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インビジブル・ハンドの長い一日【前編】

 閉じた瞼の裏側に感じた光の洪水は、彼の大好きな陽射しよりもずっと冷たかった。
 ぼんやりとした感覚はやがて、目の奥を刺すような不快感に変わっていく。
 眩しい。度が過ぎている。眠るとき電気をつけっぱなしにしたのだろうか。
 眠りからさめようとする身体は不思議と気怠くて、瞼をもちあげる動作がやっとのこと。
 時間をかけてようやく認識できたのは、白い天井からいくつも吊された、照度の高い無影灯だった。先ほどから感じていた暴力的な光源はこれだったのだ。
 無機質な医療用監視カメラが自分を向いている。周囲には複数の人の気配。
 事態が飲みこめない。
「意識、セミ・コーマからコンフージョン」
 男性の声が鼓膜を刺激する。内容は脳内に浸透してこなかった。
「テッドくん」
 ふいに名前を呼ばれた。誰かが、コンタクトをとろうとしているのだ。だが、返事をしなくてはという脳からの命令はまったく機能せず。
「応じないな。意識レベル30。まだもう少しかかるのかもしれない。引き続き監視して。そうだね、話ができるようになる程度まで。それが済んだらすみやかにフェンタニールを吸入させて眠らせてしまうこと。いいね」
 そんなことより照明をやわらげて欲しい。眩しすぎてどうにかなりそうだ。
 目をあけたはいいものの、今度はなぜか自分の意志で閉じられなくなってしまった。
 ああもう。どうなってるんだ。
 五感はなさけないくらい鈍足に戻ってきた。鼻をつく消毒用アルコールの臭い。それはただでさえ不安定な意識をかく乱させる。
 少しして身体のあちこちに物理的な圧迫感があることに気づいた。頭部、頸部、胸元、腰、手首足首。それが身体拘束のパッドだということは知る由もなかったが。
 まわりがざわざわと振動する。言葉も飛び交っているがあいかわらず意味は理解できない。自分だけを置き去りにして、勝手になにかが進行している。
 不快感を押しのけて、焦りと恐怖がこみあげてきた。どうしてこういう状況下に置かれているのか、記憶の糸を手繰っても思いだせない。それどころか、記憶そのものがすっぽりと抜け落ちている。見当識が著しく障害されているのだ。
 だが、なぜ?
 目がチカチカした。おもわず瞬きをする。なんとかしてこの暴力的な光線から逃れたかった。
「テッドくん」
 まただ。少なくとも自分を知っている人物の声だ。
 緑色の物体がスッと目前を横切った。
 それとともに近い場所であの声がする。再度コンタクトを試みようとしている。
「ぼくの指、動いてるのわかるかな。目だけでいいから、追いかけてごらん」
 右から、左。
「そうそう」
 左から、右。
「うん、スコアがあがってきたようだね。ためしに指、動かしてみようか」
 右手になにかが触れてきた。人肌のあたたかみは感じない。
「さわってるの、わかるよね? 少しでいいから動かしてみて」
 声の主の正体も把握していないのに、指先は素直に指示に従った。とはいえ、実際にはほんのぴくりと動かせただけだったが。
 緑色の塊は満足そうに言った。
「オッケイ。どうやらいちばん危険な状態は脱したようだ。第一段階クリア、おめでとう」
 周囲から歓声があがるのがわかる。なにを喜んでいるのだろう。
「『セラフィム』が定着するかどうかは、まあ、このマウスの運次第だな。呼吸心拍監視を怠らないように」
 ―――――セラフィム?
