Press "Enter" to skip to content

命の階梯

作者注:このお話は「風花蕭条」の設定を引きずっています。そしてずばり死後ネタです。



 最良の手段であったかと問われると自信はないけれど、それしか考えつくことができなかったのだから、これでよかったのだとテッドは思った。
 なにはともあれ、ルーファスを傷つけることを回避できてよかった。友にはまだ生きていてほしかったから。たくさんの仲間のためにも、彼は生きなくてはいけなかったから。
 おれの分までも。
 だからルーファス、そんなつらそうな顔でおれを見ないでほしい。
 ルーファスの漆黒の瞳から涙がぱたぱたとこぼれ落ちる。解放戦争に足を突っこんでから少し泣き虫になったか。以前のルーファスは滅多なことで涙を流す少年ではなかった。
 おれのすることを許してくれるとうなずいたくせに、めそめそしやがって。子供だな。
 泣くな、と言いたかったが唇が麻痺したように動かない。あたたかいしずくが雨だれのように額に触れる感触はうっすらとわかった。
 たのむから笑ってくれよ、ルーファス。
 せっかく命がけでおまえを守ったのに、泣かれてしまってはこちらの立場がない。
 しょうがない。世話が焼けるやつだな、ほんとうに。
 自分の身体からおびただしい血が流れていることはもはやどうでもよくなっていた。ありがたいことに、苦痛はひと足お先にどこか違う世界に往ってしまったようだ。ルーファスが衣服を朱に染めながらしっかりと支えてくれているのが嬉しくて、後悔や死への恐怖はそのぬくもりの前に完全に屈していた。
 人のすべて死に絶えた未来に、置いてきぼりにされた恨みごとを吐きながら地べたで孤独にのたれ死ぬのだろうと思っていたから。
 身体がどうしようもなく重い。指先はもう動かないし、鼓動もさすがに疲れ果てて役目をさっさと終わらせようと狙っている。かろうじてなんとかなりそうなのは、声帯くらいなものだ。
「げん、き、で、な」
 声は届いただろうか。もはや機会もあるまいというのに、しょうしょう間抜けな台詞に費やしてしまったような気もする。ルーファスの腕に力がこめられたのを、テッドは最後の感触として淡く受けとめた。ああ、伝わったみたいだ。
 願わくば、もうひとつだけ。これだけ、遺させて。
「おれの……ぶんも、生きろよ……」
 言えた。
 時間切れだ、とソウルイーターが閃いた。
 テッドの魂は、永遠にその肉体から切り離された。
 ルーファスの絶叫も届かなかった────

