私立牡鈴学園を年末年始の三週間にわたって煌々と照らし続けてきた照明灯が撤去されたのは、ハルモニア製薬が交渉に応じた日の昼近くになってからだった。
門内への一般人の出入りが禁じられたため、学園内部の秩序は比較的保たれていた。大晦日に降って融けた雪がグラウンドの土を軟らかくし、そこへヘリコプターだの装甲車両だのをたくさん配置したものだから見るも無惨なデコボコ状を呈し、いちど整地しなくては体育の授業をすることは困難に思えるほどだった。
待機していたアメリカ軍ヘリの一機が弓ノ間鉄人を乗せずに飛びたつと、銀町絵麗亜はようやく緊張を解いた。特殊急襲部隊SATの女性中隊長、加藤理名(かとうりな)警部と向きあったのはそのあとだ。
SAT突入班はものものしい制圧陣形を解除し、現在は対外的な警備と暴動の監視に配置を変えている。学園周囲のマンションなど背の高い建物にはマスコミらしきカメラが林立していた。校内への侵入を容認すれば大変な騒ぎになるだろう。
アメリカ巨大企業ハルモニア製薬と犯人隠匿に関わった牡鈴学園の対立に話しあいで決着がついたという単純報道くらいでは、熱狂した国民が納得するわけがない。
採決から半年も経っていないのにふたたび現実のものとなってしまった衆議院解散に連動して、国内では大衆運動がますます鼻息を荒げはじめていた。
世論は打倒巨大国家、すなわち”くたばれアメリカ”一色である。
安全保障理事会への不満は増大し、日本がG4の片隅にすぎない限り大国におもねることはないと主張する向きが強まった。倫理そっちのけで加速する再生医療への危惧もまたあちこちで論じられはじめた。果てはBSE問題に絡む憤懣まですべてひっくるめて、日本は巨大権力から脱却を図ろうと国民自ら動きはじめたのである。
2006年はまさしく「主張のできない日本国」が豹変した大祭典。世界にとっても仰天の幕開けであった。
牡鈴学園は、本来の意図とはまったく別の場所で国家的英雄に祭りあげられていたのである。
世界一有名なセカンダリ・スクールという肩書きは現実のものだった。
「弓ノ間鉄人くん」
医務室のある外廊下で壁に背中を預けて座っている少年Aに、加藤は硬い表情を向けた。
「……はい?」
ふいに名を呼ばれた鉄人は顔をあげた。
「はじめまして。わたしは東京の警視庁警部、加藤です。あなたを保護するために派遣されてきました」
鉄人は顔を曇らせた。保護だって。逮捕しに来たくせに、と奇妙なほど他人事のように考えた。
「とりあえず警察に連れてって、そっから向こうに引き渡すわけ」
確認すら面倒くさい。
「いいえ。国際逮捕手配書ならいまは紙くず同然です」
「どういうこと」
「先ほど外務省の満木(みつき)報道官がプレス会見しました。ICPOの国際逮捕手配書は日本の裁判所が発する逮捕状には当たらないそうです。つまり」
加藤は手のひらから物を放り投げるジェスチャーをした。
「強制力がないということ。あんなものは裁判所がウンといわない限り無効です」
鉄人は眼をまん丸くした。
加藤はようやく表情をやわらげて、それから鉄人の目線の位置まで膝を折った。
そのしぐさが保母さんじみていて、鉄人はぎょっとした。
「疲れたでしょう。目の下にクマができているわ。京東大学医学部付属病院を知っているかしら。あそこで受け入れ準備が整っているの。もちろん秘密は守るわよ。マスコミにも邪魔されないようにドクターカーで緊急搬送してあげるから」
鉄人は首を振った。
「病院キライ。たいしたことないから、自分の部屋でひと晩寝りゃ元気になる」
いま消毒薬の匂いのなかに連れこまれたら、情緒不安定になるのは目に見えている。鉄人にとっては緩慢な死を意味する匂いだ。
「京東大学なら銀町理事長さんともつながってらっしゃるからだいじょうぶ。あなたが倒れたらいちばん心配されるのは理事長さんじゃないのかしら」