 それは自分にとって、よくない意味をもつ単語のような気がした。
 記憶の箱から断片が取りだされていく。
 セラフィム。セラフィムを、マウスに埋め込む。セラフィム、それは人が背負うには重すぎるニューロン。レシピエントの生存率は1パーセント以下。無事に定着し、リハビリとその後のカリキュラムに移行できるのはそのうちのさらに半数以下。
 電撃が奔り、ひとつの記憶が鮮明によみがえった。
 緑色の塊。あの声だ。いちばん最後に聞いた声の記憶。
『さようなら、ぼく。おやすみ』
 人間味のかけらもない冷酷な声。機械的な訣別の声。
「ドクター、波形に乱れが。心拍数も上昇しています」
「鎮静剤を追加投与して」
 なってこった。周囲はみな、敵じゃないか。
 一瞬にして理解した。のんびり横になっている場合ではない。うかうかしていたら『セラフィム』に殺される。
 心臓が激しくざわついた。指先が痙攣する。呼吸が不規則に速まる。
 人の動きが慌ただしくなった。
「フェンタニールの準備」
 おぞましい声に嘲笑が含まれたような気がした。
「テッドくん」
 その口で名を呼ぶな。おれはあんたのモノじゃない。
 緑色の塊が、正確には緑色の術着とキャップに身を包んだ脳外科医だったが、にこにこと笑いながら半導体チップを埋め込んだタグを目前に突きつけてきた。
 刻印されている短い文字が見える。
 No.13
「手首につけさせてもらうよ。このブレスレットは特別につくられていてね、外部からの物理的な力では絶対に外れないようになってるんだ。解除コードも組み込まれていない。必要ないからね。GPSシステムできみを永久監視する。悪しからず」
「ドクター、吸入の準備完了です」
「テッドくん。今後のことについて少し話ができるかなと思ったけどどうやら時期尚早だったみたい。いま興奮させてセラフィムに影響したら元も子もない。もうちょっと、眠っててもらうよ」
 もがこうとしたが、無情にもマスクを口元に押しつけられた。
 声がだんだん遠ざかる。この声。忘れるもんか。二度と忘れるもんか。
「ナンバー13。いい数字じゃない。タロットの大アルカナなら、『死神』のカードだ」

「うわあああああっ!」
 ごちん。
 夏でもないのに大玉花火が打ちあがった。
「な、な、なに?」
 びっしょりと寝汗を吸ったパジャマを乱しに乱して頭を抱え、鉄人は悶絶していた。
「ば、バカだ……」
 理不尽にたたき起こされたノエルは怒るのも忘れて、ぷっと吹きだした。
 夢を見て飛び起きて、低い天井に頭を打ったとか。なんてベタなギャグだろう。
「……おーい、いきてるかー」
「あああああああ」
 ノエルは布団から這い出て、二段ベッドの上段にいる鉄人をのぞきこんだ。
「クラッシュしてない?」
「だ、だいじょぶ……」
 ノエルは手をのばして枕元にある鉄人の携帯をパチンと開いた。液晶のまばゆい画面に時刻が映しだされる。午前4時。
「あー……ヤーな夢、見た……」
「勘弁してよ。あしたも……あ、もう今日か、学校なのに」
 わざとらしく、ふわあと大あくびをする。ほんとうはすっかり目がさめてしまったのだが。
 睡眠にはサイクルというものがあって、ノエルにとっていまが丁度よい頃あいだったらしい。
「うへえ……まだ胸がバクバクする。やべえ、やべえ」
「ラボにいたときの夢?」
 鉄人はぎくりとした。
「なんで、わかんの」
「だって鉄人、このごろよく寝言いいながらうなされるから」
「寝言だぁ? そんなのしらねえよ」
「いまみたいにレム睡眠中に覚醒した場合は、夢の内容を覚えていることが多いんだって。ふだんはタイミングがあってないんだろうね」
「んなことより、おれ、なんて寝言いってんだよ。黙って聞いてたのか。いやらしいやつだな」
「あれれ。聞かされた、っていってくんない? おかげで睡眠コントロールがけっこうたいへんなんだから。それより、鉄人」
 ノエルは完全にベッドの下段を抜け出して、はしごを伝ってきた。
 鉄人の布団にもぐりこむ。師走ともなると明け方はかなり冷えるのだ。
「ここんとこ毎日だよ。なにか、あったの」
 鉄人は首をふった。
「いや、べつに。ていうか、うなされてる自覚ない」
「べつに、ってレベルじゃないんだけどなあ……」
 ノエルは首を傾げて、言った。
「睡眠をコントロールするのもニューロンだからね。もしかして、鉄人のセラフィムが介在してるのかも」
「介在?」
「なにかを鉄人に伝えようとして、意図的に睡眠を阻害してるんじゃないかってことだよ」
 鉄人は眉をひそめた。
「意図的にとか、伝えるとか。おまえ、セラフィムを擬人化してねえか。たかが神経細胞だろ」
 ノエルはおもむろに手をのばして、枕元の電灯をぱちりと点けた。暗闇に慣れた瞳孔が光の刺激を受けてきゅんと収縮する。
「鉄人、それは考え方が甘い」
「……は?」
 ノエルの顔は真剣だった。いつもの薄くほほえみを浮かべているような温和な表情はまったくなかった。
「たかが神経細胞が、不老だの寄生だの、メタボローム(分子生物学における代謝分野の研究)を無視するようなマネをすると思うか? いいか、セラフィムは医学の概念を根底から覆したんだぞ。ていうか、こんなのもはや医学じゃないよ。ヴィクター・フランケンシュタインだ。狂ってる」
 狂ってる、という部分には鉄人にも同感できる。ましてやクリーチャーの材料に使われたのは生身の人間だ。それだけでも生命倫理に反している。
 眠気などすっかり吹き飛んでしまった。だがスズメが鳴きはじめる時間にはまだ早い。
 鉄人が黙りこくるのと対照的に、めずらしくノエルが饒舌だった。
「鉄人は、自分のセラフィムの特性について認識はしているの?」
「いや……」
 簡潔に否定しながら、鉄人はそういえばと思った。
 継続的な睡眠障害はノエルに指摘されるまで自覚していなかったが、それとは別に身体の違和感について思い当たるふしがある。ここ数日のことだ。
 このまえさんざん苦しめられたインフルエンザや、ほかの疾患による異常とは違うような気がする。それは右手に顕著にあらわれていた。
 だが、それをどう説明したらよいのだろう。まるで右の手に、自分以外にもうひとつ意志決定機関が存在するような―――――奇妙な感覚なのだ。
 他人の脳がそこにある。
 言い換えてみれば、そんな感じだった。
(セラフィム?)
