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六 蛇行

 グレッグミンスター宮殿に隣接する本会議場は朝から物々しい雰囲気に包まれていた。平時には帝国議会の議事堂として、時には国際会議の舞台として主要国から要人を招きいれる権威ある建物だが、いまは一時的に国家作戦司令室としての役割を担っている。傍聴席に入りきらなかった一般の兵士たちが中央広間にまであふれ、出撃命令が下るのを今か今かと待ち構えていた。
 人いきれに耐えられずぐったりと座りこんでいる者もいる。遮音のため窓は半分以上も暗幕で覆われており、空調のために開けられた北側の窓からはそよりとも風が入ってこない。
「静粛に」
 座長席で声をからすのは参謀本部付きの軍政官である。第一線からは退いた古参兵であるが継承戦争でも活躍した精鋭部隊のエリートで、皇帝より名誉称号を賜った男だ。人望も厚く事務方に長けており、隊長不在の近衛隊をよくまとめている。
 バルバロッサ皇帝がいまになって能力主義への回帰を明確にした理由は、なんといっても前近衛隊隊長クレイズの失脚にあった。皇帝を警衛する直属部隊でありながら、トップにいる人間が私利私欲に走ったあげく本来の職務を怠り、直属の部下から離反者を出してしまったとあらば国民の不信を招くのは避けられない。監督責任のある皇帝にとってもたいへんな不名誉である。クレイズが金とコネを駆使して組織の頂点にのし上がったとわかったのだからなおさらだ。対応如何によっては政権の致命傷ともなりかねない案件であった。汚名返上のために皇帝は忠臣に威厳を示さねばならなかった。
 まずは悪しき慣習であった年功序列を撤廃する。目に見える功績をあげた者は、年齢や性別、経歴にかかわらず積極的に重用した。人事を徹底的に見直すことで持ち駒の能力を最大限に引き出すことが可能になる。その作戦はあらかた成功していた。
 北方のダナ地方に駐留する部隊長が報告を終えて、会場内はざわついていた。座長の注意もあまり効果がない。
 トラン湖東岸で勃発した大規模な軍事衝突において、赤月帝国の誇る鉄甲騎馬団が叛乱部隊に圧勝した直後であった。兵たちの士気は最高潮に達していた。敵に体勢を立て直す時間を与えず一気に攻め込めば、次は間違いなく本隊を壊滅させられる。誰もがそう思った。ところが尻尾を巻いて退却したはずの叛乱軍に予想外の動きがあったため、空気が微妙になってきた。
 密偵の報告によると、最高指導者らしき人物がアジトを出て秘密裏に北方へ向かったという。オデッサ・シルバーバーグがたびたび北方地域へ足を運んでいたのはそれまでも確認できていたが、いったい何が目的であるのか、その接点はいまだ謎に包まれている。テオ・マクドール将軍のモラビア城赴任中も敵は尻尾を掴ませなかった。しかし、そこに重大な何かがあるのは確実だ。それは戦の行く末をも左右しかねない大きな事案に思われた。
 議員席の最前列で、テオは腕組みをしながら瞑目していた。北方で目撃された叛乱軍の幹部は彼の息子であった。ティル・マクドールは現時点においてオデッサと肩を並べ叛乱軍の最高指導者の席にいると目されている。
「それほど少人数だったのならなぜ討たなかったのだ。絶好の機会だったのに。まさか手を汚すのをおそれて躊躇したとは言うまいな」
 傍聴席からもやじが飛んだ。議会とは異なり、居合わせる全員に発言権が与えられている。よっぽど下品でないかぎり、やじも正当な権利だ。
「辺境の景色など遠すぎてお見えにならないかもしれないが、こちらはまったく人手が足りませんでね。手薄だの消極的だのとののしられてもしかたがありませんが、もとはといえば討伐軍にマクドール将軍の部隊を持っていかれたからです。そっちで決戦になるとあんたらも豪語してらっしゃったくせに、いまさら責任転嫁はひどすぎやしませんかね。われわれは将軍不在でも最善を尽くしたつもりですよ」
 ダナの部隊長が憤懣遣る方ないといった顔で反論し、ちらりと横目でテオを見た。将軍は微動だにせず、口を一文字に結んでいる。
「それで、やつら北になんの用があったんだ? 見失ったあとアジトに戻ったかどうかもわからんとは。移動には船を使ったんだろう。水軍は目撃しておらんかったのか」
「そうだ、シャサラザードの警備艇がいたはずだ。おまえさんたちは昼寝でもしていたのかね。それとも仲良しの湖賊どもと遊びほうけていたかね」