少し離れたところに腕組みして立っている銀町と、目があった。
「おまえの好きなようにするがいいよ。あたしにはちいと栄養剤の一本でも点滴してもらったほうがよさそうに見えるがね」
「ありがとうございます」と鉄人は頭を下げた。「でも、ほんとに平気です。それにいまここを離れたくない。クレイは時間をかけないと言っていたし、こっちもあまり気を緩めすぎるのはどうかと思う。それに……」
「ノエルが心配かい」
鉄人はうなずいた。
セラフィムの力で治癒したとはいえ大量出血のダメージはかなり大きかったはずだ。そして父親の死による精神的ショックも。自分だけさっさと病院にかつぎこまれている場合ではない。
銀町は加藤になにごとかをつぶやいた。加藤はスッと立ちあがって、「わかりました」と答えた。
女性にしてはすらりと背が高い。おそらくは鉄人をもかなり上回っていると思う。銃を装備しているようには見えないが、SATで警部の肩書きといえばかなりの地位にいるはずだ。訓練もされているだろう。
この人を信頼する条件は、鉄人に関する情報をどこまで正確につかんでいるかだ。
「弓ノ間くん、いま警察はあなたや理事長さんを逮捕したり身柄拘束するようなことはしません。ただし、騒ぎが大きくなりすぎたわ。だから今後とも管区警察局と合同で監視を続けさせていただきます。治安維持のためです。わずらわしいと思うけれど、あなたの身の安全のためでもあるわけですから、我慢してちょうだいね」
鉄人は少しだけ笑った。また監視か。それほど自分はご大層な人物なのだろうか。
「では、銀町さん。必要に応じて医療チームも派遣いたしますし、彼らに関する便宜も検討いたします。新学期を迎えるにあたって登下校中の生徒さんたちの安全確保に全力を挙げますが、先ほど申しあげましたとおり限界もございます。願わくばこのまま、施設内に全校生徒を隔離することがもっとも望ましいのですけれど」
「あの子たちにも外で遊ぶ自由はあるさ。保護するばかりが大人の仕事ではないだろう。正しいことを自分の目で見極め、いけないことは声をあげて間違っているといえる人間に育てることが牡鈴学園の教育理念でね」
「ここの生徒さんたちはしあわせなんですね」
「なあに、それが当然のことなんだよ。なんならあんたも試しに梁山泊に住んでみるかい。管区の武暗なんか話を振った途端に即答だったが」
「それも愉しそうですね。上司と相談して考えておきます」
彼女の上司とはつまり警視総監だろうか、と鉄人は要らぬことを考えた。
加藤が立ち去り銀町とふたり取り残された。 銀町が先に口をひらく。
「遠藤先生からいきさつは聞いた。鉄人、よく生きていてくれたね。いい子だ」
「ぷ、なんですか、それ。まるっきり保護者じゃないですか」
「おや、保護者じゃいけないかい」
「いえ。これからもお世話になる人に文句を言えた義理じゃありません」
「ほう、少しはおべんちゃらをつかうようになったんだね。まあそれはそうと、ほんとうによくがんばった。あんたは二度も不可能を可能にしたな」
「でも……先生」
鉄人はうつむいて膝に顔をうずめた。
「……あれでよかったはず、ないじゃありませんか。おれ結局また、人、殺し……ちまったし……」
「あんたじゃない」と銀町は短くさえぎった。
「でも、ノエルのお父さんだった」
「運がなかった。ポラリス博士もそのくらいの覚悟はできていたはずだ」
「おれがムエルト(死神)だから」
「鉄人、おやめ」
「あの人はノエルを庇おうとしてた。それを見てたのにおれは、ノエルのことだけで頭がいっぱいだった。どんなことになるか考えもしないで。お父さんがあんなに近くにいたのに、見境もなく」
「自分を責めるんじゃない」
鉄人は声を荒げた。
「そうやって腫れ物さわるみたいにいうなよ。どうして怒らねーんだよ! ノエルが死んだ父親と対面すんの、あんた見てたんだろ!」
