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#38【予定調和】

 首脳陣の居室は操舵室にもっとも近い第一甲板にある。このフロアの明るさたるや、吃水線ギリギリに位置する窓のないテッドの部屋とは比べものにならない。
 軍主は開放的な雰囲気を好む人柄だったため、一般の乗務員や民間人たちも全フロアを自由に行き交うことができるように配慮されていた。ノエルのために用意された特別室はいつも訪問者でいっぱいで、にぎやかだ。
 中立で聞き上手なリーダーはみなに好かれ、熱烈なとりまきも多い。呪われた紋章を宿しているという暗い噂に恐怖する者は、そもそもこの船に乗ってはいないだろうから。
 だが、今日はさすがにいつもと雰囲気がちがった。
 燃えさかりながら特攻してくるクールークの私掠艦隊から仲間を守るため、紋章の力を解放したノエル。とっさの判断は功を奏したが、その代償として彼はいま、自分のベッドで忌まわしき闇と戦っているはずであった。
 部屋のドアはかたく閉ざされ、その周囲で大勢が心配そうに口をつぐんでいる。容態はあまりよくないのだろう。ラズリルの若者たちの姿が見えないのは、枕元でつきそっているからだろうか。
 軍師エレノアに対する非難の声もひそやかにきこえてきた。
 テッドは興味のないふりをして、聞き耳をたてた。
 ――エレノアは罰の紋章を最終的な切り札としか思っていないのではないか。だからノエルをリーダーとしてまつりあげ、つねに手元に置くのではないか。赤月帝国のシルバーバーグ家といえば名だたる軍師を輩出してきた名門中の名門であるが、どうやらエレノアはそこでの地位を追われたらしい。彼女のやりかたは最低の人道にすらそむいたもので、生きた人間を駒としてしか扱わないのだから当然だ――
 根拠に欠けた悪口であっても、口から口へひろまれば正しい歴史として記録に残りうる。
 彼らがノエルの身を案じて言っていることは、テッドにも理解できる。だが全責任をエレノアになすりつけるのは見当違いだ。彼女がやれと叫ばなくても、ノエルはおそらく、みずからの意志で同じことをしたであろう。
 軍師の部屋もしずまりかえって、ことりとも物音がしなかった。いつも金魚のウンコのようにくっついている弟子の女の子も姿がみえない。
 ノエルが目を覚まし、ふたたび立ちあがらなければ、この異様な雰囲気は払拭されまい。
 彼がエレノアの隣で笑みをうかべるだけでいいのだ。それで士気はあがる。来たるべく決戦の日を目前にして、必要なのは軍師の復権と、リーダーの掲げる決意。ノエルでなければだめなのだ。ほかの者はたとえリノ王であっても、かわりにはなれない。
 テッドにとって、勝敗のゆくえはどうでもいい。ただしクールークへの屈服は、己の生死をも危うくしかねない。みずから望んで関わりをもったその日から、テッドは部外者ではなくなった。勝利のみしか選択肢がない。戦争とはそういうものだ。
 ノエルはおそらく、まだ大丈夫。ただし、次はないだろう。
 ひとたび関わった以上、その行方を見届けずに逃げることはありえない。離脱するならばなんらかの結論を導いてからだ。でないと、自分はまただめになる。
 テッドの頭には、もはやノエルのことしかなかった。
 長い人生のなかで、はじめて出会った真の紋章の宿主。
 どうして自分だけが、という思いにテッドはずっと苦しめられてきた。人として生きるという平凡でささやかなしあわせを、真の紋章はテッドから奪いとった。その力を望んだわけでもないのに、テッドはただ、祖父から遺志を託されただけなのに。
 だから、テッドはノエルにたずねたのだ。どうして自分だけが。そう思わないか、と。
 ノエルは半分肯定し、残りの半分を真剣な顔で否定した。
 ぼくはまだ諦めたわけではない。蒼い瞳がそう語り、テッドをじっとみつめた。
 いたたまれなかった。現実を受けとめきれていないから、そんな楽観的なことが言えるのだ。泰然とした態度にもいらだったし、彼のそばにつねに理解者がいることも気にくわなかった。
 ノエルには希望があるのだろうと思う。紋章の呪いを克服できるのではないかという、子どもじみた希望が。だからこそ蒼の瞳は未来のみを向く。そして人の世にとどまることを願う。しかし、いつかは彼もきっとそれが儚い望みであることを知る。
 世界を司る”もの”はつねに最善を選ぶ。最善とは平和と同義語ではない。テッドが真の紋章をとおしてほんのわずかかいま見た、未来とおぼしき光景は少なくとも平和とはかけ離れていた。色彩を喪ったその世界は、いわば無に等しいものであった。けれどテッドは夢にたゆたいながらそれをスルリと了承した。
 これが大いなる意志によって仕組まれた調和なのだ。あらがうのは無駄。生と死を司る紋章、ソウルイーターも複数存在するモナドのひとつであり、それの向かうべきところ、さらには結末もあらかじめ定められているのだ。ならば人は従うしかない。
 ノエルの運命も、テッドの運命も仕組まれたとおりに推移している。通過地点は平行していくつか存在しても、ベクトルは同一。
 ノエルの最期を目撃することで、テッドは己に用意された結末を確かめるつもりだ。
 罰とソウルイーターはまったく別個のモナドだが、ひどく似かよっている。おそらくは27個あるという真のすべてに共通するなにかだろう。互いを知らず、関係をもたない――だが27の真の紋章は同胞だ。すなわちノエルの至る未来は、テッドのそれとまったく同じか、あるいは鏡に映したように似かよったものにちがいないのだ。
 罰の紋章の、宿主に与える試練のサイクルはとても短い。ノエルも時を待たずに人の世に存在できなくなるだろう。死後も魂は紋章に囚われるのか、あるいは赦されて苦しみから永久に解放されるのか、それはテッドにもわからない。
 ただし、罰の紋章は償いと赦しを司る。紋章にはかならず表と裏がある。おそらくは、ソウルイーターにも。
 償いの先には、赦しがある。
 死の先には、生がある。
 混沌と秩序が永遠の闘争をくりひろげながら互いにバランスをとるように、27の真の紋章もまた。
 ノエルの死が見たい。テッドはそれを、飢えるほどに望んでいた。
 仲間とともに見守りながら、そのなかでただひとり、少年の残酷な末期を望み、祈る。
 どうぞ、消滅する彼の姿をこの目で。予定された己の未来を、受けいれることのできるように。けして恐れることのないように。二度とそこから逃げることのないように。
 それができたなら、こんどこそテッドは、迷うまい。


初出 2007-05-20 再掲 2007-07-09