 矛先を向けられた水軍の頭領は、感情的になることなくきわめて冷静な態度で起立した。ソニア・シューレン。弱冠二十七歳の男勝りな最年少将軍である。
「お言葉ですが、湖賊の監視中に不審な高速艇を発見し、乗船者が叛乱軍の幹部であること、キーロフに上陸したことを最初に報告したのは我が軍です。内陸に入られたら追うすべもありません。キーロフからはその後、船商人の船団と漁師の小舟が出船しただけで、高速艇はいまも港に係留されたままです。言い訳はこれくらいでいいかしら」
 ソニアはいったん言葉を切り、背後の席に目をやった。またやじが飛んだが彼女はそれを無視した。
「そもそも管轄区域の責任という凝り固まった縦割りの考え方があるから連携がとれないのではありませんか。部隊で対抗して功を競うのは、平和なときの話でしょう。それを責任責任と押しつけあって、見苦しいったらありゃしない。いい加減目を覚ましましょう。それから、数で勝っても戦にかなわないのであれば、頭数をそろえるだけの戦法は最善とは言いがたいわ。事実、数で圧倒的であったスカーレティシア城でさえも陥落させられてしまった。ああ、責任の所在がどこかという話ではありませんよ。敗因がどこにあったかというのを問題にしなければと申しております。しかし、残念ですがそれを話し合う時間はいまはなさそうです。北方の件に関しても同じこと。足りない情報をあれこれ憶測したところで、いたずらに時を費やすばかりで結局は機を逃すだけです。座長、脱線した議題はこれくらいにして議事の進行を強く要望いたします」
 会場内は一気に静まりかえった。なかにはブツブツと文句を言う者もいたが、大きな声ではない。帝国六将軍の紅一点、美貌の剣士キラウェア・シューレンの忘れ形見は、気も強ければ戦も強いことで有名である。うら若き女将軍の手綱を握ることができる者はそう多くはない。
 ソニアは一礼して議員席に戻り、テオの真横に腰掛けた。今日は水軍の代表として招聘されている。
 座長席の後方、一段高い位置に設けられたきらびやかな舞台の中央が皇帝の玉座である。同じひな壇には今は空席となっている皇后席と、従者のための席がある。バルバロッサは正装である黄金の鎧を身につけ、一言も口をはさむことなくじっと会議の様子を見守っていた。大荒れになろうともけして仲裁せず黙している。自由に議論させるつもりなのか、誰かに口を縫い止められているのかは判然としない。
 ソニアの言うとおり、縦割り組織ごとに命令系統が細分化するのでは無駄が多すぎるし、報告漏れも発生する。ましてや担当者の机で時間のかかる決裁を待たなければいけないのであれば、印鑑が乾く前に国が滅びかねない。経過を省略したりせずに、もっとも早く確実にものごとを判定するためにはどうしたらよいか。その方法がこれである。
 皇帝を筆頭にして、元老院のお歴々、将軍と軍政官、各部隊の指揮官、下士官、さらにはその下に居並ぶ兵士たちまで誰もが一堂に会して行う大規模な軍事会議である。決定事項は時間差なくすべての者に伝えられる。これほど単純明快で間違いのないやり方が他にあろうか。
 実際は全員を収容するスペースがないため、下位の兵士は場外で待機させられている。軽食や飲み物も用意され外はちょっとしたお祭りムードだ。
 テッドはウィンディの背後に隠れるように控えて会議を傍聴していた。二階傍聴席と同じ高さに、そこだけが隔絶された豪奢なつくりの貴賓席である。ウィンディは政権に深く関与しているがルーグナー家と婚姻関係にあるわけではないので、公式の場ではバルバロッサの隣に座ることができない。
 会議場は三階までの吹き抜けで開放感があるが、敷地面積は城の内壁全体からすると広くない。宮殿と同時期に建てられたとみられる歴史ある建造物である。天井は荘厳なステンドグラスで彩られ、壁面や柱礎は彫刻による細やかな装飾が施されている。
 採光も申し分なく、場内にいる者はどこからでも識別できる。テッドの座る位置からテオ・マクドールは息づかいすら感じられそうな近さだ。いつもの白いローブで上から下まで覆い隠しているものの、気配で気づかれるのではないかとびくびくしていた。
 残暑の厳しい昼日中に、いかなる事情があろうとも全身ローブは場違いすぎた。集団の中であきらかに自分だけが浮いていた。むこうはこちらのことなど気にもとめないだろうが、それでも目を引いてしまったらと思うと気が気でない。指南所で接点のあった生徒に発言を求められでもしたら万事休すだ。声を発したら絶対に怪しまれる。
