て慎重にならなかったことも。泥棒は悪いことなんだよと諭されて、つまらぬ意地をはったのも。最後に食事を運んできた牢番が鍵をかけ忘れたことに気がつかなかったのも。
 すべて、言い訳だ。まちがいなく。
 常に目をこらし、相方を増長させぬ努力を怠らぬべきだった。チャンスはたしかにあった。もしあのとき脱獄していたら。町を永久に離れていたなら。
 悲劇は避けられたかもしれなかった。いや、疑いようもあるまい。避けられたのだ。
 もし膝を抱えてふてくされるよりも上等な行動を起こしていたら、遅ればせながらも鍵が外れていることに気づいただろう。蛮人が攻めてくる半日も前だ。猶予はたっぷりあったはずだ。
 声をあげていたら。それもまたありだったかもしれない。子どもがひとり取り残されていると気づいたならば、籠城した人々はよろこんで仲間に加えてくれただろう。テッドがその場にいたら、最悪のことを考えぬよう説得もできた。
 もし――
 思考はそこで中断された。テッドはぎくりとして顔をあげ、あまりの不幸に我が身を呪った。
 男たちは憔悴した子どもがフラフラ歩いてくるのを、彼が気づくよりも先に待ちかまえていた。玩具となってくれる獲物にまた一匹加えるためだ。
 略奪の歓喜に酔いしれ、より過激な征服感を味わうため、男たちは息のある捕虜をひとりずつ拷問している最中であった。安酒をビンからラッパ呑みし、げらげら笑いながら、拘束された血まみれのかたまりが枯れた声で絶叫するさまを愉しんでいた。
「いいところで会ったな、こぞう」
 あっというまに、ニヤニヤ笑いの男たちに取り囲まれた。
 だが、テッドの目は彼らを見ていなかった。
 鳶色の瞳に映したものは、男たちの背後――快楽のために殺されようとしている、町の人たちの姿であった。
 全身の肉を薄くそぎとられた真っ赤な老婆。木に逆さ吊りにされ、泣くこともままならないむくんだ乳飲み児。そのかたわらで、数人の男に犯されている若い母親。四肢をもぎとられ、濁った眼を宙空に漂わせる芋虫の少年。絶叫しているのは、いままさに下半身を熾き火で炙られている中年の男。
「下衆が……」
「ん? 文句あんのか、こぞう」
「……の、やろう!」
 理性がはじけとぶのを、テッドは抑制しなかった。右手は彼の命令を待ってましたとばかり吠えたけり、紫色の深い闇を放ってそこにいた人々を見境なく、まさに恍惚となぎはらった。
 手足のない子が、死んだような眼に一瞬だけ恐怖の色を浮かべてテッドを凝視した。
 魂を吸い盗られる直前、少年ははっきりとこうつぶやいた。
「……悪魔!」
 テッドはなぜかうっすらと笑みを浮かべ、絶命した人々を高慢に見わたした。
 どの顔にも断末魔の苦悶が凍りついていた。
 少年も死んでいた。安らかとはけして言えない死に顔であった。
 善き魂も悪しき魂も、餌にされたら同じこと。どちらか一方の安息のみを求むるのは身勝手である。
 テッドは冷ややかな眼で一瞥し、死者への礼もつくさずに顔をそむけた。
 それから彼は略奪者たちが集めた戦利品の山を見つけ、なかからひと組の弓と矢筒、わずかな食べ物と水をとって小さな背に負った。
 制裁はとどこおりなく完了したとみえ、右手はまるで眠りにおちるようにおとなしくなっていた。
 ”悪魔”
 それは右手か、あるいは持ち主か。
 どちらでも同じ。別個の人格であったソウルイーターは、いまや自分自身でもあるような――あるいは己の心がソウルイーターに支配され、その一部にでもなったかのような錯覚を、テッドは覚えていた。
 投げつけられた言葉はテッドの心を乱すどころか、むしろ平坦にさせ、罪の意識も、過去の悔恨もすべてぬぐい去ってくれた。
 そして旅人は、この町を去った。
 残骸は風化し、旅人の足跡も消える。
 行き先を知る者は、いない。


初出 2007-06-08 改稿 2007-06-15