Press "Enter" to skip to content

インビジブル・ハンド・リターンズ

 南校舎二階の廊下は騒然となっていた。
 先日行われた、校内模試の順位表が張り出されたのである。
 燕霧流は、横長ロール紙の右端に視線を固定したまま、満足したようにほくそ笑んだ。
1 燕 霧流 492
 いつも彼の頭上に立ちはだかる、弓ノ間鉄人500の文字は何度確かめても、ない。
「カ・イ・カ・ン」
 この時点で、燕の不戦勝を指摘する勇気ある者はいない。そんな真似をしたら小指が落ちるからである。
 せっかく気持ちよく自己陶酔しているのに、配慮に欠けた大声が邪魔をした。
 大声の主が教師でなかったら、体育倉庫に連れこまれてボコられるシナリオだ。
「おお、いいところに、魁! 弓ノ間にプリントもってってくれな」
「はい、遠藤先生」
 霧流のすぐ横で、端正でやわらかい顔立ちの生徒がほほえんだ。霧流は汚らしいものを見るように相手を射た。
 魁無影響量。
 もう少し詳細な情報を付加するのであれば、『2 魁 無影響量 491』。
 二学期のはじめに牡鈴学園高等部にやってきた、謎の転校生である。
「どうだ、弓ノ間のぐあいは」
「ええ、熱はだいぶ落ち着いたみたいです」
「そりゃよかった。でもインフルエンザは流行性疾患だからな。すっかり治るまで学校に来るなと伝えとけ。おまえもうつされんじゃねえぞ」
「はい、手洗いうがい、敢行してます」
 1年3組の学級担任、遠藤璃乃は壁の順位表をちらりと見ると、ノエルに驚きの目をやった。
「やるじゃないか。転校してきたばかりで2位とはな」
「古典って難しいですね、先生。ぼく、日本語は慣れていませんので戸惑うことばかりです。日本人独特の感情表現や丁寧に織りこまれた曖昧さは一般的知識に置き換えられないことも多くて苦労します」
 聞き耳を立てていた霧流の顎があんぐりと開いた。
「ま、ついこないだまでスペイン語圏で生活していたんだから無理もないか。まあ、のんびり慣れろや。って、おれが案じるまでもねえな」
「グラスィアス、ポルス、アマビリダ。ボチボチデンナ」
「ははは、あんまりいらん知識は習得すんなよ。弓ノ間みたいになっぞ」
 璃乃はノエルの肩をぽんぽんと叩いて行ってしまった。
 霧流は突如として絡みついてきた想像の糸に胃がでんぐりかえりそうになるのを必死にこらえながら、ノエルを凝視した。
 ただ単に、弓ノ間のダチだと思っていた。
(……こいつ、ひょっとして脳内改造組?)
 そんな情報は聞いていない。ラボから逃げ出したマウスの約半数は捕らえられて檻の中へ送り返されたが、残りは所在不明だったり、弓ノ間のように居場所はつかめるが手出しができなかったりだ。日本に潜伏するマウスは弓ノ間一個体のはずである。
 日系のマウスがほかにもいるなどという話は、初耳だ。
 考え過ぎか。それとも、弓ノ間を掃除するためにハルモニア製薬から派遣されてきたのか。
 マウスの脱走という失態で方向転換を迫られた計画の次段階、自由意志のコントロールが成功したのだとすれば、それも考えられる。
 いずれにせよ、マークしておくに越したことはない。弓ノ間は意地でも自分が手に入れるのだ。邪魔などさせない。たとえその向こう側にいるハルモニア製薬を敵に回しても。
 勝手に敵意を剥き出しにする霧流に気づいて、ノエルは大きな目をぱちぱちと瞬かせた。
「え、なあに?」
「そっ、そんなスカしたツラしてられんのもいまのうちだからなっ」
「スカした? スカ……スカす? 五段活用動詞?」
 霧流はこれでも牽制したつもりだったのに、論点がのっけから怒濤のようにすれ違った。
 霧流は「ふん!」と吐き捨てると背中を向けて靴音を荒げた。
 魁の個人情報を収集しておく必要がある。生徒の情報は学内の機密事項のため厳重にコンピュータ管理されているが、燕組の息がかかっている教師、海神瀞偉を脅せば引き出せるはずだ。

 ノエルが帰宅すると、パジャマ姿の鉄人がキッチンで冷蔵庫を漁っていた。
