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恋まん十。

作者注:ここより下の一連のお話は「4主はまんじゅうが大好きv同盟」さまの同盟主旨にのっとり(だからのっとるなって)、配布お題まんじゅうプチお題2『恋まん十。』に果敢に挑戦した結果に御座います。新春役満こたつ返し。
BL要素があるっぽいのはたぶん気のせいだからどーぞご心配なく。


【恋一萬】俺とどっちが大事だ!

 いまのノエルをなんと称したらよいのだろう。
 鬼神?
 いや、それでは鬼に対してあまりにも無礼千万である。鬼はたぶん、戦意を喪失しているモンスターをタコ殴りにはしない。
 一方のカズラーにも言い分というものはあるわけで、彼はべつにまんじゅう泥棒を働こうとしたわけではないのだ。飛んで火に入る夏の虫ではないけれど、おれたちは鴨が葱しょってやってきた、ラッキーな御馳走であったはずで。棲処にずかずかと押しいったこちらに非があるのは間違いない事実で。そうだぜノエル、少し冷静に考えろ。餌はまんじゅうではなく、おれたちだったと思うぜ。
 だがノエルは聞いちゃいない。
 レベルMAXの双剣でボコりつづける。
 なあ、ノエル。うっかり呑みこまれた、おれも悪かったよ。言い訳になるが、体調も実際よくなかった。ぼうっとして周囲に注意を払わなかったおれの過失だ。やばいと思ったときはもう遅かったんだ。
 カズラーの吸引力はハンパじゃない。もう少し温厚なモンスターならオベル艦隊に巨大バキューム要員として推薦する手もあった。そして鬱陶しいあいつとか、水揚げしすぎたイワシとかをガンガンに吸ってもらったらスッキリしたのに。
 胃液に落っこちないように内側のトゲトゲにつかまってこらえているけれど、ヌルヌルしていて正直なところ俺様大ピンチ。こうなったら自力脱出は不可能と諦め、救出部隊を待つしかない。だが、呑みこまれる寸前に聞いた軍主の叫びが否応なしに不安を招きよせた。
 テッド、あぶない!
 ────あたりが妥当な台詞だよな。こういう状況なら。なのに。
「うぉっ、まんじゅう!」
 カズラーのだらしない口腔をとおりぬけながら、おれは虚ろに考えた。まんじゅう。まんじゅうがどうしたって?
 必死に手を伸ばす。謎のトゲトゲに触れた。のどちんこか、それとも悪食がたたってできた胃潰瘍か。この際なんでもいい。ひっつかむ。
 手にあった鞄に気をまわす余裕はなかった。ぽちゃんブクブクという神妙な音をたてて胃酸の海に沈んでいく。
 危なかった。底まですべり落ちたら確実に消化されてあの世行きだった。
 ほっとした瞬間、胃袋が大激震した。
「わっ!」
 手がすべる。咄嗟にとなりのトゲをつかむ。やばい。右側の胃壁に渾身の蹴り。左側にも同様に蹴り。おれは哀れな人間突っ張り棒。言いたかないが、このときほど背丈があと五センチあったらと悔やんだことはなかった。
 揺れる。揺れる。揺れる。胃液がちゃぽんちゃぽんとはね、耳元でシュウと聞こえた。ぞくぞくした。
 おれの命はいままさに風前の灯。これまでの人生が走馬燈のように────巡るヒマもありやしない。ただでさえ人より量が多いのだ。
 カズラーが自らの意志で暴れているのではないと気づいたのは、胃壁を通して伝わってくるあの人の悲痛な叫びが聞き取れたからだ。
「返せ! 返せ! 返せ!」
 スウィング。スウィング。スウィング。すごい。すごいぜノエル、無口でぼうっとしたやつだと思っていたが、いざとなったらやるもんだな。見なおしたよ。だがおいコラちょっと待て。
 おれの脳に閃光を伴って真実が光臨する。
『テッドさん、はいお弁当。みんなのぶんもはいっているから重いけど、よろしくね』
 出てくるときにまんじゅう屋がうやうやしく差しだした鞄。
 おれの身代わりとなって胃酸の海に消えた鞄。
「返せ、もどせ、まんじゅうかえせー!」
 ノエル────もう、遅い。
 無事に帰れたら、お詫びにできたてまんじゅうをおごってやるから。
 ……ていうか、それ以前におまえにひとつ訊きたいことがあるんだが、かまわないか?