銀町の右手が鋭く飛んだ。 バシッ、と鉄人の頬が鳴った。
手の甲で撲たれ、鉄人は痛みにわずか顔をしかめた。
「浅はかだったってなじってやれば気が済むのかい」
鉄人は口をつぐんだ。
ふわりと肩を抱きすくめられる。
「ばかだね。ほんとうに子どもだよ。だけどあたしはね、こんなやさしい子は見たことがないよ。あんたは人を傷つけまいと必死にがんばって、そして自分が傷つくんだよね。傷だらけでさ、それでも人を悲しませまいとするんだ。どうしようもないくらい……ばかだよ」
「ばかばか、いうな……。ほんとにばかになったような気になる」
「ほんとにばかなんだからしかたない。弓ノ間鉄人、あたしは確信した。あんたはこの大馬鹿な世の中に奇蹟を起こせるってね。ただしあんたひとりの力じゃないよ。あんただって、見えてきただろう。自分がこれからなにをすればいいのか。そのために誰の手をとればよいのか」
鉄人はぽつりと言った。
「……ノエル」
「ばかが、ようやくわかったようじゃないか」
銀町はそっと身体を離し、背中をぽんぽんと二度たたいた。
「ぶって悪かったね」
「いえ……ごめんなさい」
鉄人はじんじんとする頬にそっと指で触れた。
銀町は鉄人に自室で待機するように命じると、いま思いだしたようににやりと笑った。
「そういや鉄人、ずいぶんとまた濃厚だったようじゃないか。で、どうだったい」
「……は?」
「しらばっくれなさんな。接吻のお味だよ。いいねえ、若いってのは」
居住区はがらんとしていたが、そこへ帰ってきたとき鉄人はほっと息をついた。寝起きする場所というところは安心できる。監視されっぱなしの日常でも、安らげる居場所のあるということはいいものだ。
それに今回は、実験用動物として飼われるわけではない。
少なくとも人間並みの扱いはしてもらえるという。
ノエルが元気になるまで言いなりになっておくのもいいか。
鉄人が自室のドアを開けると、そこにはアンバランスな二人組が待っていた。
ひとりはこれ以上考えられないくらい厭そうな顔でルームメイトを迎え、もうひとりは満面の笑顔をほころばせた。
「……おかえり」
仏頂面の方が言った。
「ハー。どういうことさ」
「本人に訊けよ」
鉄人はにこにこと笑っている燕霧流にいやいや視線を移した。
「だってみんな一時帰宅しちゃったんだもん。残ってんの秋田県民の猛地くんと、弓ノ間くんたちしかいないし。いいじゃない、三日ぐらい。泊めてよ」
「いくないよ。自分の部屋帰れよ」
「クラス同士の交流も大事だと思うけど。とくにこういう場合はね」
「おれがゴメンなんだよ」
鉄人のあけすけなしゃべり方にも傷ついた顔ひとつせず、霧流は朗々と持論を展開しはじめた。
「いままであったあんなことやこんなことはともかくとしてさ、こういう時は固まってたほうがぜったいいいと思うんだな。いつなんどきスパイが侵入して、弓ノ間くんが連れ去られるかもわかんないじゃない。いざってときにそばにいる人は多いほうがいいってば。それにぼく、弓ノ間くんとたくさん話がしたいし。あ、もちろん猛地くんともだよ。こんなチャンスめったにないって、ねえ」
「だからっておまえとおトモダチになれってーの?」
「うん、そうだけど」
「あのなあ……」
絶句する鉄人の背後でおもむろに声がした。
「ぼくは賛成」
ぎょっとして振り向く。いつの間にか下足場にノエルが立っていた。
「仲違いしているよりはずっとまし。いっしょにいられるうちに誤解を解いとくのも大切だと思う。それに燕くんのお父さんには助けてもらったし、燕くんも危ないときに駆けつけてきてくれた」
淡々と言いはなった。
「けどよ……ノエル……」
「友だちになるのってそんなにむずかしいことだっけ、鉄人?」
「う……」
鉄人は返答に詰まった。ノエルは言いだしたら頑固なのである。それに、いまノエルをあまり刺激したくない。
