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まん十。

作者注:ここより下の一連のお話は「4主はまんじゅうが大好きv同盟」さまの同盟主旨にのっとり(のっとるな)、配布お題 まんじゅうプチお題『まん十。』に果敢に挑戦した結果に御座います。一気通貫門前ツモ。


【一萬】キスすると甘い

 アルコールは気化すると軽くなって上にのぼるのだろう。吹き抜けになっているサロンの二階部分をぐるりと一周できる回廊はいつでも酒の匂いがプンプンしていた。
 自室への帰り道にテッドがそこを選んだのは、ほんとうにたまたまであった。あくまでも気まぐれが起こした些細なできごと。
 その通路は普段めったに利用しないものだから、回廊の途中に張りだしている小さいテラスにて一体の銅像が制作途中であることも、テッドは知る由がなかった。
 芸術にはさほど興味がない。立ちどまってしげしげと見あげたのは、ただ単に、ひまだったから。
 タガネを何本も持った指の背で器用に額の汗をぬぐった彫刻家ガレスは、テッドに気づくと制作の手を休めて煙草をふかしはじめた。
 テッドはガレスと面識がなかったが、像をひとめ見ただけで彼がすばらしい腕を持つ芸術家であることを察知した。ただし、芸術は腕だけでは成り立たない。そう、感性を併せ持つことによってより高みに昇華されるのである。
 像のモデルはこの船のリーダー、ノエルであった。
 しゃん、と背をのばし前を見据える凛々しい立ち姿。
 大きな瞳は蒼と見まごうかのように美しい。
 両腰には彼の相棒である双剣を備えている。
 端正。優美。荘厳。そんな陳腐な形容がかすんでしまうほど、見事な彫刻であった。
 感嘆と尊敬に彩られたテッドの表情が、五秒半後、かちんと固まった。
 像の彼が右手にやさしく包みこんでいるもの。あれは。
 誰がどう見ても。
 オベル船名物、『ケヴィンとパムのまんじゅう屋』の特選あんこまんじゅうであった。
 しかも餡の中身を示す焼き印を区別できるくらいに精巧な。
「まんじゅうか」
 誰に同意を求めるともなくつぶやいた声には感情がこもっていなかった。
 一方、丸い煙をぷはーっと吐いたガレスは得意満面であった。
「写実主義なんだよ、おれは」
 二の句が継げなくなってしまったテッドを誰が責められよう。
 ガレスはちょっと顔をしかめて、煙草の灰をぽんぽんと灰皿がわりのくじら缶に叩き落とした。
「こんなのはまだまだ未完成だ。魂がこもってねえ。スノウって野郎に言われちまった。ノエル殿のここ、ここにアンコがくっついてるのが本当の”リアル”なんだとよ」
 自分の頬っぺたを指でツンツンする。
「キスしたらあまーくとろけてしましまいそうな、そんなスッゲエ銅像をつくるのがおれの目標だ」
「……がんばってください」
 芸術は博打や釣り以上に近寄るべからず、とテッドは心のメモ帳に書きとめた。

【二萬】どの餡が好き?