 テオのすぐ後ろに陣取っている二人は、部下のアレンとグレンシールだ。彼らももちろんテッドと顔見知りである。がさつなところのあるアレンはともかく、グレンシールは勘が鋭い。直情径行ですぐにかっとなるアレンが火炎将で、狙いをさだめて確実に撃ってくるグレンシールが雷撃将。その雷がこちらを見た。落ちませんようにと祈りながらフードを目深にかぶる。
 少ししてそっと様子をうかがうと、グレンシールはまだテッドのほうを見ていた。アレンを肘で小突いて何か話しかけている。相棒は興味がなさそうにあくびをしたが、ふいにけらけら笑って相手を小突き返した。
 きっと視線の先にあるのはウィンディだし、興味本位で与太を飛ばし合っているだけだ。テッドとティルも同じことをやった。悪い方へ考えすぎないようにしないと。必死で平静を取り戻そうとしたのに、息苦しいような圧迫感が身体の内側からせりあがってきた。
「懐かしい顔ぶれでしょう」
 ウィンディがこっそりと耳打ちしてきた。いやらしい含みがあるのはいつものことだ。
「まあね。とりあえずテオさまの顔を見られてよかったよ」
「あら、きょうはあんがい強気なのね。最近元気なさそうだったから気晴らしになると思ったんだけど、よかったわ、楽しんでくれて」
「けっ。大きなお世話ありがとよ。でも、うん、わりと興味深いな。赤月っていつもこんな感じなのかな。皇帝が無制限な支配権をもってるっておもってたけど、意外と個人個人で主張をぶつけあってるんだな」
「そうね、これでもだいぶ変わったほうよ。なにか旗印がないとやる気が起きないのよ。平和なときよりも戦をしているときのほうがまともかもしれないわね、この国」
「だからって戦を正当化できないだろ。まあ、あんたはどっちでもいいんだろうけど。それにしても、骨のありそうなのがちらほらいるな。あの水軍の大将とか。ちょっとかっこよくない?」
 ウィンディはフフッと笑った。
「惚れちゃダメよ。彼女はテオ将軍の恋人だから。まあ、ひょっとして知らなかったの」
 テッドは「ええっ」と驚いて、はじめてウィンディの目をまじまじと見た。「そうなの? だってあの人、キラウェア将軍の……ああ、そうか。そういうことか」
 人の色恋沙汰についてはだいぶ疎いと自覚している。ティルから初恋の相手を聞き出したとき、年上のソニアの名を照れくさそうに白状した親友をげらげら笑いながらからかった。悪いことをしてしまった。父親が恋敵だなんて、どう転んでも勝てるわけがない。
「この人たちが相手なら、ティルも苦戦するかもしれないな」
 それはまぎれもない本心であったが、ウィンディは目を丸くした。
「へんなの。あんたはどっちの味方よ」
「どっちでもないよ、最初っから。味方とか敵とか、そういうふうに分けて考えられない。おれはもとからよそ者だしな。ただ、感情移入できるとしたら赤月のほうだ。叛乱軍の言い分はものすごくわかるんだけど、どんなやつらが動かしていて、どんな思想を掲げていて……それがはっきりしないから、なんとなく不気味だな。狂信的なものじゃないことを願ってるけどさ。それに、革命とか言ってもやってることは戦だろう。ろくなもんじゃない。とりあえずティルがむこうにいるのが複雑だな、ってとこかな」
「なるほどね。あんたは目に見えるものを信じたいのね。でも、あの子はどうしてあっち側に行っちゃったのかしらね?」
「知るか。ぜんぶあんたのせいだろ。自分で考えろよ。あ、ほら、ちょっと黙れ」
 テオが指名されて発言台に立った。恐ろしく険しい表情だ。ティルの父親としての、少々親馬鹿なところのある彼とはあまりにもかけ離れている。いまのテオ・マクドールは討伐軍の総大将であり、国民からその動向が注目されている時の人であった。
「まずは」とテオはよく通る声で言った。「先に発覚した身内の不祥事をあらためてここにお詫びする。また今回の掃討作戦において、敵の頭領オデッサ・シルバーバーグとティル・マクドールの首をとりそこねたこと、まこと慚愧の念に堪えない。しかしながら、此度の作戦においていくつかの確信を得るに至った。ひとつは、オデッサ・シルバーバーグがすでに死亡しているにも関わらず、その事実が隠蔽されていること」