【恋二萬】貴方の膝で食べたいな

 知らなかった。
 振り落とされる寸前、蜘蛛の糸のようなものを引っ張った。あれがカズラーのくしゃみ中枢だったなんて、驚きだな。
 なにはともあれ危機一髪で、おれは体外に排出された。まんじゅうがいっしょに出てこなかったのでノエルは呆然としていたが、そのすきにカズラーもすたこら逃げてくれたので、とりあえずはめでたしめでたしだ。
「テッドくん、たいじょうぶだった?」と慌てふためくジュエル。素直でいい子だなキミは。
「あぶなかったなあ。ノエルに感謝しろよ」と見当違いのことをぬかすタル。こいつも悪い意味で素直だ。くたばりやがれ。
「……まんじゅう……」とつぶやくノエル。おまえはもういい。
 それより一刻も早く、このようなモンスターの巣窟とはおさらばしよう。群島にいくつ無人島があるのか知らないが、利用価値を見いだすのは安全を確保してからでも遅くはない。きちんと準備をととのえて出直すのが正解だと思う。
 いや、思った。過去形だ。タイミングよく、まるでなにかの冗談のように展開する事態。
「よっと!」
 前触れもなく、四人の目の前に少女があらわれた。
 なにもない空間からこぼれ落ちるように。片手にロッドを持ち、白と青を基調にした清楚なローブをまとった、髪の長い少女。
 おれはいやな予感がした。湯けむり殺人事件のときも、事のはじまりはこの娘だった。
「みなさま、おつかれさまです!」
「あれ、ビッキー? どしたの?」
 少女はちらっと停泊している船に目をやって、笑顔で言った。
「えっとぉ、リノ様から頼まれて伝言もってきました! モルド島がここから近いので、エレノア様のご提案できゅうきょ、温泉慰労会をすることになったんです。その旨をお伝えしようと」
 ぜんぶ聞く前にジュエルの瞳が疑問に彩られた。
「ってゆーか……船、出航しちゃってるんじゃ」
 停泊している『はず』のオベル艦隊が、ゆっくりと沖へ向かっていく。
 ビッキーはにっこりとほほえんだ。
「みなさまはわたしがモルド島までお送りします! ひとっ飛びですからもしかしてお船の方々よりはやく温泉にはいれるかもしれませんよ」
「……まちがって違う島に送ンなよ」と、おれ。この娘にはおぞましい前科があるのだ。
「だーいじょうぶですよ。たぶん!」
 たぶん、がとてつもなく怖いことを自覚しているのだろうか。おれの予感は、悪いことに関しては当たるのだ(てゆーか、この腐れサイトではそーゆーことになってんだよ)。
「では、みなさま心の準備はいいですか~? いきますよー? ……えいっ!」
 えいっ、とおれもついつられて力んだ。
 空間がぐんにゃりと歪む。派手な色彩が爆ぜる。あれは金ダライ? 招き猫? 柄杓? あり得ないものが宙をぶんぶん舞っているのが見える。
 ぼちゃん。
 おれが落ちたのは、摂氏四十一度(F = 1.8C + 32で変換すると華氏壱百五.八度。そんなことはどうでもいい)の白濁した液体(硫黄、カルシウム、マグネシウムなどを含有する。白濁する要因はおもに硫黄と重炭酸カルシウムであるが、そんなことはさらにどうでもいい)だった。もちろん、精神はパニック状態である。状況を正しく見極めるのにおれとしたことが少々時間を費やした。
 一度ならず二度までも。やりやがったな、小娘。
 たしかに、船の誰よりもはやく温泉にはいることができた。ああ、ひとっ飛びで、な。
 脱衣室を経由してくれたらおもいっきり有り難かったんだがな。
 そして、なあ、また訊いていいか? なんでおまえがからまったままなんだ。気持ちよさそうにだっこされてんじゃねえよ。とっとと、どけよ。
「ぶくぶくぶくごぼごぼごぼごぼ」
 おれはカニよろしく泡を吐きながら、白濁の液体に沈澱していった。水中には浮力というものがあるが、二人分の体重を浮かせるには湯の体積は乏しかった(アルキメデスの原理だ。ほんとにどうでもいいな)。
「おなか、へったな……」
 沈む直前、ノエルはたしかにそうつぶやいた。

