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インビジブル・ハンドの長い一日【後編】

『時刻は七時半をまわりました。それではふたたびスタジオからニュースと天気予報をお伝えします。年の瀬もおし迫ったきょう、各地で厳しい冷えこみが……』
 鉄人はリモコンで65型のデジタルハイビジョン液晶テレビをオフにした。いつもならそろそろ家を出なくてはいけない時刻である。
「全国ニュースでは、触れなかったな」
「來羽巴(らいんばっは)首相が報道管制をしいたんじゃない。身柄引き渡し要求ってことは国際逮捕手配書が出てるってことでしょ。とっくにICPOだの公安だのが張り込んでると思った方が妥当だし、経済制裁が発動された事実だってそんなに長いこと隠しとおせるわけがないだろうから、官邸は焦ってるはずだ。大騒ぎになるのも時間の問題だと思うけどな」
「ICPOは軍事や国際経済には関与しない建前じゃなかったっけ」
「本気でいってんの。それとも皮肉?」
 鉄人は答えのわかりきった質問には応じず、「しかし、弱ったな」とつぶやいた。
「一歩おもてに出たとたん身柄拘束なんてシャレにもなんねえ。でもそろそろ行かないと、バスに遅れる」
「鉄人……学校、行く気まんまん?」
「たりめーだろ。おれはこう見えても無遅刻無欠席なんだぞ」
「あれっ、インフルエンザは」
「あれは学校伝染病だから欠席にカウントされないってきいた」
「あ、そう。けどさ、バスに乗る前に護送車に乗せられちゃうよ。いまだって軍事衛星がそこの窓からぼくたちのこと、じーっと監視してるはずだから」
「へー。じゃあサービスしてやろうか。それ、ピース」
「わっ、ぼくもぼくも。ならんでピースっ」
「プリクラじゃねーんだから」
 ノエルはケラケラと笑って、笑った顔のまま、「笑いごとじゃない」と矛盾にもほどがある台詞を吐きだした。
 鉄人も表情を引きしめる。
「ノエル、わかってることがひとつだけある。ここでじっとしていても、いい方には向かわないってことがな。銀町先生にも、これ以上迷惑かけらんない。いくら国内最大財閥がバックについてるからといって、国際機関相手じゃ分が悪すぎっだろ。命を狙われるかもしれないのに、先生がそこまでしなくちゃならない理由なんてない」
「そうだね。先生にはもうじゅうぶん感謝してるもの。あとは自力でなんとかしよう」
「んじゃ、行くか。定期、財布、オッケー」
「鉄人、ハンカチちり紙は」
「そんなの持ったことがない」
 居間を出ると、銀町絵麗亜はすでに黒のスーツに着替えていた。皺の目立ちはじめる年齢ではあるが、嫌味にならない巧みな化粧と持ち前の品の良さも加わり、小柄な身体に衰えることのない威厳をただよわせていた。
「話はすんだのかい」
「はい。先生、いってきます!」
「お待ち」
 玄関に向かう鉄人とノエルを、銀町は呼びとめた。
 さすがに制止されるのかと思ったが、銀町の次の行動は意外そのもので、鉄人とノエルを慌てさせた。
 スッとふたりに近づくと、おもむろに手の中のなにかを頭上に掲げて、打ち鳴らす。
 カチカチ!