 時はやにわに遡る。
 展開が唐突で恐縮だが、なんとかついてきてくれたまえ、読者諸君。
 テッドは牢屋に囚われていた。
 鉄格子ならぬツタ格子は、怪力のリノが破壊をこころみてもぴくりとも動じない。たしかに泥棒行為をはたらいたこちらも悪かったけれど、罠を仕掛けるとはあちらさんもかなりの知能犯である。
 人間の牢屋からエルフの牢屋に引っ越したようなもので、ナ・ナル島に上陸してからこっち踏んだり蹴ったりである。とりあえず、じたばたしてもはじまらない。
 悪態のかぎりをわめき散らしたリノ王様が疲れ果てておとなしくなると、一同は少しでも休息をとることにした。チャンスはいつ巡ってくるかもわからない。
 狭い牢屋内でなるべく近寄るな、とはさすがに言いづらく、テッドはノエルと肩をくっつけることに甘んじた。仲間になって最初の任務で牢屋行きとは、まったくもって立つ瀬がない。
 この時、テッドはまだノエルの性格を正しく把握していなかった。無口ではあるが信念のある、という程度にしか。その信念がどちらの方向に突出しているのかをテッドはのちのち知ることとなる。
 囚われメンバー内でもっとも年齢が近いと見たか(大きな誤解である)、あるいはきみの秘密を知っているよの続きなのか、ノエルはテッドに話しかけてきた。
「おなか、すいたね」
 テッドも同感であった。島長もエルフも、御馳走は望まないからせめて干し肉の一片くらい与えてくれたらよいものを。
 嫌いになっちゃうぞナ・ナル島。
 人を怒らせるものは空腹と睡眠不足とストレスである。三つの条件がそろったらおそらくリノは牢屋を破る。つまり、まだ限界には達していないということだ。
「ひとまず眠って散らそうぜ」
 テッドの的確な提案にノエルは根本から無視をした。
「ねえ、テッドは……が好き?」
「へっ?」
 あまりにも突拍子もない質問にテッドは思わず訊きかえした。それがいけなかった。
 ノエルはにかっと笑って、頼みもしないのに持論を展開しはじめた。
「ぼくはね、やっぱり粒あんがいちばんだな。ケヴィンのあんこにはごま油がちょっとだけ入ってるんだ。あれが絶品なんだよ。テッドは食べたこと、ある?」
「……いや……まだ、です……」
「なあんだ! じゃあ帰ったら真っ先に食べてみてよ。ほんとにおいしいから。ほかにもいろいろなまんじゅうがあるよ。あんこだけでもこしあんでしょ、白あんでしょ、黒豆あんでしょ。ちゃんと豆からこだわっているおまんじゅう、テッドも是非経験してみるべきだね。いや、うちの仲間になった以上はもう義務だよ」
「……え、えと……はい」
「あ、ひょっとして甘いのが苦手とか。だいじょうぶ、塩辛いのもあるからさ。定番は豚バラがベースのやつだね。ネギとかニラとかザーサイとか、野菜は仕入れによって変わるけど安定して美味しいよ。精進まんじゅうって言って肉のはいらないのもあるんだ。ベジタリアンが何人か乗ってるから。すっごく気がきくよね、ケヴィンとパムは」
「……さいですか」
「で、テッドはどの餡が好き?」
 邪気のかけらもない瞳が期待という名のブルーに輝いて、テッドを窮地へ追いつめた。
 たかが餡に関する質問を、いまこの場でこういう状況下においてしかもこのおれに投げかけるその真意はなんだ。
 逃げられない。
 一瞬で観念したテッドは愚かにも返答してしまった。
「あ……海鮮以外、なら……」
 傍で聞いていた王様が吹きだすのを見て、しまった、と思うもすでに後の祭。

【三萬】中身が違うッ!

