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300ポッチの未来

 だから宿屋はやめようって言ったのに。お坊っちゃんめ。
 酒臭い息をふきかけながら宿屋の主人、俺たちふたりを交互にじろじろ睨めつけやがった。
「ひゃくごじゅう~、ポッチ。あー、ひとり分がね」と、俺とルーファスのあいだに小汚い指を這わす。「あんたたちふたりでさん百ゥポッチ」
 俺はキレた。禿げオヤジ、ガキ扱いしやがって。
「もういいです。今日中になんとかレナンカンプに戻りますから」
「無理ィ~だね」主人はケケケと笑った。「虎狼山、モンスター出るよ。夜にあんなとこ歩くのはアブ~ないよ。お金が足りなかったらあとであんたたちの親にもらうからさ」
 てめえのほうがよっぽどアブ~ねえ。
 みなまで聞きもせず、俺はルーファスの腕をひっつかんで玄関を蹴飛ばした。
「テッドってば、すぐ熱くなるんだから」
 ルーファスの呑気さはいまにはじまったことじゃないが、こんなときは八つ当たりくらい構うものかと思う。俺はな、くだらない大人にガキ扱いされてからかわれるのが何より嫌いなんだ。
 多分に足元を見た金額ではあったが(相場はひとり五十ポッチてなもんだろう、禿げオヤジ)、三百ポッチをケチったわけではない。あの主人の言うとおり、ルーファスをひと晩モンスターから守る努力をするくらいならその程度の金は支払って正解だ。けれどな、今日の俺たちは旅人にしちゃあ荷物も持っていないし、同行の大人(見た目がな)がいるわけでもないし、陽が暮れかけてからこんな辺境の宿屋に転がり込むこと自体、一般的には十二分に怪しいんだよ。こんくらいの狭い村だったら家出少年ペアの噂が広まるのもあっというまだ。あんまり、騒ぎにはしたくないんだよな。
 はあ。
 ルーファスに文句のひとつも言おうとして、邪気のない視線に挫かれた。かわりに俺は深い深いため息をひとつついた。
「テッドって、苦労性だね」
 とどめの一撃に俺の頬も弛む。
 こうなったら仕方がない。腹を据えて、野宿の準備でもいたしますか。
 レナンカンプに行きたいと言い出したのはルーファスだった。あいつが言うには、なんでも近々星が大量に飛ぶ天体イベントがあるらしくて(流星群というやつだな)、レナンカンプの図書館で大々的な観天望会をするんだとか。ルーファスにそういう趣味があったなんて初耳だったが、退屈だったんで、つい乗っちまったんだ。
 ハメられたのかもしれないな。
 図書館には何度か行ったことがあったから、苦もなく到着できたんだけれど、俺たちはあまりの人の多さに閉口したよ。まったく、世の中のやつらはそうまでして、星がぶんぶん飛ぶのが観たいってのか? まあ、他人のことは言えないけれど。
 ルーファスは正門もくぐらないうちに大あくびをはじめて、山のほうを見ながらぼんやりと言ったんだっけな。
「サラディまで登れば空気もきれいだし、星もよく見えるんだろうなあ」
 今だからこそ思うけれど、こいつはじめからそのつもりだったんじゃないのか。
 にたっ、と笑われると、俺はどうしようもなく共犯者の気持ちになる。あとでグレミオさんにこっぴどく叱られるのは目に見えているが、サラディという聞き知らぬ地名に俺の好奇心が勝ったのも事実だ。弁解はすまい。ただひとこと教えといてほしかったよな、ルーファス。サラディがこんな奥深い山奥のそのまた奥ってことくらいはさ。
 最初からそのつもりだったら弓もきちんと手入れしておいたろうし、野宿用の道具も持ってきたのに。ルーファスはそのへんいつも行き当たりばったりなんだ。
「わくわくするね、テッド」
 手頃な木の洞を見つけて小枝を敷き詰めながら、俺は素直にうなずいた。ほんとうだ。野宿をするなんて何ヶ月ぶりだろう。
 野宿なんて呆れるくらい繰り返してきたのに、楽しいなどと感じることはなかった。星の下で眠る夜、いつも寂しくてたまらなかった。ぐっすりなんて眠られるはずもなく、疲労とともに朝を迎えることのほうが多かった。また朝が来てしまったことがよけいにつらくて。
 けして、わくわくするなどという行為ではなかったはずなのに。
 ルーファスがいるからか。ともに朝を迎える人間が。
 俺はふいに悲しくなった。朝を迎えるたびに、ルーファスは少しずつ時間を経る。だが俺は止まったままだ。毎日すこしずつだが、朝が来るたびにその距離は離されていくのだ。いつかほんの近い未来に、その差は決定的なものになるはずだった。
(未来、か)
 俺にとってはひどく曖昧な言葉だった。
 できあがった洞に歓声をあげると、ルーファスは我先にもぐりこんで俺に手招きした。まったく、無邪気なもんだぜ。人の気も知らないで。
「あったかいね、テッド」
 ルーファスはぴったりと俺に肩を寄せてコートにくるまった。幸い風も穏やかなので、凍えることはないだろう。モンスターの気配もいまのところ感じられない。
 俺は首を空に向けた。星がまたたいている。グレッグミンスターで見る夜空とはぜんぜん違う。はるか昔にどこか船の上で見た星空を思い出した。あのときも宝石箱をひっくり返したような星空だったっけ。
 星は何万年もかけてこの地上に光を送ってきているらしい。途方もなく長い旅路だ。そんな旅をしてやっとここにたどり着いたのに、見守ってくれる人なんて誰もいない。
 星が流れはじめるまでまだだいぶ時間があった。ルーファスは少しのあいだ星について語っていたけれど、おとなしくなったなと思ったらもう寝息をたてはじめていた。
 たしかに、こいつがそばにいるだけで、こんなにもあったかい。
 だからこそ、俺は未来を決めるべきなんだ。もうすぐ。もうまもなく。
 まあ、それは星が流れるのを見てからでも遅くはないさ。


2004-11-24