Press "Enter" to skip to content

きら、きら

 もうすぐ夜明けだ。まだ暗いけれど、わかる。グレッグミンスターの街が静かにざわめいている。
 広場には朝市が立つ。街でいちばんの早起きは、マクドール邸のそばにある石畳の広場だ。
 荷車に乗せられたたくさんの野菜や果物。土の匂いに慣れ親しんだ農夫たちが、笑顔であいさつを交わしている。おはよう。きょうもいい天気になりそうだね。水は心配じゃないかい。作柄はどう。いいのができたよ。そっちもがんばれよ。
 ぼくたちがまだ寝静まっているうちからグレミオは起きだし、白い割烹着をはおってにこにことでかけていく。新鮮なトマトが食卓にのったら坊ちゃんたちは喜ぶでしょう。そんなことを考えているにちがいない。グレミオは人を喜ばせることが好きだ。おいしいといってもらえるのが、朝いちばんのしあわせなのだ。
 ぼくはまだ眠っている。まどろみながら、半分は眠ったふりをしている。いつもはそこに滅多にないいびきがきこえる。ぼくはうれしくなって、くすりと笑う。
 もっと頻繁に、いっしょのベッドで眠れたらいいのに。ふたりで横になるにはちょっと狭いし、夜中に何度か蹴飛ばされるから毎日はごめんだけれど、たまにだったらこんなにも楽しい。
 いい一日になりそうだ。おなかも健康的に減ってきた。棒術の訓練と歴史の勉強が終わったら、森に行こう。きのうテッドに教わって仕掛けた罠に、ウサギがかかっているだろうか。
 でも、もし本当にウサギがいたらどうしよう。どうやって持って帰ろう。グレミオは呆れるだろうな。坊ちゃんがた、こんどは狩りの真似事ですか。でもグレミオのことだから、手にした獲物は無駄にはすまい。シチューの具にするのはかわいそうだ。逃がしてやろうと提案してみようか。ううん、そうしたらこんどはテッドがぜったいに文句をいう。
 じゃあ、ウサギはいないのがいちばんいい。ぼくのへたくそな罠にはひっからなかったね、と笑って済ませられる。そのあとは釣りをしよう。競争してもいい。このあいだ、絶好のポイントを見つけたんだ。テッドはライバルだから、場所は秘密だ。
 テッドはいろいろなことができる。ぼくはなんでも教えてもらう。ぼくはいい生徒なんじゃないかなと思う。自分でいうのもなんだけれど、上達がはやい。魚釣りも素潜りも、テッドと同じくらいか、それよりちょっとはじょうずにできる。
 テッドは躍起になったら、必ず競争したがる。ぼくがめきめきと腕をあげるものだから、すぐに勝負をふっかけてくる。単純明快、テッドはいつでもぼくより上でいたいんだ。だからぼくが勝ってしまうと、テッドはふてくされる。一対一の勝負はそうやって泥沼化し、ケンカの種になる。だけどしかたがない。戦いはいつだって全力投球がぼくの信念だ。手加減したとわかったら、たぶんテッドはもっと怒る。
 毎日をそうやって、わくわくしながら迎える。それってすごいことだ。テッドが来る前は、こうじゃなかった。ぼくはそのときもできのよい生徒ではあったけれど、子どもらしくなくて、無気力だったと思う。カイ師匠がことあるごとに父さんに相談していたくらいだから、だいぶ心配させていたんだろう。
 テッドはそのために連れてこられたんだろうか。ふと、思う。
 ぼくのため。ぼくをもっと元気にするため。道具みたいに、テッドが用意されたんだろうか。
 ちがう。父さんもカイ師匠もそんな姑息なことはしない。テッドだって言っていた。父さんとは偶然知りあったんだって。ぼくがテッドと友だちになる前に、テッドと父さんはすでに友だちだったんだ。
 テッドはすごい。大人に対して、ひとつも臆するところがない。ずけずけと話をするけれど、理路整然としているからどんな大人でも納得させてしまう。ふだんあんなに子どもっぽいのに、肝心なときにはすごく頼りになる。
 ぼくはテッドが大好きだし、尊敬もしている。だけど面と向かってそんなことを告白したら、テッドはきっと図に乗って増長するだろう。手綱をとられるのはとっても悔しい。だから心のなかに秘めておく。テッド、大好きだよ。いつまでもいっしょにいよう。
 勝手口で音がした。グレミオが帰ってきたんだ。じきにパンを焼く匂いがするだろうな。想像しただけでおなかがグウと鳴る。だけど起こしに来るまで胃袋はごまかして、ゆるゆるとまどろんでいよう。短いけれど、最高に気持ちがいい時間だ。ぼくの特権かもしれない。宮仕えをするようになったら、こうはいかないだろうから、いまのうちに存分に甘えておくんだ。
 ああ、太陽がのぼってきた。瞼の奥に感じる。朝いちばんの光を浴びるのが好きだから、カーテンはいつも閉めない。
 きらきらきらと光の粒が躍っている。ぼくは薄く目をあけてみた。
 すぐ横で、テッドの背中が上下している。赤ん坊みたいに俯せになって眠っている。揺さぶったらパンチが飛んでくるかもしれない。
 光の粒がテッドのやわらかい髪の毛にはりついていた。きら、きら。真夏の太陽をいっぱいあびたオレンジのような、ハッチャケ色だ。
 そっと触ってみる。少しだけ引っ張ってみる。指にからめてみる。
 毛布に執着する子どものように、飽きずにいじくりまわす。
 ぐっすり眠っているから、だいじょうぶ。いまはぼくだけのもの。
 テッドはもう、どこにもやらない。この家でずっといっしょに暮らすんだ。大人になったらだれかと結婚するだろうけれど、そうしたらおたがいのお嫁さんを連れてきて、みんなで暮らそう。たくさんの家族。たくさんの笑顔。きっと楽しいだろう。
 未来。未来。考えたこともなかったあしたのこと。
 きのうは今日に、きょうはあしたにつながっていることを気づかせてくれたのは、テッド。
 もちろん時間だけじゃない。人や、できごとや、現象や、命。世界はぜんぶつながっている。関わっている。結ばれている。
 おはようテッド。おはようグレッグミンスター。また一日がはじまる。
 今日はなにをしようか。手をつなごうか。裸足で走ろうか。土の上をころげまわろうか。そしておもいっきり笑おうか。
 ねえ、テッドは、どうしたい?


2006-06-22