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#5【腑に落ちない】

 オベル船には、どうにも腑に落ちない積み荷が三つある。
 ひとつは小麦。群島諸国は言わずと知れた粉食文化圏であり、主食となる饅頭や餃子、麺類やパンをつくるのに小麦粉は欠かせないが、交易の発達により食文化が混在しはじめた現在ではまったく米も食べないというわけではない。
 巨大艦だけあって乗組員の人数も相当であり、三食三度のまかないに膨大な量の小麦粉が必要なことは理解できる。戦況が厳しくなると何日も補給ができないという事情もわかる。群島各地からはるばる買いに行く者もいたというイルヤ島名物の饅頭屋夫妻が船内の仮店舗で営業していることも百歩譲って考慮しよう。それらすべてを差し引いても、あきらかに多すぎるのだ。小麦。
 ふたつめは酒瓶。中身が詰まっているかカラッポかはこの際問題にはすまい。いつも寄港のたびに思うのであるが、この荷の積み下ろしさえなければ戦果も確実にあがるのではないか。カナカンから直送される酒は市場の混乱で到着が遅れてばかりだが、それを理由に軍師自らが停泊期間を延長するのだから呆れて二の句が継げない。
 酒瓶も小麦と同様、どう見積もっても量が桁外れ。酒好きの海賊どももこの有様を目撃したら仰天するだろう。乗組員には一部本業の海賊も交じっているが、オーナーがその上を行く大海賊のようなものだ。
 酒瓶がごろごろと倒れていく現場は知っているが、関わりあいになるのは賢くない。実際に見たことはないし、見たくもない。結論としてやはり多すぎる。酒瓶。
 みっつめは、これがもっとも疑惑に充ち満ちているのだが、真水だ。乗員ひとりあたり一日に消費する水の量を二リットル半として計算すると、予備の分量を足さなくともかなりの真水を積みこまなくてはならなくなる。だがオベル船では乗員が使用する水は飲料だけとは限らないのだ。そう、風呂である。
 何をどうこだわってそういう結果に落ち着いたのかは知りたくもない。とにかく見事なまでの男女別大浴場だ。クールークの捕虜から入湯料千ポッチくらい取って商売したくなる。湯量は二つの浴槽あわせて軽く一万リットルを超すだろう。しかも風呂番のタイスケが循環風呂なんて風呂じゃねえと啖呵を切ったらしい。水を毎日新しいものに入れ替えているとのもっぱらの噂だ。それほどの容量の水をいったいどこに積んでいるというのだ。ラストクエスチョン、真水。
 オベル船の積載能力を疑うわけではないが、王様の私設艦隊ということで船舶検査を免除されているとしても、過積載で転覆という事態を乗組員として見て見ぬふりをするのはどうかと思う。その理由が麦の粉やアルコールや風呂水の仕業だったらなおさらだ。
 ────と、そういう内容の懸念文をご丁寧に署名つきで目安箱に投書した翌日、テッドはリーダーの手によって第五甲板にある船大工の部屋に連行されてしまった。
「お若いのに、なかなか目のつけ処がよろしいですな」
 テッドよりよっぽどお若い船大工のトーブは、ボソボソと陰気な声で話しはじめた。地味な印象とはうらはらに、オベル巨大艦を一から設計した凄腕の職人である。肝っ玉が小さく怪談が大の苦手であるが、よりによって心霊スポットと名高い(余談ではあるがこの噂の発生源にはテッドも一部関与している)第五甲板に仕事場を設計してしまい、激しく後悔しているみたいだというのはノエルからの補足であった。
 ちょっと待て。いままで誰もこの大いなる(生死のかかった)問題について議論しようとした者はいなかったのか。
 テッドは頭痛がした。
 船大工の率直な意見を訊きたい気もしたし。このままなかったことにしてしまおうという欲望もわいた。
 やはり、よけいなことには一切関わるもんじゃない。
 後悔先に立たず。で、説教か。口封じか。まさかなにも問題ないとしらを切るつもりじゃないだろうな。
 トーブはにこりともせず、淡々と言った。
「なにも問題ありません」
 とてもわかりやすい展開だ。
 しかもノエルが悪意のまったくない顔でにこやかに油を注いだ。
「じゃあ、先日シラミネさんたちが巨大カツオを上部甲板いっぱいに水揚げして船が傾いたときも、じつはなにも問題はなかったんですね」
「ありません」
「ああ、よかった。さすがはトーブさんの船です。安心しました」
 真っ先に転覆沈没しているのはこのリーダーの頭ではないだろうかとテッドは思った。
 協力すると口走った手前、敵前逃亡するわけにはいかないが、戦闘で散るならまだしも麦の粉やアルコールや風呂水のアンバランスで海の藻屑となった日には、あの世で(頑固者の)祖父にあわす顔がなかった。
 トーブは深刻な顔でもう一度念を押した。
「沈みません」
 語尾に、たぶん、というつけたしが聞こえたような気がした。
 その日からテッドは、船内の至るところに放置してある木樽の位置をなるべく把握するようにつとめた。転ばぬ先の杖ならぬ、沈まぬ先の木樽である。
 百五十歳、この人がいちばん肝っ玉が小さい。


2005-12-03