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#47【冬支度】

 夜と夜の間隔が短くなりはじめると、テッドは憂鬱になる。
 理由は単純だ。冬のしたくがわずらわしいからだ。
 夏と冬では着るものがちがう。あたりまえである。いまはまさに秋から晩秋へと勢いを増しながら、冬の装いをうかがわせるころ。木々の葉は色づいて落ち、明け方には息が白く凍る。人々は薄い服をしまい、暖かい服を準備する。
 通りを往く人々を見ても、季節が移り変わっていくのがわかる。そろそろだな、と思う。テッドの場合は衣替えではなくて、衣足しだ。いま着ているものに重ね着して暖をとる。
 テッドの旅は季節に左右されない。冬眠はしないと決めている。人気のない森の奥に見捨てられた小屋をみつけたとしても、拝借してじっとしているということができない。最初は幸運を享受するだろうけれど、おそらく一週間もしないうちに引き払うであろう。停滞するのはなによりも恐ろしい。旅立つことができなくなったら、終わりだ。終わりとは、これまでの人生をなにもかも無駄にすることだ。
 幸運などないほうがよい。つねに移動しているほうが、気は紛れる。
 羽ばたけなくなった鳥は地上でもがいて、肉食動物の餌になる。だから羽を休めてはいけない。傷つけてもいけない。本能の導くがままに飛ぶ。行く先は遺伝子が記憶している。むずかしく考えることはない。それが運命なのだ。
 雪原を何日も歩いたり、氷が張った湖を対岸へ渡ったりするのだから、やはりそれなりの準備は必要だ。テッドは己の行動を、越冬と呼ぶ。まともな人間のぜったいにやらないことに、敢えて挑む。いつのまにか異常も日常になった。この冬もまた、いつものように『越える』つもりである。
 冬を越えるのと、死の淵を越えるのは、意味としてはたいしてちがわない。生と死を司る紋章を宿しても、死から逃れられるわけではない。冬からはけして逃れられないように。
 ただし、恐ろしい冬と真正面から闘わない方法もある。そのために必要なのが住居だ。衣食住は生活の基礎となる。とりわけ住は、衣と食を包括する。豊かさは住によって育まれ、守られる。
 住む場所、いわば定点を持っているやつらはつくづく恵まれていると思う。どんなおんぼろ住居でもないよりはましだ。物を持てるというのは、それだけですばらしいことなのだ。
 定点があれば、問題は少なくてすむ。衣類ひとつとってもそうだ。春に片づけたものを秋にまた引っ張り出してくればよい。虫が喰っていないか、カビがはえていないか、そういったこまかい気遣いはいるであろうが、要はタンスを開けるだけだ。なんと簡単なのだろう!
 笑う。愚痴を言ってもしかたがない。タンスはかついで歩けないのだから。真なる道具の紋章でも持っているならば別として。
 憂鬱になるのは毎年のことだ。秋は誰だってもの悲しい気持ちになる。春夏秋冬を人の一生にたとえると、秋は衰えである。死は確実に近づいてくる。人は死を予感し、うなだれる。
 しかし。テッドは思う。冬は好きだ。美しいからだ。冬はもっとも清浄な季節だ。善も悪も、白い雪でみなおおわれる。
 なにもかも平坦となった大地を踏んで、足跡を遺す。それこそがテッドにとっての道である。狐や兎もそうやって個々の道を遺す。引き返さないのだから、たどれなくともよい。ただ、そこにいたという証明にすらなれば。
 衣足しの話に戻ろう。
 装備をそろえるのに金がかかるのは予定のうちである。堅実な方法を優先できるように、ちゃんと考えて貯金している。
 夏の服は冬でも着回しがきく。逆はむずかしい。かさばる冬服は、暖かくなると同時に単なる荷物となってしまう。鞄につめこめば、ほんとうに必要なものが入らなくなる。持てない荷物は捨てるしかない。テッドはそれを、貧民街の適当なことろに、さも忘れ物のように置いていく。誰かが拾って使ってくれればいいと考えてのことだ。
 物に執着はしない。気にいっていようがいまいが、邪魔なものは容赦なく手放す。それは、人との別れに似ていると思う。関わりが深くなる前にテッドは縁を切る。人だろうが物だろうが、近づきすぎるとろくなことにならない。
 物は重力にひっぱられて肩にくいこむ。そして人は死神に喰われる。