 さて、牢屋は無事に脱出した。経緯は省略するので各自で確かめていただきたい。
 事情をうすうすと知る王のはからいか、オベル船内にテッドは個室を与えられた。狭いがベッドもテーブルも完備した立派な一室である。ここまでしなくてもどこか最下層の倉庫でいいのに、と申し訳なく思ったがラッキーにはちがいないのでもちろん遠慮はしない。
 ついでに鍵があれば完璧なのだが、船内規定に密室つくるべからずという一項目があり、牢屋とトイレと福引き屋の手提げ金庫以外にはただのひとつも錠前は許されていなかった。
 よもやドアに『面会謝絶』と張り紙するわけにもいかず。
 よってお節介な面々はテッドの部屋に入り放題。ノックもなしにいきなりやってくる。とくにリーダー、縦長のストーカー青年、いないあいだに勝手に部屋を改造していくインテリアマニアの女が三大確信犯だ。
 今日も今日とて、リーダーのノエルがほかほかと湯気をたてながらやってきた。
「おまちかね、おまんじゅうの配給だよ」
 いいからリーダーはリーダーらしく、作戦室でふんぞり返ってろ。
 群島生活協同組合のお兄さんみたいな笑顔をはりつけて、まんじゅう配って歩くのは大間違いだ。
「蒸かしたてまんじゅう、人気のあんこは早い者勝ち! テッドが食べたことないっていうからいちばん先に持ってきてやったよ。好きなのを選んで、さあさあ」
 どうして当軍艦のリーダーは、それほどまでにたかがまんじゅうに情熱をそそぐのであろう。彼の宿している罰の紋章は宿主の命を削るというが、ひょっとして削られたぶんをせっせとまんじゅうで補給しているのではあるまいな。
 さあさあ、と迫りくる人物には悔しいが借りがある。
 とりあえずそいつをすべて返済するまでは下手にでておかなくてはなるまい。
 大袋いっぱいのほかほかまんじゅうを、中身などはどうでもよかったが、いちおう相手が満足するように品定めするふりをした。
「ケヴィンマークが絶品の粒あん。赤いポチがあるのが肉まん。皮がひだになっているのが本日のおすすめ白菜ニラまん。黄色っぽいのがベジタブルスパイスまんで、蜜のはみだしてるのが黒糖まん。どれにする?」
「じゃあ……甘すぎるのはにがてだから……おすすめの白菜」
「オッケイ!」
 ノエルはにっこり笑ってまんじゅうを一個、ぱふっと手渡すと、いまにも踊りだすのではないかと思うほどの軽やかな足取りでドアに向かった。
「じゃあ、またあとで感想を聞かせてね。さめないうちにみんなにも配らなきゃ」
 ご退場。
 日頃無口な反動か、まんじゅうの時だけは騒々しいやつである。
 テッドはその後ろ姿を見送って、手に残されたまんじゅうにかぶりついた。
 咀嚼しようとした口がぴたりととまる。
「……?」
 本日のおすすめ、白菜ニラまんじゅう。
 の、はずだった。しかし口中にひろがったのはドコサヘキサエン酸たっぷりの滋養に満ちたあの味。連日大量に水揚げされる、イのつくあの青魚のお味。
 そう、テッドの選んだまんじゅうは正式名称を『白菜ニラ入りイワシミンチまんじゅう』という、中性脂肪さようならの健康まんじゅうであった。
「省略するなー!」
 いい歳して好き嫌いするほうが悪いのであった。

【四萬】半分こ

 と、そこへちょうどよいタイミングであの男がやってきた。
 いつもならば疫病神でしかない彼も、いまこの時だけは救いの神に見えた。
「テッドくん、天気がよいからよかったらいっしょに甲板…に……」
 徹底的な無視を当然のように予測していたアルドは、テッドの眼がぎろりとこちらを向いたので慌ててしまった。しかも率先してしゃべった。あのテッドがだ。
「よく来た」
「えっ」
「食いかけだけど……よかったら、食え」
 差しだされる例のイワシまんじゅう。
 アルドは一気に舞いあがって心臓が爆発しそうになった。
 テッドくんと半分こ。テッドくんのかじったおまんじゅうを半分こ。テッドくんがぼくにおまんじゅうをくれた。テッドくんが以下えんえんと無限回廊。
 この一件がのちのちの悲劇を招く要因の一端を担わないことを祈るばかりである。

