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#42【黒の組織との攻防】

 気のせいだろうか。決戦を前にかの軍主は、なんだかいつもより嬉しそうに見えた。
 テッドは武器を正眼に構えて、今回のバトルフィールド、第四甲板の薄暗闇と対峙した。
 緊張で額を汗がつたう。敵はどこにひそんでいるかわからないし、なんといっても行動が速い。気取られたらこちらの負けだ。
 ノエルは武器を両手に構えていた。双剣使いの彼は右手も左手も器用に動く。箸だって右手でも左手でも使える。まあそんなことはどうだっていい。
 敵が第四甲板に出没するようになったのは、雨季に入って湿度が高まったからだと思われる。真上にもろ飲食街があることも要因のひとつだ。食糧は豊富で環境も抜群とくれば活動的になるのも無理はない。敵はおそらく船内のいたるところに巣を作り、ものすごい勢いで繁殖していると考えられる。
 適度な湿気、豊富な食べ物、無数の隠れ家。なるほど条件が揃いすぎている。どこぞの港で密航を謀った一軍が生殖活動にいそしんだ結果にちがいない。
「どうして他の人には秘密、って?」
 おもむろにノエルが訊いた。
「こんなことでおれが目安箱に手紙を書いたと思われるのがいやだからだ」
 テッドの返答は簡潔かつ棒読みだった。
「ぼくを誘ったのは?」
「リーダーは船内の問題をきちんと把握していないとだめだろう」
 格好つけて答えたがこれは嘘である。テッドはエネミーGBが大嫌いだった。ひとりで立ち向かうのが怖かったのだ。
 いままで遭遇しても必死で見ぬふりをしてきたが、昨夜の事件でついに張りつめた糸が切れた。
 忘れもしない。テッドは夜中に尿意をもよおして、トイレに立った。船内のトイレは共同で、各甲板に男女別でひとつずつある。靴を履くのが面倒なので裸足で向かったのがそもそもの過ちであった。
 トイレ用のスリッパに足をつっこんだ。
 ヌチ。
 刹那、すさまじい戦慄が脳天からつま先まで駆け抜けた。
 この感触は――!
 間違いない。だが、認めたくない。しかし、このままではいられない。
 悲鳴をあげなかっただけ誉めて欲しい。
 テッドはおそるおそるスリッパから足を引き抜き、足の裏をそーっと見た。
 確かめるまでもない。ハラワタの飛び出たエネミーGBが潰れているのはわかっていた。だが。だが――
(○×△□※¥&%$#……!)
 おしっこをするのも忘れ、テッドは手洗いに足を突っ込んで水をざばざばとぶっかけた。
 ああ、あんな不様な姿を他の乗員に見られなくてよかった。
「よし、行くよ」
 ノエルが両手の武器をパンと威勢よくあわせた。
 テッドも息を呑み、薄暗闇に視線を這わす。
 人海戦術だけで一掃できるとは思えない。いざというときのためにテッドは化学兵器も用意してきた。これを通路に仕掛けていく。用意周到(※自画自賛)。
 H3BO3は無口な船大工が分けてくれたらしい。茹でたじゃがいもはフンギの店からこっそり拝借してきたのだろう。自室で黙々と団子を練るテッドを想像してノエルは思わず吹き出しかけたが、例のアレで裁かれかねないので自制した。エネミーGBに執着する彼の意外な一面を仲間が知ったらきっと楽しいだろうな、といらぬことを考える。
「フフフ、俺様特製のゴージャスホウ酸団子をたっぷり食らえ!」
 やはりコイツ(※テッド)の人格は見せかけである。ノエルは確信した。これからもっと楽しくなりそうだ。彼を仲間にしてよかった。
 その時である。
 右の壁面でエネミーの影が動いた。
「てやっ!」
 パーン。
 気配を察知するやいなや、ノエルの右手の武器がターゲットをとらえた。
 なんという動体視力。
 だが戦果を確認している暇もなく、今度は左でカサカサと気配がした。
「とうっ!」
 テッドの放った一撃はエネミーGBにヒットしたはずだったが、敵は床にこそ落ちはしたもののヨタヨタと歩きはじめてしまった。しぶとい。
「だからハエタタキはダメなんだよ。ゴキブリには古今東西、これと決まっている」
 ノエルは誇らしげに、両手のスリッパをパンとあわせた。
 たしかに一理ある。ハエタタキはいささか弾性が強すぎる。変形しやすく元に戻りやすい、すなわち力が逃げやすい。対するスリッパは真上からぶっ叩くという性質において垂直応力が効率的に働く。武器としての効力はあきらかにスリッパの勝ちだ。
 武器の選択に一抹の敗北感を覚えつつ、瀕死のエネミーの息を止めるテッドであった。
 ノエルが用意した袋にはエネミーGBの死骸がたまっていった。
「それにしても、ほんとにいっぱいいるね。発生源はどこなのかなあ」
「そんなの、上の食い物屋にきまってんだろ」
「しっ。迂闊なこというと営業妨害になっちゃうよ。風評被害がひろまる前になんとかしなくちゃ」
「なんとかって……」
 ノエルはにやりと笑った。ちょっと悪魔のような顔だった。
「ねえ、テッド? きみの紋章は敵の体力を奪ったりできるんだったよね……?」
 テッドはうなずきかけて、次の瞬間、コチンと固まった。
 悪魔の提案はなおも続く。
「だったらしばらくのあいだ、船内をパトロールして、やつらを見つけたらその紋章で」
「ご、ごっ、ごっ、」
 テッドは一瞬だけ紅潮したのち、真っ青になった。
「ゴキブリの魂なんかいらねえ! ぜってー食いたくねえ!」
「唐揚げにして食べたら旨いって聞いたけど」
「おれはそんな奇人変人じゃないの! とにかくだめ! ゴキブリだけは論外!」
 ノエルはクッと顔を近づけて、婉然と微笑んだ。
「……軍主命令でも?」
 卑怯スキルはノエルのほうが確実に上である。
 揉める人間たちを尻目に、黒の組織は今宵も悠々とナワバリを徘徊するのであった。
 古生代から生き続けている彼らがスリッパやハエタタキや毒団子や魂喰ごときで絶滅するはずもないことを、掃討隊のふたりは知るよしもない。


初出 2009-07-07 再掲 2012-04-07