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#43【ある夜のこと】

 風、だろうか。
 顔をあげる。けわしい表情。音のした戸をにらむ。
 コン、コン。たしかに、小さく、二度鳴った。
 こんな夜更けにたずねてくる客など、いるはずもない。
 本を伏せ、椅子を立つ。足音をたてないようにそっと戸に近づく。もちろん、急に開けたりはしない。それはあまりにも不用心だ。追われている身。好まざる訪問者は時間を選ばない。
「どちらさま」
 木の板のむこうに問いかける。
 しょぼくれた返事が返ってきた。
「ぼく……へんな時間に、ごめん」
 テッドは鍵を壊さんばかりの勢いでがっと戸を開けた。
「わけはあとできくから、とにかくなかに入れ!」
 部屋着のまま防寒具もつけず、雪だるまになっている友人をひっつかみ、戸を乱暴にバタンと閉めた。おっと、鍵をかけるのを忘れずに。このところ、グレッグミンスターの治安はあまりよくないのだ。
「なにやってんだよ、ばか。冷えちまってるじゃねえか。ああ、いま暖炉を……」
 凍え死なないかぎり火はいらない。それがテッドの方針である。この家に住みはじめて、暖炉に火をくべるのはこの友人がくるときだけだ。
「暖まるまで、ベッドで毛布をかぶってろ」
「ごめん」
「謝るな、ばか」
「うん、ごめん」
 とんだ坊ちゃんだ。家出してきたのだろうか。それにしても、よっぽど急いでいたらしい。大切な棍も、鞄すらも持っていない。
 無言。こういうときは相手が口をひらくまで、待ってやればいい。問いただすのは大きなお世話というものだ。
 ぱちぱちと火が爆ぜる。ぽうっとそこだけがぬくもった。家をあたためるためにはもう少し時間がかかるだろう。
 いましがた沸かした湯が余っている。まだそれほど冷めてはいない。テーブルにひとつだけ伏せてあるカップをとって、茶葉をぶちこむ。お坊ちゃんの家ではティーポットと茶こしを使うのだろうが、ここにはあいにくそんな贅沢なものはない。道具は最小で。どうせすぐに必要がなくなるのだから。
「ほら」
「ありがとう」
「ベッドにこぼすな」
「うん」
 ルーファスはカップに口をつけて、「熱っ」と顔をしかめた。
 湯気でぼやけた表情は暗い。
「ごめんねテッド」
「謝るなっていっただろうが。鬱陶しい」
「子どもみたいだね。テッドのうちに逃げこんだりして」
 友人は自嘲の笑みをうかべた。
「なんかあったのか」
「グレミオが、あんまりいろいろいうから、かっとなって」
「ケンカしたんだな。懲りないなあ、おまえら」
「テッドのうちにいく、きょうは帰らないから、っていったんだ」
「ふん?」
「グレミオは、何時だと思ってるんですか、テッドくんに迷惑かけちゃいけませんって」
 それは真っ当な御意見だと思うが。テッドはあごをぽりぽりと掻いた。
「そしたらクレオが、すごい剣幕で怒った」
「はあ?」
 ルーファスはうつむいていた顔をあげた。
「迷惑とはなんだ、テッドくんは他人じゃないんだよ、たまたま分かれて住んでいるだけで、うちの家族だ、グレミオは坊ちゃんを溺愛しすぎだ、まわりが見えていない、どうしてもっと信じてやらないのか、家族なのに、って」
 家族。テッドはぐらりとした。
 テッドも家族だよ。そういわれたことは幾度もある。
 家族ごっこは得意だ。あれは、ちょっとしたおふざけだ。気づかれない程度に、しっかり距離をおいている。邪気のない人たちに災禍がふりかからないように。
 でも。
「クレオがあんなに怒るのを、はじめて見た。怖くて、悲しくて……ぼくのせいだ、って思って」
 飛び出してきたのか。
「あー、だいたいのことはわかった。で、おまえはどうしたい?」
「ぼくのせいでケンカしないでほしい」
 テッドはぷっとふきだした。それはだいじょうぶだ。たぶん。
 テッドは並んでベッドに座った。友人の身体にそっと触れてみる。冷たい。
 マクドールの屋敷からここまでは、ほんの五分もかからない。どれだけのあいだ、家の前で立ちすくんでいたのやら。
 しょうがないな。
 ちょっとだけ見逃してくれよ、ソウルイーター。
 テッドは凍えた身体をぎゅっと抱きしめた。
 耳許でささやく。
「ケンカしたんじゃない。グレミオさんもクレオさんも、おれたちのことを思って熱くなっちまったんだ。いまごろちゃんと仲直りしてる。心配ないから」
「でも」
「でも、なんだ? じゃなかったら、グレミオさんがとっくにおまえを連れ戻しにきてるはずじゃないか。居る場所はわかってるんだし。そんな格好で雪んなかに飛び出して、あのグレミオさんが慌てないとでも?」
 ルーファスは薄くほほえんだ。
「だろ。冷静に考えたら、安心できる。だいじょうぶ、グレミオさんはおれのこともまんべんなく信頼してくれてるから。ただ、おまえを溺愛しすぎという意見にはおれも、賛成だな。坊ちゃん、すみませんでした坊ちゃん、とかいいながらぐるぐるしてるぜ。くっくっく」
「目に見えるようだね」
「いつまでも保護者じゃいられないってこと、グレミオさんも気づいてると思う。だけど、帰ったらきちんと謝っておけよ。クレオさんにも」
「うん、わかった」
 そっと離れ、ぽんぽんと肩を叩いた。ルーファスはまっすぐにテッドを見て、こんどこそ彼らしい笑顔を見せた。
「暖炉のそばにいこう」
「そうだね」
 ふたりは手と手をとった。


初出 2012-05-10 再掲 2012-10-26