 会場がまたざわついた。「まさか!」と声があがった。たしかにオデッサは表舞台に姿を見せなくなったが、地下活動の頃とは事情も異なる。
 テオは「そのまさかである」とすんなり言ってのけた。「オデッサは革命戦士アキレスの遺志を承け継ぐ者である。叛乱軍の礎となる者である。そして、シルバーバーグ一族の名を持つ直系である。したがって、これを喪うことは叛乱軍にとって大きな痛手となることは明白である。彼女がいつ、どのようにして命を落としたかについては憶測にすぎないが、おそらくは我が軍がレナンカンプのアジトを殲滅したときと思われる」
「そんな以前に?」とひとりが叫んだ。事実だとしたら、昨年のことだ。
「そうだ。それ以降、頂点に立って叛乱を煽動しているのが、愚息のティルである。先の戦いでティルと相まみえることは叶わなかったが、敵陣中央にその姿のあることを確認した。愚かなり、革命戦士の亡霊に取り憑かれた不届き者よ。されどわたしも人の親であったがゆえ、まこと、儘ならぬ己の弱さがために、追ってけじめをつけることをためらった。結果として圧倒的に優位な戦いをむざむざ見逃すこととなった。その情けなさたるや。なにもかもこのわたしの不徳の致すところである」
 恋人の似合わぬ自虐にいたたまれなくなったのであろう。ソニアが立ち上がり、毅然と言い放った。「それはちがいます。テオさまのお力があったからこそ、叛乱軍を崖っぷちまで追いつめることができました。なんの不手際がございましょうか。善かれ悪しかれ、親子の情は何人であろうと非難できる筋合いにはございません」
 テオは深く頭を垂れて、しばらくじっとしていた。しんと静まりかえった会場から「そのとおりだ!」と声があがった。それが合図であるかのように会場から拍手がわき起こった。
 ウィンディがにやりとた。「ふふ、客受けのいい芝居は嫌いじゃないわよ」
 ソニアが着席し、テオはゆっくりと姿勢を正した。
「個人的な話で時間をとらせてすまなかった。みなの温情に心より感謝を申しあげる。僭越ながら話を続けさせてもらう。わかったことがもうひとつ、それは暴動に加担している軍師の存在である。その人はマッシュ・シルバーバーグ」
 おお、とどよめきが起こった。
「名門シルバーバーグ一族の輩出した稀代の天才であり、オデッサの実の兄である。その名についてはみなもよく存じていよう。改めるまでもなく、カレッカ奇襲作戦を率いたわが帝国の副軍師である。近年は心を病まれたとの噂もあり、セイカ村に隠遁しておられたようだが、軍の招聘を再三にわたって断りつづけ昨年末あたりに行方知れずになった。現在の住居はトラン湖の古城。これはすでに裏の取れた情報である」
 会場のあちこちからブーイングが起きた。
「またシルバーバーグか! 帝国の威を借りて成り上がったくせに、手の裏を反すようなまねを。どこまで皇帝陛下の顔に泥を塗ったら気が済むんだ」
「いや、やつら赤月を踏み台にしてシルバーバーグのお家騒動に勝つ気じゃないのか。一族に不審な動きがないか調べる必要があるぞ」
「そうだ。シルバーバーグの残りをすべて監視下におくべきだ」
 そのとき、静かに座っていたウィンディがすっと手を挙げた。
「どうぞ、ウィンディさま」と座長がうながす。「一同、静粛に」
 ウィンディは優雅に立ち上がり、一歩前へ踏み出した。テラスの欄干に片手をそえる。今日の召し物はモーヴのドレスではなく、金の刺繍が上品に入った漆黒のドレスである。襟と袖口だけが白のレースで、華美な装飾はない。
「いまの件に関して補足いたします。マッシュの消息につきましては、こちらも同様の見解を得るに至っております。そのことに加え、シルバーバーグの裏切り者をもうひとり特定していることをお伝えしておきます。監視を続けておりました容疑者は、春の建国記念祭の頃グレッグミンスターを出奔。その足取りはカレッカで途絶えております。ここで妙な符号にお気づきになられた方もおありかと思います。シルバーバーグ。カレッカ。そう、みなさんもうおわかりですね。叛乱軍が北方で怪しい動きをしていた理由、それにはシルバーバーグの少なくとも三名が関与しているのです」
 テオは唸った。「まさか、その容疑者とは……レオン・シルバーバーグ。ともに戦った、正軍師レオンか!」
 魔女はわざとらしく目頭を押さえてみせた。その袖の下ではしてやったりとほくそ笑んでいるにちがいない。
