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#34【Judicare】

人はなぜ、死を嘆くのだろう。死は忌むべきものだろうか。生が祝福されるなら死もまたそこにつながるだろうに。人の一生に何段階かの通過儀礼があるというのなら、生と死はそのはじめであっておわり。もっともわかりやすい、なによりもたしかな、だれもが平等に迎える出発点と到達点だ。恐れることはないのだと、おれは教わった。十歳までをすごした村で、おれは生きるために動物の命を奪って食い、屍から毛皮を剥いで凍てつく冬を耐えた。村人は死ぬと墓に葬られる。焼いて灰にしたり、箱にいれたりはしない。穴を掘って、そのまま埋葬する。墓は麦畑だ。たわわに実った麦の穂を刈り、粉に挽いてパンを焼く。死んだらパンになるんだと、村の子どもたちはなんの疑いもなくそう理解していた。母親を喪った子も生きるために一心不乱にパンをほおばる。厳しい自然環境のただなかにあり、よそとの親交もまったくなかったおれの村。いったいいつから、そしてだれの信念を継承して、村人は過酷な運命を分かちあってきたのだろうか。それを記述したものが記録として残っているわけでもなく、記憶している者ももはやいない。おれの村は、そう、いまはもうこの世界のどこにもない。だけどおれは教わったことを頑なに信じている。外の世界に触れてたくさんのうそや欺瞞に痛めつけられたけど、根源はまったく揺らいではいない。おれの憶えていることは真実であると。恐れることはない。死を目撃することを、恐れなくともよい。たとえ死が理不尽な力に誘われておれのまわりに集まってきても。魂は再生をくりかえす。滅することはない。使い捨てられるのは人の記憶と肉体だけだ。ただし記憶の一部はあらたに与えられた肉体に組みこまれ、肉体は朽ちても大地となる。黄金律が循環を支えている。世界は混沌と秩序がせめぎあってバランスを保つ。どちらかが打ち勝つとき、あるいは双方が破れるとき、世界は現在のかたちを失う。そのような未来もたしかに、ある。だけど憂うことはない。嘆く必要もない。それよりも死をいたずらに恐れるな。村が子孫に受け継いできたもの、それは世界をつかさどる27の真実のひとつだった。生と死をつかさどる紋章。ソウルイーター。死神が鎌を振るうまがまがしい姿。人の手に託されたためにその姿を変えたのか。人はおろか、世界すらもまだ存在していなかったころ、ソウルイーターは『闇』の一部だった。どうしてそんなものを、人が欲して争うようになったのか。世界そのものともいえる根源の力を、人ごときが意のままにできるとでも思ったのだろうか。浅はかだ。思いあがりもはなはだしい。村はそれでも紋章を守ってきた。悪くいえば、独占してきた。生と死の教えを厳格に守る排他的社会。近親婚に頼るしかない村では、身体の弱い子どもが生まれることもしょっちゅうだった。大人たちはみんな、うすうす気づいていたと思う。運よく紋章を隠しとおしたとしても、村にはやがてまともな子どもが生まれなくなる。子孫が残せなければ、滅ぶしかない。最後に残されたひとりが紋章を宿したとき、村の役目は終わるであろう。そこから先は、受け継いだ者が紋章を守るのだと。その子どものために村の人はパンを焼き、動物を狩る。死を待つだけの生を無為に思わぬよう。その教えは血縁に禁を破らせぬためのものだった。おれはそれを、愚かだとは笑わない。ほかならぬおれ自身が最後のひとりとなり、紋章を右手に宿したとき閃いた。そうだったんだ。すべてが語り伝えのとおり。生と死をつかさどる紋章はおれに寄生するだけでなく、原理をいくぶんもったいつけるようにして宿主に見せつけようとする。契約ということなのだろうか。それとも支配するためか。おれにとってはどちらでもいいことだけれど。どちらでも。いいなおそう。おれはもう、どうでもいいんだ。村は焼かれた。おれはもうパンにはなれない。地面にはいつくばって、命の宿らないパンをかじる。人は死を以て裁かれるのではなく、罪深き者こそが生かされるのだ。ソウルイーターはささやいた。死ぬ権利などおまえには無用。おまえは祝福されない。このわたしが愛でてやろう。魂をくれてやろう。おまえのもっとも近くにある魂を。おまえを醜く生かすために、おまえのいちばん大切な者をひとりずつ、光の届かない永久の闇に突きおとしてやろう。だがおれは笑いとばす。あいにくだな。そううまくなどいくものか。おれはだれも大切だなどと思わない。おれは過去に生きる。未来はない。そこに人などいやしない。だれもいない。もとより暗闇だ。怖くなどあるものか。目を閉じ、耳をふさいでやる。静かだ。これこそが、おれの望む静寂だ。おまえの思いどおりにはさせない。到達点などなくたっていい。彷徨って彷徨って、いつかこの世界とともに果てればそれでいい。おまえをもといた闇に眠らせる、その日まで。おれが守ってやろう。ひとつだけ、おれがおまえに教えられることがある。人は意味なき存在ではない。呪われた、このおれも。


Judicare :『裁く』『審判する』を意味するラテン語。

初出 2007-01-19 再掲 2007-02-07