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多重神経支配-摩天楼のインビジブル・ハンド2

「よりによってなんでてめえとペア組まな、いけねーんだよ」
 カーラジオしか装備されていない低待遇な軽乗用車の後部座席につめこまれて、遙兵はぶつくさと文句をたれた。
「お互い、あぶれたんだからしかたがないじゃん。きみの茶髪、媚び媚びのペルシャ猫みたいでやわらかそうだし、後ろから見たらちょっと背の高いボーイッシュな女の人に見えないこともないんじゃないの」
「女役ならてめえが似合いだ、どチビ」
 霧流はくすくすと笑って「ぼくはどっちでもいいけどぉ」と言った。
 助手席でひとりゆったりと座っている瀬音香が後ろを振り向いた。ピンクのパジャマから小花だらけのワンピースに着替えている。踵の高いウェスタンブーツは見るからにスッ転びそうだし、防寒は軟派なマフラー一枚のみ。風邪をひかないだろうかと大きなお世話ながら心配になる。
「猛地くんだめよ、霧流に手ぇだしちゃ。彼、こう見えても許嫁いるんだから」
 長い手足を窮屈そうに折り曲げている編駝麓がくすっと笑った。
「い、許婚? マジか」
 霧流は「ふふん」と鼻を鳴らして、ジャケットの内ポケットから高そうな革のカードケースを取りだした。遙兵にほらと渡す。
 かわいらしい女の子の写真が遙兵に手を振っていた。
「なんだ、小学生じゃん」
「失礼な。ちっちゃいけどもうジュニア・ハイ・ガールだよ。フランスにある音楽学校に留学してるんだ。なまえはリア。古里瀬財閥のお嬢様。かわいいでしょ。あげないよ」
「けっ。財閥のお嬢様とご婚約か。やるな燕組。腹黒エロ助め」
「ちっちっ猛地くん、政略と思ったらおおまちがい。ちゃんと学生らしい手順を踏んでおつきあいののち正々堂々とプロポーズさせてもらいま、し、た。きみももうちょっと女の子に対して積極的なほうがいいね、老舗地域伝統食屋の若旦那としては」
 遙兵はむかっとした。
「カノジョがいんなら、テツに色目つかうなよ。気色悪いっちゅーの」
「リアと弓ノ間くんは根本的にちがうもん。伴侶にしたいのと、欲しいのはべつだよ。猛地くんにはわかんないよねこの高尚な気持ち」
「わかるわけあっかい、ンなへなちょこな理屈」と遙兵は舌を出した。
 霧流は尻の下のでこぼこが気になるらしく、もぞもぞと腰を動かした。
「暴れるな。狭いのに」
「窓際に座れるくせにいじわるなこといわないでよ」と口をとんがらせ、すぐに忘れたようにうっとりと天井を見あげる。
「グレアム・クレイが弓ノ間くんを飼いたがる理由、すごく理解できるな」
「なにおまえ、ムックレーの味方するわけ」
「うわあご冗談。あんなオヤジに髪の毛一本たりとも渡すもんか。弓ノ間くんはぼくがもらう。あの子、かっわいいもんなあ。躾るまでに時間かかりそうだけど、シッポ振ったらきゅっと抱きしめたくなっちゃうだろうなあ。それに、人として誰よりも完璧だし。彼を目の前にしたら、どんなやつらだってクズ同然だよ。ぼくは弓ノ間くんをこの目で見るまで学校で一番になることしか考えなかったけど、いまは世界の頂点に立つことすら夢見てる。猛地くん、きみなんかとは目標とするレベルがちがうんだよ、レベルがね」
「ムックレーとてめえ、どっち先にトドメを刺すかが大問題だな」と遙兵はぼやいた。
「とにかくぼくは弓ノ間くんをペットにするんだ。ぜったいにね」
 霧流はイッちゃった眼のまままたもぞもぞとうごめいた。
「あーっもう鬱陶しい! なんだよさっきから、チンぽのおさまりでも悪ィのかよ!」
「頼むから腕くんだらそんな下品なこと大声でわめかないで。安っぽい車だめなんだよ。ちゃんと三半規管コントロールしてないとすぐ気分悪くなっちゃう。ほら、繊細だからぼくって」
 車はすでにファーイースト・フィナンシャルビルの広大な駐車場にすべりこんでいた。四本の展望エスカレータが不規則に上下しているのが見える。
 梁山泊で打ちあわせしたとおり、直接潜入ニセカップルチームはスカイラウンジでデートをよそおい、別働隊の起こす陽動に備えることになっている。エスカレータと非常階段を封鎖するのはSATが担当だ。銀町財閥の私設軍隊は上空から攻める手はずになっているはず。ビルの屋上には常時稼働のヘリポートもある。