「ええ、そう。そうよ。わたくしたちはもっとも信頼していた男に裏切られたということになります。あの者は依頼人を勝たせるためには手段を選ばない、冷酷非道な職業軍人です。それにしても、よもやシルバーバーグが黒幕だったとは。衝撃的としか言いようがありません。ですが辻褄はすべて合いました。ここで怒りにまかせてその背後にいる組織を失念してはなりません。みなさんもよくお考えください。赤月帝国を揺さぶって得をするのは誰かしら」
 都市同盟に決まっている、いやハルモニア神聖国もわが国に恨みをもっているから、などと雑多な声が四方から聞こえてくる。
「そうね。誰も彼もが疑わしく見えてくるはず。それとは逆に、疑わしい者すべてが何者かに踊らされているようにも思えてきます。テオ将軍、あなたの息子さんはその悪意の持ち主に利用されただけかもしれません。マクドールの名は求心力があります。道具として使うにはとても都合がよいのです」
「ですが……そうであったとしたらなおさら恥じねばならぬと」
「おつらい気持ちはわかります。ですが、あなたは将軍である前にひとりの父親です。お父様として息子さんに接するのは当然でしょう。どうぞ、順序を違えないで。そして願わくばその目で真実をお見極めください。それが栄えある赤月帝国のためでもあります」
 魔女め、帝国を玩具にして愉しんでいるのはおまえじゃないか。テッドは憮然とし、怒りをしずめるために革張りの椅子を爪で引っ掻いた。どの口がいけしゃあしゃあと偉そうなことを。あまりの嫌悪感で寒気がするが、会場を埋め尽くす正直者たちの洗脳にはじゅうぶんすぎるほどの効果があったようだ。テオはたやすく乗せられないだろうが、その冷静さが逆に彼を追いつめる。あとの始末は父親であるおまえがつけろとほのめかされたも同然だ。
「寛大なお心遣い、光栄のいたりでございます。お言葉は真摯に受けとめる所存です」テオは鉄甲騎馬団のやり方に則って敬礼した。ウィンディが退き、着席するのを確かめてからテオは場に向き直った。
「やはり、一度の衝突で勢力を削いだくらいで勝利と浮かれるわけにはいかない。みなも承知の通り、敵のアジトにはいまだかすり傷ひとつ与えてはおらぬ。また、西方を占拠されたことによる戦略の見直しも捗々しくない。このままだらだらと優位に甘んじ、持久力に依存した戦法を続けていってよいものだろうか。消耗戦を繰り返すごとにわれわれも疲弊していくことを、いまここで厳しく認識すべきである。悲しいかな、兵力は無尽蔵ではない。しかし、敵とて条件はまったく同じ。分が良い今こそ殲滅作戦を実行する最大の戦機。わたしが帝都に戻ってきたのは、皇帝のご決断を賜るためである。皇帝陛下!」
 かかとをそろえて胸を張る。テオの部下たちが一斉に起立した。
「討伐部隊の総大将として申し上げます。われわれはこれより、攻撃目標を敵のアジトであるトラン湖の城、目的を頭領及び幹部の征討といたします。心臓部を破壊することが最短にして最大の抑止力となります。革命はその者たちによって誘導された狂信的な思想であります。敵味方に分かれても血は同じ赤月の民、迷いを取り去ればふたたび結束もかないますでしょう。われら鉄甲騎馬団の名誉にかけても、次の戦をもって最後とし、必ずや平定を成してごらんにいれます。どうぞ、出撃のご命令を」
 会場がぴりぴりとした緊張に包まれた。テッドは横目でウィンディをうかがった。口元に悪魔の笑みを浮かべていた。
 バルバロッサ皇帝はひとつ咳払いをし、それから厳かに口を開いた。
「そなたの決意はまことよくわかった。百戦百勝の将、テオ・マクドールよ。盟友であったクワンダ・ロスマン、ミルイヒ・オッペンハイマーの両公も、貴君の雄志を誇らしく思うであろう。スカーレティシア城の陥落は我の失策であった。大国であるという傲りゆえ、人民の心を軽んじた末の敗北である。すまなかった。わたしは己の慢心を戒めるとともに、黄金の都を穢そうともくろむやからに厳しい罰を与える所存である。テオよ。常勝が潰えるよりも、わたしはそなたを喪うことのほうがはるかに惜しい。よいか、命を落とすようなことがあってはならぬ。戦術は豪胆なれど、守りでは常に臆病であってくれと願う。悩むくらいならば引き下がれ。笑う者などおらん」
 ウィンディがコホンと小さく咳をした。その音は控えめではあったが、静まりかえった会場のすみずみまで響き渡った。