 ゴミ箱の周囲は丸めたティッシュのお花畑である。
「あ、おかえり」
「起きちゃって大丈夫なの。おなか、すいた?」
 IHクッキングヒーターには温まった粥の鍋が置いてある。
「梅干しと塩で食うの、さすがに飽きたから、なんかアレンジしてみようと思って」
 鼻水をすすりながら、鉄人は冷蔵庫探索を続行した。冷凍庫に刻みネギを発見し、ほぐしながらぱらぱらと入れる。冷蔵室を開けて濃縮そばつゆを取り出し、これも投入。料理というよりフィーリングを披露している感じだ。
 最後に手にしたのは生卵。
 ノエルは黙って観察する。
 なにも言うまい。なにも。
「そいや!」
 右手だけで調理台に打ちつけ、器用に割ってみせる。
「へえ、すごい。片手で割れるんだ」
 鉄人はふと、妙な顔をした。
「だって……おまえもさせられただろ」
「……え?」
「ラボのカリキュラムで」
 ノエルは少しだけぽかんとすると、訊きかえした。
「卵の片手割りを?」
「そう」
 微妙な間があった。ノエルは、首を振った。
「ありえない」
「やった」
「ぼく、やってない」
 鍋がふつふつといいはじめた。鉄人はスイッチを切った。
 指でマスクをつまみあげ、その下から低い声を絞り出す。
「やったの」
「きっと、鉄人だけだ」
 ノエルは自分も冷蔵庫を開けて、牛乳パックを取りだした。食器棚からコップと丼を持ってくる。
「そんなはずはない」
 鉄人はまだぶつぶつつぶやいている。卵割りによっぽど苦い記憶でもあるのだろうか。
 卵の殻を握ったままの鉄人にどんぶりをわたすと、もういちど「そんなはずはないのに」を繰り返した。
「鉄人、からかわれたんだよ」
 なるべく刺激しないように、率直に思ったことを言ってみる。「ドクターの中にはひまな人とか、頭のおかしい人とかいたし」
「あの、くそじじい」
 ノエルはぷっと吹き出した。そのときの鉄人があまりにも悔しそうだったので。
 次にそこへ戻るときは最期だとわかっていても、プエルトリコの研究施設は反抗さえしなければ、そう悪い場所でもなかったはずだ。情をくれた人もたしかにいたのである。
 けしかけられて、必死で練習したのだろう。右手を潰れた卵でびちょびちょにしながら。
 もちろん、それができたからといってなんの役にもたたないが、誰かを驚かすことはできる。
 鉄人がくそじじい呼ばわりする研究者の姿をノエルは思い描いた。人生にはなんの得にもならない、無駄な知識があるのだということを鉄人に教えた彼。だがそれこそがもっとも大事なことなのかもしれない。どんな公式にも優る、生きていくという知識。
 ノエルは鉄人が羨ましかった。
 自分は、あまりにも特殊すぎる事情を抱えてしまっていた。ほんのわずかなあいだに裏返った運命。つい数ヶ月前まで、鉄人は自分にとってただの『マウス』にすぎない存在だったはずなのに。
 いまは、自分自身が追われるネズミ。
 同じ立場になってはじめて、父のやっていることに気づいた。
 なんの疑問も持たずに肯定してきた世界がびりびりに裂けた。
 せめてはじめから、鉄人の側の存在だったら、これほどまでに罪の意識に苛まれることもなくて済んだであろうに。
 ノエルの細胞核に刻まれた印は、罰。27の成功例のうち唯一、インフルエンザウィルスのように人から人へ渡り歩く『寄生するインビジブル・ハンド』であった。
 過去の例から推測して余命半年。
 そう宣告された息子を父親は簡単に切り捨てた。
 後継者から、単なる『マウス』へと。
 卵の片手割りなどに夢中になっているひまもなかった。無我夢中で、逃亡した。父とは永遠の別れになることも覚悟した。そして、やさしくて脆かった母とも。
『感染』。
 脳に大量の知識が流れこみ、それが過去のマウスたちの持ち物なのだと気づいたとき、ノエルは自分が発狂するかと思った。知識のみならず、他人の記憶や感情までもがノエルを怯えさせ、悲鳴を絞りつくした。
 自分は、誰だ?
 ノエル。ノエル・ポラリス。
 ぼくのなかに勝手にはいりこみ、巣を張るのは誰だ?