 鉄人はふいに背筋が寒くなった。
 自分のなかに埋め込まれたセラフィムという存在を、鉄人はできるだけ意識しないようにつとめてきた。人が行動を起こすのに神経作用を意識しないのと同じである。
 意識してしまえば、恐怖にとらわれるからだ。
 おそらくセラフィムとは永遠に分離することはできない。それこそなんらかの要因でセラフィムが変質しない限り、鉄人は暴力的に生かされるのだろう。もちろん納得などはしていない。人の人生をなんだと思ってやがる。
 とりあえずの自由を手にいれてからも、セラフィムの束縛から逃れる道ばかりを考えてきた。
 個々の特性があるというセラフィムそれ自体については、徹底的に思考の隅に追いやってきた。
「鉄人、ドクターチームはきみに説明する気はなかったのかもしれないけど、セラフィムはもともと、遺伝子操作を研究する過程で偶然発見された物質なんだよ。ハルモニア製薬はデザイナーベビーでビジネス展開を狙ってて、遺伝子研究にかなりの投資をしてたらしい。セラフィムの可能性が現実となってから、犯罪化に加速がついた。どうやって頭脳集団を囲ったのか知りたくもないけど、どうせロクでもない手口にきまってるよな。セラフィムは予想をはるかに超えたとんでもない物質だった。みんな狂っていったんだ。ぼくの父だってそうだ。ううん、ぼくもそうだった。セラフィムに魅せられて、ホロコーストに荷担しているという認識が麻痺しちゃってた」
「ふん。医学の進歩なんていつでもそんな裏があるもんだ」
「ぼくはね、鉄人、セラフィムは驕りたかぶった人類に試練を課すために神様が地上にばらまいたものだと思ってる」
 鉄人はぽかんとしてノエルを見た。
「……なんだよ、それ」
「本気だよ」
「カミサマ、信じてんの。オマエ」
「信じるしか方法がないじゃないか。不老の技術、これはとんでもない発見だ。もし不老不死の技術に昇華したら、本物の『神の手』だ」
「夢、見過ぎ」
 鉄人はだんだん腹がたってきた。ラボを離れたとはいえ、ノエルも所詮は研究者の卵なのだ。人類史を変えるかもしれない医療技術への執着心はおそらく、そう簡単には捨てきれないのだろう。
 ラボで助手をしていたというノエルも、マウスの自己決定権を冷たく拒絶していたのだ。すべてが医学の進歩のためと信じながら。
 どれほど、怖かったか。
 ノエルは知らないのだ。
 なぜならばノエルは寄生されただけなのだから。人間であることを否定された自分とは決定的にちがう。
 同じ立場になって我に返っただなんて顔をしているけれど、ノエルがいくら後悔しても謝罪しても殺されていったマウスたちの魂が救われるわけでもない。そして、ノエルは絶対に気づきはしまい。
 鉄人があのとき、どれほど怖かったか。
 同じ環境で暮らし、同じように追っ手の影に怯え、表面だけは仲のよい同級生を演じている。同じ部屋で机を並べ、二段ベッドの上下で眠り、同じ炊飯ジャーからご飯をよそって食べる。
 冷静に考えると矛盾だらけだ。
 自分が被害者であることは疑わないが、ノエルの不幸はけっこう自業自得に思える。そのうえ、いまになってなお恍惚としてセラフィムについて語るノエル。恐怖なんて理想の前では色あせるとでも言いたげに。
「夢って、なじられてもいい」
 ノエルはぽつりとつぶやいた。
「ぼく、どうせセラフィムに殺されるなら、生きているうちにその正体を知っておきたい。姿もわからない敵に殺されるなんて、いやだ。もう、あんまり時間、ないんだ。ぼくのセラフィムについて知るのももちろんだけど、きみのも知りたい。セラフィムは、みんなどこかでつながっているような気がする。だから、個性が存在するんだと思う。27のセラフィムすべてを知る時間はたぶんないから、鉄人とぼくのぶんだけでもつかんでおきたい」
「……ノエル」
「……つかみたいんだ。わかってくれなんて、いわない」