「……それと、もうひとつ。ティル・マクドールを殺してはならぬ。生きたまま捕らえ、その身柄をグレッグミンスターへ」
 テオは弾かれたように顔をあげ、「はっ?」と言った。
「非常に困難な要望であることは承知しておる。しかしながら、これは絶対命令である。そなたの立場を案じて言っているのではない。勘違いはするな。ティル・マクドールからなんとしてでも聞かねばならぬことがある。その後の処分については、テオ、そなたにまかせる。約束しよう。だから、わたしの前に息子をひっぱってこい。あの時のように、謁見の間で待つ。よいな」
 テオの表情がこわばった。
「……御意」
 不祥事を息子の首でつぐなうつもりであったのは明白だ。テオらしくいさぎよい責任の取り方だとは思うが、テッドは少しほっとした。それがウィンディの差し金であったとしても、父と子が殺し合うもっとも悲劇的なシナリオは回避されたことになる。愚直なところがそっくりな親子であるから、上の者が止めに入らなければほんとうに突っ走りかねない。敵陣にも冷静な御意見番がいてくれることを心から願う。
 会はそれから詳細を詰める話し合いとなった。鉄甲騎馬団の欠員補充にはクワバの城塞から人員が充てられることが決まった。クワバの城塞を指揮するアイン・ジード武官はかつてテオ直属の部下だったこともあり、百戦百勝の戦法を熟知していた。前線となるトラン湖東岸へも近く、クワバは後方基地としての役割も十二分に担える。城塞が手薄にならないよう、近衛兵団から新たに精鋭百名がクワバへ赴くことになった。不審な動きの見られた北方の守りには【青い月】カシム・ハジル将軍が再任され、モラビア城に常駐してテオの抜けた穴を埋める手筈となった。
 正午を過ぎてようやく決起の宣誓が交わされ、散会となった。この後中庭で昼食がふるまわれるとのことで、準備もととのったらしく会議場の中にまでいい匂いがただよってきた。
 ウィンディは立ち上がって、髪をまとめていたピンを片手で器用に外した。シニヨンがほどけ、ゆるく編んだ長い髪がぽふりと垂れた。ぶんと首を振って、手でたくしあげる。襟元にかなりの量の汗がにじんでいた。扇子があるとはいえ、こんな大汗でよく化粧が崩れないものだ。
「疲れたわね。さて、と。あたしはバルバロッサとお食事してから帰るわ。あんたは先に戻ってなさい。少しくらいなら羽目を外してもいいわよ」
「えっ?」
「なあに、ひとりでおうちに帰られないの?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「変な子ね。せっかく用意してるんだから、ごちそうを食べて帰ればいいじゃないの。腹ぺこで戻っても今日はだれもいないわよ。みんな配膳にかり出されてるから」
 それはそうなのだが、主館に戻るためには広間を経由し、人のいっぱいたむろする中庭を抜けなければならない。当然どこかにテオ・マクドールがいるだろうし、知った顔に引き止められないとも限らない。ウィンディについて歩けば切り抜けられると思ったのだが、ひとりか。
「じゃあね。またあとで」
 ウィンディはさっさと行ってしまった。ぽつんと残されて、どうしたものかと考えた。テオの姿はすでに場内には見えない。思い切って小走りに行ってしまおうか。テーブルから食べ物をすばやく取って、部屋に持ち帰ればいい。よし、そうしよう。
 走ってもはだけないようフードの首まわりをベルトで留めなおして、一階席への階段を慎重に下りた。すでに何名かの視線がこちらに集まっているように感じる。貴賓席から歩いてきたのだからあたりまえだ。格好も怪しいし、所作も不穏。目立つことこの上ない。
 議場を横切り、先ほどまでテオのいた座席の前を通って広間に出た。こもっていた熱気が一気にやわらいだ。まだ多くの兵士が寄り集まって談笑している。中央玄関から小走りで外に出る。
 いい天気だった。日差しはまぶしいが、夏の盛りよりは落ち着いている。宮殿は高台にあるためグレッグミンスターの市街を一望できる。戦時中でなければ中庭は観光客が入場券を買って入ることもでき、美しく整備された憩いの場となっていた。
 芝生にテーブルが並べられてさまざまな料理が置かれていた。どれも美味しそうだし、主食からデザートまで種類も豊富だ。銘々で皿を取り、好きなものを好きなだけ取って食べていいらしい。肉料理がとくに人気のようで人が群がっている。出征に備えて今のうちに確実に食べておこうという腹だろう。遠征中は限られたものしか口にできないから、気合いもこもろうというもの。酒がないことだけが気の毒だ。