【五萬】非常用の食料

 じつは、ノエルがまんじゅうに固執しすぎることは出逢ったその時から薄々と感じていたのあった。
 いまはあまり思い出したくないが、その当時テッドの精神状態は最悪をきわめていた。自分で決めたくせにネチネチと後悔することへのいらだちに加え、慣れぬ身体成長と思考とのギャップにストレス満タンで、いつか松明でそのへんの燃えやすそうなガイコツに放火してやろうとよからぬことばかり考えていた頃である。
 ホストのキャッチみたいな仕事をさせられて、よけいに腐っていた。
 お客が柄のよくない住人に襲われようがピンチに陥ろうが絶対にたすけてやるものかと思った。
 本日のビッグゲストは罰の紋章とその若き宿主である。ついでにおまけが二人。おまけのほうは用事が済んだら勝手にお帰り願えばよい。
 罰の紋章の宿主は、腹のたつやつだった。
 真の紋章に半ば寄生されるようにとり憑かれて間もないのに、事態を達観しているふしがある。もう少しじたばたしてもよいのでは。極端な日和見主義なのか、それとも置かれた立場を把握していないのか。すなわち、大物か大馬鹿者かのどちらかということだ。
 テッドの煽るような質問ものらりくらりとかわす。二重否定の繰り返し。白黒をなかなかつけようとしない。
(いいから、さっさとこっちへ来い)
 いっしょに地獄へ堕ちようよ。
 追いつめられた小動物のような眼を向けたそのときであった。
 衝撃的な光景を見た。
 それをなんと説明したらよいのだろう。歩き食い。いや、そんな巷のガキが裏通りでやるような真似を仮にも真の紋章の宿主が、しかもこんな異世界とつながっている妖しさ満載の船でやるか?
 荒っぽい歓迎で手傷を負ったお客様は、平然とまんじゅうをパクついていた。
「……あの」
「あ、ご心配なく。こぼしたりしないように注意しますから」
 そうじゃなくて。
 テッドは長すぎるローブのすそにつまづきそうになった。鎖がカラランと情けない音をたてる。ノエルはその様子を見て、心配そうにたずねた。
「もしかして、おなかすいてます? 非常用でよろしかったら、食べますか」
 テッドは脱力して「……いいです」と答えるのがせいいっぱいだった。
 結局のところ、対導者戦の最中にひとつ頂戴するはめになったのだが。

【六萬】あげない。

 ふだん何気なく食べているまんじゅうだが、粉からつくるとなるとけっこうな技がいることをテッドははじめて知った。
 粉の選択から水加減、こね具合、包み方に蒸す手際。子供の粘土遊びみたいなものだと高をくくっていたら、できあがったものはどう見積もってもまんじゅうではなかった。
「ま、はじめてならこんなものでしょうね」
 パムのまんじゅうづくり体験講座に無理矢理ひっぱられたのも愉快ではなかったが、手先の器用さには少し自信があったぶんだけ落胆も大きかった。すなわち、テッドの闘志に火がついたのであった。
 次回はまんじゅう屋夫妻が土下座するような絶品まんじゅうをつくってやる。
 次回という言葉が出てきた時点でテッドの負けということには気づいていない。
 厨房のむこうからノエルが鼻をひくつかせてやってきた。霧の船の奥でまんじゅうを蒸かせば容易く陥落だったかもとテッドは思った。
「おいしそうなにおい」
 テッドは自作のまんじゅうもどきを皿ごと脇へのけた。
「ちょうだい」
「あげない」
「どうして」
「失敗作だから、あげない」
 ケヴィンがぷっと吹き出して、テッドをたしなめた。
「どうせちぎってウミネコの餌にでもするつもりなんだろう。ノエルの腹におさめたほうがよっぽど成仏できるぜ、まんじゅうもよ」
「でも」
 処女作を試食するのがノエルという事態がおそろしい。
 ところが、テッドが困惑しているスキにノエルはわきからまんじゅうをかすめとってしまった。なんたる早業。
「あっ、こらっ!」
 叫んだときにはすでに口中。
 テッドの顔が蒼ざめた。これでまた借りがひとつ増えることに。このまんじゅうマニアを激怒させたら、どんなしっぺ返しがくるかもわからない。よもや罰の紋章を発動させたり、なんてことはあるまいな。
 ごくん、と唾を呑んだその直後。
「うまい!」
 私設街全体を席巻する朗々としたその賞賛。
 テッドはあんぐりと口をあけた。意外、というよりそんなはずはなかったので。
 ドライイーストの量をまんまと間違え、しかも誤って床に落とした生地まで生来の貧乏性のサガで練りこんで、でもって練ったのがひと月くらい取り替えていない包帯を巻いた手で、おまけに発酵させすぎてなんだか厭な感じに膨張して、さらに中身は砂糖より塩のほうが多い生煮え小豆だ。飢えたウミネコでさえショックではねのけるかもしれない。
「うまいよ、テッド! もっといっぱいもらっていい?」
「ど、どうぞ」
「ラッキー! 遠慮なくもらっていくね」
 両の手がほんとうにごっそりとつかみとっていく。ポカンとしながら、皿に残ったわずかなまんじゅうをテッドはつまみあげた。ちょっとだけ味見してみたい衝動を抑えきれず。
 かぷ。
 ニチャ。
 まんじゅうにあらざる衝撃的な食感であった。