「うわっ! あぶねえ!」
「火っ! 火花!」
 突然中空からあらわれた火の粉を肩口からはらい落とす。
「なっ、なにするんっスか!」
 銀町は腕を下ろして、にこりとも笑わずに言った。
「これはね、銭形平次もやってた幸運のおまじないだよ」
「ぜ、銭形平次……?」
 銀町の両手には黒ずんだ石が握られていた。
「フリント(発火石)?」
「廃れちまった日本の伝統さ。発火したばかりの火は、生まれたてで、穢れがないじゃないか。聖水と似たようなものだと思えばよい。家を出るまえに、身を清めて邪気を追い祓う。くだらないがな、こういう無駄もバカにはできないのだぞ」
 ぶっきらぼうな口調ではあったが、それが銀町のせいいっぱいのやさしさであると身にしみて感じた。鉄人はなんだか、鼻の奥がツンとした。
「いってきます」
「いってきます」
「ああ、いっといで。わたしは重役出勤さ。今夜は遅くなるかもしれないから、夕食は頼むよ」
「はい」
 今夜の献立の話なんて、いまはとてつもなく遠くのことに思えたが。
「鉄人、ノエル」と銀町は呼んだ。「あんまりムチャするんじゃないよ。あんたたちにはあんたたちの権利ってもんがあるんだ。いいね」
 そろそろ冗談ではなくバスに遅れそうだったので、ノエルは急いで靴の紐を結んだ。鉄人はといえば、紐は結びっぱなし(しかも縦結び)で踵の潰れている靴にワンタッチで足をつっこんだ。
 ドアに手をかける。その向こうに、来訪者が立っていた。
 いままさに呼び鈴に手をかけようとしているところだった。
「あ」
 ふたりと来訪者は、同時にAの文字を発した。
 ついいましがた邪気を追い祓った……はずだったのに。
 さっそくろくでもない邪気がやってきやがった。
「……燕、なんで」
 1年1組のクラス委員長、燕霧流は白い息を吐きながら、にっこりと笑って言った。
「お迎えにあがったよ、弓ノ間くん、魁くん」
「……は?」
 ふたつの声が唱和する。
 燕は悪びれた様子もなく、ちらりと外へ目をやった。銀町邸の広大な敷地のはるか彼方、門の外に漆黒のキャディラックが停まっているのが見える。
「きみたちがさぞやお困りだろうと思ってさあ。たまにはいっしょに学校いくのもいいんじゃない? ぼくたち、おトモダチだもんね、ユ・ミ・ノ・マ・くん」
 ぞわりとした。誰と誰がどういう経緯でいつからどうお友だちだって?
 返事がないと見て取ると、燕はひとりで勝手にしゃべりはじめた。
「えへへ、パパから聞ーいちゃった。けどさ、パパはね、逃げたマウスがぼくと同じ学校にいるってことは、まだ知らないんだ。ハルモニア製薬も、小口の出資者にそこまで情報を漏らす義理はないんだろうからね」
 鉄人は眉をひそめた。
「……え? じゃあ、なんでおまえ、おれのこと」
「教えてもらったにきまってるじゃん」
「誰に」
 霧流は人差し指をたてた手をすっと動かした。
「そこにいる人に」
 鉄人とノエルは、同時に背後を振り返った。
 指の先には。
 腕を組んで毅然と立つ銀町絵麗亜。
 鉄人の頬がぴくぴくとひきつった。
 やさしい銀町先生、撤回。新たな称号は、鬼参謀。
「動かせる駒はいつも内部にあるとは限らない。捕った駒を使うのも日本古来の伝統兵法だ。覚えとくんだね、ヒヨッコども」
先生……(呆然)」
 燕も同意するようにウンウンとうなずいて、明るく笑った。
「でも、魁くんのことは一切教えてくれなかったんだもん。おかげで海神先生に協力してもらっちゃった」
「だからきのう、海神先生、顔色悪かったのか。気の毒に」
「さて、そうときまったら学校いこうよ! ぼくは弓ノ間くんと後ろに座るから、魁くんは助手席に乗ってね」
 鉄人とノエルはこれ以上ないほど惨めな顔を見あわせた。
 門前から学園までの道のりに待ち伏せているであろうてんこ盛りのの覆面パトカーと、燕組若頭の専用キャディラックを秤にかけてみる。
 究極の選択だ。
 どちらがマシかと問われれば、ほんの少しの差で黒塗り燕タクシーに軍配があがる。
 納得できるかはどうかは別問題として。
「しかたない。鉄人、お世話になろう」
「はあああああ」
 鉄人は深い深いため息をついた。どう前向きに見積もっても過去最悪の事態だった。

 疲れきった顔で教室に入ってきた鉄人を、ものすごい形相の遙兵が迎えた。