 肉の行列に割り込む勇気はない。テッドは皿を片手に、人の途切れているところを重点的にかすめて歩いた。キッシュや饅頭の系だ。選り好みができないのはしかたがないので、食わず嫌いの魚だけを避ける。
 適度にこんもりとなった皿にひとまず満足してきびすを返そうとしたとき、背後から「あのう、すみません」と声をかけられた。テッドは雷に打たれたように硬直し、肩越しに声のほうを見た。
 やっぱり、グレンシールだ。要注意人物の雷のほうだ。傍らに焼き鳥の串をくわえたアレンの姿もある。
「宮廷魔術師ウィンディさまのお付きの方ですよね。はじめまして、鉄甲騎馬団の指揮官をしておりますグレンシールと申します。ちょっとお話が。ああ、お食事をしながらでも結構です。席はもう確保していますので、よろしければご一緒しませんか」
 グレンシールはにっこりと紳士的に笑んで、簡易に張られたテントのほうを指さした。ぎくりとしたが、そこにテオの姿はなかった。
「す、すみません。あんまり時間がないんで、急がないと」
 声色を極端に変えた鼻声で、ぼそぼそとテッドは拒否した。グレンシールとアレンは面識がある。テオが任地からテッドを連れ帰るとき、三日ほど騎馬団に同行させてくれたからだ。当時のメンバーでは彼ら以外にテッドを記憶している者はないだろうが、この二人には着るものや寝床でさんざん迷惑をかけたので、背格好や声でバレるおそれがある。印象づけようと思って振り回したのが裏目に出た。
 グレンシールはとりあえず気づきはしなかったようだ。
「ああ、そうでしたか。ご無理申し上げてすみません。あの、お噂が鉄甲騎馬団にまで聞こえてまいりましたもので。新しく着任された紋章魔法の指導教官が凄腕だと。わたくしどもは剣技を重んずる騎馬隊ですが、紋章攻撃手の強化が最大の課題となっております。魔法剣を扱うにも、紋章の基本知識と運用技術が必要です。これまであまり重要視してきませんでしたが、実戦となってはじめて弱点を思い知らされました。そこで、教官にクワバの城塞までご同行いただき、補佐していただければありがたいと考えた次第です。ああ、もちろんわたしの勝手な思いつきですし、急な話で戸惑いもおありかと思います。ですが、ほんとうに切羽詰まっていて……なにとぞお考えいただければ」
 予想だにしなかった話であった。人の口に戸は立てられぬということだ。
「鉄甲騎馬団はこのあとすぐに出立いたしますけれど、教官はクワバへ赴任する近衛兵団に同行してくださって構いません。明後日になります。いかがでしょう」
 なんと答えたらよいかとっさには思いつかず、うなだれたまま動けずにいた。
 すると、口がするりとほどけた。頭に思い描いていないのに呼吸が同調し、言葉が勝手に声になって飛び出してきた。しかも声色を変えないままだ。
「すみません。それはできません。こんな非常時にお力になれないのはほんとうに心苦しく、情けなさで身もちぎれそうですが、いまのわたしにはクワバへ向かう力がございません」
 脳と発声器官とのつながりが断たれたような異様な感覚にぞっとした。五感以外の制御をその瞬間から外部に委託したかのような、冷たく、事務的な切り替わりであった。口は意思とは無関係になおも動いた。
「わたしは不治の病で余命を宣告されてしまった身で、ウィンディさまの調合なされるお薬で命を長らえています。それもいつまでもつかわかりませんが、いまはお薬にすがるしか生きる道が残されていません。そのような身勝手な理由がございまして、ウィンディさまのお側を離れるわけにはいかず、徴兵に応じることもかなわず。せめてものつぐないに城内で魔法の稽古などを手伝わせていただいております。お恥ずかしながらこれしか取り柄がありませんもので、いたしかたなく」
 舌打ちしたかった。ウィンディめ、またなにか仕込みやがった。バルバロッサと楽しくお食事ではなかったのか。これは刷り込みによる誘導ではなく、直接的な遠隔操作だ。魔女はどこか近くで見ている。
 グレンシールは可哀想なくらいうろたえて、必死に謝罪をした。聞き役に徹していたアレンまでつられて頭を下げるくらいだった。すっかり騙されたグレンシールは「お身体を大切に」とテッドをいたわったあと、あたふたと人ごみに消えていった