【七萬】カビちゃった…

 洗面所で念入りに歯磨きをしているテッドに気づき、声をかけてきたのは軍医のユウであった。医務室に担ぎこまれることが意外に多いテッドにとって、ユウはもしかしたらテッドの身体の異常をおぼろげに察しているかもしれない要注意人物のひとりであった。
「虫歯ですか」
 ギクリとして振り向いたときにはすでに構われ体勢に陥っていた。乗組員の健康をあずかる医者たる者、些細なできごとも見逃すまいとにじり寄る。
「い、いえ、ただその、食ったもんが歯の隙間にニチャニチャと……」
「むやみやたらにブラッシングすればよいというものでもありません。医務室へいらっしゃい。検査してさしあげましょう」
「あ、いいいいいえ……も、もう大丈夫だから、そのう」
 ユウはぎろりとテッドを睨んだ。この探るような鋭い視線が苦手なのである。テッドは首をすくめて逃げようとした。
「お待ちなさいこら。さては、なにか隠していますね」
 図星なので動揺が顔に出る。ユウはそれを見逃さなかった。テッドはただでさえ第一級前線要員なのである。わずかの変調も放っておくわけにはいかない。医者の名誉にかけて。
「いきなりお注射しませんからおとなしく来なさい、さあ」
「わあああああああ」
 抵抗むなしく、首根っこをつかまれて医務室に連行される。看護師のキャリーがその様子を見てくすくす笑った。無理矢理診察台に寝かせられる。
「はい、おっきなあーんをして。もっと大きく。顎! 顎下げて! めいっぱい、あーん」
 これほどじろじろと口の中を覗かれたのは初めてだった。
「んっ!?」
 ユウの素っ頓狂な声に心臓が跳ねあがった。なにかバレたか、と身構える。
 しばらく奥歯をじっと凝視していたユウが、どこか呆れ気味に訊いた。
「テッドくん……きみ、いくつ?」
 いきなりそこへ来たか!
 まさか本当のことを言うわけにもいかず、テッドは大ピンチを誤魔化した。
「あっ……じゅ、十……に……じゃなくて、ろ、ろく! あ、ごごごごごご五!」
 十分の一に見積もった数値に自信がもてなくて、なんだかとても気まずさを覚える。
 テッドはすぐに耐えきれなくなってしまった。
「と、歳なんて忘れちゃったよ!」
 開き直ってみた。
 ユウはちょっと首を傾げると、腕組みをしてテッドを観察した。
「仮に、十五……としても、めずらしい人ですねえ、あなた。上あごと下あごの大臼歯が、いまだに生えかけですよ。フム」
「だっ……」
 大臼歯?
「このいちばん奥の歯ね。親知らずを除くと、ここまでの歯はふつう、十二歳くらいまでに生えそろうものなんですよ。それがまだしっかりと出てきていない。どういうことでしょうねえ、これは」
 それは、そのう、いろいろとあらぬ事情がございまして。
 説明できるわけがないのであたふたとするテッドに、さらに詰問するかのように迫る眼。医者としての好奇心。探求心。向上心。テッド百五十歳、万事休す!
「おじゃましまーす!」
 おもむろに救い人が現れた。ノエルだった。
 手には緑色のまんじゅうを持っていた。
 ユウ医師によもぎまんじゅうの配給に来たのであろうか。っていうか、さっき厨房でテッド特製まんじゅうをぱくついたばかりだというのにすでに次のまんじゅうか。
 ひょっとして、さっきので腹痛でも起こして?
 そんなわけがなかった。
「先生、まんじゅうがカビちゃったんですけど、こそげおとしたら食べられますか」
 テッドの頭上に見えないブリキ缶が落ちてきた。
 ユウはノエルの扱いに慣れているのか、まったく動じないそぶりで返答した。
「カビの菌糸は表面だけではなく、内部の深いところまで根をおろしているものなんですよ。カビてしまったらもったいないですが、食べないほうが賢明ですね」
「ああ、そうなんだ。ざんねんだなあ……。ユウ先生、ありがとうございました! あれ、テッドどうしたの、ぐあいでも悪かった?」
 まさしくいまぐあいが悪くなってきたところであった。