「テツ! なにがあったんだよ、燕の車なんかに乗せられてきて」
「ああ? よんどころない事情ってやつだ」
 ほんのちょっとの間に目の下にクマができている。ノエルも苦笑いをした。ひょっとしたら戦闘をしながら路線バスで登校したほうが精神衛生上よろしかったかもしれない。
 窓際で話をしていた時雨努と経夢人もやってきた。
 経夢人はいつになく深刻な顔で、しきりに鉄人を気にした。なにかを言いあぐねているかのようである。
 何度も目があっては、反らす。動揺を隠せない人間なのだ。だいたいの理由は想像できる。
 鎌を掛けるつもりはなかったのだが、鉄人はつい訊いてしまった。
「オヤジさんになんかきいたのか、経夢人」
「あ、うん……」
 経夢人は頬を赤らめて、うつむいた。銀町に怒られたのにまだ散髪していない、長めの髪に表情が隠れる。
「ぼく……鉄人のことも、ノエルのことも……信じてるから」
 時雨努が妙な顔をした。こちらはまったく気づいていないのだろう。
 経夢人の父親は警察のお偉いさんである。警察といえば、現在、学園を包囲するように何十台もの覆面車両を配置して、弓ノ間鉄人と魁無影響量の両容疑者を監視している公僕である。
 GOのサインが出れば、学園への突入もじゅうぶんありえる事態である。
 容疑者の名前を聞いて武暗家の大黒柱はさぞや泡を食ったであろう。
 こともあろうに息子の友人たちとは。
 しかもただの少年犯罪とはレベルがちがう。インターポールによる国際手配。
 機密事項をこっそり息子に告げたのは、親心というものだ。
 もちろん警察幹部に伝わっている情報はまったくの捏造である。事実が表沙汰にされるわけがない。ましてや事件の裏側に、世界を激震させかねない悪魔の研究が関与しているなどと夢にも思うまい。
「あんがとな、ヘルム」
 鉄人が言ったちょうどそのとき、一時間目のチャイムが鳴った。
 あと三日登校すれば冬休み。生徒たちもどことなくクリスマス気分でうかれていた。沈んだ気分で椅子に着いたのはクラス内のごく一部にすぎなかった。

 午前十一時二十分。
 三時間目の物理を終えると、孤隼樹花は早弁を開始した生徒の弁当箱からすばやくタコさんウィンナーをつまみ食いし、職員室へ戻っていった。四時間目は担当の授業がないので、ためこんでいた書類にかかるつもりだった。
 気のせいか、今日に限って胸が妙にざわざわする。冬休み前に片づけなくてはいけない仕事のプレッシャーだろうか。それとも、昨夜なかなか寝つけなかったせいか。
 給湯室でインスタントコーヒーでもいれようと立ちあがったとき、電話がチカチカと明滅した。外部回線である。
 ほかの職員がみな忙しそうだったので、樹花は受話器をとった。
「はい、牡鈴学園高等部です」
「……ハロー? ディスイズ、アルド・リンカーンウッド、フロム、ハルモニア・ファーマシューティカルカンパニーリミテッド。キャンアイスピーク、トゥミス・エレノア・ギンマチ……プレジデント・ギンマチ、プリーズ」
……は?
 樹花は、英語はちょっとばかり苦手だった。
「え、えとえと、わ、ワンスモアゆっくりプリーズ!」
 電話の相手はくすりと笑った。
「失礼しました。わたしは、ハルモニアカンパニーのアルド・リンカーンウッドといいます。理事長の、エレノア・ギンマチ様とコンタクトしたいのですが」
 発音はともかく、日本語には精通しているようだった。樹花はほっと胸をなでおろした。
「もうしわけございません。本日、理事長は午後からの予定になっております。ですが会議がございますので、ご用件でしたらわたくしがおうかがいいたしますが」
「ああ、そうでしたか! いえ、電話があったことだけお伝えいただければ結構です」
「あの、すみませんけれどもういちどお名前を。ハルモニアカンパニーの……」
「アルド・リンカーンウッドです」
 樹花はコピー用紙の裏にその名前をメモした。
「ところで」
 アルド・リンカーンウッドはふいに話を続けた。
「そちらの生徒さんで、テッド・ユミノマとノエル・ポラリス……ノー、ノエル・サキガケ。おられますよね」
「え? あ、はあ」
「お元気ですか、ふたりは」
「元気すぎるほど」
 答えながら、樹花はギクリとした。ハルモニアカンパニーだって?