 テッドはこぼさないようにお皿を支えて城に走った。こんな屈辱的な方法で台詞を言わされたのははじめてだ。グレンシールも大概だ。不治の病でいまにも死にそうな人間が皿に山盛りのごちそうをかっ食らったり、訓練とはいえ魔力をがんがんに消費したりするものか。少しは疑え。
 他人が己の口を使ってものを言うのは想像以上のおぞましさだった。身体の自由を奪われているのだからあり得ない話ではないのだが、これほど直に操ることが可能だとは思ってもみなかった。
 いままでのを例えるならば、いわば拘束具を着せられるような制限だ。まずいことを言いそうになったら舌がこわばったり、城を出ようとすると門の前で理由のない恐怖を感じて足がすくんだりする。テッド自身の意思はいつでも居場所があり、どんなに邪魔をされようとも崇高に随意運動をつかさどる。
 疾病や障害で身体の制御が不能になることはある。いましがたのテッドはあきらかに、ウィンディという毒薬による酩酊状態にあった。不随意の領域に行動が支配された。それはごく短い時間であったが、彼を襲ったはじめての体験はわずかな希望を粉々に打ち砕くのにはじゅうぶんであった。
 ひと気のない大階段を駆け上がり、吹き抜けの三階で広間を囲む回廊から左右に分かれる階段でさらに上へあがった。居室にしている書斎は長い廊下のつきあたり、もっとも東側にある扉をくぐったさらに奥である。飛び込んでドアを閉めた。主館はどの部屋にも鍵がついておらず、かわりに本棚備え付けの脚立をつっかえ棒のようにしてドアに立てかけた。
 きつく締めた首のベルトがどうしても外れず、すぐに屈した。フードだけをよけてクッションに突っ伏す。首を通る血管が圧迫を受けてどくんどくんと脈打った。呼吸は乱れて頭が朦朧とした。直前までたしかに持っていた皿をどうしたか覚えていない。いや、食べ物などもうどうでもいい。
 しんとした密閉空間に身を置いたら、激しい震えが襲ってきた。ウィンディはグレンシールが接触するのを見越して、わざとテッドを一人にしたのだ。どこか近くにひそんで聞き耳を立てていたのか、それともテッドの『耳』を使ったのかはわからないけれど、悪意に満ちた計画的な実験であったことに疑いの余地はなかった。
 操り人形の操作はうまくいった。人形を動揺させて精神を弱らせるもくろみも成功するだろう。すると、次は。
 段階的に支配するつもりなのだ。獲物をじわりじわりと追いつめることで嗜虐の性癖は最大限に満たされる。無邪気で残酷な子供が虫を飼うのといっしょだ。最終的に魔女がテッドを使ってすることは、想像するまでもなかった。テッドを紋章の器にする。わかりきったことだ。己の身体に空きがないのだから、魔女がソウルイーターを手に入れるにはそれしか方法がない。ティルを一から調教するよりもはるかに現実的だし、テッド自身への復讐も兼ねて一石二鳥。
 体内に巣くう怪物が恐ろしい。身体の支配が完成したら、次は心。考えていることを読まれるようになったら終わりだ。そこを蝕まれたらもう抗いようがない。精神の砦はぜったいに死守するつもりで耐えてきたけれども、そろそろ発狂するかもしれない。穿たれた楔から生じていくズレはどんどん大きくなり、修復も追いつかない。
 心が自分のものでなくなったら『テッド』は消えるのだろうか。この世界から、永遠に?
 陽がすっかり傾いて空がオレンジに染まるころ、おもてで十発の空砲が上がった。重い身体を安楽椅子から引き剥がし、のろのろと窓際へ行った。外を見ると鉄甲騎馬団が出陣することろであった。月の明るい夜間に南進し、日中はキャンプで馬を休ませる。馬は猫と同じで夜でも周囲を見通すことができるから、夏期の行軍は消耗を計算して涼しい夜間が中心となる。
 先頭に月毛の馬に跨がるテオの姿があった。あのときの馬だ、と思った。グレッグミンスターへ向かう道中で、テオが手綱を握りテッドを前に抱えて乗せてくれたのだ。気性が穏やかで賢く、美しい雄馬であった。ふだんはおとなしいのに俊敏で、競わせたらもっとも脚が速いとも言っていた。足が届かず怯えるテッドを巧みに支えながら、テオは息子の話をした。
 あれから三年しか経っていない。しかし、三年も経ったのだ。三百年も生きているのにわずか三年のけじめもつけられない。
 大きかった背中が儚くにじんで見えた。
 テッドが最後に見たテオの雄姿であった。