【八萬】どれくらい食べるの?

 医務室軟禁から命からがら(大袈裟)逃げだした二日後、オベル船は補給のためミドルポートへ接岸した。酒樽だのマグロの水揚作業用機械だのという戦争にまったく関係のない積み荷を受け取るのに三日ほど要するので、乗務員には自由時間が与えられた。
 自由とはいえ戦時下なので、行動は原則チーム単位となる。チームは使用武器によって分けられる。テッドは弓部隊だ。ところがこのチームはみな一癖も二癖もある連中ばかりで、すなおに連携行動を起こすわけがなかった。
 テッドもご多分に漏れず、しっかり単独で漫遊中であった。ミドルポートは群島有数の商業都市なので、ぶらぶら歩くだけでも退屈はしない。
 喧噪にまぎれていると、張りつめていたものがふっと抜けるような気がする。ひとたび海上に出たら容易に離脱できない戦艦とちがい、大地にはいざというときの逃げ場がある。
 借りを返したら、もうしばらくは海には近づかないようにしよう。波を見ていると余計なことを考えてしまいそうになるから。
 広場に屋台の列を見つけて、そういえば小腹がすいたなとポケットの小銭をたしかめてみた。食事代と宿代はいちおう全乗組員に分配されるので、外出しても困りはしない。
 なんの役にも立たないのに腹も減るし喉も渇く。まったく面倒な身体だ。食べることにあまり興味はないけれど、空腹を満たす必要はあるので義務のように食事はする。
 屋台の一軒がやたら人だかりしていた。有名な店なのだろうか。混雑するところを選べば味に間違いはないけれど、旨い不味いはあまり関係ないテッドにとって列に並ぶのは面倒なだけだった。そのまま素通りしようとする。
 人混みの中心に目をやって、テッドはぎょっとして立ちすくんだ。
「さあ、残りあと五分だよ! 完食できたらタダ! しかも特別賞で屋台街の食事券一万ポッチ分がつくよ!」
 腹の突き出たエプロンオヤジが時計片手にがなりたてる横のテーブルで、もくもくとまんじゅうにかぶりつく人物をテッドはよく知っていた。
 彼の表情はちっとも苦しそうではなく。
 それどころかしあわせいっぱいという顔をして。
 皿のまんじゅうを夢まぼろしのように口中へおさめていく。
「ノ…エ……ル………」
 軍主。そんなところでなにをやっておられるのか。テッドの視線はうつろに張り紙を確認した。それには一瞥しただけで気分が悪くなりそうな内容が記されていた。
『当店自慢の特大あんまん十個を三十分で完食したら豪華賞品』
 豪華賞品より特大あんまんに釣られたのは疑いようがない。
「あと三分! スゲエぜにいちゃん、残りあとひとつだ。さあ、当店初の完食達成なるか、とくとご覧あれ!」
 ご覧あれの前にノエルは赤ん坊の頭ほどもある最後のあんまんを口に押しこんで、満面の笑顔で空っぽの皿を揚々と捧げ持った。そして。
「おかわり!」
 一瞬でお腹も胸もいっぱいになってしまったテッドは、食事を断念して船に戻ることにした。ノエルにみつからないように、こそこそと。