「くれぐれも手荒な……い、いや無茶な真似はしないようにね」
 運転手をつとめた気の弱そうなSAT隊員は不安げに四人を送り出した。
「じゃ猛地くん、覚悟はいいよね」
 言いながら霧流は遙兵の腕に自分の手を魅惑的にからませた。
「くそ、シグもヘルムも、ちゃっかり相手みつけやがって……おれだけなんでこんな目に。とほほ」
「ゲイは時代の最先端だよ?」
「てめえに慰められたくねえ!」
 変なカップルはあやしげな動きをしながらよろよろとエントランスをのぼっていった。

 とっさに開閉ボタンに手を伸ばしたが、無情にもドアは反応してくれなかった。
 乗りこんできた数名に鉄人は両脇を拘束された。
 白衣の軍団には知った顔もあった。13ラボの医師たちである。あの神経質な臨床検査技師も混じっている。
「きみから帰ってきてくれて、うれしいよ。迎えに行く手間がはぶけてよかった」
 鉄人は気丈にアルドをにらんだ。
「ざっけんな。だれがただいまって言ったよ。夜分ノエルがおじゃましてるようだったから迎えに来ただけだよ。勘違いすんな、バーカ」
「おやおや。ちょっと見ないあいだにずいぶんと反抗的になったものだ」
「悪かったな。ちょーど第二次反抗期真っ最中でよ。いうこときく気さらさらございませんってやつよ。まわりくどい挨拶は抜きにしてくれてぜんぜんかまわねえし」
「ああそう、それはたすかるね、こっちとしても」
 アルドは医師たちを見まわしてこくりとうなずいた。鉄人は容赦ない力でエレベータから引っ張りだされた。
「へえ、ここがあんたらのアジトね。ずいぶん金かけてんじゃん」
 気の焦りを隠すために鉄人はわざと元気よく声を張りあげた。
「うん、できるだけ上の階をまるごと買い取るためにね、莫大な資金を費やしたよ。きみのための新しいおうちを気にいってくれたらいいんだけどね」
 鉄人はギクリとした。
「……うち?」
「そう。13ラボは完全にここにお引っ越し。すごいねサーティーン、特別待遇だ。きみに対する評価がうなぎのぼりなんで、出資者があとをたたなくてね。みんな13に期待してるんだよ。それなりに応えてもらわないと、ね」
「ノエルはどこだ!」と鉄人は叫んだ。「まさか、ここにはいないってのか? おれひょっとして無駄足か。ちくしょうめ、囮作戦でハッタリってのは卑怯だぜ」
 アルドはやんちゃ坊主を咎めるように目を細めて「ご心配なく」と言った。「トゥエンティセブンもここにいます。ただし、27ラボはいまはもう存在しない。ぼくたちは27を13のために役立てることにしたのでね、必要がなくなったんだよ」
 耳の後ろがざわりとした。
「どういう……意味だ」
「説明するより身をもって味わったほうが理解は早いだろう。プロジェクト、マルティプルインナーベーション。二個のセラフィムが影響しあい、複合的にあらわれるであろう多重神経支配の臨床試験をこれから行う。死神と劫罰、相性はぴったりだ。きみたちが逃亡したのは予想外だったが、結果的にさらなる可能性を呈してくれたのだからね、これも神の思し召しということなんだろう。トゥエンティセブンも無駄死にしなくて済む」
「勝手な理屈ばかりほざくなよ! 誰がノエルを死なせるか」
「玄関で問答していても埒があかない。13ラボにご案内しよう。外部エレベータでは行けないんだ。またこのあいだみたいに脱走を図られてはたまったものではないからね。セキュリティは完璧に、きみにとってはさらに居心地よく快適に。逃げようなんて気を起こさなくなるくらいに」
「ありがた迷惑、お節介! くそ、離せ、離せってばバッキャロー!」
 エレベータフロアと内部は三重の超特殊強化樹脂で隔たれていて、しかもあきらかに防弾仕様であった。夜景の映る窓は嵌め殺しで、開閉はできそうにない。蹴破ったとしてもこんな高層から脱出することはスパイダーマンでもない限り不可能だ。
 なにもないフロアの奥に設置された筒状のエレベータは生体認証方式だった。おそらくは独立電源であろう。前回と同じ失態は犯すまい。
 エレベータは各階ごとに停止し、そのたびにわずらわしいアナログチェックを通過した。
 鉄人は息がつまりそうになった。一秒ごとに絶望の場所へと進んでいく。
 銀町の渋面がふっと浮かんだ。勝手に出てきたのだから、助けは請えない。自分で責任をとるしかない。
「はい、到着。どうぞ、サーティーン」
