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#14【永遠の少年】

 特定の組織とここまで深く関わったのは、故郷を離れて以来なかったことだ。よもやの思いつきである。いままでの自分だったらおそらく考えもしなかったはずだ。
 人寂しさが極限までつのっていたことは否定しない。なんだかんだと強がってみても、揺らいだ心をごまかすほどには残念ながら器用ではない。自分でも気づかないうちにじつはかなり際どいところまですり減っていたのだろう。
 ほんの少しでいいから適当な拠りどころがほしかった。幸いにして、目をつけた軍艦はおあつらえ向きの居場所に思えた。民間人を多く配し、ひとつところにじっとすることはしない。しかし定期的な補給はやはり必要らしく、絶妙のタイミングで寄港する。そのどこかでふらりと姿を消すことはとてつもなく容易だ。
 片手の指で足りる人数のお節介は心配するかもしれないが、そこまで気を遣う義理は自分にはない。
 義理など持ちあわせる気はさらさらないのだから、あのときも黙っていればよかったのに。借りを返すなどと心にもないことを口にした自分に少なからず腹をたてる。自ら契約をもちかけてどうするというのだ。人の情を利用するだけ利用して、雲行きが怪しくなったらすかさず離れる、それが自分のやりかただったはずなのに。
 なにもかもが意にそぐわない方向へ進んでいく。霧のせいで平衡感覚を失ったのだろうか。鎖で己が魂を深い霧に拘束していたのは長かったのか、ほんの数日だったのか、それすらも判然としない。あきらかなのは大切ななにかをそこに忘れてきたということだ。一刻もはやく取り戻さないと。
 それにしても、霧の船の続きが戦争真っ最中の軍隊だなんて洒落にもならない。手を貸すと宣言した自分もどうにかしている。最悪のジョークに戦慄すらわきおこる。お人好しを絵に描いたような軍主も、意味がわかっていたら単純にありがとうとは微笑むまいに。
 何故、と自問自答する。
 答えの先には後悔しか見つからない。
 失敗だった。先手を打たれた。軍主の口から最初にでた言葉は、きみはこれからどうするの、よかったら仲間にならないか、そういうありきたりのものではなかった。まったく予想もしていなかった、そして危険に満ちた誘いで不意をついてきたのだ。
 ”友だちにならないか”
 ぼんやりとうなずきそうになるのをすんでのところでとめた。
 彼の魂を盗ってはいけない。
 罰の紋章を宿した、短さを知っているからこそ最後に燦然と光り輝く魂。
 この人はまだ諦めてはいない。だから盗るわけにはいかない。
 首を振る。
 きっぱりと拒絶する。自分は誰とも関わりたくはないのだと。
 もちろん、嘘にきまっている。
 相手の身を案じてとりつくろったのではない。流されたら自分は今度こそだめになりそうだったのだ。
 迷うことを自分に禁じ、感情を奥底に封じこめて鍵を掛け、絶望とわずかな希み、そして狂気のはざまをギリギリのところでようやく這いつくばってきたのだ。かろうじて保ってきたバランスが崩れさる恐怖は孤独よりもはるかにおそろしかった。
 無関心を押しとおすことのほうが、嘘の笑みを返すよりも傷つかない。
 友を喪うことに怯えるくらいなら、孤独なままでいたほうがどれほどよいか。
 永遠に自分はそうしていくのだと決意する。それがなによりの救済に思えて。
 だからいったい何故、いまごろになって道を違えてしまったのか。
 そのひとつ前の時点ですでに惑わされてしまっていた弱い心を反省すらしていないというのに。
 これでは迷路を右へ左へフラフラと彷徨っているだけだ。スタートとゴールはどちらが遠いのだろう、と考えても詮無いことばかりがぐるぐるとまわる。おつかいの内容を忘れた幼な子でもあるまいに。
 時として気持ちは冷たく冴える。
 道には分岐も必要だってことさ。すべて計算の上という顔をしてほくそ笑む自分がいる。気まぐれに騙されたふりをしてみただけじゃないか。こういう寄り道がたまにはあってもいいだろう?
 だが、それとは背中あわせの自分もいる。なんと強欲で愚かなのだ。いつかしっぺ返しが来るぞと嘲笑い、嫌悪の眼を己に向ける。
 両者のあいだで幼い自分ががたがたとふるえている。おじいちゃんたすけて、もういやだと泣き叫んでいる。
 分裂する自我。そのどれがほんとうの自分なのかわからない。
 船から船へとわたろうとしたとき、見えない意志で目前の足場が崩された。重力にゆだねられた身体が、ああ、そうか、とつぶやいた。
 あちら側は自分の場所ではないのだ。
 もはや足を踏みいれてよい世界ではないのだ。
 いちど捨ててしまった場所に帰れるなんて考えるほうが傲慢なのだ。
 寂しげに笑んだその瞬間、左手が力強くさしのべられた。右手がそれにすがろうと勝手に泳いだ。
 必死だった。堕ちたくなんかない。この手をつかまなかったら、なにもかもがすべて終わるのだ。
 すべて、終わる。
 逡巡した。
 だが、がっしりとつかまれた。
 身体が振り子のように揺れて、舷に叩きつけられる。猛烈な力をこめられて右手首がギリギリと痛んだ。
 上から声が降ってきた。
「だいじょうぶ! がんばって」
 ”がんばって”
 がんばって、だって。
 あとどれくらいがんばればいい。そしていったいなんのために。正しい答えなどあるはずがないのに。
 それでも自分はこんなにも足掻いている。理由などすべて後づけ。生きたくて生きたくて、しかたがないのだ。無意味でも、歪められていても、情けなくても、滑稽だと嘲笑われようとも。どうしようもないほど生を渇望しているのだ。
 永遠の悪夢だっていい。
 目覚める日が来なくてもいい。
 生と死を司る右手を伸ばす。
 そしてがっちりと、命をつかむ。
 いまはただ、それだけが己の存在する証なのだ。
 確かなものはこれひとつ。生きてみせると叫ぶ、少年の姿をした自分。


初出 2006-02-27 再掲 2006-03-20