【恋三萬】2人で食べると味が違うの

奴 「タルは、どこへ行ったんだろう」
俺 「さあ……女湯じゃねえの」
奴 「それは……少し、問題だね」
俺 「ああ。それよか、問題はべつんとこにあるような気がするんだけど」
奴 「服着たまま、温泉にはいっちゃったこと?」
俺 「それもあるが……それ以前の、だ」
奴 「うん。ぼくも、それは問題だと思う」
俺 「だろ? どう考えても……間違いだよな」
奴 「おもいっきり間違いだね。ここには……ない」
俺 「気づいたか。そうだ。ここには、あるべきものがない。つまり」
奴 「モルド島じゃ、ない」
俺 「ビンゴ。やってくれやがったぜ、小娘が」
奴 「ぼくとテッドと、ふたりだけ間違えちゃったんだ」
俺 「アジなマネをしてくれるぜ。憶えてろ」
奴 「じゃあ、タルやジュエルはいまごろちゃんとモルド島で……」
俺 「だと、いいがな。わかんねーぞ」
奴 「ふたりして、温泉まんじゅう食べてんだ……」
俺 「ああ、ふたりして……温……?」
奴 「……許せない」
俺 「おい、ノエル?」
奴 「こんな……温泉まんじゅうのない小島にぼくたちだけ飛ばして……ビッキー」
俺 「ノ、ノ、ノエル、なんか焦げ臭いぜ」
奴 「めらめらめらめら」
俺 「アチっ! な、なんだ、湯が突沸した」
奴 「テッド」
俺 「な、なに?」
奴 「帰るよ」
俺 「どうやって」
奴 「気合いだよ」
俺 「ムチャクチャだぜ」
奴 「……フッ」
俺 「…………」
奴 「テッド……? どうしたの。なんか顔色が悪いよ。湯当たりしたんじゃないの」
俺 「いや……きのうくらいから、ちょっと、な……」
奴 「テッド? ……テッド! ちょっと、テッド!」
俺 「……う………(ぼちゃん)」
 急展開だぞ。大丈夫か、おれ。

【恋四萬】欲しい物…何だと思う?