 嘆き、悲しみ、絶望。人間であることを否定された幾多の魂が、絡みつく。
『これは、罰だ』
『命をもてあそんだ、罰だ』
『おまえは、償わなくてはいけない』
 ラボで昏倒し、意識を取り戻したときは拘束ベッドの上だった。その日から周囲の誰もが、自分の名前を呼ばなくなった。
 新しい呼称はナンバー27。
 それがなにを意味するのかを、ノエルはすでに知っていた。
「おい、ノエル」
 牛乳パックとコップを手にしたまま、ぼんやりとしてしまったノエルに鉄人は声をかけた。
「え、ああ、ごめん」
「……インフル、うつった?」
「ううん、そんなことない。それよか鉄人もさっさと食べて、布団に戻った方がいいよ。治りがけが肝心なんだから」
「はいはい、医者のタマゴさん」
「あとね、鼻かんだティッシュはちゃんとゴミ箱にストライクしとくように。それ触って感染するんだからね」
「ふぇーい」
 鉄人は不真面目な返事をした。椅子の背にかけた綿入れ半天を着て、テーブルにつく。
 どんぶりにはほかほかと湯気のたつ、醤油のいい香りはするが見た目がゲロそのものの物体があった。
 ノエルは壁の電波時計をちらりと見た。すでに午後六時をまわっている。銀町はまだ帰宅しない。理事長職なので難しい事務は学校長に一任しているが、それでも月末は残務整理がなにかと多いらしい。
 これほど広い屋敷にもかかわらず家政婦のひとりも雇わない。食事はすべて銀町が支度をする。掃除や洗濯も同様だ。
 今日のように連絡もなしに遅くなることもある。そういうときは鉄人かノエル、気の向いた方が適当に食事をつくる。どちらかというとノエルのほうが料理は上手だった。
「煮卵恐怖丼、まだ残ってる?」
「あっけど、伝染るぞ。たぶん」
「伝染ってもいい。おなかすくよりはいい」
 レンゲを持つ手がぴたりととまった。
「なに、ヘコんでんだ」
 口元を指でぬぐいながら訊く。
「べつに」
 否定するが、口と素振りがすれ違っている。鉄人にはその理由が少しわかるような気がした。
「そういや、おまえのことあんま訊いてなかったな」
 銀町は簡単な経緯しか教えてくれなかった。ノエルが鉄人と同じであること、実の父親が幹部研究員として中枢機関に所属していること。そして、彼のケースが特殊そのものであり、ノエルはその身に押しこまれたニューラルネットワーク(ラボの研究者たちは熾天使を意味するセラフィムという単語でその人工的ニューロンを呼んでいた)により命を脅かされており、おそらくはあと半年ほどしか耐えられるまいということ。
 自分の身体の異常を告げられたときよりも激しく、鉄人は動揺した。
 同じだけれど、ひどく違う。
 決定的なひとつの違いが、ノエルを遠い存在にする。
 はじめて握手を交わしたあの日から、鉄人は戸惑っていた。接し方がわからない。より深い話をしたいのに、切り出すことを鉄人は幾度も躊躇した。
 下手なことを言って、運の悪さを同情しているととられるのが怖かったのだ。
 いっしょにいられるタイムリミットは刻一刻と近づいているというのに、ただの同居人状態がもう何日も続いていた。銀町からはそれ以上の説明はなかったし、ノエルも肝心なことはなにひとつ話そうとしなかった。
 高熱をだすのなんて、何年ぶりだろう。
 ノエルのことばかり考えて、体調管理がおろそかになったのかもしれない。四〇度近い熱にうなされながら、鉄人はしっかりしろと自分を叱咤した。
 起きあがれるようになったら、今度こそ目をそむけないと誓った。
 ノエルの視線を感じる。やはり、蒼い。虹彩の色がどうのではなくて、視線そのものがなぜか『蒼い』のだ。見透かされているようにも感じる。鉄人の目は緊張でうろうろと泳ぐ。
 一方、ノエルも鉄人に対する複雑な気持ちを抱えたまま今日までずるずるときてしまっていた。当事者のひとりとして鉄人に謝罪する気持ちは毛頭なかったが、なにも知らなかったという罪悪感は日に日に強くなっていた。
 本当のことを打ち明けて罵られたほうが、すっきりするのだろうか。
 セラフィムもえらく利口な選択をするものだ。犠牲者の鉄人に生を、加害者のノエルに罰を。
 本来ならばあり得ないシチュエーションなのに、ふたりで鼻面をつきあわせて煮卵雑炊(一説によると恐怖どんぶり)を黙々とすすっている。
「あの」
 鉄人とノエルはほぼ同時に、同じ声を発した。
「あ、あ、ああ、なに?」
「い、いや、いいよお先にどうぞ」
