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ないしょの一夜

 ありえない勢いでグアッと目がさめた。
 最初にとびこんできたのは天井(まあ、妥当な線だ)。見慣れた色なのに、はじめて見る天井。
 ふだんとなにかがちがう。ささやかな違和感が猛烈な不安の根源となる。違和感の正体をさぐるべく、テッドのとった次なる行動は、空間認識の試みであった。
 眼球がきょろきょろと動く。
 やはり。いまいるここは自室ではない。広すぎる。けれども基本構造は一緒なので、少なくとも船の上ではあるようだ。
 自分はベッドに寝ている。いや、寝かされているのかもしれない。経緯はまったく憶えていない。不思議なことに、眠る前の記憶はきれいに飛んでいる。
 ある事実に気づいてテッドは軽く衝撃を受けた。薄い毛布を一枚かけただけの自分は、全裸だった。シャツもズボンも、あろうことかパンツすらもはいていない。道理でスースーすると思った。
 寝間着なんて上等なものは持っていないけれど、夜はちゃんとシャツを着る。万が一夜中になにかあってもノンストップで行動するためにだ。リラックスできないくらいがちょうどいい。
 頭の芯が妙にすっきりしている。どうやら本格的に熟睡してしまったらしい。めずらしい、というか信じられない。こんな無防備な(恥ずかしい)格好でグーグー眠っただって? 冗談だろう。
 寝返りを打ったら、ベッドの下、床に散乱する衣類に目がとまった。自分のだ。
 上着は表裏反転し、セーターは布のかたまりで、ズボンはベルトがはずれていない。つまり、むりやりずり下げたのだろう。おそらくはパンツごと。
 何らかの理由で意識を失ったテッドを、親切なだれかが衣服を脱がせてベッドに横たえたという仮説はこれで消えた。テッドが自分で脱ぎ散らかしたのだということを現状は物語っている。だけど、何故。
 言いようのない不安に襲われて、必死に過去の記憶をたぐってみた。
 甲板で、見張りを担当していたのだ。侵入してくる海洋系ザコモンスターを片っ端から退治する退屈な仕事だ。戦闘員は週に二日、それぞれ五時間ずつ、この業務が回ってくる。
 不気味な粘液で身体中がべたべたになるので、おおむね歓迎されない仕事だけれど、黙々とこなしていればいいだけだからテッドにとってはさほど苦でもない。あまり言いたくないけれど、人間に向かって攻撃するのとちがい、モンスター退治はストレス発散になる。
 ごく稀に手強いモンスターと遭遇する以外は、とくに危険でもない。サクサクっとぶちのめす。異形のイカだのエイだのクラゲだの。軟体質の分際で、食欲と性欲だけで人を襲うなどけしからん。
 もちろん、モンスターだからといって無差別に殺戮していいとも、絶滅しちまえとののしるつもりもない。人間に害を及ぼさなければ、共存だって可能だと思う。モンスターもひとつの進化の形だ。たまたま異世界の遺伝子と交配したというだけで、同じ地上に棲む生命体であるのだから。
 だけどやっぱり気持ち悪いので、お目にかかったら弓矢を食らわしてやるけれど。
 おっと、方向修正しよう。
 もっとも確かな記憶は、エイのようなモンスターが接近してきたことだ。あきらかにテッドをお食事の対象に据えた様子だった。魚たちもモンスターも捕食が活発になる夕まずめ。ついでに人様も腹の減る時間帯だ。テッドも腹が減っていた。今夜のメニューはなにかなと、考えていたかもしれない。とりあえず、空腹な人間はえてして機嫌が悪い。もうすぐで交替の時間なのに邪魔すンなドあほ、エイ、とかって矢を向けた――ような気がする。
 シャットダウン。そこまででおしまいだ。あとはまったく憶えていない。
 ひょっとして返り討ちにあったのだろうか。あんな低級モンスター相手にそんな醜態を? あまり想像できないが。
 第一、その線だといま置かれている状況といまいち結びつかない。医務室で目覚めるのが筋ではなかろうか。
 それとも甲板にいたと思いこんでいること自体が夢なのだろうか。
 わからない。
 ああ、イライラする。
 とりあえずだれかに見られたらみっともないからパンツをはこう。
 と、ベッドから下りようとした瞬間だった。
 とんとん。
 ドアをノックした人物は、返事も待たずに部屋に入ってきた。
 テッドはあわてて毛布をたくしあげた。
「あ、目がさめてたんだね。よかった」
 ほかほかと湯気のたつトレイをテーブルに置くと、軍主ノエルはにっこりと女のように笑った。
「ぐあいはどう?」
「あ……いや、悪くない」
「そう。心配したよ」
 電撃が奔った。こいつはおれの知らない経緯を知っている!