 ノエルの心の叫びだった。時間がない。それが現実なのである。
 鉄人はいまがもう冬であることを苦々しく思った。ノエルと出会ったのは九月。もうすでに三ヶ月半が経過している。
 余命半年。
 重い宣告だった。
 ノエルがいなくなったら、鉄人はまた独りになる。いや、寄生される次の犠牲者が、この部屋に住まうのかもしれない。そんな未来はまだ想像できない。
 ノエル以外のセラフィムなんて。
「ノエル……おれ、さ」
「ん?」
「なんて説明したらわかんないけど……正直に言う。右手、ヘンなんだ。ヘンっていうか……たぶん、セラフィムだ。あいつ、なんかおかしなことをはじめてやがる」
 鉄人はわざとセラフィムをあいつ呼ばわりした。口にしてみると思ったほど違和感はなく、すんなりと納得できる気までしてきた。
「いつから」
「たぶん、おまえが来てから少しずつ。おまえのセラフィムに反応したみたいに」
「なにかほかに、変わったことはなかった」
「うん……」
 鉄人は口ごもった。まだ暗い窓の外を見つめ、ノエルに視線を戻す。
「人を……」
「人を?」
 そこでまた戸惑って、視線をうろうろと泳がせた。ノエルは急かすことをせず、黙って待った。
 鉄人は小さく唇を動かして、やっとの思いで、言った。
「人を、な……願っただけで、殺せるような、気に……とらわれた」
 ようやく聞き取れるぎりぎりの音量だった。その内容は、ノエルがセラフィムを神が下したものだと仮定したことよりもはるかに狂気じみていた。
 だが、ノエルは笑わなかった。
「それだよ、鉄人」
「……は?」
「それこそがセラフィムの特性だ」
 ノエルは確信したようだった。自分自身をばかげていると思う鉄人とは正反対だった。
「鉄人、ぼくのセラフィムだけが人から人に寄生して歩き、半年ごとに古い身体を殺すのは、できそこないの変異原だからだと思うか?」
「え? それは、ほかの例をおれは知らないからなんとも言えねーけど……なんで」
「ぼくは、それも罰というセラフィムの特性だと思う」
「……」
「鉄人のセラフィムは、意識野で人を殺せる」
「ちょ、ちょっと待てよ! てめえ、短絡すぎ!」
「短絡なもんか」
 ノエルはきつく言いはなった。
「鉄人、本能でそう感じたんだろ? だったら。頭で否定してもだめだよ。また夜中に無駄にうなされるだけなんだから。本能と希望的観測が食い違いすぎてるから、覚醒してないときに精神を苛まれるんだ。そういうことだ。きまり」
「決めつけんな! 無駄ってなんだよ、無駄って!」
 鉄人はついに爆発した。壁を手のひらでバンと叩く。それだけではおさまりがつかず、ノエルの胸ぐらを乱暴にひっつかむ。
「ンだよ。いくら時間がないからって、勝手に結論急いで楽しいかよ。満足なのかよ。おれはな、知りもしないのに憶測だけでものごとを言う医者や科学者ってやつがだいっきらいだ。そうやって、人をドン底に突き落として、ご愁傷様ってツラして、いつだって人の気持ちなんかわかっちゃ、いな……」
「……鉄人」
「くそっ」
「ごめん、鉄人……ごめん、ぼく」
 鉄人の指がパジャマの襟首を放した。そのままふたりとも、うなだれてしまった。
 ノエルに八つ当たりしても、なんの得にもならないことを鉄人は知っていた。
 鉄人に謝罪しても、過去は変えられないことをノエルは知っていた。
 ふたりでやっていくしかないのに。
 どうして、こうもうまくいかないのだろう。
 ノエルが理事長の家に同居すると決まったとき、部屋を同じくしようと提案したのは鉄人だった。夜中に万が一のことがあっても、鉄人が対応できる。銀町も賛成してくれた。
 だが鉄人には、別の思惑があった。自分になにか思いもかけないことがあったとき、手をさしのべてもらいたかったのだ。ラプソディアの一件で気弱になっていたことも理由のひとつだった。