 鉄人は驚愕で目を見開いた。
 なんだ、ここは。
 窓は――ある。プエルトリコのラボのように、完全な閉鎖空間ではない。だがそこに近寄らせないために、膨大な枚数の透明超特殊強化樹脂が行く手を阻んでいた。
 以前のラボはまだ生活空間という雰囲気のかけらが存在した。ちゃんとしたベッドも、トイレも、シャワー室も、鉄人のための歯ブラシも、座るためのベンチも用意されていた。
 だが、ここはまったく違う。
 あきらかに医科学的実験と研究にのみ与えられた領域。
 人の匂いのしない仮想空間だ。
 面積は元の十分の一もあるまい。いや、おそらくはもう必要ないのだ。もはやマウスの生活を記録し評価する段階は終了したのだから。
 鉄人の目が忙しなく動いた。中央の天井と床をつなぐ、五メートル幅ほどのからっぽのガラスケース。わずかに数個の身体固定金具が寒々しく設置してあるだけの。
 これが。
 マウスの檻。
 くらりとめまいがし、医師たちに支えられた。鉄人はその腕をふりほどこうともがいた。
 無駄だとわかっていながら、身体が勝手に抵抗した。
「あいかわらず往生際の悪い」
 アルドは呆れたように息を吐いた。
「あのね、あまり協力してくれないようだったらきみの脊髄にある末梢神経に手を加えてもかまわないってドクトル・クレイから指示されてるんだよ。きみだって脚が動かなくなるのはつらいだろう? ぼくもそんなかわいそうなことはできるだけしたくないからね。諦めてすなおに従ってたほうが賢明だと思うけど」
「ンなむちゃくちゃなことに協力なんてできっかよ。壊されたってぶっ殺されたってぜってーにウンっていわねーからな。離せ、離せ、離せ、コンチクショー!」
「やれやれ、ラ・ムエルトがこんなに下品に育ったとはね……」
 右腕を押さえこんでいた医師がアルドに訊いた。
「室長、すぐにでも始められますが、マウスが安定するまで待ちますか」
 アルドは首を振った。
「いや、多少の興奮状態のほうがよいだろう。マクロファージを活性化させるためにはストレスが必要だ。やってくれ」
 鉄人のスニーカーがむりやり脱がされた。ものすごい力でパーカーを引っ張られ、首周りの紐がするりと抜ける。
「なにすんだ、変態!」
 あらがおうにも多勢に無勢で、衣服はおろか、その下まですべて剥がされた。
 アルドはカーゴパンツのポケットから鉄人の携帯電話を取り出すと、「こんなものはもういらないね」と言いながら生理食塩水を満たした水槽にぽちゃりと沈めた。
 背中にまわされた腕をベルトでとめられた鉄人は、ガラスケースのほうにずるずると引きずられた。医師のひとりが操作盤に手を触れるとケースの一面が床下にスライドして開いた。
 中に連れこまれて足首を金具に固定される。
「エゲツねえぞ、出せ、出しやがれ!」
 わめく目の前でふたたびガラスが閉じられる。ケース内部に鉄人ひとりがぽつんと閉じこめられた。
「人をなんだとおもってんだよ、この!」
 アルドが外からガラスケースをコンコンと叩いた。
「あきれたな。まだそんなことを言ってるの。いつになったらきみは諦めるってことを学習するんだい。ジタバタしてもなにも変わらないというのに。ヒトのふりをしたら、ほんとうにヒトになれるつもりでいるのかい」
「人じゃないのはてめぇらだ!」
 鉄人は絶叫した。
 切れ長の目が鉄人をじっと見つめた。
「ナンバー13、きみはとても美しいよ。一糸まとわずにそうしていたほうがずっといい。神の生みだした芸術品だね。きみが女性なら、ぼくはきっと衝動を抑えきれなかっただろうな。きみとぼくの、子孫を残したいという衝動、さ。それが許されないかわりにぼくは、きみと同じものをこの手で創ってみたいんだよ。
 精原幹細胞から卵子を生成するメカニズムは近いうちに解明されるだろうから、クローン胚をつくるにしてもさらに高精度な、まったくきみと同じものにすることだって夢じゃない。そう、きみさえあればいい。無用のメスはいらない。
 ラ・ムエルトの遺伝子を完璧な形で受け継ぐ新人類」
「さっきヒトじゃないっていったくせに」
「ヒトなど愚かな俗物だ。きみはそんなものになりたいのかい、ナンバー13」
 呆れはてて鉄人は嘲笑するしかない。
「アンタこそいっぺん頭切ってもらったほうがよくねえ?」
 アルドは真顔になった。