 テッドの右肩は左よりも下がりぎみで、猫背だ。重い矢筒をたすきがけしていたのと、無意識に右手を隠そうとしていたのと、ふたつの理由からだ。
 幾度も失敗を繰り返してようやく学習した。重いのも、人に死なれるのもいやだ。大荷物を引きずって旅はできないし、死人の思い出も荷物になる。身体と心の両方に重いものを背負って、よたよたと歩くみじめな姿など、想像したくもない。
 午後、小さな街の古着市場で、防寒着とマントを買った。恰幅のよいおばさんはもっと売りつけようと口から泡を飛ばさんばかりに頑張った。だが、薄汚れた布袋から出した小銭を丁寧に数えて支払う少年を見て、彼女は複雑な表情をうかべた。それは同情のようにもみえたし、もしかしたら落胆なのかもしれなかった。
 お釣りはないはずなのに、おばさんは硬貨をよりわけると、いくつかをテッドの手に握らせた。
「これは値引きね。アンタねえ、馬鹿だよねえ。まるっきりカモじゃないの。こういうとこではさ、交渉したもん勝ちなんだからさ。言い値でほいほい払ったら損するだけよ。そうだ、これ、半端な売れ残りだから持っていけばいい。あったかいよ」
 毛糸の靴下だった。
「ありがとうございます。たすかります」
「よそにいったらちゃんと値切りなよ。はじめが肝心だからね。喧嘩のしかたを覚えるんだよ」
「勉強します」
「うん。風邪をひかないようにね」
「はい。じゃあ、どうも」
「元気でねえ」
 歩きながら、ふいに笑みがこぼれた。いったい、どういう子だと思われたのだろう。もう一度戻って訊いてみたいような気もする。
 金は使うべきところで使うのがテッドのやりかただ。決まった収入があるわけではないので、一ポッチでも大事にする。しかし値引き交渉はめったにしない。よけいな会話はしたくないからだ。商売人はみな話し好きで、客との駆け引きも好きで、同じくらい詮索も好きだ。一時間二時間あるいはそれ以上の拘束と数百ポッチを比較したら、後者は手数料と割り切る気にもなろうもの。
 袖を通した上着はずっしりと重いが、三重に仕立てられていてあたたかい。この気候ではさすがにマントはまだ早い。丸めて手に持つ。マントは毛布のかわりにもなる。おもに足元の防寒に使う。早めに入手したのはそういう理由だ。
 厳寒の夜を荒野でしのぐことはめったにないが、想定外のできごとは必ず起こる。そういうとき積雪があれば雪洞を掘る。入り口を限界まで小さくして掘る。スコップの代役になるのは、いつも鞄に入れている小ぶりの鍋だ。これが意外と万能で、ボコボコに変形しているが手放す気にならない。数少ない、ぜったいに必要な道具のひとつだ。
 雪洞の中はとてもあたたかい。しかし、足元からの冷えは避けようがない。下半身をいかに保温するかで、生活の質は大幅に変わってくる。そこで役立つのがマントだ。
 とりあえずこれで、心配事がひとつ減った。たったのひとつだ。厳しい冬を生き抜かなければならないという毎度の試練の、通い慣れた入り口を突破しただけだ。
 どんなに上等な防寒着を用意しようとも、凍えることに変わりはない。寒さに凍え、孤独に凍え、永遠にこないかもしれない春をただひたすらに待つ。膝をかかえて待ちつづける。冷たくて、悲しくて、つらい。慣れなどではとうてい救済できない、それは地獄だ。
 過去の記憶が頭をよぎる。遠い昔、幼かった自分に、冬の寒さと孤独を耐える力はなかった。うつろな精神(こころ)で、生きなければ、そう思った。『生きること』は守るべき約束であったからだ。彼はどんなことをしても生きなければならなかった。
 生きるために彼はどうしたか。手段はあった。その幼い外見を利用して、人に頼ったのだ。彼はほんとうの意味で子どもだった。
 そして関わった人々が春を迎えずに死んだ。ひとりの例外もなく、死んだ。己が殺したも同然だった。それすらも理解できずに、幼い彼はただ、泣いた。
 記憶は前触れもなく鮮明によみがえる。それを彼方へ押し戻す。過去が彼をじわりじわりと殺す。緩慢にそこへ誘いこもうとしている。魂を喰われた者たちが、こっちへおいでとざわめく。おまえもおいで。そして業を悔いなさい。罪は裁かれなくてはいけないんだよ。人殺し。
 夜が支配を強める季節がくると、テッドは憂鬱になる。
 理由は単純だ。人が恋しいからだ。


初出 2012-10-26 再掲 2012-12-07