 それから先のノエルは、まさに鬼神の如くであった。順を追って説明しよう。
 やつは、まずおれを湯からひっぱりあげた。二人とも濡れ鼠である。岩の上に身体を横たえると、苦しむおれを心配そうにのぞきこんだ。
「テッド? ひょっとして、ずっとチョーシ悪かったんだろう! ったく! 具合悪かったら最初からどうして言わないんだよ。どうして無理するんだよ」
「無理……したわけ、じゃない……けど……イテテ」
 脂汗が目に沁みる。昨夜からどうもムカムカして気持ちが悪いと思ったら、急激に痛くなってきやがった。いままでに経験したことのない痛みだ。おれは身体を丸めて、波のように襲ってくる激痛に耐えた。
「くそっ! 頑張ってくれよ、テッド!」
 さすがのノエルもまんじゅうどころではなくなったらしい。なんとかしようにも、見渡す限り水平線しか見えない離れ小島である。白濁した湯だまり以外、なにもない。よりによって、こんなときに。
「なんとかして、船に気づいてもらうしか……ないか」
 ノエルはぎゅっと左手を握りしめた。おれはそのただならぬ様子に気づいた。
「なに……する、気だ」
「狼煙をあげる」
「ばかなこと……考えンな」
 なにが狼煙だ。単純なやつめ。やろうとしていることなど、お見通しだ。
 させない。
「ばかなことなもんか。これがいちばんいい方法だ」
 ほんのひと筋の迷いもない言い分。だからばかだというのだ。
「そうやって……人のために、大切な命、削るんじゃ……ねーよ」
「じゃあ、どうしろっていうんだよ。このまんま見ていろってのか」
「カンベン……してくれよ。おまえに紋章、発動させたなんてバレたら、リノのおっさんに……ぶちのめされる」
 おれは無理矢理笑ってみせた。冗談ではなく、ノエルに罰の紋章を使わせないためにみな必死になっているのだ。オベル艦にとってどうでもよい存在のおれのせいで、リーダーにもしものことがあったら大事になる。
「でも、テッド、顔が真っ青だ。キツいんだろ。平気なフリ、するなよ」
「るさい。いいからてめえはへらへらとまんじゅうのことでも考えてろ」
 ノエルは唇をきゅっと噛んで、大きな目で睨んだ。
「……わかったよ。でもきみがそれ以上苦しむようだったら、止めても暴れても無駄だからね。もとはといえばきみの不調を見抜けなかったぼくの責任だし、それに、ぼくだってこれしきのことで塵になるつもりはないよ」
「カッコ、つけやがって」
「お互いさまだ」
「百年……早ぇよ」
「フーン。そうか。じゃあ百年待つ。追いついたら、もう文句は言わせないよ。いいね」
 意味がわかって言っているのだろうか。勝手にしろ。すまないが、おれはそれどころじゃない。
 ソウルイーターめ。要らぬ力をくれるくらいなら、中途半端ではなく徹底的にケアをしてくれればよいものを。寒ければ風邪を心配し、怪我をしたら血を止めなければいけない面倒はもう飽き飽きだ。しかもなんだ、今回の異常は。ふざけるにもほどがある。
「テッド、やっぱり熱がある。風呂なんかにはいらなければよかった」
 風呂にはいったのではない。どつき落とされたのだ。
 激しい腹痛、悪寒、嘔吐。黙っていようと思ってもうめき声が勝手に漏れる。ちくしょう、最悪だ。
「テッド。ダメだ。やっぱり、これを使う」
「よせ……やめ……ろ……」
 ノエルはとてつもなくやさしい表情でにっこり笑った。だからやめろって。
「ねえテッド、テッドもその右手に持ってるんだよね。つらいのは、ぼくだけじゃないんだ。ぼくは、テッドと会ってはじめてわかった。どうしてぼくが、こんな運命を背負ったのか。ぼくのすべきことはなんなのか。みんな、わかったような気がする。だからもう迷わないよ」
 なにがどうわかったというんだ。青二才のくせに。ちくしょう、痛すぎて思考が巡らない。
「”罰の紋章”……お願いだ、力を貸して」
 おれはぎりっと歯を噛みしめて、右手をノエルの眼前につきだした。挙げられようとした左手を、つかむ。
「……テッド」
「どうした。やってみろよ」 おれは低く呻いた。「ただし、おまえがそれを発動する前に、”こいつ”がおまえを喰う。こいつの欲しいモノ…何だと思う? 貪欲だから……たぶん遠慮は、しないぜ。狼煙をあげる、より、よっぽど、そっちが、助かる……方法」
「テッド。テッド!」
「いててててててて」
 ノエルは左手を振り切って、わめいた。
「そんな方法があるんだったら先に言えよ! ほら! なにをぐずぐずしてんのさ!」
 ほら、じゃねえっつーの。なにをその気になっているんだ。こっちが恥ずかしくなる。これだけ大騒ぎして、ただの食あたりでしたなんていうオチだったらどうするんだ。
 宙を泳いだ右手を逆につかまれる。
「テッド……ぼくたち、いっしょに帰ろう。ユウ先生に診てもらって、そして、またふたりでケヴィンのまんじゅうを食べよう。だから、こんなところで負けちゃダメだ。テッドがいないと、ぼくは……たぶん、耐えられない」
 なあ、自分でわかってンのかノエル。そいつは愛の告白というやつだ。そんなクサイ台詞は、月夜の海原でもながめながら、女に使え。
 まんじゅうの部分をカットしたら陥落だ。

