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隠された紋章の村より

三都物語81 無配ペーパーです

 創世の神話から数えて、テッドは何番目の継承者なのだろうか?


 27 の真の紋章のひとつである、生と死を司る紋章(ソウルイーター)。人類が幻想の物語に登場するのはだいぶ後世になっての話なので、それまで【彼】は人を介すことなく存在していたことになる。他の百万世界と同様に、海の中から発展した生命の進化を見守ってきたのかもしれない。それが【彼】に与えられた役目でもあったから、ヒトが進化の頂点に立つまでは休む暇もなかったに違いない。
 人類がそれまでの生物個体群には見られなかった特殊な文化的生活を開始してから、驚異的な進化を遂げるまでにさほど時間はかからなかった。紋章の力を武器や道具として利用することをはじめて思いついたのもヒトである。しかし真の紋章や、その上位眷属ともなれば単純所持だけでも容易ではなく、実際それらは下手な持ち主の元で暴発して幾つもの国や民族を滅ぼした。やがて知恵をつけた人間は真の紋章を躯(からだ)以外の場所(あるいは躯の形をした容れ物。この技術を実用化したのはおそらくハルモニアのヒクサク筋だろう)に封印するすべを編み出した。
 普段は物静かだが、ひとたび怒れば確実に破壊と滅亡をもたらすもの。真の紋章でも最凶と噂される暴力的な性質ゆえに、万が一にも悪意をもつ人間に委(ゆだ)ねられたら一大事。ソウルイーターを管理する人々は強い畏れを抱きながら紋章の存在を隠しつづけてきた。途方もない力を持つそれは彼らから見たらまさしく「神」そのものであっただろう。超絶的存在に対する畏怖の心は、自然崇拝と同様、もっとも素朴で犯罪性のない信仰である。
 ソウルイーターが常に宿主に不老(不死ではない)を強要するのなら、歴代の継承者はけして多くはないはずだ。罰の紋章などと比較すれば尚のこと。テッドの前任者である「おじいちゃん」もまた、気の遠くなるような長い年月を【彼】の命令で生かされてきた可能性がある。だからかの老人はテッドの実の祖父ではないと私は思っている。
 おじいちゃんは何者なのか。隠された紋章の村の村長であり、ウィンディとも面識がありそう。テッドと血のつながりがないと仮定するなら、では少年の両親はどこにいるのだろう? テッドに心酔して二次創作を量産してみたが、この疑問はいつも身近にあった。今回の無配折り本では、私の揚げパンみたいな頭でひねり出したひとつの脳内妄想について語ろうと思う。


