まっすぐに前を向くのが怖い。きちんと背中を伸ばして、行儀よくだなんてとんでもない。相手と視線を合わせたくない。関心を持たれたくない。
やむを得ず大勢の中に混じるとき、おれはいつも、ほぼ直角にうつむいてもの言わぬ石ころになっている。猫背が癖になってしまったけれど、叱られても直しようがない。
目を見られたら嘘を見透かされるんじゃないか、そう思うと手がふるえてどうしようもなくなる。精神病のようなものだ。
動揺していることがばれたら、よけいなちょっかいを出されるかもしれない。面倒なことにならないように必死で己を抑え込む。そうしているうちにだんだんと、世の中の人間すべてが、自分を狙っているような錯覚に陥っていく。だれもがみな、あの女に見えてくる。
動悸、発汗。そして周囲が遠ざかる。
パニック状態のおれは五感が利かなくなるらしい。邪険にする声も、罵りも、なにもきこえない。頬を撲たれる痛みも、感じない。ぜんぶ他人事。まるで隔たれた扉のむこうからながめているかのように。
だいじょうぶだ。病んだ孤児に構うほどみんなお人好しじゃないから。厄介なお荷物をしょいこんだと眉をひそめる損得勘定に長けた輩や、まだ小さいのにかわいそうと同情してくれる心やさしき平凡な善人はいるかもしれないけれど。彼らが向けてくるのは残念ながら殺意でも愛情でもない。その両方を、おれは飢えるほどに求めていて、また、けして得られないことに安堵もしている。
だいじょうぶだ、大丈夫。おれの内部にはだれも侵入できないし、させない。独りでいることだって、平気だ。
はじめのうちは寂しかったけれど、これだけ年月がたってしまったら、いまさらという諦めの感情のほうが勝る。
うっかりだれかに気を許しても、どうせまた独りになる。喪失感を味わうくらいならば最初からなにもないほうが絶対にいい。家族も、友人も、恋人も、保護者も、理解者も。ずっといっしょにいられないのなら、欲しいだなんて子どもじみた泣き言はいわない。
おれに内在する闇、そこに触れた人間は必ず死ぬ。そういうさだめになっている。掟は絶対で、例外は万にひとつもない。
ソウルイーターに魅入られた獲物は、最悪の死に様を見せつける。餌(え)となる末路はとても正視に耐えうるようなものではない。死する者に平等に与えられるはずの、生と死の循環、すなわち次なる輪廻からもはじき出されるのだ。これ以上の悲惨な死はない。
呪いのことばが絶叫とともに吐きだされ、虚ろに見守るおれの躯にからみついて霧散する。相方の意志も尊重せず、右手はそこから勝手に生命力を吸い取る。狂気という味付けの効いた、宿主をただ生かすだけの無機質な糧を。
人の死。それは日常的なできごとである。生と死は必ず一対で、どちらかが他方より秀でることはない。精神論を論じたいわけではなく、生まれたばかりの子どもでも死の認識は遺伝子に組み込まれている、そういうことだ。
生は死を約束された瞬間でもある。それを正しく理解していれば、死はいたずらに悲しんだり、恐れたりするようなものではない。
けれども稀なる例として老いから切り離されたおれは、みずからの死と縁遠くなったかわりに、他人の死に苛まれるという耐えがたい義務に怯えるはめになった。
人が死ぬ。おれの目の前で、苦悶をうかべて。静かに、けれど確実に。
そして、断末魔。
捕食した――明確なその感触が全身を駆けめぐったとき、想像を絶するような苦しみがおれを襲う。いま見た悲劇をも凌駕する半死半生の苦しみだ。
また一人。
ソウルイーターが魂を狩る。地獄の鎌で刈る。
人の命なんて、たわわに実った麦の穂でしかない。種を蒔いたのは闇の王で、しもべたる真の神々は豊饒のよろこびを享受する権利がある。
だけど、おれは人だ。たまたま従者に選ばれただけであって、生憎だがお粗末な忠誠心しか持ち合わせていない。天の横暴を黙って見過ごすのも限度がある。贄を差しださなければならない人生なんてまっぴらだ。
それに契約したのは祖父であって、おれじゃない。
だから、抗うことにした。抵抗しなければ紋章は無差別に魂を喰らうからだ。幾千万の魂を喰らっても、大地をすべて死の平原と変えても、あいつは満足することをよしとしない。
ならば、飢(かつ)えろ。好きなだけ呻くがいい。この先おまえが喰らう魂は、おれのものだけでじゅうぶんだ。
寄生した相手が悪かったと悔しがれ。どのみちおまえにとって、数百年は一瞬とたいした違いでもあるまい。その程度ならばおれもつきあってやる。下賤な人間でもそれくらいの意地と覚悟はあるんだ。
非力に見えるこの外見は、獲物をおびき寄せる卑劣な罠。
餌は簡単に落ちてくる。それに気づくのに愚かしくも十年かかった。いや、現実を認めるために要した時間がそれくらいだったのだろうか。どっちでもいい。とにかくおれは十年まるまる無駄にした。
この右手は人々を殺し、むさぼり喰った。
悔いたからといって罪が消えるわけでもない。血塗られた手は永遠に穢れたまま。赦される方法はただひとつ、己が魂を餌として差しだすことだ。
だが、まだその時ではない。罪悪感に押し潰されて自暴自棄になりそうだからといって、安易にこれを託していいわけがない。それくらいのことは、いかに考えが未熟でもわかる。
おじいちゃん、そうだろう?