【恋五萬】まんじゅうの代わりにキスをあげる

 ここでタルとジュエル、うっかりテレポート娘ご一行のゆくえをごく簡単に説明しておく。
 場所はモルド島にあらず、オベル艦の大浴場。まずは、男湯より実況中継だ。
「あれ……あれあれあれ?」
「きゃあああ!(ぼちゃん)」
「オベルのぉ~、浜のぉ~……うわっ、なんだ!」
「なによーっ! アナタ、女なら女湯にはいりなさいよっ!」(オレ注。この声は向かいの部屋のオスカルだ)
 壁一枚隔てた女湯はもっとたいへんなさわぎになっていた。
「あちちちちち!(ぼちゃん)」
「いやぁぁあああ~~っ! 痴漢っ!」(オレ注。ミレイとかいう鼻っぱしが強い女)
「なによーっアンタ! ぶっとばすよっ!」(オレ注。ミレイと仲よさそうな怪力女な)
「うふふふふ……いらっしゃい……」(オレ注。紋章師のボンキュ)
 番頭が采配を振るまでに、どのような修羅場が展開したかは壁新聞に書いてあるとおりなので勝手に参照してくれ。
 テレポートの途中で軍主及び約一名をどこかに落としてきたらしいという話はたちまち艦内に伝わり、一同は慰安旅行どころではなくなった。どこか、とひとことに言っても海は広い。これは一大事。
 当然のごとくビッキーが集中砲火を浴びた。いまはセツが代表して証人喚問を行っている最中である。
「せめて落っことしただいたいの場所が見当つきませんか?」
「ええとぉ……そんなこと言われてもぉ……」
「テレポートするとき、なにか雑念を交えませんでした?」
「そうねえ……モルド島の温泉、ってテレポートしたつもりだったけど……温泉、ってとこにちょっと気合いがはいっちゃったかも」
「それです!」 セツ、断言する。「キーワードは温泉です。心当たりの島をまわってみましょう」
 結果的にこのときのセツの英断がおれの危機を救うことになった。せっかくの慰安旅行をポシャにされたその他大勢の恨みは、行き場を失ったままだったが。
 さて、話を小島に戻そう。
 時間とともにおれはだいぶ弱ってきていた。痛みは少しも治まる気配はないし、体力はすでに限界だった。痛みを我慢するたびに、呼吸が乱れる。ノエルはなんとか意識を保たせようとしきりに話しかけてきたが、おれはもはや応えるのもつらかった。
「ダメだよ、テッド、ちゃんと息、するんだよ」
「はあ、はあ、はあ」
 息をしろだって。それがどんなに困難なことか知っていて言っているのか。ああ、だめだ。強がりすら出てこない。
 ノエルがおれの身体を上向かせた。やめろ、触るな。痛いんだって。ぎゃー。
「落ち着いて……ぼくが手伝ってあげるから、息、吸って」
 手伝う……って、なに、を。ま、さ、か。
 ノエルの端正な顔がそっと近づけられる。そして。
「………………」
 一方、その頃。こちらはオベル艦。
「発見しました! 前方、小島の岩の上です!」
 猛禽類並みの視力を誇る甲板員のニコが、双眼鏡片手に叫んだ。
「ノエルさん補足! 隣にテッドくん補足! 状況は……あ、あれ……?」
 急にどもってしまったニコを、ウェンデルは訝しげに見た。
「どうしたの?」
「せ……せせせせせ」
「……瀬?」
「接吻……してます……」