 おじいちゃん、おじいちゃん!
 時を刻んだ肉体から解き放たれた精神は無邪気で奔放であった。
 テッドはふわりと浮いたひとつの小さな光を瞬時に祖父と認識した。姿とは現身を証明するかりそめの形だから、ここでは人の姿をしている必要はない。祖父の姿を懐かしむなら、テッドがそう願えばよいだけの話。願ったとおりに、ほほえんでくれるはずだ。
 時間、距離、長さ、遠さ────そのような数値によってあらわされる概念は未熟な生者のために用意されたものさし。秤にかけることは無意味だといつかは気づく。大人が三輪車を懐かしむときもあるのと同じ。願えばいつでも隔たりを行き来できる。テッドは厳しくもあたたかかった祖父にもう一度触れることを願った。
 光はやさしく形を変え、テッドがひとときも忘れることのできなかったその姿になった。
 祖父はテッドの小さな身体を引き寄せて、慈しみながらその頭をなでた。いまのテッドは幼い子供の姿だった。甘えることを許してもらえなかった子供時代の人格が、いまこそ祖父に抱かれたいと強く願った。だから。
 なにかことばをかけてくれるかと思って待ったが、静かにテッドは気づいた。それでもう満足であった。ことばは重要ではない。いや、この世界にことばはない。
 精神がここへ足を踏みいれたときから、ことばや理屈ではない真実をテッドは受けいれた。と同時に、自分がソウルイーターの司る”世界”で見た誕生と死の循環から、永遠に追放されたことを悟った。
 ソウルイーターはテッドの魂を奪い取り、宿主たるルーファスに新たな力としてそれを与えてしまったのである。
 消費された魂は返されない。これ以上はないほどにわかりやすい理由。
 だが、悲しみはなかった。むしろ、ソウルイーターに選ばれたことを誇らしく思った。いまから自分は真の意味で紋章の守護者となること、そして、ルーファスを見守る光となることを、テッドはほんとうにわずかのあいだに承諾した。
 そこにはたくさんの光が浮遊していた。その多くは無念のうちに魂をかすめ取られ、死者の世界へ往くこともできず、嘆きながら彷徨っているように見えた。そういう光はひどく弱々しく虚ろで、テッドには光の主を識別することすらできなかった。
 テオ様やグレミオさんの光もどこかそのあたりを漂っているのだろうか、ときょろきょろしてみたが、わからなかった。
 いくつかの見覚えのある光が吸い寄せられるように集ってきた。テッドはそのひとつひとつを懐かしむように見渡した。
 悪戯な子猫のようにまとわりつく光があった。ステラ。
 実の姉弟のように育てられ、いずれは人生の伴侶となるはずだった少女の光だ。
 姉さんぶったしぐさも、そのくせ寂しがりやなところもあの日のままだ。光と光はしばらくのあいだ互いをからかうようにつつきあい、存在を確かめあった。会話ではけして成し得ない、愛情の交感であった。
 すぐそばにはステラの母親であるバーバラの光も寄り添っていた。それからエヴァドニ。テッドを実の孫のように慈しんでくれた女性だ。バーバラの相方であるイシュメル。狩猟のリーダーをつとめていた大男グレン。あまり誉められない遊びのイロハを教えてくれたバートラムにいちゃん。それから、それから。
 ぼくは帰ってきたのかな。隠された紋章の村に帰ってきたのかな。
 ────我々はもとより紋章を守護する運命に導かれし一族。
 それもことばではなく、やはり「理解」であった。みな、在るべき場所で光となって、遅れてくるテッドを待っていてくれたのだ。
「ただいま」
 テッドはその気持ちをわざとことばにしてつぶやいてみた。切り離されたばかりの精神はまだこの世界に在るには幼く、皆を苦笑させる。だがテッドはいつだって村の誰よりも幼かったのだ。だからこそ村人は皆、限りない愛情でテッドを迎えた。
 おかえり。お帰りテッド。よくがんばったね。
 テッドももうことばを必要としなくなるだろう。かりそめの姿も、あたたかい腕も。そして涙や笑顔すら。捨てるのではない。いらなくなるのだ。
 姿形を持たぬ階段がある。テッドはひとつずつ上へのぼっていく。いつかのぼりつめたとき、彼は生と死をその光で司る者となる。
 ルーファス。
 おれはいま、ルーファスのすべてがわかる。おれはいつだって、おまえの傍にいる。
 おじいちゃんは三百年のあいだずっとおれの傍にいてくれた。
 おまえはおれに気づくことはないかもしれない。だけどおれはおまえを守り続ける。おまえの魂が地上にあるかぎり永遠に。
 おまえが生と死の循環を巡るときがほんとうのサヨナラだ。
 ここへ来い、とは言わない。おまえには未来を選択する権利があるから。願わくば、その未来を自らの手で断ち切ることはするな。おれが幾度も、そうしようと試みたようなことは。
 約束しよう。おれが傍にいる。
 テッドであった光は強く強く輝いた。それは彷徨う光の粒に真実と勇気を与える導者の輝きであった。






このお話を書いたきっかけをブログで語っていましたが、サーバがお亡くなりになったために現在は閲覧できません。ごめんなさい。

2005-12-02