隠された紋章の村は、いまはこの自分自身だ。
自分ひとりの人生ではない。犠牲になった村人たちの、命を賭した願いがおれを生かす。
いまにも千切れそうな、細い細い糸。血縁という名の狂気。目的のためだけにみじめに生かされる躯。おれの存在は手段でしかない。矛盾と欺瞞に満ちた命。
生きて、這いつくばってでも生きのびて紋章を守ろうとする。挙げ句、なんの関係もない人の命を代償にして。
カニバリズムでも、もっとも醜くおぞましい形。人命を嗜食する恐るべき真の紋章を、おれの中に流れる血は崇拝することをやめない。どんなに苦しめられても、守らねばと思う。
おれをそこまで歪めたものに、恨み言をいう気持ちすらとうにない。
異常な心理は度を過ぎると異常であることを認識しなくなる。
十年を過ぎて、次の十年もまた風のように。いつしか涙も流せなくなっていた。
残飯のような食事を与えられることも、奴隷のようにこきつかわれることも何とも思わなかった。寝床だって粗末でいい。明日が迎えられるのなら、それだけ保証してもらえるのならほかに望むものはないからだ。
首尾よく心を閉ざすことができれば、どんな虐待もつらくない。
だれも侵入できない。させない。独りでいい。
けれどあいつだけは、気がつけばここにいる。
ほかでもないおれ自身が生みだした、自家撞着の表と裏。
あいつはおれのもっとも近くにいながら、おれを蔑み、嘲笑い、否定する。
殺したいほど憎い。
復讐してやりたい。
それはひどく、そう、ひどくむずかしいとわかっていても。
だれだって自分自身に刃を向けたくはないだろう?
分裂する。
憎い。殺したい。だけど、あれは、おれだ。
引き裂かれる。だめだ。奈落が口をあけている。
死よりも深く、生の放つ光も届かない真の闇。
原初に在った、やがてすべてが帰する『やみ』。
墜ちたら、二度と帰ってはこられない。闇の一部となって、『なみだ』を零し、百万世界を無限に生みだす。そんな存在にはなりたくない。
おれは。おれの名は?
テッドだ。テッド。
人として生まれた。だから人として死ぬ。それだけは譲れない。
名を呼べ。自分自身の名を呼び続けろ。
たとえその名をすべての人が忘れても、おれだけは憶えていろ。
意味のない存在でいい。生かされるだけの、まがいものの命でいい。
あいつだって罵倒しながらそんなおれを憐れんでいるんだ。
あいつはテッド。おれもテッド。ひとつの魂だ。引き裂かれそうになったら何度でも名前を呼べ。絶叫しろ。声の嗄れるまで。
死にたい。だけど生きたい。己を欺くな。目を反らすな。
ソウルイーターはだれにも渡さない。『やみ』に帰るのをおれが見届ける。それが叶ってこそ――おれは人として死ぬことができるのだと思う。
生と死の循環からはじかれた魂たち。彼らはやがてソウルイーターの護り人として、『やみ』に抱かれる。魂を喰われたその時、彼らもまた選ばれたのだ。
信じよう。ソウルイーターを。
血なまぐさいその相棒が、ほんとうは心やさしいことを、おれは知っている。
だいじょうぶだ。大丈夫。
歩けよ。テッド。
せめてひとりの時くらいは、背中を伸ばして、まっすぐに。
2007-09-26