【恋六萬】頭の中を占める物…

 おれと軍主の名誉のために一応脅迫しておくがな。
 接吻してたなんて噂を流したらただじゃおかないぞ。人工呼吸だ。いいな。

【恋七萬】デートの時のお弁当

 おれは今回も医務室に担ぎこまれた。
 医師のユウは「また、きみですか」と一応はしかめ面をしたけれど、おれの症状を見てもっと面倒な渋面になった。
「どうしてこんなになるまで放っておいたんです」
 言いながら、診察台に寝かせられたおれの腹をぎゅうと押した。
「っ……!!」
 叫びすら出やしない。ていうか失神寸前だ。患者はもっといたわれ、藪医者。
「はい、間違いなく急性虫垂炎です。痩せ我慢するから、見てみなさいよ、腹膜炎を起こしちゃってますよ。笑いごとではなく、これで亡くなる方もいるんですよ」
「へーっ、盲腸ねえ。鬼の霍乱というやつか、はっはっは」
 はっはっはじゃねえぞ、リノ王。こっちはこれからとんでもない試練が待ちかまえているというのに、気楽に笑うな。
「テッド、がんばれよ。治ったらまたおまんじゅうふたりで食べようって約束したよね。ケヴィンに特別のおまんじゅうつくってもらうから、楽しみにしてろよ」
 悪いがおまえとデートするのは金輪際ごめんこうむる、ノエル。
「では、みなさんは外で待っていてください。心配しなくても大丈夫ですよ。テッドくんは、先にお注射しておきましょうね」
「ちゅ……注射?」
 おれはギクリとして、医師の手を見た。キラリと光るいやな器具。
「やっ……それだけは……カンベン」
「なにをだだこねてるんです! 麻酔もなしでお腹切るつもりですか。最初チクリでお終いですから、我慢しなさい我慢。男の子でしょ!」
「やだ! やだやだやだやだ! やーめーろー!」
「ノエルくん、おさえて!」
「わかりました、先生!」
「おっと、おもしろくなってきやがった。オレも手伝うぜ!」
「裏切り者ー! いいか、ちょっとでもクサレ医者に手を貸してみろ、契約はそこで破棄だからな!」
「なにをわけのわからないことを言ってるんです! 諦めてお尻を出しなさい!」
「へへへ、観念するんだな、テッド!」
 背中からガッシリと押さえつけられて、おれはじたばたを封じられた。楽しんでいる。絶対にこいつら楽しんでいる。
 ぶっとい針が脊椎にぐさりとめりこむのがわかった。
「たっ……た、す、け、て」
 懇願しても誰もたすけてくれるわけがない。なんて可哀想なおれ。
 そうしておれは生まれてはじめて内臓をほじくられた。