 テッドは引きつった顔で訊いた。
「あの、おれ、その……なにやらかしたんだ」
 とりあえずタメ口。相手はふつうの少年に見えるけれど、この船ではとりあえず最高権限を握っている人物だ。一般兵の自分とは天と地ほどの差がある。
 女顔で物腰も柔らかい。華奢というほどでもないが、どことなく女性的だ。背はテッドよりもずっと高いのに、たくましさは感じない。そのかわり腕っ節はえらく強い。侮ってはいけないのである。
 ノエルはちょっと考えるようなしぐさをすると、「憶えてないのか、やっぱりね」と意味深なことを言った。
 とてつもなくいやな予感がする。
「なんか、迷惑かけたか」
 声が掠れた。
 ノエルはきっぱりと首を振った。
「いや、それは大丈夫だよ。そうなる前にちゃんと隔離したから」
 待て。いま、なんと言った?
「とりあえず、ユウ先生に目がさめましたって報告してくるね。先生もずいぶん心配して……」
「頼む、ノエル」
 テッドは大声で遮った。「おれがなにをしでかしたのか、はっきりと教えてくれ。マジ、ぜんぜん憶えてなくって気持ち悪いんだ。とりあえずここはどこだ。なんでおれは真っ裸なんだ」
「ここはぼくの部屋だよ。テッドが寝てるから誰も入れないようにしてある」
 軍主の個室――
 言われてみれば、そのような気がする。壁に飾ってある理解不能の芸術。変な趣味だと呆れたことがあるようなないような。
 けれど、倒れたのであるならどうして医務室に運ばない? よりによって軍主の部屋に隔離だなんて。
 その問いにノエルは信じられないような現実を告げた。
「テッドがどうしてもぼくの部屋で寝るってあばれるから、ユウ先生もそうしてあげなさいって言ってくれたんだよ」
 待て待て待て待て待て待て。
「なんでおれが暴れる必要があるんだ」
「スベスベマンジュウマダラエイの毒は中枢神経に強力に作用するんだって。興奮とか錯乱とか幻覚とか。酒乱の人がお酒を飲んだような感じだね。死ぬほどのものでもないし、眠ったらもう大丈夫って先生も言うから、抜けるのを待ったんだけど」
 なるほど、合点がいった。つまりはエイの毒針でやられたわけだ。あんなザコの前に屈するとは、情けないにもほどがある。
 毒が回って錯乱だか妄想だかを一発かまして、手に負えないと判断した医務室のユウと軍主ノエルが個室に閉じこめた。そういうことか。
 ところがノエルは何を思ったのか、首元をわざとらしくさすりながら言ってのけたのだ。
「だけどテッドってすごい積極的なんだね。びっくりしたよ。まだヒリヒリしてる。痕、しばらく残るだろうなあ」
 まだなんかあんのかよオイ!
「ぼくも、ああいうことはあまり慣れてないからうまくないんだけど……やっぱり、男だから、生理的っていうか、どうしようもないときあると思うんだ。テッドも、あんまりためないで……その、だれにも言えなかったらぼくでもいいから。頼るのだって恥ずかしいことじゃないから。テッドがやりたいっていった、あれ……はさすがにむりだけど、手でだったらいつでも」
「ストップ」
 なんたらマダラエイの毒が伝染ったんじゃないのか? 冷静な顔でそう口にしたかったのだが叶うはずもなく、テッドは耳まで真っ赤にして前屈みになった。
 考えたくない。考えるのが恐ろしい。いますぐ我が息子に問いただしたい。毒を盛られておまえはどんな醜態をさらしたんだ言ってみろッ!