 隠された紋章の村はじつに小さな共同体で、しかも外部との関わりを積極的に断っている。単に真の紋章を隠すのが目的ならば、そこに村人の居る意味はあまりない。果たして住人は本当に何の疑問も抱かずにその退屈で閉鎖的な社会の駒に甘んじているのだろうか。不可解だ。もしかしたら彼らは宿命に導かれた一族の子孫であって、変えられないさだめを粛々と受け入れているのかもしれないけれど、プレイヤーである私が旅をした三百年前のあの村にそのような重い試練がのしかかっているとはいまひとつ思えず。うーん、である。
 世界は秩序と混沌が複雑に絡みあってバランスが保たれている。おそらく真の紋章も個々ではどちらかの相を強く持っていて(極もそれぞれ存在する。私はそのふたつを「円」と「変化(シンダル)」だと考えている。「生と死(ソウルイーター)」は「変化」に次ぐ混沌である)、全体として絶妙なバランスを維持しているのだろう。秩序とはなにか、混沌とはなにかを考えるとき、私は「変化を続けるものが混沌であり、不変のものが秩序である」と認識する。秩序は明度しか持たないけれど、混沌はそこに加えて色相と彩度を持つ。闇にはそもそも色の概念がないので、色の三属性は創世のときにできたものだ。秩序だ混沌だと争いの火種になるものはすべて、創世のビッグバンによって生じた火花だ。生と死を司る紋章は混沌の極み寄りであるという想像の根拠はこうだ。「命というものは常に変化をし続ける上に、欲望の支配を繰り返し受ける」。そして、「破滅(死)のあとも遺伝
子の変化は継続されてゆく」。
 さて、ここから先は私の完全な創作。変化し続ける以上、ソウルイーターの守護者である人々もシンダルの一族と同様、定位置に落ち着くことが困難だったのではないか。紋章を継承したテッドが三百年ものあいだ旅を続けなければならなかったのも、もちろん逃亡という意味合いもあるけれど、ひとつところに長居することで起こりうる悲劇を回避するにはそれしか方法がなかったからだ。同じ痛みは坊ちゃんもじきに思い知る。こればっかりは避けようがない。……あれ?
 ここでハタと気づいた。隠された紋章の村の大いなる矛盾。おじいちゃんはいったいどんな方法でソウルイーターから村人を守り、あの共同体を存続させたのだろう。霧の船の導者がそうしたように、魔法で? いや、それでは村は実在しない幻想ということになるので、却下だ。少なくともウィンディ一味によって焼かれたあの村は実在していたはずなのだ。でなければテッドの存在すらも矛盾に巻き込まれる。ああ、なんということだ。もやもやする。そこで、だ。
 私は幻水二次創作を開始しただいぶ初期の頃から、隠された紋章の村を「根の村」であるとテッドに語らせてきた。根とは、日本書紀で言うところの「人は死んだら根の国へ行く」の意味である。つまり根の国に住まう者は死者である。これは他界といって宗教にも関わる思想で、その場所は地域によって山の上であったり、海上であったり地中であったりする。葬儀のやり方(葬制)で水葬や土葬といったさまざまな種類があるのは、他界があるとされる場所が色濃く関与するからだ。また、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教などには「復活」の思想が加わり、火葬が禁忌とされる。呼び戻されて審判を受けるまでその姿で他界に住まわなければならないからだ。
 隠された紋章の村=他界説。いささかぶっ飛んでいるけれど、私の二次創作を支えている考え方はこれである。他界のことを 隠世(かくりよ―幽世)とも言う。そう、他界は隠されている。生者の国とのあいだには明確な境界線が引かれる。思い浮かべてほしい。隠された紋章の村にあった象徴的な祠がそれだ。あれはおそらく、門なのだと思う。この日本でもそのような境界はいたるところで見られる。川や橋、鳥居、門、道祖神、御神木、注連縄(しめなわ)。いずれも「ここより向こうは永久に変わらない神域である」という意味の結界である。
 生と死を司る紋章の村は隠れ里であるとともに、現世から姿を消した者がおだやかに暮らすユートピアでもある。そこに住まう村人は死者に属する。争いとはまったく無縁であり、貧富の差もない。全員で野を耕し、麦を植え、獣を狩って分け合う。もしかしたら時の流れも現世とは異なるかもしれない。外部から訪れて心地よい歓待を受け、さてもう一度訪ねようと思っても場所がわからないというのは平家伝説や民話などでよくあるパターン。うちのテッドも「隠された紋章の村がどこにあったのか思い出せない」と言う。
 おじいちゃんが真の紋章の力でつくりあげた理想郷は、ソウルイーターに魂を喰われた人々が住まう陸上他界である。それは幻などではなく、確かに存在する。異質な存在であったはずのテッド少年が生活していたのがその証拠。村を出たとき彼は十歳くらいの見かけだったけれど、時の流れの異なる他界に身を置いていた年月を考慮すれば、それよりもずっと昔に生まれていたかもしれない。たとえば太陽暦 70 年頃、門の紋章の一族がハルモニアによって滅ぼされたとき、とある女性神官の遺児をおじいちゃんが……いや、いくらなんでもこじつけすぎですかね。