【九萬】お腹いっぱい。

 留守番部隊しか残っていない船は閑散としていて、テッドはめずらしく自室ではなく食堂のテーブルに突っ伏してぐったりとしていた。
 料理長のフンギが見るに見兼ねて声をかけた。
「テッドくん、お疲れのようですね。今日はひまだから、なんかおいしいものでもつくりましょうか」
 テッドは首だけ動かしてフンギを見ると、「トマトジュース、ください」と唸った。
 そんな虚弱さ加減だからすぐ医務室に拉致されるのであるが、本人はそのことに気づいていない。
「ますます痩せちゃうよ」
「いいです……構わないでください……」
 フンギは職業柄、食を甘く見ている人間には説教をしたくなる性分であったので、腕を組んでテーブルの前に立ちはだかった。日頃からしょっちゅう食事を抜くことだけでも問題なのに、こんなに立ちあがれないほどへろへろになってご飯はいらないとはどういう了見か。
 今日こそビシッと言ってきかせないと。
「テッドくん、ご飯食べないと」
「だって、もうお腹いっぱい……」
 フンギは訝しんでテッドを見た。眼の下には隈。過労です、なにも食べてません、フラフラですを絵に描いたようなその姿。
「なにか、外で食べてきたの?」
 疑わしげに訊くフンギにテッドはよわよわと返答した。
「まんじゅうを……十個ほど……ウェップ」
 その数分後に担架で医務室に運ばれ、軽い栄養失調と極度の精神疲労との診断でふたたび軟禁されたのはいわば自業自得ともいえる。

【萬十】NEWまんじゅうの開発

 アルコールは気化すると軽くなって上にのぼるとしても、仮にも戦争中の軍艦に酒の匂いが四六時中充満しているのはどうかとテッドは思ったが口にできず、サロン二階の回廊を息をとめて小走りで駆け抜けた。
「おおい、待ってよテッド! さっきの話だけど」
「い、や、だ!」
 第四甲板通路からずっと追いかけてきたノエルは諦めなかった。事にはまんじゅうがからんでいる。するとこの軍主は途端に饒舌になる。どこか別の場所に真なるまんじゅうの紋章でも貼りついているのではあるまいか。
「ケヴィンの話、聞いたろ? オベル遺跡の地下に究極の食材があるらしいって。行くしかないよ、行くのは義務だよ、ぼくは行くよ、テッドもつきあうよな?」
「だから、どうしておれに頼るんだよ!」
 さっきから何万遍も叫びつづけたセリフをテッドは繰り返した。群島のあしたよりもまんじゅうか? まんじゅうがすべてなのかこいつは!
「借りを返すって宣言したからに決まってるじゃないか!」
 ぐっ、とテッドは呻いた。借り。たしかにそういうこともあったような気がする。だが、しかし。
 願わくば、あす紋章に命を削られるかもしれないという事実を見据え。
 願わくば、群島の行く末がその小さな肩にかかっているという自覚をしっかりと持ち。
 願うべくもないことではあるが、その曇りのない瞳におれが自分自身の運命を託していることを知って欲しいのだ。
「ケヴィンとパムのまんじゅう屋、竜まんじゅうシリーズは当艦隊の悲願であります!」
 頼むから、そっちの方向にスライドさせるな。
 まんじゅうは芸術や博打や釣り以上に近寄るべからず。テッドの心のメモ帳はオベルの浜の潮風に揉まれて日に日にズタボロになりつつあった。






2005-12-10