 弁解するわけではないがソッチの欲望は淡泊だ。誓ってそう言える。まったくしないのかと訊かれたら嘘になるけれど、望まぬ経験ならばむしろ多いほうではないかと思うけれど、それはそれ。とにかく錯乱して暴発するほど性欲は抑圧されていない。信じてくれ。
 駄目だ。説明できない。どうすればいいんだ。
 ノエルは完全に誤解している。一世一代の大ピンチ到来だ。
「すみませんでした」
 テッドは棒読みで謝った。
「あなたにどんな失礼なまねをしたのか、恥ずかしながら憶えていませんけど、ご迷惑をおかけしたということはよくわかりました。おれが迂闊でした。二度とこんなことはしませんので、ぜんぶ忘れてください、お願いします」
 毛布にくるまったまま土下座した。それで限界だった。
 ノエルはぽかんとして、それから息を吐いた。笑われたのかもしれない。
「とりあえず、食事しない?」
 その提案にはじかれたように、顔をあげる。
「ゆうべは結局食べそびれちゃっただろ。朝ご飯、いっしょに食べよう。特別にルームサービス」
「いや、おれは……」
「いいからいいから。さめないうちに、ほら」
「そうじゃなくて……その、着替え……」
 いくら男同士とはいえ、人前でナニを見せるのは抵抗がある。しかも醜態を演じたあとだ(断じて記憶にはないが)。パンツはズボンごとノエルの足元に落ちている。
「わかった。いいよ、ベッドで食べようか」
 わざとか、それとも天然か。涼しげな顔のノエルにテッドは一瞬、苛立ちを覚えた。
 テッドの胸のうちを知ってか知らずか、ノエルはトレイを手にしたままベッドに深く腰掛けた。
 スプリングがぎいときしむ。
 その圧倒的な存在感に、テッドはごくりと息を呑んだ。
 トレイの上にはスープがふたつ、パンが二個、大ぶりのサラダがひとつ。典型的な朝食メニューだ。ということは夕食前に毒にやられて、まるまる半日人事不省に陥っていたということになる。
 ノエルは昨夜、どこで休んだのだろうか。まさかこのベッドで……?
「テッドさん、赤くなってます」
 わざとらしい丁寧語でズバッと指摘されて、血が沸騰した。
「ごっ、ごめん」
 もはやなにを言っても謝罪しか出てこない。
「また謝る」とノエルは破顔一笑した。「テッドがこんなころころ表情を変える人だなんて、みんなが知ったらびっくりするだろうな」
 だから、わざと表情を変えないようにしているのだ。ノエルに対しては、霧の船でいろいろなことがバレているから、取り繕ってもしかたがないと放置しているだけで。
 だからといってノエルに気を許しているわけではない。友だちになりたいと言われたときにもはっきりと断った。それをこともあろうに、性欲のはけ口にだなんて――とんでもない。
「みんなには、黙っていてほしいんだけど」
「もちろん」とノエルはうなずいた。「目立ちたくない……そうだったよね。わかってる。きみがゆうべ、ぼくの部屋に泊まったことも一部の人しか知らない。みんな口がかたいから大丈夫」
「なあ」とテッドは訊いた。
「なに?」
「おれはなんで、特別扱いなんだ?」
「特別? この船に乗る人たちはみんな特別だよ」
「そう思ってんだったらどうして、おれを追い出さない? あんたは気づいてるはずだ。おれはあんたと同じで、真の紋章を持ってる」
 はっきりと宣言したのはこれがはじめてだったが、予想したとおり、ノエルは動じなかった。
「こんな狭い場所に、真の紋章がふたつ存在していいわけがない。ひとつだってたくさんなのに。おまえはそれを宿して日が浅いけど、そいつがどんなに恐ろしいもんか身にしみて知ってるはずだ。なのになぜ、おれを受け入れた」
「なぜ……うん、なぜだろうね」
「いまからだって間に合う。おれを追放したほうが、おまえのためだぞ」
「ぼくも質問していい?」とノエルは言った。「船は、補給のたびに寄港する。ここを離れようと思えば、いつでも離れられたはずだ。テッド、どうして船を下りなかったの?」
「……それは」
「ぼくの答えも、それといっしょだ」
 ノエルはスープボウルに口をつけて、ズズッとすすった。
 テッドは反論もせず、膝を抱えこんだ。