 支えあいたい、という切なる願いはどちらにもある。
 ほかに、誰もいないのだ。
 遙兵や時雨努たちでは、その役目は担えない。
 ふたり同時に、ぶるっとふるえる。
 室内の空気はしんしんと冷えこんでいた。
「……寒いね」
「おい、ジャンケンで負けたほうがヒーターのスイッチいれてこねえか」
「うわあ。ぜったい負けたくないなあ」
「覚悟きめろよ、覚悟。いいか」
「さいしょはグー!」
「あじゃんけん、ぽ!」
「あいこで、ぽ!」
「うわあああああ!」
「へへへへへへへ、こういうのって言い出しっぺが墓穴を掘ることになってんのさ! さあ、鉄人、覚悟するんだな!」

 定時にキッチンへ下りてみると、銀町が白の割烹着姿で朝ご飯のしたくをしていた。
 テーブルにはこれまた定番の、清く正しく美しい日本の朝ご飯。白飯、豆腐の味噌汁、沢庵、焼海苔、生卵、お浸し。健康長寿一直線のフルコース。
「おはようございます」
「おはよう」
 銀町は菜箸を握ったまま、上目遣いにぎょろりとふたりを睨みつけた。
 席につくと、鋭い視線も追ってくる。
 いやーな予感がした。
「……明け方に」
 ぎくんぽ(同時に)。
「えらく、話がはずんでいたようじゃないか」
「あ、あはは、は、やっぱ、聞こえてました、か」
「う、うるさくしてごめん……なさい……(尻すぼみ)」
 銀町は表情をやわらげて、ふっと息を吐いた。
「まあ、いいさ。おまえたちには、おまえたちの話もあるんだろうからね。あたしが関わることじゃない。互いが納得するためなら、ケンカも上等だよ。でもね」
 間。
「次から時間外には完全防音のリスニング・ルームでやっとくれ。あたしは寝つきが悪いんだよ。まったく今日重要な会議があるというのに、寝不足ではやっておられん」
「す、すみませんでした!」
 ちぢこまる高校生二名に番茶を手渡して、銀町も席についた。
 銀町は徹底した和食党であったが、料理は上手だった。ほどよい塩加減ダシ加減の味噌汁に鉄人は目を細めた。
 ミソ・スープは日本に来てから経験した献立だが、自分のなかに流れているという日本人の血のためだろうか、どこか懐かしさを覚えた。同時に味噌、醤油をはじめとする日本の発酵食品群を心底すごいと感嘆もした。
 もはや味噌汁がなくては一日がはじまらない。
 ふいに、銀町が真剣な表情で口をひらいた。
「昨夜、このようなメールがあたしんとこに届いた。もうひとつは差出人は別だが、内容証明つきの郵便で来た」
 二枚の印刷された紙をテーブルに並べる。
「読んでごらん」
 両方とも堅苦しいビジネス文書のようだった。それぞれ英語と日本語で書いてある。
 鉄人とノエルは紙を凝視し、味噌汁を吹き出しそうになった。
 そのまま氷のように固まってしまう。
「郵便のほうは日本政府からの打診だね。官邸のパニックぶりが見えるようじゃないか。なんたって経済制裁を前面に打ち出した強攻策を米国が叩きつけてきたんだ。あちらの科学技術をプエルトリコにある合衆国管轄の財団から持ち出した産業スパイ二名、とどのつまりあんたらのことだけどね、身柄引き渡しを要求してきたんだそうだよ。ところがどっこいあんたら表向きには善良な高校生ってことになってるし、どうしたらよろしいでしょうかと総理大臣自ら泣きついてきやがったってことさ。ハ、相変わらず、暢気な国だね」
 いまにはじまったことではない。それに暢気もある意味美徳にはちがいない。だが問題はもう一枚のほうだ。
「ラボからの脅迫文ですね」
「ああ。このまんまのらりくらりとはぐらかすようだったら、国家戦略を使っておまえたちを晒し者にし、日本にいられなくなるように仕向けてやるとね。さあ、どうする鉄人、ノエル。朝飯食いながら考えな。下手をしたら明日の日本経済新聞、一面にあんたらの顔写真がどでかく並んで載っちまうよ」


2006-01-22