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#46【ある夜のこと~クレオ】

 成長していないのはグレミオのほうだ!
 ルーファスはいつまでもわからずやの子どもではない。マクドール家の嫡男としての自覚をもち、大地に脚をしっかりつけて立っている。少年は大人になろうとしている。
 父親であるテオ将軍を尊敬するように、クレオはまた、その息子にも輝かしい光を見ていた。ルーファス・マクドールは天性の星をもっている。少年はいつの日か父親を超えるであろう。根拠はない。むしろ願いである。
 ともに暮らしているとわかる。ルーファスはこの年齢にしてりっぱな人格者で、日々の鍛錬も怠らない。あとは度胸がそなわれば。
 強い意志に水を差すのは決まってグレミオだ。彼もけして悪気があるわけじゃない。幼いルーファスのお守り役としてずっと背後にいた、その立場から抜け出せないのだ。
 わからなくもない。誘拐されたルーファスを救うために、無謀にもひとりで敵陣へ乗りこんでいった男だ。ルーファスのためならば自分の身が傷つくことも厭わない。
 グレミオはよく働いた。いまもてきぱきとよく働く。マクドール邸の家事一切、坊ちゃんの付き人、在宅中のテオ将軍の補佐まで幅広く。それが、孤児であった彼を救ってくれた将軍への恩返しだという。
 それにしても。
 ルーファスはまもなく皇帝と接見する年齢になる。宮廷に入る彼の、金魚のウンコとまわりに思われないかが心配だ。テオ将軍の息子は自立していない、お供がいなくてはなにもできない、しょせんは親の七光り。グレミオの存在しだいで、ルーファスは不当に評価されてしまう。
 クレオの懸念は、その夜、ついに爆発した。
「わかったよ。わかったからもう、こまかいことをくどくどいわないでよ。耳にたこができる。ぼく、テッドのうちにいってくる。きょうは帰らないから!」
「坊ちゃん、いまいったい何時だと思ってるんですか。テッドくんに迷惑かけちゃいけません!」
 ブツッ。
 クレオは座っていた椅子を蹴っ飛ばした。
「グレミオ」
「え?」
「迷惑とはどういうことだ」
「どういうこと、とは」
「坊ちゃんはテッドくんと話がしたいんだ。それのどこが迷惑なのかと訊いてるんだ!」
 グレミオはもちろん、ルーファスもまたびっくりした顔でクレオを見た。
「テッドくんは他人じゃないんだよ? たまたま分かれて住んでいるだけで、あんたやわたしと同じ、この家の家族じゃないのか。坊ちゃんにとっては兄弟のようなものだ。あんたは、そうは思わないのか」
「そうですけれど、外は雪が降っていますし、こんな時間に外を歩いたら危険です」
「グレミオ、あんたは坊ちゃんを溺愛しすぎだ。ったく、いつまでも子どもだと思って。少しは危険な行動も見逃してやったらどうだ」
「と、とんでもない! クレオさんは坊ちゃんがどれだけ危険なめにあったのか知らないから……」
「自分は知っているから、なんだというんだ? その頬の傷。それを過去の重荷と思っているのはグレミオ、あんただけだよ。それは坊ちゃんが受けたかもしれない傷だった。ふたたび同じことが起こるかもしれない。あんたは、それが怖いんだ。そうだろう」
「あたりまえじゃないですか! 坊ちゃんはマクドール家の跡取りです。わたしは坊ちゃんを傷つけるものを許したりはしません!」
 ふう、とクレオはかぶりをふった。
「まったく、とことんまわりが見えていないね、あんたは。ついに坊ちゃんまで見えなくなっちまったのかい」
「おい、クレオ、ちいと落ち着けって」
 はたで見ていたパーンが口をはさむ。だがクレオは、だん!とテーブルを叩いた。はずみでカップが横倒しになる。
「甘やかすことは信じないことといっしょだ。グレミオ、どうして坊ちゃんをもっと信じてやらない? それからテッドくんのことも。坊ちゃんと同じくらいの子が、だれにも頼らずひとりで暮らしている。それは危険ではないというのか。心配じゃないと? わたしたちはみんな、テッドくんも、マクドールの人間だ。それをあんたは、信じないというのだな。家族を信じずに、あんたはなにを守る? 笑わせてくれるな!」
 がたん。
 止めるまもなかった。ルーファスは居間を飛び出していった。玄関を乱暴に開ける音、閉まる音。
「ぼっちゃん!」
「追うな、バカ!」
 追いかけようにも俊足の御曹司には勝てまい。グレミオはがっくりとうなだれた。
 クレオが椅子につく。
 呼吸をひとつ。それからゆっくり口をひらいた。
「……ひどいことをいった。すまない、グレミオ」
「えっ……」
「いつかは渇をいれたいと思っていた。あんたと、それから、坊ちゃんに。それはわたしの役目だ。坊ちゃんに悪く思われてもわたしはかまわない。坊ちゃんはテッドくんのところに行くだろう。あとはテッドくんにまかせましょう」
 グレミオはいまにも泣きそうに見えた。だが涙はこぼさずに、ぼそり、とつぶやいた。
「……坊ちゃんのことが、心配なんです。じぶんでもいきすぎだと思うくらい。でも坊ちゃんは、独り立ちするべきなんですよね。じきに、立派な将軍となられるお方です。わたしの手はもう、いらなくなるかもしれません」
「そうだね」
「それでも、わたしは……坊ちゃんを見守りたいのです。坊ちゃんが、わたしの、生き甲斐なんです。テオ様がテッドくんを連れてきたとき、わたしは心配で、心配でしかたありませんでした。よそ者を坊ちゃんに近づけることが怖くてたまりませんでした。テッドくんのことは、いまは、信じています。ヤンチャですけれど、いい子です」
「ああ、たしかにヤンチャだねえ。そこは異議なし、だ」
「ありがとうございました、クレオさん」
 クレオはフッと笑った。
「と、いうわけで、大人だけの時間になった。久しぶりにちょっと飲る? グレミオ」
「いいですね。とっておきのお酒をもってきます」
「隠し酒だろう、グレミオ」とパーン。
「カナカンの銘酒ですよ。ふふふ」
 黄色い悲鳴がマクドール邸に響きわたった。


初出 2012-05-10 再掲 2012-10-26