ようやく暗闇にも目が慣れてきた。
あたりの様子がわかるようになると、三人が三人とも木の床にぺったりと尻餅をついているのがわかった。
上下感覚を喪失した直後だ。無理もない。
いやーな展開にツッコミを入れたがる者はいるはずもなかった。少しして、諦めたように最初のため息をついたのはネコボルトの青年ナルクルであった。
「やりやがったな、あの小娘」
ハーヴェイは天(もとい、天井)を仰ぎ、テッドは小さく咳払いをした。
そこは狭くて薄暗くて箱だのカゴだのが大量に積んであってこぼれた醤油の匂いが漂うネズミやゴキブリが喜びそうな空間だった。
残念ながら。
ほんの数十秒前にいた空間ではないようだった。
「どこだと……思う」
ナルクルの問いにテッドは思ったことを簡潔に答えた。
「どこかの民家の屋根裏部屋でおそらくは倉庫として機能している場所」
今度はハーヴェイが深い深いため息をつく番であった。
事のはじまりは船の階段であった(またか)。
説明しよう。クールーク皇国の群島侵略に敢然と対抗するためオベル王国の王様は自費で巨大船を建造し、そこへ有能な戦力を集めはじめた。施設も充実しだした巨大船はひとつの町ともいえるほどの規模になり、実質的に本拠地の役割を担うことになった。まあ、そのへんの経緯は大概の方がご存じだろうから割愛しておこう。
船には『えれべーた』と呼ばれる便利なものがある。
簡単にいえば階上から階下まで人を乗せて上下する箱だ。しかもご丁寧に各階停車の機能が付属している。これを利用すれば任意の階に、労力を消費することなく移動することができる。
よく似た施設に階段と呼ばれるものがあるが、こちらは運動という代価がつきまとう。
どちらが楽かは一目瞭然だ。
乗組員たちは至極当然のようにえれべーたを利用した。階段にこだわるのはごく一部のヘソマガリだけであった。
ヘソマガリのひとり、ハーヴェイはえれべーたの順番を待つという行為が嫌いだった。
ヘソマガリのひとり、テッドはえれべーたという密閉空間で挨拶を交わすという行為が嫌いだった。
ヘソマガリの一匹いやひとり、ナルクルはえれべーたの動力がいまひとつ謎に包まれていたので、そういう不確かなシロモノがそもそも嫌いだった。
かくして三名はこの日、階段の途中で不幸な事件に遭遇することになる。
ハーヴェイはカードゲームでボロ負けした気晴らしに甲板で深呼吸でもしようと、最上階へ向けて一段飛ばしで駆けていた。
テッドは修理に出していた弓を受け取って第四甲板にある自室へ戻る途中であった。
ナルクルは昼寝どころにしている倉庫で水道管が破損して水浸しになったので船大工に訴えに行くところだった。
それからもう一名。彼女はなんとなくフラフラしていたのだろう。
すれ違いざま。 生えかわりの時季で抜けまくっているナルクルの毛が、人の一時的に密集した空気に舞いあがった。その一本が、少女の鼻をくすぐった。
「ふ、ふ、ふ……ふぇっくしょん!」
少女ビッキーのくしゃみとともに、悪夢のうっかりテレポートが発動してしまった。
空間が歪む。
虹色の閃光が奔った。
謎の渦はビッキー以外の生命体をわっしと掴むと、その胃袋に押しこめた。
「……あれ? あれあれあれ?」
あれ、ではない。
ネコさんのうしろにふたりほどいたような気がけど、やってしまったものは仕方がないかしら、とビッキーは思った。
「まっ、いっか」
死ぬわけじゃないし、とつけ加えたかどうかは定かではない。
座っていても埒があかないので全員一致で決めた案を行動に移すことにした。
ただし、案そのものは果てしなく後ろ向きであった。
この状況からするに、家人に見つかったら危ない侵入者だと誤解されるにちがいない。よしんばここがクールーク領土だとしたら、身柄引き渡しに至ったらその後がヤバい。
「こっそり逃げよう」
諸君、それが正解である。
ナルクルはキョロキョロしていた。
「おい、なにしてんだよ。さっさとしろ」
「いや。こういう奇異な事態はレアな宝箱に接近遭遇する伏線でもあるから一応な」
深くは考えまい諸君。
収穫は得られなかったと見え、ナルクルもすぐあとに続いた。ドアをそっとあけると細い階段があった。一列になって抜き足差し足でおりると、ランプのちろちろと灯っている廊下に出た。
「でかい屋敷だな、おい」
ナルクルは靴を脱ぎ両手に持った。こういうとき肉球は足音をたてないので便利だ。悪いことはしていないのに、泥棒の気分である。
廊下に下りたはよいが、玄関に向かうか裏口にするかでいきなり揉めた。
「みつかっちまったら開き直ればいいじゃねーか。つべこべ言わずに玄関からとんずらしようぜ」とハーヴェイ。
「ダメだ。事を荒立てたくない。裏口を探そう」とテッド。
青少年(片方見かけのみ)の主張はそれぞれの性格をモロに反映しているといえる。