 どうして咄嗟に結びつかなかったのだろう。銀町理事長から警戒するように命じられていたではないか。弓ノ間と魁を追っているハルモニア財団。
「フアッツ・ザ・マター(どうなさいましたか)?」
 柔和な声が訝しむように反響した。樹花は周囲をきょろきょろと見渡して誰も聞いていないことを確かめると、声をひそめて言った。
「あのふたりとどういうご関係ですか」
 電話の向こうで潜み笑いが聞こえたような気がした。
「……さあね。元気なら、それでいいんですよ」
「なにが目的だ」
 もはや敬語など遣う気もない。銀町の話から、ハルモニア財団が犯罪組織だという知識を樹花は得ていた。信じられないことではあったが、高校生ふたりを人間兵器に改造したのもその連中だという。
「目的? そうですね……貴女になら、おしえてあげてもいいかな。もうすぐ、あなたがたにとってシリアスアフェアーが起こります。おそらく、あすの朝にはシェイクザエンタイアワールド(全世界を震撼させる)ニュースね。ジャパンのハイ・スクール・ボウイズが産業経済スパイ。どうです、愉快でしょう。さて、エネミー・オブ・アメリカをそれでも匿いますか?」
 りじちょうせんせーい。
 だからいわんこっちゃありませーん。
 クスクスクスと笑い続ける受話器を、樹花は渾身の力をこめて叩きつけた。
「ど、どうされました孤隼先生」
 樹花の剣幕に驚いた女性事務員が、慌てて駆け寄ってきた。
「はあ、はあ、はあ」
 受話器は勢い余ってモジュラージャックがすっぽ抜け、床に転がり落ちていた。
「孤隼先……」
「マズい」
 樹花はすかさず鞄から携帯電話をとると、キーを打つのももどかしく発信した。相手は銀町理事長である。
 呼び出し音が鳴り続けるが、銀町は出ない。やがて音声が留守電に切り替わった。
「もう、こんなかんじんなときに!」
 職員のスケジュールを記録した黒板を見あげると、一番上の欄に『10:30市役所 13:00会議』と書いてあった。
「教育委員会におられるのかも」
 樹花は今度は隣の机の電話から、市役所へダイヤルしようとした。そのときである。
 爆音が近づいてきた。
「……ヘリ?」
 受話器を手にしたまま窓の外を見る。
 いままさに、イルカのような形をしたヘリコプターが校庭に着地するところであった。
 ボディに日の丸と『警察庁』の文字が確認できる。
「な、な、な、な」
 武装した警官隊がわらわらと下りてくるのも見えた。なんだか『あぶない刑事』でも観ている気分だ。
 職員室の全員が硬直した。
 と突然、巨大なハウリングとともに壁のスピーカーが吠えた。
「銀町絵麗亜から全校生徒、全職員に告ぐ! すみやかに旧校舎二階図書室へ移動のこと。廊下では前の人を押さない。あせらず急ぐ、いいね。1の3弓ノ間鉄人、魁ノエル、おまえたちは最優先で待避、いや、どこでもドアで飛んでこい。死んでもつかまんじゃないよ、わかったね!」
 樹花は職員室の扉から廊下を見た。銀町理事長と思われる黒スーツの背が放送室を飛び出し、階段に消えていく。樹花も慌ててあとを追った。
 校内は大パニックだった。
 まるで『ハーメルンの笛吹き男』である。銀町の放送で吸い寄せられるように生徒は旧校舎二階へわさわさと押し寄せた。なかには窓にしがみついて外の様子を見る者もいたが、光景のあまりの異様さに青くなってすぐ波に戻っていった。
 それにしても、狭い図書室に中等部と高等部、さらに全職員を押しこんで籠城する気だろうか。
 疑問に思いつつも、とにかく理事長に従うしかなかった。
 元旦の明治神宮もびっくりな大混雑は、やがてそのすべてが図書室に飲み込まれた。樹花はその発想と下準備に愕然とした。
 最奥部の本棚がわきへ避けられている。裏の壁があるべき部分が、口を開けていた。