霧流は感心したようにノエルを煽った。
「そういうことだよね、魁くん! うんうん」
声をさっと落とす。そのやり方がいちいちわざとらしい。
「そうそう、ごめんね。魁くんがいま大変だってことすっかり忘れてた。ご愁傷様でした。お葬式の日取り、決まったの」
「父はあっちの国籍だから、火葬したあと親戚に引き渡されるって。母は日本人なんだけどこちらに身内はいないんだ。それに母とは、ほとんど縁が切れているようなもんだし。お葬式とか特別なことはしないよ」
「ふうん」
霧流はちょっと考えたあと、ずけずけと訊いた。
「じゃ、死因はどういうことにするわけ」
「燕!」と鉄人が怒鳴った。「少しは考えてモノしゃべれ! アホか、テメー」
だがノエルは鉄人を無視して答えた。
「国際手配の息子が容疑者だ。プエルトリコにはそのように通達してもらうことにした」
「ええっ。だってそれだったら、今度こそほんとうに殺人容疑で逮捕じゃないの。日本警察だって人殺したって話になったら庇いきれないじゃん」
「ウソはつきたくない。やったのはぼくなんだから」
「おれだ!」と鉄人。
「おれがそうするように仕向けた。ノエルじゃない。おれが証言すれば最悪でもインボランテリ・マンスローター(過失致死)だ」
「鉄人が証言台に立ってくれるの」
「法廷に出向く前にとっつかまって手術台に括りつけられちまうぞ、ばか」
ノエルは寂しげにほほえんだ。
「でもぼくは鉄人も殺すつもりだったのに。きみが助かったのは銃がたまたま壊れてたからだ。情状酌量の余地なんてないね。法廷に行こうが行くまいが罪はいっしょだ」
鉄人は耳元で鳴った金属音とノエルが嗚咽しながら自分を抱きかかえていた感触を思いだした。不透明だったパズルがカチリと組みあわさる。
「おれは最初からそのつもりでおまえに銃を渡した。そうだったろ」
「結果論だよ鉄人。生きてるからそんなこと平気でいえるんだ」
鉄人はむかっとした。
「ンだと、テメー。おれのこと信じるっていったくせに、いまさら逃げるってか。だいたい、おれ死んでるように見えっかよ。おれ幽霊か? オバケか? 悪運強い弓ノ間鉄人をナメんじゃねーぜよ。あしたっからマトリックス弓ノ間改め、フェニックス弓ノ間って名乗りたいくれーだぜ」
「センスがいまいちだな」と遙兵。
ノエルは口をへの字に曲げた。
「だって腹の虫がおさまらない。自分自身にだよ。せめて鉄人、ぼくを殴れ」
ノエルはぎゅっと目を閉じた。
「ぼくはきみの命を奪おうとした。銃を撃った。失敗だったけど。いちどでいい、思いっきり殴って罵ってくれ、鉄人」
鉄人はなんだかちょっと泣きそうになった。
自分を責めるなと言った銀町の顔を思いだした。
撲たれた頬の痛みを思いだした。
自分もばかだが、ノエルもかなりのばかだ。
銀町がいたら似たもの同士とからかわれるだろう。
「……わかった。舌、噛むんじゃねーぞ」
ノエルの身体がぴくりと強張った。
鉄人はノエルに近づくと、抑揚なく言った。
「失敗したのは偶然じゃない。おまえ、願っただろ。生きてくれって。だからカミサマが聞きとどけてくれた」
ノエルは驚いてかすかに目を開けた。
「命奪われた覚えはない。逆だ。おれ、おまえから命、もらった」
微妙に蒼みがかった瞳が、こんどは壊れるんじゃないかと思うくらい思いきり見開かれた。
「……たしか、こうやって」
次いで鉄人が起こした仰天行動に、遙兵も霧流も驚愕して立ちあがった。
「テッ……」
名を呼ぼうとした口を塞がれ、ノエルは意識が朦朧とした。
逃げようとしたが、背中にしっかり手を回されて咄嗟には無理だった。
わけがわからなくなり、もうどうでもよくなってきた。
その前にとりあえず、とてつもなく酸素が欲しいと思った。
「ぷはっ」
なんだか納豆のような糸を一本ひいて、二人が離れた。