「理由なんてあんがいどうでもいい。きみもそうなんじゃない? もう少しいっしょにいてみようよ、テッド」
「まあ……乗りかかかった船だしな」
「そういうこと。食べる? 猫舌のテッドでももう大丈夫っぽい」
 どうしておれが猫舌なことを知っている。
 勧められるままにスープに口をつけた。旨みが喉をすべり落ちていく。胃がからっぽなことにいまさらながら気づいた。
「ここのコックは超一流だな」
「だろ。フンギをスカウトできたのはラッキーだったよ」
「おまえはいつでもラッキーをつかむじゃないか」
「たまたまね」
「運だって資質のうちだ。おまえはそれに気づけ」
「先輩がそうおっしゃるなら、つつしんで」
 やっと笑えた。まったく、フンギのスープは魔法のスープだ。人の心を穏やかにする魔法がかけられている。
 パンにも手を伸ばして、もぐもぐと咀嚼しながらテッドは言った。
「変なコトして悪かったな」
「ああ、さっきの。嘘だよ。テッドはなにもしてないから」
「ごまかさなくったっていいんだぜ。おれ、昔のだれかと勘違いしてたかもしれないし。あり得ない話じゃない」
「そうかもね。テッドはたしかに大胆だったよ。脱ぎっぷりだって潔かったし、すごく男らしかった。けど、むりやり裸にされたときはもうおしまいかと思った」
 喉にパンがつかえて、テッドはむせた。
「冷静に考えてさ、きみは罰の紋章くらってないし、棺桶にもはいってない。それって、どういうこーとだ」
「どういうこーとだって……あ」
「そう。ほっとしたような、ちょっぴりざんねんなような……かな」
 へなへなと力が抜けた。なんだ、未遂だったのか。
 錯乱して軍主をレイプしたなんて、事実であれば追放、いや、打ち首だ。暢気に朝飯を食っている場合ではなかった。
 安堵と同時に、猛烈な寒気が襲ってきた。無意識の情動――自分でも気づいていない、鬱屈した思い。今回はたまたま噴出しなかっただけで、次もまたなにごともないとは限らない。
 怖い。なにをしでかすかわからない、自分の知らない自分。制御できない自分。
 もうずっと以前に、おまえの人格は分裂していると言われた。自覚もなかったし、とくに治療したわけでもない。急に不安になってきた。大丈夫だろうか。
「安心するのはまだ早いよ」 ノエルはニッと笑った。
「テッド、ものすごいこと口走ってたんだからね」
「も、ものすごいって、たとえば」
「ねえ……ああいうの、好きなんだ?」
「ああいうのって……」
「……ア、ナ」
「穴?」
 ノエルはテッドの耳許に顔を寄せて、こそりとつぶやいた。
「……ックスって、ば、ば、ばっ!」
「なに真っ赤になってんのさ。あんなにさせろさせろってわめいてたくせに」
「言ってねーし!」
「言ったの。ユウ先生がいなくなったあとだったからよかったけど、じゃなかったら本気で隔離されるところだったよ。下の牢屋あたりに」
「おまえの聞き間違いだろうがっ! なんでお、お、おれが、男のケツにっ!」
 いや、やったことないとは言わないけど。
「まあ、あくまでも否定するんだったらそういうことにしとこうか。でもけっこう楽しかったよ。おかげで滅多に見られないテッドのアレも見れたし。ごちそうさま」
「てっ、てめえ、まさかソイツをフ、フィンガーフートのお坊ちゃんと比べたり……」
 余計なひとことだった。ノエルの表情がいっそう愉しげになった。
「スノウ? うん、ずっといっしょに暮らしてたからね。スノウのは見慣れてるけど、そうか……比べてほしいんだ?」
「逆だ!」
「スノウはしつけが厳しいからね、奥手で、だめなんだ。ざんねんだけど大きくなってからは確認してない。彼のことだから、キスって単語だけでも卒倒だろうな。アナルセックスなんて意味すらも知らないかもしれない」
 おまえの辞書には羞恥という単語がないのか軍主。
 自分のことは棚に上げて頭を抱えるテッドだった。
「だけど、意外だったな」
 ノエルの声色が変わった。
「テッドにああいう一面があったなんてね。やっぱり、ふだん見ているだけじゃ人ってわからないな。スノウだって、あんな情熱的なところがあったなんて……いちど別れて思い知ったんだ。それまで、ほんとに、あいつはひとりじゃ歩いていけない、ぼくがついていなければ思ってた……」