 映画で観た、スイス銀行の大金庫によく似ていた。完全耐火どころか、核攻撃にも耐えるんじゃないかと思えるほどの頑丈な扉だった。生徒たちはそのなかへ誘導されていた。
 もう、なにがなんだかわからない。混乱を通り越して、樹花は笑ってしまった。
 理事長先生、これはどういった了見ですか。ひょっとしてSFですか。
 わたくし、ちょっと物理室に戻って精神安定と今後のためにマグデブルグの半球取ってきていいですか。
「梁山泊さ」
 背後で待ち望んだ答えをささやかれて、口から心臓がはみだすかと思った。案の定、銀町理事長であった。
「りじちょう!(半泣き)」
「孤隼、あんたも急ぎな。ふふふ、下りたらもっと驚くさ。この日のために威信を賭けて準備してきたんだからね」
「この日のために、って……まさかとは思いますがすべて計画的だったんですかー!」
「早くしろ。やつらが来るよ」
 銀町は最後のひとりとなった樹花を中に押し込めて、鉄の扉を閉めた。自動ロックされるような重い音が聞こえ、蛍光灯の光のみが取り残された。
 下へと向かうコンクリート製の階段がある。たしか図書室の下は音楽室のはずだったが、と樹花はぼんやりと考えた。そういえば、このあたりにどことなく不自然な死角があったような気もいまになってする。
「いけない。携帯をどこかに落としちまったよ」
 銀町はぽんとスーツを叩いて、べつに困ったふうでもないように言った。
 階段は奇妙なほど下へ下へと続いていた。二階から、かれこれ五、六階分は下りたであろうか。突然のように終わった。
 樹花は目前に展開した光景に絶句した。そこは学園からさいたまスーパーアリーナに迷いこんだような、巨大な観客席つきスペースであった。
 驚きで声も出なかった。
 周囲の生徒たちもみな呆けたように口をあんぐりとあけていた。
 銀町はただひとり、にやりと笑みを浮かべると、どこから取りだしたのかマイクを握った。
「各クラス、すみやかに点呼!」
 慌てた教師たちが手を振って叫びはじめた。
「中等部、2年2組! 2ねんにくみはここよー!」
「高等部3年、3クラスひっくるめて、こっちだ、こっちだ!」
 樹花はようやく璃乃の姿を発見して、いっしょになってわめいた。
「おーい、1の3! 1の3、遠藤学級大集合!」
「1の1、1の1はとなり!」
 鉄人とノエルが走ってくるのを見て、樹花は安堵した。どうやら、無事だったようである。アルドと名乗る男からの電話を思い出してまた寒気がしたが、いまはそれどころではなかった。
 また銀町の声がひびいた。
「学級担任、欠けている生徒があったら二分以内に報告しな。それから高等部1年弓ノ間と魁、わたしのところにおいで」
 樹花の横で鉄人とノエルは無言のまま、お互いの顔を見あわせた。かなり困惑しているようだ。むりもない。
「お行き」
 樹花はそっとふたりの肩に手を置いた。こうなったらもうすべてを理事長にまかせるしかない。
 ふたりの背中を見送ったら、なんだか張りつめていたものが一気に抜けた気がした。
 銀町は一段高いところへ自ら上がって、鉄人とノエルを手招いた。
「一同、注目! これから緊急全校集会をはじめる。礼!」
 ざわざわが一斉に止んだ。
「まずはわたしから、生徒諸君に説明しなくてはなるまい。現在、当校舎は国際警察インターポール、警察庁国際第二課、及び管区警察局によって完全に包囲されている!」
 どこからか「すげえ!」と声があがった。それに呼応してまたざわめきが起こる。
「はい、静粛に! なぜこうなったかということを、事実のみ話そう。鉄人、ノエル、もっと近くにおいで」
 銀町はぐずぐずしている鉄人を力まかせにひっぱりあげた。