タケモトピアノのCMを観ながら呆ける幼児さながらのギャラリー二名の前で、濃厚ディープを交わした13番目と27番目は、お互いに気まずいような表情のまま(いまさらである)畳に尻餅をついた。
一同、口をきかない。
というか、きけない。
十秒。
十五秒。
二十秒。
全員が思った。
この沈黙をつくりあげた真犯人の鉄人でさえも思った。
いま、なんの話をしてたっけ、と。
幻聴だろうか。どこからか鐘の音まで聞こえてくる。
幸いなことにとりあえずそれは幻聴ではなかった。四限の終了を告げる馴染みの弁当ソング、パガニーニによる大練習曲第3番が地上の校舎で流れていたのだ。間抜けな用務員が放送を切り忘れたのだろう。
ラ・カンパネラを世に遺した偉大なるリストも、華麗なる名演を現代に蘇らせたフジ子・ヘミングも、当然のことながら地下梁山泊の居残り生徒諸君をラ・困憊させたことは知るよしもない。
燕霧流、渾身かつ禁断の一声がついに海底二万海里の沈黙を破った。
「もういっぺん脳味噌交換したほうがよくない?」
もちろんその(霧流にしては至極)真っ当なご意見も、右と左からの鉄拳パンチでこなごなに砕かれた。
遙兵は実家のきりたんぽ屋がM&Aに遭ったような顔をし、霧流はポケットからシャブでもひっぱりだしそうな形相で恋敵を睨みつけた。
なんとかこの場を収めねばということにただひとり思い至った容疑者少年A弓ノ間鉄人が、躍起になって話題を逸らしにかかった。
「あー、とりあえず、新学期も延びたことだし固めの杯といかねえ?」
だいぶ慌てているので言っている意味がいまひとつわかっていない。
電気信号の迷走する頭をぽりぽりと掻きながら、部屋備えつけのミニ冷蔵庫をあけて缶のコカ・コーラを持ってきた。
「腹も減ったしとりあえずのど渇いたし、一本しかないけど回し飲みしようぜ」
「ぼくは間接か……」と霧流が残念そうにつぶやいた。
プルタブを開けて、破綻筆頭の遙兵にまず手渡す。遙兵は無言でごくりとひとくち飲んで胃袋に浸透させ、息を殺して見守る鉄人の前で「ちょうど四人だな、よし、勝負しよう」と謎の言葉を吐いた。
目が据わっている。
怖い。
鉄人とノエルはごくりと唾を呑んだ。
「半荘勝負で、負けたヤツが昼飯をつくる。フリテンかましたやつは自費でてりやきマックの買い出しだ。いいな」
断れるはずがなかった。
「一点一円?」
リアル大人社会に精通する霧流が無責任な決定打を放った。
「お会いできるのは明後日になります。残留ラボの統率はイスカス部長に一任されました。おそらくなにも問題はないと思いますが、ナンバー12の例もございますのでリスクは低くはありません。それでもわたくしなどが出向いてよろしいのでしょうか」
クレイは受話器を手にうなずいた。
「いろいろと無理難題を押しつけてすまなかったね、アルドくん。なに、いまさらセラフィムのひとつやふたつ取り損ねたところで、どうということはない。それより重要なのはナンバー13と27だ。この目で間近に『神の見えざる手』を見て不覚にも胸が高鳴ったよ。きみも目撃者となるがいい」
グレアム・クレイはハルモニア製薬の実質的支配下にある九六九大学医科学研究所の一室で、窓辺にもたれながら外を激しく舞う粉雪に目をやった。
「日本はカリブ海にくらべて寒さが厳しいのだな。マウスどももさぞや凍えているだろう。捕獲して、あたためてやらねばなにをしでかすかわからない」
「急ごしらえでしたが、新しい13ラボの居心地はいかがですかドクトル・クレイ」
「なかなかだよ」
クレイはにたりと嗤って言った。
「地上二百五十メートルのスカイスクレイパー。超最新鋭にして鉄壁のセキュリティか。さすがのナンバー13もここから飛び降りる気にはなるまいよ。ふふ、アルカトラズの牢獄とはよくいったものだ」
窓を横殴りの雪がたたきつけたが、かすかな音すらも内部には届かなかった。
2006-02-15