いつぞやの階段転落事件以来、テッドに反発されるとすぐちょっかいを出したくなってしまうハーヴェイであった。秘密バラすぞこのマセガキ、という顔になる。テッドはテッドで、拙速すぎるぞ若造が、と言いたげな冷たい目を向ける。
険悪な雰囲気を察したナルクルがどかんと一発先制した。
「うるさい。とっとと出るぞ」
「どこから」と唱和する二人。
ナルクルはきっぱりと断言した。
「窓に決まっとろーが!」
それでは本当の意味で不審者なのではないだろうか。
だがつっこみたくなる気持ちはぐぐっと我慢だ二人とも。
揉めている場合ではないのは事実なので、三人はそーっと、灯りの漏れていない部屋の扉を開けた。月明かりがこうこうと大きな窓から室内を照らしている。人の気配はない。しめた。
ハーヴェイがまず最初にするりと忍びこんだ。続いてテッド。ナルクルは後ろ手で扉を閉める。
パタン。
思ったより大きな音をたてたのでテッドはびくっと背を緊張させた。えらく長いこと生かしてもらっているが、こういう後ろめたい貧乏行為を働くのは先日ナ・ナル島で特効薬泥棒を強要させられたのを含めまだ二度目だ。
それに比べ、根が荒くれ者のハーヴェイやかっぱらいを生業としていたナルクルのなんと堂々としていることか。
そう、あまりにも堂々と大股で歩いたので、ハーヴェイはそれに気づくのが遅れたのだ。
大きな革張りソファを迂回して部屋の中央に進んだときである。
ぐに。
なにかを、踏んだ。
柔らかくてこんもりとしたものだった。
さすがのハーヴェイもぎくりとしたが、慣性でさらに一歩進んでしまった。
ぐにぐに。
先ほどより一段小高いものだった。
バランスを失ってハーヴェイはソファの背に手をついた。しかしそこは意外なことにぬるりとした液体で濡れていた。
びしょ。
テッドの目と鼻の先で、ハーヴェイはついにすっ転んだ。
どてん!
床が大きな音を響かせた。直後、どこか遠い部屋のドアが開く音がした。
「やべえ!」
ナルクルの叫びに弾かれたようにテッドは駆けだした。だがその足はわずか三歩のところで謎の障害物に行く手を阻まれた。
「うわあ!」
勢いのとまらなかったテッドの身体もはずみで投げだされ、広い絨毯の上をころりと一回転した。空中に浮かんだその一瞬、月明かりの中にテッドは信じられないものを見た。
ハーヴェイが踏んづけてテッドが引っかかった柔らかい物体。
その正体は。
絨毯の上にうつぶせになっている人間だった。
それだけならまだよい。いや、よくはないが、どうして床にガウン姿で寝ているのかと疑問に思う程度ならほんとうにまだよいのだ。だが、この場合残念ながらそれどころではなかった。
寝ておられた方は、あきらかにお亡くなりになっていた。
後頭部から流れ出たのであろうおびただしい血はガウンの背中とその下の絨毯をべったりと染めていた。ソファの背もたれに飛び散った血が点々とつき、ハーヴェイが手をついた痕だろう、一部だけ掌模様になっていた。
ハーヴェイは自分の掌を確かめて卒倒寸前の悲鳴をあげた。
パタパタと複数の足音が近づいてきた。逃げようにも、三人とも腰が抜けてすぐに立ちあがることは困難であった。
遂にドアが開かれた。
万事休す。
「だんなさま!」
使用人とおぼしきパジャマ姿の小柄な男が目映いランプをこちらへ向けた。目がくらみ、三人は反射的に腕で顔を覆った。その直後。
「だ、だんなさまっっっ!!!」
やはり、気づいたようだ(あたりまえだ)。
最悪であった。
ここで展開を予測しよう。男が泡を食って叫ぶ。予測される台詞はこうだ。「お、おのれ! 賊め、だんなさまを、だんなさまを(動揺が予想されるためとりあえずエンドレス)」そして後ろから来たあの用心棒らしい大男が斧を構える。「貴様ら何者だ、ここから生きては帰さんぞ!」さらにぞろぞろとやってきた女性たちが黄色い悲鳴をあげながら死体(だんなさま)に駆け寄る。その声は表まで響き渡りすぐに駐在さんが………。
「ち、違う、誤解だ! おれたちじゃねえ!」
取り急ぎハーヴェイは力いっぱい否定してみた。たぶん、無駄だろうとは思う。
ところがパジャマ男の反応は意外や意外であった。
「あああ、だから言わんこっちゃないんですよ! みなさん、見なかったことにしましょう、見なかったことに。さあさあさあお部屋に戻って!」
「……へ?」
ハーヴェイが呆気にとられるのも無理はない。用心棒(仮定)も黄色い悲鳴の女性たち(仮定)も騒ぐどころかむしろ和やかに、回れ右して部屋を出ていってしまった。
あとに残されたのは、ひとつ、仏様。
ふたつ、ブツブツと悪態をつぶやいている小柄なパジャマ男。
みっつ、放心状態の三人組。
男はふと顔をあげると、いま思い出したように言った。
「そういえば、どちら様?」
ナルクルの顎がはずれそうな勢いでかくんと落ちた。
2005-11-21