「紹介する。右のちっこいのが高等部1年3組、弓ノ間鉄人。左の髪の鬱陶しいのが同じく1年3組、魁無影響量。生まれ育ちは両名とも、カリブ海に浮かぶ島国プエルトリコ。あんたらも知っているバーニー・ウィリアムズの出身国である」
「ウォー、そうなのか!」
「えーっ、ユミノマくんって帰国子女?……うっそぉ!」
「静粛に!」
 鉄人とノエルは、いっそ哀れなほど青ざめていた。
「耳をかっぽじってよーく聞くように! じつは本日の警察包囲網は、この両名に出されている国際逮捕状のためである」
「えええええー!」
 鉄人は目眩がした。
 遙兵が目をひんむいて段下へかじりついていた。
 もう、知らねえ。
 ノエルの方を向く気力もなかった。
「だが、両名は犯罪を犯したわけでは断じて、ない。事実はまったく正反対だ。両名は諸君らが仰天するような国際的犯罪の犠牲者なのだ。このふたりはアメリカ合衆国およびプエルトリコ政府、ハルモニアファーマシューティカル財団、それからマフィアやヤクザなんていう裏社会の連中の、最大最高最重要の機密事項なのである。すなわち」
 鉄人の顔が引きつった。
 銀町はマイクを握りなおして、高らかにうたいあげた。
「近い将来現実となり得る仮想現実あるいは非現実、その基盤となるマトリックスなのである!」
 シーン。
 銀町絵麗亜。そのたとえは、ちーっと中高校生には難しいんじゃねえのか。
 鉄人が他人事のようにそう思ったときだった。
 どおっと轟音がひびいて、会場が揺れた。
「すげえ!」
「かっこいいぞ、弓ノ間、魁!」
 いま、いったいどのような集団心理が展開したのであろう。ラボで暮らし、映画など観たこともない鉄人とノエルにはおそらく永遠に理解の外であった。
「ここで、真剣に聞いて欲しい」
 銀町が声のレベルを落とす。まったく、たいした役者だ。
「弓ノ間と魁は、人としてふつうに生きる権利を国家と権力者によって奪われてきた。わかるか、人権を無視されてきたのだ。そのため、人権のない彼らを救おうと考える者があらわれた。救助活動は表沙汰にはされなかったが、わかりやすくいえば戦争そのものだった。弓ノ間と魁はさいわいにも助けだされ、日系ということで日本政府が身柄を保護した。そして、わたしが引き取った、というわけだ」
 ふたたび、シンとする。
 なにを誤解したのか、感極まって泣いているやつもいる。
「諸君。弓ノ間や魁にもきみたちと同じ、よく学びよく遊び、未来を決定する権利がある。いまふたたび権力を傘に着て非人道を行使するばかやろうどもに、両名を引き渡してそれでよいと思う者!」
「いるわけないぞー!」
「牡鈴学園魂をナメるな!」
「弓ノ間、まけるな!」
「魁、まけるな!」
 鉄人もノエルもとっくの昔に耳の穴から魂が抜け落ちていた。
「よろしい! では、今後の話に移るとする」
 苦笑いをする璃乃にうながされて、鉄人とノエルは段を下りた。ここはどこおれはだれ、の境地である。
 燕のときのように、手駒とするために敵陣から拾ったわけではない。
 銀町は、どっちつかずの日本政府に対する交渉材料として、全校生徒をその心ごと人質にとったのである。
 つくづく、恐ろしい女だった。
「さて、生徒諸君。きみたちがいまいるこの場所は、われわれ銀町財閥がひそかに準備していた梁山泊である。諸君は水滸伝を知っているね。三国志や西遊記とならび、中国明代の四大奇書と呼ばれた長編小説だ。水滸伝の滸の文字はほとりという意味、すなわち、水のほとりの物語である。リーダーの宋江(そうこう)を筆頭とする、星の名を授かった英雄たちが、自然の要塞、梁山泊にあつまった。彼らは反乱軍として、国家権力と闘ったのだ。梁山泊軍は最後には壊滅してしまうが、英雄たちの星は永遠に輝きを失わない。わたしはここを腐った権力に屈しない反乱軍の砦となることを願って、梁山泊と命名したのである。諸君らが立っているここは大ホールだが、この周囲にさまざまな施設が用意されている。宿泊部、食堂、遊戯室。大浴場もあるぞ」