【恋八萬】満腹したお腹を触る

 十日間の安静を命じられ、病室のいちばん奥のベッドに寝かせられ、もとい、くくりつけられたおれは、お見舞いと称した連日の暴力に身も心も憔悴しきっていた。
 おれはついにネをあげて、看護師のキャリーに訴えた。
「動物園の熊じゃないんだ。見学させるのもたいがいにしてくれ」
「あらやだテッドさんたら、見学だなんて。みなさん心配でお見舞いに来られてるのに」
 心配で、ではないのは誰が見ても一目瞭然である。あいつもそいつもどいつも退屈なだけだ。ぬいぐるみだのジュースだの花だのを手に、ベッドでウンウンと唸っている無愛想なガキを眺めに来るのだ。ざまあみろとか内心思っているに決まってる。まったくひまなやつら。
 そういえば、あれ以来ノエルの姿を見ない。どちらかというとこっちのほうが気にかかる。なにか、あったのだろうか。もしかしてみんな、おれに気づかれないように、隠しているのだろうか。
 ノエルはああいうものを持っているから、いつなんどきとんでもないことが起こるかわからない。その覚悟は、できているはずだ。麻酔されてひっくり返っているあいだによくないことがあって、ノエルが巻きこまれていたら。そんなことが脳裏をよぎって、病室を脱走しようとしたばっかりに拉致監禁の憂き目にあったのだ。
 嘘がすぐ顔に出るアルドが平然としているところを見ると、杞憂だろう。だが、ことある事にまんじゅうを配って歩くノエルの姿が見えないとやはり不安になる。
 おれは無意識に、指でそっと唇に触れてみた。
 やわらかく重ねられた唇。呼吸の手助けになんて言ってたけれど、あれはむしろ、気持ちを落ち着かせようとする行為だった。わかってやったんだろうか。有り体に言って、キス。
 本心がわからない分、苛つく。あいつにはどこか計り知れないところがある。あの蒼い瞳でじっと見つめられると、ドキリとする。なにを考えているんだろう。なにを見ているのだろう。つかみどころがない。
『テッドがいないと、ぼくは……たぶん、耐えられない』
 あれはいったい、どういう意味だったんだ?
 おれは、誰もいらない。誰のそばにいるつもりもない。たとえ真の紋章を持つノエルでもだ。特別は、ない。
 もしもあいつが、おれの存在を求めているというのなら、危険すぎる。あいつだけではなく、おれにとっても命取りになる。
 このままこの船にいることは、正しいのだろうか?
 おれは迷っていた。借りを返すなんていう理由はもちろん口実で、ほんとうは近い未来に訪れるはずの、ノエルの最期をこの目で見たかっただけなのだ。冷酷に、見届けてやるつもりだった。そのおれが、迷っている。
 ノエルに、死ぬな、と叫んでいる。
 ─────ばかばかしい。下手な同情なんかしやがって。迷いは自分の首を絞めるだけだと、痛いほど身にしみているくせに。
 お笑いぐさだ。
 お姫様に口づけされて、その気になって、情にほだされて。
 おれは少しだけ身じろいだ。傷が、痛い。
 やっぱり他人に関わるとロクなことにならない。もうこんなのはやめよう。おれは独りで生きるのが相応しい。誰を不幸にしなくてもすむ。誰の不幸も見なくてすむ。
「テッド!」
 突然だった。とつぜん、飛びこんできたのだ。頬を紅潮させて。嬉しさを満面にたたえながら。
 ノエルは、生きていた。
 手にほかほかと湯気をあげるまんじゅうを抱えて。
「テッド、できたよ! 約束しただろ、いっしょに食べるって。ほら、特製まんじゅう。究極の食材を探し歩いてきたんだよ。ケヴィンとパムとぼくと、試行錯誤してつくったんだ。ようやく、できた!」
「おまえ……いまのいままで、まんじゅうつくってたのか」
 おれは─────開いた口が塞がらなかったが、心のどこかでほっとしていた。これだ。こうしてまた騙されるんだ。この少年に。
 おれは、クックッと笑った。傷が痛くて、死にそうだった。腹を押さえる。いてー。なんてこった。
「まだ、痛い?」
 ノエルは心配そうに、パジャマの上からつついてきた。よせってば。
「ははは、くすぐったい」
「もう大丈夫なんだね、よかったよかった」
「い、痛っ! たたくなよ、ばか!」
 ケラケラと笑いながら、おれは目尻から涙を流した。痛いのはもちろん痛い。けどそれだけじゃない。ほかほかのまんじゅうを見たら、なんだかどうでもよくなってきたのだ。
 こいつにとっては、キスもまんじゅうもみんな「大丈夫」の代名詞か。
 ぼくは、大丈夫だよ。これしきのことで塵になるつもりはないよ。
 テッドも大丈夫だよ。きっときっと大丈夫だよ。
 だからまんじゅうをいっしょに食べよう。
「……うまそうだな」
「うまいさ。最高のまんじゅうだ」
 おれはにやりと笑って手をのばした。そのときだった。
「だめです、テッドさん!」
 病室を反響する静止の叫び。キャリーであった。
「ノエルさんも、患者さんの食事制限中におまんじゅうなんか差しいれないでくださいよーっ!」

