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#32【※※※売りの少年】

※12禁?(笑)

 むかぁし、昔の、大昔。
「ぶぇっくしょい!」
 路地裏に下品なくしゃみがとどろいた。日はとっぷりと暮れ、こんこんと雪が降っていた。今宵は大晦日、誰も彼もが浮かれ気分で大金を落とす経済効果ばつぐんの夜に、この冬いちばんの寒波襲来とはなんたる不運。
「くしょっ、へっぶしっ、ずるずるずる」
 みすぼらしいなりをしたひとりの少年が、袖口で青っ鼻を拭いた。気の毒に、袖も鼻の下も鼻汁でかぴかぴだ。ちり紙などという文化的な消耗品は少年には無縁なようであった。
 収穫ゼロで戻るわけにもいかないし、客が見つからなくてもとにかく足踏みしていないと靴底が凍って地面に根を下ろしそうになる。まったく、なんの因果でこんなこと。
 さっきからそれっぽい通行人に声をかけてみてはいるのだけれど、交渉に応じてくれる精力旺盛な好きモノは現れず。ただでさえ人通りが少ないのに、そっちの人種はいったいどこへ消えた。デートか。はたまた冬眠か?
 オレもとっととどこぞの屋内にシケこみたい。
 少年はだんだん腹がたってきた。と同時に空腹感も襲ってきた。考えてみたら今朝からなにも食べていないのだ。上客をつかまえて王様食いするつもりだったのに、あてがはずれた。
 少年の上に雪が降りつもった。まるで雪だるまさながらであった。誰かひとりくらい哀れな子猫を同情して拾ってくれてもよさそうなものを。ああ、世間のなんたる非情なことか。
 家々はあかあかと灯りがともっていて、しあわせな笑い声もきこえた。おいしそうな匂いがただよってくる。年越しのごちそうをつくっているにちがいない。ありつけないとわかっていてもせめて匂いだけでもと思いたくなる。それくらいご相伴にあずかってもばちはあたるまい。
 少年は照り焼きチキンの匂いにさそわれてふらふらとよろめき、民家の壁にごちんと頭をぶつけた。衝撃で屋根からどさどさと雪が落ちてくる。
 プチ雪崩の洗礼を受けてすっかりいじけてしまった少年は、ついに地べたに座りこんだ。
 地べたといっても圧雪である。氷の上にいるようなものだ。
 なまじ元気に歩いているよりもヒヨヒヨと行き倒れてみせたほうが、拾われる確率も高いような気がした。けれどもこの手口はせいぜい一時間が限界だ。下手をしたら真剣に凍死しかねない。こんなところでくたばるなんてまっぴらごめんだ。
 ねぐらに帰ろうにも、稼いでから帰ってこいと叩き出されるのがオチ。道端もねぐらも寒いのにかわりはない。ならば非人道的な暴力で攻められるよりも、人っこひとりいない野外のほうが数倍マシである。
 人質さえとられていなければ(もとの持ち主の名を冠したその弓は、少年にとって相棒に等しいものだった)こんなところ、すぐにでも逃げ出してやるのに!
 頭は湯を沸かせそうなほどシュンシュンと火照っているのに、手足は氷のようだ。暖まる手段はひとつだけ。それだけは金を払ってくれる知らない人間しだいである。成金が泊まる豪勢な宿屋に連れこまれることもあるし、廃屋のときもある。さすがにこの時期、外で済ませようという酔狂な者はいない。寒くなければ、どこであろうとべつに文句は言わない。
「あー、だれでもいいからあっためてくれ~」
 少年は朦朧としながらつぶやいた。いつもはいやなお仕事でも、きょうだけは当たれば天国。スペシャル大サービスで至上の天国にご案内してやってもいいのに。
 もやもやと大人の妄想にひたっていると(いまさら説明するまでもないだろうが、少年は精神上はりっぱに大人であった)、雪がぽうっとほのかに輝いた。
 少年は驚いて目を見開いた。まばたきひとつのあいだに、もうひとりの少年がそこに立っていたのだ。この寒いのに膝小僧を丸出しにして、上着も思いきり夏仕様。少年はその蒼い瞳にものすごく見覚えがあった。
「の、ノエル! なんでこんなとこに……」
 それは百年以上も昔に死に別れたはずの、群島諸国の英雄であった。
「テッド、元気そうだね。よかった」
「え、あ、ああ、さんきゅ……ってそれどころじゃねえよ、おまえいったい!」
 叫んだ瞬間、幻はやわらかい笑みを残してかき消えた。
「あ……」
 少年は信じられないという顔をして、目をごしごしとこすった。何度まばたいても、戦友の姿はもうなかった。
「夢、見ちまったのかな」
 少年は首をぶんぶんと振って、次に頬っぺたを真っ赤になるほどぺちぺちと革手袋で叩いた。眠ってはまちがいなくあの世いきである。ノエルの幻はひょっとしたらお迎えのシグナルかもしれない。あぶない、あぶない。
 ところが事態はそれだけにとどまらなかった。
 急に脳味噌がシェイクされるような奇妙な感覚に襲われた少年は、あんぐりと口をひらいた。