 幾度めかわからない歓声が轟いた。
「施設はクラス単位で自由に使ってよし。采配は各担任に任せる。このような形できみたちの自由を束縛することを許して欲しい。だがいまひとりとして戦列を抜けてもらうわけにはいかぬのだ。それと、梁山泊プロジェクトに協力してくれる方々をおいおい紹介していくとしよう。今日はひとまず、この方だ」
 鉄人の背後で、経夢人の目が大きく見開いた。
「父さん!」
「武暗凝沌。銀町理事長には長いあいだ、世話になっている。警察という国家権力で働いていたが、今朝、辞表を叩きつけてきた。よろしく頼む」
 経夢人が溺れた金魚のようにパクパクとあえいだ。
 遙兵はさっきから、鉄人の腕をきつく握りしめていた。言葉は出せないが、とにかくそばから離れないからなといった必死の形相だ。
「よし、質問がなければ今日は解散。中等部はこのホールと同じ階にある住居エリア、高等部はひとつ下のエリアを使うこと。消灯は二十三時。バカ騒ぎや枕投げや飲酒は禁止。必要なものはフロアDにある倉庫をあたってみろ。結構なんでもある。最初のうちは食事は自炊だ。食材はたっぷり用意してある。将来のためにもなるから、がんばるように。明朝は八時半からホールで全体朝会だ。遅れずに。以上」
「理事長先生、週末のクリスマス・パーティはぁ?」
 誰かの言葉にドッと笑いがまきおこった。
「盛大に準備してよいぞ」
「やったー!」
 ぐるぐるとから回る思考をやっとのことで保っていた鉄人を、遙兵がまた握りしめてきた。
「なあ……いっしょの部屋になっていいか。あ、もちろんノエルや、時雨努や経夢人もだけど」
「……ああ」
「テツに訊きたいことがいろいろあるから」
「……おれも、ハーに言っておかなくちゃなんないことがある」
 仰天の展開に疑問も感じたが、こうなったらなるようにしかならない。引率する遠藤璃乃のあとを追いながら、鉄人も遙兵も終始無言だった。
 ふいに、ポケットのなかで鉄人の携帯がブルブルと震えた。
 パチンと開けてみる。こんな地下でアンテナが三本立っていた。
 Eleanor
 なにか言い忘れたことでもあるのだろうか。
「もしもし?」
「………」
「もしもーし? 先生?」
「……ナンバー13……?」
 鉄人は携帯を取り落としそうになった。
 この、声。
 なんだ。
 なんで、この、声が。
「……フッ……ハ、ハハハハ」
 鉄人は、携帯を壁に投げつけた。
「テツ?」
「あ……」
 遙兵はギクリとした。鉄人がおかしい。右手を口元にきつくあてて、痙攣するようにふるえている。さらには数歩よろめいて、膝をついてしまった。
『ナンバー13?』
 忘れてなんかいるもんか。二度と忘れないと誓った。
 右手が、熱かった。セラフィムだ。
 鉄人が右手をきつく握って床に倒れこむのを見て、ノエルは彼の突然の異常に気がついた。
「鉄人! ……やばい、耐えろ、鉄人」
「ノ……エ………セラフィ、ム、が」
「鉄人! テッド、テッド! くそ!」
 ナンバー13。いい数字じゃない。
 『死神』のカードだ。
 『死神』の

「だめだーっ!」
 ノエルが絶叫した。彼は渾身の力で、鉄人の暴走を止めようとした。
 遙兵は強烈な静電気が大気中に散ったような気がして、おもわず目を閉じた。
「テツ……? ノエ、ル……?」
 遙兵は目をうっすらとあけて、がたがたとふるえだした。鉄人とノエルが倒れている。
 ふたりともすでに、意識はなかった。


2006-01-24