【恋九萬】片手にまんじゅう片手に貴方

 いまのノエルをなんと称したらよいのだろう。
 まんじゅう怪人?
 いや、それでは怪人に対してあまりにも無礼千万である。怪人はたぶん、食欲を喪失している一般人にまんじゅうを強要したりはしない。
 一方のおれにも言い分というものはあるわけで、おれはべつに朝食昼食夕食をふつうに摂取できればいいだけで、まんじゅうである必要はまったくないのだ。飛んで火に入る夏の虫ではないけれど、たまたま特製まんじゅうをほめちぎったからといって、ラッキーとばかりにおれだけまんじゅう責めにすることはないと思うし。聖域に迂闊に踏みいったおれにもそれなりの非はあるんだろうけれど。けどノエル、少し冷静に考えろ。世の中の食い物はまんじゅうだけではない。
 だがノエルは聞いちゃいない。
 レベルMAXの笑顔でおれの胃袋をボコりつづける。
 虫垂炎が完治したばかりだというのに、すぐまた医務室送りになる予感がむらむらとする。たのむ、たのむからもうまんじゅうは勘弁してくれ。正直言ってとうぶん見たくないんだ。
 ノエルはにこにことまんじゅうを頬張って、「おいしいってしあわせだね、テッド」な顔をする。よせってば。
 食えることはしあわせだ。それを本気で実感する人間は少ない。腹がへったときにいつでも食い物がそばにあった人間にはわからない。ノエルは、飢えることを知っている。
 ただの食いしん坊ではないからこそ、しあわせそうな笑顔にこちらも顔がゆるむ。
 こいつ、塵と化す日の朝もニコニコとしてまんじゅうを食うんだろうな。
 おれはパンパンにふくらんだ傷つきのおなかをぽんぽんと叩いて、「ごちそうさん」と言った。そうさ、食えないよりはマシだ。ここを出たら、いつかまた満腹になれない日々も必ず来る。
 まんじゅう上等。食って食って食って、なんの役にもたたなくても胃袋は満たされて、明日もまた歩こうという気になる。それでけっこう。
「テッド、作戦室に集合だよ」
「わかってるって。ゲフ」
 ノエルは親指をたてて、ニッと笑う。滅多に笑いやしないこいつの笑顔は、犯罪だ。

【恋萬十】大好きな物!

 大好きな、物?
 そんなのは、ねえよ。
 なにかを大好きだと思った時点でお終いなんだ。物だろうが、人だろうが、同じさ。
 人やモノに縛られたら、おれは歩けなくなる。ほんとうは鞄もいらない。弓と弓矢は、あったほうがいいかな。けれど失ってもどうってことはない。
 右手にすごく重い荷物を持っているから、ほかのものを持つ余裕がないんだ。
 よくこれで旅してきたなと思うぜ。おれ、偉い。誰でもそれなりに捨てられないものってのがあるはずだ。おれは、みんな捨てちまった。
 捨てるものがもうなにもなくなったのに、この身はとてつもなく重い。
 ひきずって歩いてるんだ。重すぎる闇が、からみついて、からみついて、からみついて。
 あるところで、ついに歩けなくなった。一歩も足が進まなかった。ふと気づいたら、そこは断崖絶壁で。海の音が聞こえてきて。
 後ろにも戻ることはできないし、前に進む勇気もない。
 笑うしか、なかったよ。
 そんなとき、ノエルに会った。
 感謝はしている。でも大好きかと聞かれたら、違うと答える。
 言ったろ? 『好きだと思った時点でお終い』だからな。
 相手にとっても、自分にとっても終焉を意味するのさ。終焉というのは、そこから先がもうないということだ。おれは先に行かなければならないし、ノエルだってそう簡単に終わらせるつもりはなかろうし。
 だから、おれはノエルの運命の、目撃者になる。
 この戦い、最後まで傍観するつもりだ。
 そこには感情の入りこむすきはない。
 ノエルだって、わかっている。あいつはおれ以上に、怖いはずだ。怖いくせに、あの蒼い瞳はけして真実から逸れない。意志の強い、力強い瞳だからな。
 まんじゅう食いながら、大丈夫、大丈夫だと、自分に言い聞かせてるんだ。
 ノエル、おまえの瞳に映る世界をおれは見ることができない。ざんねんだけど。
 それは、おまえがおれの見る世界を永遠に知ることができないのと同じだ。
 でも、そういう関係って、けっこう悪くないんじゃないか?
 おれは、そう思うぜ。
 まんじゅうもキスも戯れ言だけど、おれはおまえに出会って、よかったよ。
 そのまま歩けよ。おれもついていくから。
 そして、その最期をこの目に焼きつける。
 おれがその先を歩くためだ─────わかるな?
 弁当にまんじゅう持って。
 よし、行くぞ。




次回「熱烈☆愛まん十。」は裏です。いま探しても見つかりません。ごめん。


2006-01-03