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#36【コノハズク】

 誤算は人間だれしもあることである。失敗の原因が自分にあるのなら次回から気をつければいいだけの話。肝心なのは一刻もはやい頭の切り替えであって、むやみに反省すれば解決するというものではない。
 そういえばテッドにも何度か、そのような意味合いで揶揄された。彼のあっけらかんとした性格でたしなめられても(信憑性に欠けるのだ)お前はもっと反省しろと突き返してやりたくなるけれど、クヨクヨするくらいなら次の行動に移れという指南はごもっともである。
 テッドはちゃらんぽらんなようでいて、言動はしっかり理にかなっていた。自他共に厳しかった父が彼に対しては一目置いていたのはそのためだ。父は、テッドの本質をはじめから見抜いていたのかもしれない。理由は知らないまでも、並大抵の子ではないと判断して連れ帰ったのだと思う。
 テッドがひた隠しにしてきた秘密を、いまのルーファスは知っている。
 あまりにも大きな問題で、人が束でかかっても手に負えるはずがない―――なのに、テッドはそれをたったひとりで背負ってきた。驚くべき精神力。なのに、彼は賞賛されることを好まない。
 おそらくはいまも、どこかそのへんでルーファスのことを見ているのだろう(……そんなはずはない。消費された魂は存在できない。捕食した本人がそう確信するのだから間違いはない。テッドはもう存在しない。どこにもいない。わかっている……これは、現実からの逃避だ。弱い人間のするようなことだと)。神経質で、すぐに後ろ向きになる親友を、しょうがないなあとか思い、苦笑いしながら。
 右も左もわからない深い森で、ひとりで夜を過ごすのはさすがに気味が悪かった。オバケのたぐいは信じないが、オバケよりもたちの悪い敵が舌なめずりをしているかもしれない。強迫観念に駆られはじめたのは、迷走五日目なのに先行きがまったく見えないせいだ。
 昼は歩きどおしでクタクタで、晩は不安でぐっすりと休めない。もはや打開策を冷静に模索するのも至難の業に思え、体力が尽きないことをただただ祈るばかりであった。
 手に入れた地図と己の読図力が信頼できるものという大前提で、予測では二日程度で抜けられるはずだったのに。森を迂回する道は一本の実線で記載されていたけれど、不自然に大回りしているのを不審に思い、地元の人は直進する獣道を熟知していてそれを利用するのではないかと希望的観測を駆使してみたのが間違いのはじまり。きちんとした情報を得る手順を怠ったがために、当然の結果としてドツボに迷いこんでしまったのだ。
 曲がりくねった広葉樹の根が行く手を阻んで、歩きにくいことこのうえない。獣道はおろか、獣の棲んでいる気配すら感じられない。姿を見るのは鳥や猿といった小動物くらいのものだ。ここまでモンスターに出くわしていないのは不幸中の幸いだが、達観するゆとりなどとうのむかしに砕け散っている。
 太陽の光もまともに届かない森は鬱蒼として、むんとした太古の匂いに満ちていた。まるで人の立ち入ることを許さない別世界のようだ。
 この森は神が支配しているのではあるまいかとルーファスは思った。それほど神々しく、また、得体が知れなかった。
 もしかしたら、ルーファスは気づかないうちに別次元への扉をくぐってしまったのかもしれない。古代シンダル民族が罠を仕掛けていたとか。そうとでも考えなくては、自分を納得させられない。
 山道で迷ったら引き返せと話には聞く。正しい道へ復帰する唯一の手段だからだ。それが困難であれば稜線に登るという手もある。下りればなんとかなると谷へ向かうのがいちばん危ない。
 しかし人の心理とは微妙なもので、迷ってパニックに陥ると、つらい後戻りを敢えて選択するということができなくなる。川と同じで、高みに逆行することは不自然であると認識してしまう。
 もと来た道を引き返そうかと何度も立ちどまって悩んだ。葛藤し、テッドならどうするだろうと考え、猪突猛進の親友に習って先へと歩を進めた。それほど広い森ではないはず。だいぶ歩いたのだから、もうまもなく抜けるだろうと自分に言い聞かせて。
 そろそろ失敗を認めてもよい頃合いかもしれなかった。
 獣よけの焚き火をぼんやりとながめながら、ルーファスは膝を抱えた。
 手持ちの食糧も心細くなっている。明日以降も彷徨うようであれば、自力で調達しなくてはなるまい。狩りに費やす時間が惜しいが、腹が減っては戦もできぬ。
 まったく。急ぐ旅ではないのに、なぜ遠回りが面倒だなどと思ったのだろう。とくに目的地があるわけではない。旅それ自体が目的のようなものである。
 考えようによっては、森で迷うこともいい経験ではないか。テッドだって幾度もこういうことがあったにちがいない。経験を積んだからこそ、テッドは生きてこられたのだ。
 紋章の村で小さいテッドとめぐり逢ったおかげで、想像を絶するような親友の人生をルーファスは受け入れざるを得なくなった。これからおとずれる試練を覚悟させるために大いなる力が導いたのだろうと思う。そうでなければ、ルーファスにはソウルイーターとも、テッドとも関わらずに安泰な人生をまっとうする道もあっただろう。
 背後を振り返ることが正直いって、恐ろしい。道を違えた地点まで戻ることなどもはや不可能。その憤りを亡き親友に向けてしまいそうで、怖いのだ。
 引き返すまい。だがむざむざと谷に転げ落ちて死にはしない。代替手段があったはず。
 高みに登ること。
 ああ、そうだ。崖を這いのぼって、飢えたら動物の命を狩って喰らい、そうしていつか陽の光をつかんでやる。
 テッドに情けないと叱咤されるのは御免こうむりたい。あいつはいつでも自分が勝たないとムキになる。大先輩だからある程度は譲歩するけれど、負けっぱなしは癪だ。
 ルーファスはふっとほほえんだ。結局自分はテッドを基準にものごとを考えるんだな。
 幻でもいい。そばにいてくれないとだめなんだ。
 テッドの旅の軌跡を逆にたどろうかと考えてやめたのも、親友は後戻りを望まないだろうと思ったから。
 旧クールーク地方にも、群島諸国にも、もう少し南にもテッドの足跡が残されている。テッドの出逢った景色がある。テッドとすれ違った人々がその大地に眠る。
 だからルーファスは新たな足跡を北に標そうと思った。
 だいじょうぶ、方向はまちがっていない。ルーファスの旅は、過ちではない。
 ルーファスはびっくりして顔をあげた。鳥とおぼしき羽ばたきが聞こえたのだ。
 ポー、という啼き声がして、その影は近くの木に移ってきた。
 わずかにもたらされた月明かりで、その正体が見て取れた。
 オレンジ色の双眸が、森の珍客に固定されている。
 フクロウの仲間は夜行性なので、むこうからはこちらがよく見えるのだろう。体格差のありすぎる相手に対してまさか襲撃する意図もあるまいが、ぎらぎらと光るふたつの眼はまるでなにかの意志をたたえているようにも見えた。
 見守っているような。
「テッドなの」
 その問いかけはするりとルーファスの口をついて出た。
 幻でもいい。
 これでまた、明日も歩けるのならば。


初出 2007-03-05 再掲 2007-04-27