 語尾はほとんどため息で、そしてぽつりとおまけがついた。「まちがってた」
 テッドは黙りこんだ。親友同士のもめごとには縁遠い。気の利いた相槌もうてやしない。
「お坊ちゃんとは、和解できたのか?」
「そうだね。いまはまだぎこちないけど、今度は焦らないでのんびりやるよ」
「それがいいな」
 テッドはスノウ・フィンガーフートのことを思い出していた。一時は完全に敵の側にいた彼も、ノエルの希望で仲間に迎え入れられた。いろいろ思うところはみなあろうとも、軍主の決定に異を唱える者はいない。ましてや群島に縁のないテッドにはこれっぽっちも関係のないことだ。
 軍主と元領主の息子には身体の関係があるとか、そういう下世話な噂はテッドのもとにも届いている。噂は噂、真実でないかもしれないし、本質を突いているかもしれない。ノエルが嘘をついているとしても憤りは感じない。好き同士ならば勝手にセックスでもなんでもすればいい。
 ただ。
 ノエルがスノウのことを思うとき、彼はあきらかに変異する。親友を思うというよりも、あの態度はそう、恋に近いような気がする。
 スノウもだ。甲板の定位置で、ぼんやりと海を見ている。なにを考えているのか、その姿から読み取ることはできない。毎日、毎日、飽きずに海を見る。
 親友ならばノエルの執務室に居座っておしゃべりでもすればいいのに。けれどスノウは自分から望んで孤立しているように見える。
 どうしてか、テッドはスノウから目が離せない。
 二人のあいだに、噂などでは語りつくせない物語があったのだろう。ノエルとスノウは、時間をかけて、今度こそほんとうの関係を築いていくつもりなのかもしれない。
 羨ましいという気持ちはごまかせなかった。ノエルにはスノウがいる。真の紋章に囚われた仲間だけれど、ノエルの位置はテッドよりもスノウにずっと近い。
 しかたがない。ともに居た時間はスノウのほうがはるかに長い。テッドにとってのノエルは、長い旅路のなかのほんの一瞬だ。すれちがって、あれっと目をひいて終わり。いつか思い出すことはあっても、ともに生きられるわけではない。
「ノエル」
「なあに」
「ありがとな。いやがらずに置いてくれて」
「船は、楽しい?」
「思ったよりも悪くない」
「よかった」
「あんまりムチャすんなよ。おまえがぶっ倒れるとヒヤヒヤする」
「ムチャしてるように見えるんだ?」
「そりゃ、リーダーともなるといろいろあんだろ。重圧だって相当なはずだ」
「心配してくれてありがとう。テッドはやさしいね」
「バカ、おだてンな。居心地わるいから」
 ほんとうはクスクス笑いが心地よい。だれかとこうして肩を並べて話すことなど、思えばなかった。ソウルイーターは同族には牙を剥かない、そういう確信があったから素直になれた。
 この関係をずっと続けていきたい。だけど、儚い願いだ。ノエルは罰の紋章の継承者として責務を果たさなければならない。そして、テッドもまた。
 ふいに記憶のかけらがあざやかに蘇った。
 ノエルの肌は熱かった。生きた人の体温。やさしさのぬくもり。ノエルはずっとテッドを抱いていた。向かい合わせに、脚のあいだに挟みこむように。その胸に額を押しあてて、テッドは安らぎを味わっていた。やがて深い眠りに包まれる。
 ぼくが守るから。だからぐっすりおやすみ。
 いまだけは。今夜だけは。
 明日はまた戦わなければいけないのだから。
 ずっとずっと求めていた。おそらくは一生涯手にいれられないとあきらめていたもの。人肌のぬくもり。
 単に身体を重ねるだけでは得られない、人の心のぬくもり。
「そうだ、言い忘れてたけど」
 滅多に味わえないスィートな思考をぶったぎって、ノエルが振り向いた。
「なんかもう、見てらんないくらいぱんぱんに張りつめてらっしゃったんで、ぼくが抜いてやったからね」
「はい?」
 頓狂な声が漏れた。
「ちなみに三回。口止め料、三日連続でメインパーティ参加でどうかな」
 そこらへんのキモチイイ記憶がすっぽりと欠けているのは、はたして作為か天の慈悲か。


2007-09-27