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ディアブロ

 うっそうとした森に囲まれたちいさな小屋は、いまにもガラガラと崩壊しそうなその脆い外壁に完全にミスマッチな鉄の扉と、音をけして漏らさない骨太なつくりで、訪れる者を威嚇する。
 室内はそれほど広くなく、四方の柱がやたらと太いために強い圧迫感を覚える。家具調度品はない。床は節くれだった木が剥き出しで、ひやりと冷たい。
 部屋の奥に陰気な彫像が屹立している。目をひくものといえばそれひとつだけだ。あとは片隅に水瓶が置いてあるくらい。
 天井には梁が張り出していて、だれがそうしたのかは知らないが、首をくくった名残のような縄が不吉な感じに垂れ下がっている。
 彫像の正体はディアブロ。この地方では悪魔崇拝の対象だ。
 悪魔は人を欺く。よって、人よりも数段賢い。悪魔の知恵を借りて賢くならなければ、貧しい人々は生きてはいけない。
 閉鎖的な社会をテッドは幾度も目にしてきたが、先刻訪れたこの村はとりわけ狂信的でひどく異質に思えた。だが嫌悪感というものはまるでなかった。どこか故郷の村に通じていたからかもしれない。
 悪魔を信仰するといっても住人がみな凶人というわけではない。むしろ純朴で、御しやすい人々である。
 新参者はこの小屋に三日間、村に足を踏みいれたその夜から三日目の朝まで監禁される。
 飲み水には困らないが、食料の差し入れはない。空腹は耐えるしかない。毛布のひとつでもあればと舌打ちしても、叶えられるわけでもなし。さほど寒い地方ではないから、かろうじて耐えることはできる。
 渡されるものは小さいが鋭利なナイフがひとつ。用途は聞かされない。
 己の喉笛をかき斬るもよし、壁を抉って脱出を試みるもよし、ということらしい。
 音のまったくしない部屋で悪魔神ディアブロと向き合い、三日目の朝にまともな精神でそこを出られた者だけが村に歓待されるという。
 いわば契りを結ぶ儀式なのだ。血縁ではないよそ者を迎えいれるための。
 ディアブロの彫像はあちこちが欠けていて、年代を感じる。たしかに怖い姿をしているが、恐ろしいというほどではない。穿った見方をすれば、単なる石のかたまりだ。
 テッドが闘わなければならないのは、無限に感じられる長い長い退屈と、無音のかもしだす息苦しさのほうだ。
 床にはぴかぴかのナイフがころがっている。なるほど、心神を喪失している者ならばこれを使ってつまらない人生にけじめをつけることも可能なのだろう。
 テッドはべつにこんな場所で地味に死ぬ気もなかったし、期限付きの監禁にあたふたするほど錯乱してもいなかった。水をしっかり摂って、体力と精神力を消耗しないようにリラックスしていればいいだけのことだ。
 悪魔の相貌がこちらを向いている。ガラスの瞳なのだろうか。そこだけ不気味なくらいよく光る。
 おまえは異形のものだな。そう問われているような気がする。
 ああ。だからなんだ? おまえだって似たようなものじゃないか。
 ふいに挑発してみたくなる。なあ、おまえは悪魔と称賛されてどんな気分なんだ?
 信仰されているといってもろくな手入れもされず、薄汚い小屋に閉じこめられて、風化するがままに放置されて。えらい待遇だな。気の毒に。
 畏怖の念をみんなはおまえに抱いているが、あまり頻繁に近づきたいわけではない。へたに触れたら災禍が及ぶと考えられているのだろう。
 この土地とそこに住む人々を見守り、導いてきたであろうディアブロ。
 人々がおまえに求めているものは絆という名目の、神と人との適度な距離をおいた親和だ。ただそれだけだ。
 それ以上の関係はおそらく、期待されておるまい。石でできた躯が完全に崩れおちても、おまえはこの狭い場所に閉じこめられたきり、さらさらと砂になるのだろうからな。
 人は身勝手なものだ。
 都合よく神を創造して、利用する。
 なあ。おれも悪魔だけど、人間なんだ。べつに悪魔になるために創造されたわけじゃない。人として普通に生まれてきた。それがなんの因果か、こんな難儀なことになっちまった。
 時に逆らわず風化していくおまえが羨ましい。おれのこの躯は、永遠に呪われている。
 他人の魂を際限なく喰らい、醜く生きながらえていく。ほんとうの悪魔だ。
 ディアブロ。偶像のおまえなどとは比較しようがない。
 おまえの周囲には必ず人がいる。信仰する者が。畏れる者が。塵と化すそのときまで、永遠に契りを結ぼうとする者が。
 このナイフでおまえをめった刺しにしてやりたいぜ。
 人がつくりあげた幻なのだということを、村のやつらに、そしてディアブロ、おまえ自身に思い知らせてやりたい。
 真実は甘いものではない。
 ほんとうの苦しみが知りたかったら、おれと替わってみればいい。
 ただし、おれは崇拝されるのはごめんだ。狭っくるしい小屋に生涯閉じこめられるなんて、ぞっとしない。
 あと六時間。
 それだけ大人しくしゃがんでいたら、ほかほかの朝食が食えるだろう。
 現金で悪かったな。それがおれのやり方だ。
 絆とか縁故とか、適当に有り難がっているふりをしてみせればいい。そうしたら二、三ヶ月は安泰に暮らせる。そのあいだはきっと、心おだやかになれるだろう。
 ディアブロ、おまえの顔を見るのもこれが最後かもしれないな。
 絆なんてどうでもいいけどれど、いつかふっと思い出すこともあるかもな。
 おまえも、悪魔の役目を果たし終えて朽ちてくれ。そんときはおまえも肩の荷がおりて、少しはほっとするだろう。
 人間とはああいうふうに身勝手で、都合よくて、いいかげんだ。だけど許してやれよ。
 人ってのは、なにかにすがっていなければ形を保っていけないんだからさ。
 おれだって――。
 すがっている。テッドという名前に。存在に。
 過去に。血縁に。使命に。約束に。
 棄てることができない。いいじゃないか。悪魔にも心があるんだから。
 心のないものは、ただの石くれだ。
 石でできたおまえだって、たくさんの心を支えているのに。おれがおまえに負けるわけには、いかないよな。


El Diablo/「悪魔」

2007-10-23