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#12【デバガメズ】

「こういうの、出歯亀っていうんだぞ。世間では」
「ああそう。テッド先生、老人言葉よく知ってるもんね」
 間髪をいれずに逆襲してくる。素直で天然のルーファス坊ちゃんは見る影もない。
 粗放なテッドの扱いにもすっかり長けて、近頃では口先勝負も対等になってきた。立場が逆転するのも時間の問題かもしれない。これはゆゆしい事態だ、とテッドは焦りを禁じ得なかった。
 現在、ルーファスはノゾキという軽犯罪に関与しようとしている。
 節度在る年長者としてここは止めるべきなのだろうが、オトナの知的好奇心を満たしたいという原初的欲求が邪魔をした。かくして、未熟な亀さんには保護者が必要という自分本位な結論に至ったわけで。
 ターゲットは、マクドール家の忠実な従者、グレミオ青年である。
 どうやら本日はグレミオにとって、特別な日らしかった。
 今朝に限って、落ち着きなくそわそわしていた。
 今朝に限って、数少ない衣装のなかから一張羅を選んでいた。
 今朝に限って、オイルを使って髪の毛をなでつけていた。
 今朝に限って……もうよい、省略。ひっくるめて説明するなら、健康的な朝っぱらからピンク色の怪しさ爆裂なのであった。
 調子っぱずれな鼻歌をうたいながら玄関を軽やかにすり抜けたグレミオは、当然のごとく尾行者を引き連れていた。自業自得である。
 考えてみればこの歳まで、浮いた話のひとつもなかったのが不思議なのだ。料理上手で家庭的。気はやさしいが力も強い。奥さんにしたい男ナンバーワンの実力派なのにもかかわらず、である。
「ほっぺたに大きなキズがあるからね。女の人にあぶない人と誤解されちゃうみたいなんだ」
 ルーファスはそういって弁護しようとするけれど、当のグレミオはさほど気にしている様子もなかった。そもそも、おつきあいというものにあまり興味がないのではなかろうか。
 左頬に残された傷は、過去を忘れさせまいと刻まれた刻印のようにも見えた。わけを訊ねてよいものだろうかとテッドは幾度もためらい、そのたびにダメだと首を振った。誰にでも触れられたくない傷がある。自分の意志で語ろうとしたときに、耳を傾けてやればそれでいいのだ。
 傷があろうがなかろうが、グレミオはテッドが見たまま感じたままのグレミオだ。
 グレミオも、テッドが抱えるさまざまな理由を深くは訊かなかった。煩わしいことをすべて拒絶していた自分に、「テッドくんの話したいときに、お話してくれたらいいんですよ」と、ほほえみながらあたたかいシチューをよそってくれた。
 グレミオお得意だというそのシチューは、いままで食べたどのシチューよりもうまかった。
 シチューに騙されたのか。
 それともグレミオ特製シチューをお子さまのときから食べつづけて天然培養したルーファスに騙されたのか。
 テッドは、すっかり人らしくなった自分に苦笑する。
 遅くやってきた春(推定)を謳歌する青年二十七歳独身を、こっそり見守るくらいの気概はある。もとい、こんな楽しい事態を放っておけるか。
 さて、グレミオの行動記録は以下のとおりである。
 花屋に立ち寄り、薄ピンクのバラを買った。あやしい。
 道端のハトポッポに話しかける。あやしい。
 広場の噴水がリズミカルに上下するのにあわせてステップを踏んだ。あやしい。
 劇場の前で、上演中の『ロミオとジュリエット』のポスターにうっとりとした。あやしい。
 雑貨屋のショーウィンドゥを、立ち止まって五分ほどながめた。あやしい。
 あやしさスコアがどんどん累積していく。
 そして焼き菓子屋に入り、手みやげのケーキを─────
「あれ?」
 とてもケーキ一個分には見えない大箱をかかえて出てきた。あやしすぎる。
「こりゃそうとうの甘党と見たな、彼女は」
 グレミオは箱で前がよく見えないのか、歩き方がだいぶ慎重になった。目的地が近いのかもしれない。
 出歯亀たちはごくりと唾を呑んだ。
 いま明かされる、ある愛の詩!
 グレミオが向かっていた場所は、赤いレンガで組まれた、鐘のある大きな家だった。
「ルー……ここって、さ」
「……うん」
 気づかれないようにそっと裏手に回り、小窓からのぞき見る。グレミオがにこにことほほえみながら、大きな箱いっぱいにあふれたクッキーを一枚ずつ取りだして、ツバメの母さんがするようにむらがる子どもたちにあげていた。
 ルーファスとあまり変わらないくらいの年齢だろうか、ひとりだけほかの子より大きい少女がバラを手に、しあわせそうな表情で頬をそめていた。薄ピンクは、その女の子によく似あった。
「グレッグミンスターって平和だな、って思ってたけど……孤児院で暮す子がこんなにいっぱいだなんて、知らなかったな」
 テッドがつぶやいた。ルーファスも、うなずく。
「あのね、グレミオも……孤児だったんだって」
「へえ。そうなんだ。グレミオさん、自分のことあんま言わないもんな」
「そうだね」
 ルーファスは目を細めて、言葉を継いだ。「でもグレミオ、楽しそうに笑ってる。ほら」
 頬の傷を恐れる子どもなんてひとりもいない。
 みんながグレミオをだいすきで、グレミオはみんながだいすきなのだろう。
 うらやましいな、とテッドは思った。
「帰ろうか」
「うん、帰ろう」
 出歯亀コンビ、ひとまず解散。
 テッドはぽりぽりと頭を掻きながら、訊いた。
「ルー、オマエ、小銭持ってるか」
「え? 60ポッチくらいならポケットにあるけど」
「じゃ、クッキー買って食いながら帰ろう」
 ルーファスはぱあっと顔を輝かせて、「いいね」と賛成した。


初出 2006-01-24 再掲 2006-02-07