 テッドの両親について誰も触れないのは、最初からいなかったから。そう考えたらストンと合点がいく。テッド自身もうすうす気づいていたのではないか。自分は「外の世界から来た子」で、両親のお墓(といっても単なるつけもの石)は麦畑の中にあるけれど、その下には誰も眠っていないこともちゃんと理解している。もうひとりの生者である村長に引き取られて暮らしたのもそのような理由からだ。紋章の継承者として育てられた可能性だってある。少なくともそれを宿すのは生者でなければならない。村の住人にはその資格がない。
 幻想世界のどこかに存在していた根の村は、ウィンディの襲撃によって焼かれ、現存しない。その場所を知る者もすでにいない。けれど、「境界」さえコントロールできれば同じような共同体は作ることができそうだ。死者はおそらく二度死ぬことはないだろうから、テッドの知った顔も住まわせることができるのかも。彼がその手段に気づかなかった、あるいは知っていても選択しなかったのは、親友になる「おにいちゃん」ともういちど邂逅するためだった。なんと胸熱。
 ところで、俺様設定によると幻想世界の死生観は現代日本とだいたい同じである。輪廻転生は時と場合によっては語られるけれど、あまり信じられてはいない。むしろ業(ごう)の思想のほうが根強い。生存中の行いによって穏やかな他界と、永劫の苦しみしかない地獄に振り分けられるという考えだ。これもテッドはきっぱりと否定する。シークの谷にごく短い時間だけ出現させた「ソウルイーターの内面世界」を親友に見せたのは私の創作だが、このシーンは譲れない。生まれる命、輝く命、やがて光が衰える命、消えていく命、そして新たに――。それらは絶え間なく循環している。命の行いを審判する手順は、ない。命は混沌であるが、そのシステムは秩序なのである。そして選ばれた幾つかの命だけが循環の輪からはじき出され、永遠にそこへ戻ることができなくなる。ソウルイーターに魂を喰われた者たちだ。不安定な世界に存在するために、真の紋章は力を必要とする。力とは犠牲のことである。人柱。彼ら犠牲者は、人の世界と紋章の世界を隔てる境界、いわば「賽(さい)の神」となるのだ。人の魂による強力な結界。「死」であることに変わりはないけれど、より残酷である。ソウルイーターは了承も得ずに勝手に魂を盗む。そもそも紋章にとっては人間の気持ちなど察するに値しないのかも。紋章に意思があるという考えは私も肯定するけれど(テッドは相棒の本質である「邪悪な意思」を暴露していた)、ヒトと会話で異種間交流しようなどという頓狂な考えの持ち主は夜の紋章《星辰剣》くらいなのではないか?
 真の紋章と宿主である人間との関係は、人の側が所有者であると誤解されがちだが、実際は紋章が人を所有している。ただ、紋章には人間のような細分化された欲望はおそらく、ない。相手を利用することに長けているのは人間のほうである。おとずれる変化に柔軟なほうがうまく立ち回れる。その点は宿主が優位だ。どちらか一方的な支配ではないからこうしてドラマも生まれる。テッドもまた、最期のその時にソウルイーターとの縁を利用した。
 魂を提供した人々が賽の神(結界)ならば、生と死を司る紋章の宿主は「死者の魂を他界へと運ぶ者」、つまり鳥や馬、あるいは船といった乗り物なのではないかと私は思う。それら乗り物が勝手に動かないように固定する綱のことを「絆」と呼ぶが、テッドの人生はまさしくこれだ。絆の本来の意味は「呪縛」である。
 隠された紋章の村を私が絵に描くとき、その村の背景には単調な山並みと荒野が広がり、前景には大麦小麦がみっちりとすきまなく植えられ、風に揺れる。その村のイメージは、黄金色。たわわに実った麦の穂の色だ。素朴でやわらかな光の乱舞。幼いテッドは手に持った猫じゃらしで赤とんぼをからかっている。彼の故郷は、人類の原風景である。その大地で繰り返されてきた数多の生と死。生者を養う水と穀物。誰の心の中にも存在する仙郷こそが、隠された紋章の村だ。
 村はいまもきっとこの地上のどこかにある。そこでテッドは穏やかに暮らしている。そこにたどり着くまでの記憶はもうないけれど、彼はきっと例の人なつっこさで笑っているに違いない。パンを焼くための麦をせっせと植えて。グレミオはかまどで美味しいシチューを作って、村人を喜ばせているだろう。テオ様は狩りが得意だろうな。マッシュ先生は本を書いて、オデッサは井戸端で今日もにぎやかにおしゃべりしているだろう。
 村の裏手にある祠が輝くのはもっと、ずっと先かもしれない。

2018-09-17 三都物語81
隠された紋章の村01/ふうかの根 無配ペーパー