「さて、おしゃべりはひとまずここまでだ。これから行うテストについて説明しよう。きみを閉じこめているそのケースは予測されるすべての物理的破壊活動に耐えられるよう強度設計してある。床と天井の素材はちがうように思えるだろうが性能は同じだ。すなわち、完全な隔離空間にきみはいる。ここまでは理解できるね」
 鉄人は返事をしなかった。
「きみの”お家”は今日からそのなかだ。すべての試験はそこで行われる。きみはもうお家から出る必要はまったくない。あとで体内チップを埋めこむ簡単なオペを受けてもらうが、痛くはしないから怖がることはないよ。で、さっそくなんだけど」
 アルドは指で天井を指し示した。
「いま、ナンバー27がきみの真上で眠っている」
「……えっ」
 慌てて上を見る。白い無機質な天井があるだけだ。
「この上はオペ室だ。トゥエンティセブンはいま、低体温による循環停止の状態にある。ラ・ダムネイションも眠っている」
「ノエルに指一本でも触れてみろ。おまえら全員、”喰ってやる”からな」
 アルドは嬉しそうに顔をほころばせた。
「すばらしい。なんという物わかりのよさなんだろう。まさしくそれがテストだよ、サーティーン」
「どういうことだ」
「我々はいままで、セラフィム相互の干渉は直接の接触によるものと考えてきた。けれど、クレイ博士はまったく別の仮定を導きだした。つまり、セラフィムの影響力は物質を突き抜ける、とね。質量をともなうものが壁を抜けることは容易ではない。量子力学の世界では脳波でも素粒子でもそれをやってやれないことはないが、どうしてもオカルトで論じられる部分がある。ましてや人工ニューロンであるセラフィムが隔たれた空間どうしで干渉しあうなんていうことは、医学的にはありえない」
「まだるっこしいことぐだぐだいってんじゃねーよ! ノエル、おいノエルきこえねーのか」
 鉄人は天井に向かって何度も呼びかけた。
「むだだよ。彼はいわば仮死状態だ。いまからトゥエンティセブンはオペを受ける。少しずつ、段階的に機能不全にするためにね」
「なにを、この……」
 アルドはととのった美しい顔でにこりと笑った。
「それをきみに阻止してもらいたい。方法は問わない。手元にある条件だけでやってみてくれ。ぼくたちの予測では物理的障害はおそらく、意味を成さないだろう。代替物が要るのなら、トゥエンティセブンのもっとも近くにいる執刀医を使ってくれてかまわない。ロジェ・ウィンドブラトという若くて血気盛んな医師だがね、彼はきみが下にいることはなにも聞かされていない。
 クレイ博士はモニタできみを見ているよ。期待に応えてやればきっとよろこんでくれる。
 それから肝に銘じてもらいたいんだけれど、降参はなしだ。失敗ならマイナス評価が記録されるだけのこと。トゥエンティセブンは植物状態になるだろう。死にはしない。そういうこ、と、だ」
 鉄人はあまりのことに絶句した。
「さてと、ぼくたちも巻きこまれるのはごめんだ。悪いが下に待避させてもらう。指示はマイクで行うから。ふつうに話してくれれば通じる。じゃあまたあとでね、サーティーン」
「ま……待てよ、おい! ちく……しょ……ばっかやろー!」
 後ろ手にされた手が拳をつくり、ぶるぶるとふるえた。爪が食いこんで皮膚を突き破る。
 痛みもすべて怒りに置き換えられていく。
 アルドと医師たちがエレベータに消えると、鉄人はつるつるの床に祈るように額をおしつけた。
 右手が病的に疼いている。
 傷ついたせいではない。灼けるように熱いのは、それが呼吸をしているせいだ。
 過去の発動と同じだ。だが今回は、自分の意志でスイッチを押さなくてはならない。
 迷っている時間はない。やらなければノエルが壊される。右手のレセプターを信じるのだ。ノエルの傷ついた部分を補っていく。意識的に伝達することもできるはず。あの感覚を思いだせ。
 他人の命は使わない。ぎりぎりまで自分を供給する。医者どももヤバいと見たら、ストップをかけるはずだ。
「……ノエル、いくぞ」
 つぶやいたとたん、『準備はいい?』と天井に埋めこまれたスピーカーから声がした。
『まずは右手指の神経破壊』
 鉄人はごくりと息を呑み、右手に神経を集中した。それから目を閉じた顔をゆっくりとあげていった。
 その姿は静かなる祈りを捧げる有翼のみ使いにも似ていた。


2006-02-19