 夢や幻にしてはちょいとばかり威勢がよすぎる。少年は知らぬ間にどこかの室内にいた。
 テーブルの上にはイワシの塩焼き。焼きたてらしくほかほかと湯気をあげている。だがそれは少年がこの世でいちばん見たくない最低メニュー。食って食えないわけではないのだが、これに関してはいわゆるトラウマというやつである。しかもその数、ゆうに百人前はあった。
 ぶるっと身をふるわせたとたんに、イワシは匂いも残さずかき消えた。少年は残念なようなほっとしたような微妙な気分に陥った。
「いよいよおかしくなってしまったんだろうか」
 更年期障害、という単語がちらりと頭をかすめたが、そんなはずはない。いままでもこの程度の精神的お病気は何度も克服してきている。気をしっかりもてばだいじょうぶ。
 ……と自分にいい聞かせたそのそばから、物語は急転直下した。謎のイワシパーティといれかわるようにあらわれたのは、やばそうな雰囲気のモンスターであった。なぜか電飾だの星飾りだのスノーマンだのをいっぱいにちりばめた、おしゃれなゴーストツリーである。
 少年は戦闘態勢をとろうとしたが、凍えた手足はうまいこと機能せず、ぶざまにつんのめった。おまけに武器は親玉に没収されている。まさか町なかでモンスターと遭遇するなど考えもせず、ナイフの一本も携帯していなかったのだ。
「ヤバっ……」
 最後の手段、右手に宿した紋章を発動させようと身構えたとき、黒い影が少年の前に立ちはだかった。
「流星雨!」
 全身黒ずくめの女性は、ローブからのびた華奢な両手を天にかざしてそう唱えた。まばゆい光が雨のように降ってくる。少年はあまりのまぶしさに目が眩んだ。
 女性の放ったのは何らかの紋章らしかった。しかもとてつもなく強大な。一撃でゴーストツリーをひれ伏させるほどの恐るべき威力だ。唖然とする少年を、女性はゆっくりと振り返った。
 漆黒の髪、漆黒の瞳。美人だがカラスのようなその色あいのせいか、不穏な印象を受ける。
「あ、あの、ありがとうございます」
 少年は硬直しながら礼を口にした。
「フン」
 にべもない。
 このような強い女性は是が非ともパトロンにと少年が思ったかどうかはさだかではないが、彼女のただならぬ気配には捨ておけぬものがあったので、めずらしく自分から下手に出る気になったらしい。
「えーと、もしよかったらオレと、お茶、でも……」
「あなたを買えと申されるのですか。このわたくしに?」
 凛とひびきわたる冷たい声。すべて見透かされている。少年はぎくりとした。
「愚かな。選ばれし者の分際でなんと未熟なのですか。このようなところで立ち止まっている暇はないでしょう。目をお覚ましなさい」
 女性は中性的な声で偉そうに言ってのけると、すっと空を指さした。
「星々が強く煌めきはじめています。新たなる天魁星が産声をあげるのかもしれません」
 少年も天を仰いだ。たくさん舞っている白いものが星なのか雪片なのか見分けがつかない。自分の吐いた息が白く凍って、天の川のようにゆらゆらと揺れた。
 女性に視線を戻そうとして少年は驚愕の叫びをあげた。いなくなっている。
 身を隠す場所などどこにもありはしないのに、ひと呼吸のあいだに姿を消してしまったのだ。
「お化け……かな」
 つぶやいたとたん、背後でこれまたものすごく聞き慣れた声がした。
「だれがお化けじゃ。バカモン」
「ぎゃっ! でた!!」
 そろそろ文字数制限にひっかかるので話を端折ってあらわれたのは、少年の祖父であった。出た、というのは三百年前にすでに没しておられるからである。偏屈じじいと悪名高くも、生前は村長の任に就いていたくらいだから、機嫌を損ねたらたちが悪い。ましてや孫の体たらくが知れるようなこととなっては、半殺しでは済まされまい。
「こんな夜分におもてをうろついて、なにをしていたのだね、テッド」
「えと、その……マ、マッチを売って、まし……」
「ほほう。ずいぶんと粗末なマッチのようじゃのう。さて、火はつくのかの」
「えっ? や、やめてじいちゃん、ちょ、ちょっとまって……はなして……あにすんだこのエロじじい!」
 抵抗する少年を得意の金縛りにして、幽霊は愛の鉄槌を振りおろした。
「ばかもーん! 春を売買いするなど言語道断、人の道に背くうつけがわが孫とは情けのうて眠ってもおられぬわ。そこへ直らっしゃい、まがった根性をいれなおしてくれよう。でぃやーっ!」
「ぎゃー、ごめん! カンベンしてじいちゃん、後生だから……イヤァァアアアァァ(フェード・アウト)」
 やがて夜は明け、朝になった。みすぼらしいなりをしたひとりの少年が、壁に頭を打って悶絶していた。昨夜、彼の身にどんな恐ろしいできごとがあったのか、人々はなにも知らない。
 また新しい一年が、はじまる。


初出 2006-12-09 再掲 2007-01-10