 意を決した話の切り出しを腰砕けにされて、鉄人は苦笑いした。
「まあ、いっか。焦ることでもねえし。ごちそうさまっと。結構、イケたな」
「ねえ、鉄人」
「うん?」
 ノエルはどんぶりから視線を離さず、淡々と話しはじめた。
「インフルエンザが伝染ってもいいと思ったの、本気だよ。いますぐ死にそうなくらい熱をだして、なにもかもわからなくなってウンウンいっちゃいたい」
「はあ? なにいってんの、オマエ。ありゃ苦しいぞー」
「苦しいほうがいいや。ほんとうは明日学校に行くのもいやだ。なんの意味があるのかもわからない。結果がわかりきってるのに、いまさら人脈をつくることがどれだけ重要なんだろう」
「ノエル……」
「鉄人。ぼく、ほんとうはきみの命が羨ましくてしかたがないんだ。羨ましくて、悔しくて、そして……妬んでる。鉄人、きみの命が欲しい」
 鉄人は愕然とした。
 身近に迫った死の恐怖というものはどれほどのものなのだろう。鉄人には縁遠い感覚であった。いつまでと明確にさだめられているわけではないが、だからこそ不安定で儚いノエルの未来を想う。
「あげられるものなら……」
 口が勝手に動いてそうつぶやく。論理を瞬時に構築するはずの脳は肝心のときにあまり役にはたたなかった。
「ごめん、鉄人。きみの気持ちも考えずにこんなこと言うなんて。ぼく、どうかしてる」
 なぐさめも、激励も無意味である。鉄人にできるのは黙りこくることだけだった。
 ノエルは口元にかすかに笑みを浮かべて、言った。
「ぼくが死ぬことは、そうなっているんだったら……それでもいいと思う。怖いのは、そのとき別の誰かを巻きこんでしまうことなんだ。それを考えるだけで、怖くて、怖くて、夜中に何度も飛び起きる」
 鉄人は目をあげた。
「おまえのセラフィムが寄生するシステムについては解明されているのか」
「いや、詳しくは研究途上。けど過去の例からいって、精神的と距離的な接触感染の相乗効果を疑ってる。仮定にすぎないけど」
「自分が寄生された理由について説明できるか」
「あのマウスは父の担当だった。ぼくは彼女に情を抱いたことは否定しない」
「そうか……」
 鉄人はテーブルに頬杖をついて、少し考えこんだ。やがて口を開く。
「セラフィムってさ、ひとりの人間が複数持つことはできるのかな」
「えっ」
「いや、たとえばの話だよ……おれが、そのペイシェントとなる可能性は実際のところ、あり得るわけ」
「バカ言うな。セラフィムひとつのプローブ(試験的)オペだけでもたくさんの検体が耐えきれなくて死んでるのに」
「”検体”ねえ。……被験者じゃなく」
「あっ……」
「ノエル、人は血や臓器の塊じゃない。情もありゃバカなこともする。いざとなれば、そういう手段だってとれるってことだ。言っただろ、たとえばの話だって。未来に起こることばかり考えてたら、メシもうまくない」
 鉄人は空のどんぶりをコツコツと小突いた。
「この、インフルエンザウィルスべっとりの手でつかんだ汚染ネギを煮込んだ雑炊がうまかったかうまくなかったかは別として」
「……げっ」
「いまさら怖じ気づいたか、愚か者。へくしょっ!」
「バイキン散らすな!」
「もう遅いわ」
「セラフィムの前に鉄人菌に殺されそうだ」
「ははは、ザマーミロ。へ、へくしょっ! ……くそ、ティッシュ品切れだ。ノエル、コンビニ行って買ってこい」
「パシリか、ぼく」
 ノエルは毒づきながらも立ちあがった。鉄人の機転に感謝したい気分だった。
 彼の言いたいことはだいたい理解できた。最悪の結果ばかりをシミュレートせず、まずはどっしりと座ってメシを食えと。
「コンビニ行くついでに肉まん買ってくるね。鉄人もいるかい」
「おー、いいねいいね。おれ、ピザまん」
 そのときだった。
 ぴんぽーん。
 玄関のセキュリティドアホンシステムが来訪者を告げた。
 液晶モニターで確認すると、高級寿司店『白峰寿司』の制服を着た男であった。
 鉄人は音声をオンにした。
「はいはい、どちらさん?」
「白峰寿司っス! お届けにあがりましたっス!」
「え。うち、たのんでないけど。それとも先生かな」
「燕さまから弓ノ間さまへお見舞いということで特上寿司承ったっス!」
「そうっスか」
 鉄人はノエルと顔を見あわせて、「どうする」と言った。
 なんだか気味が悪いからと、善良な寿司屋を門前払いするわけにもいくまい。ひとまず受け取ることにした。
 寿司屋は大きな腹を揺らして豪快に言った。
「先様のご注文どおり、サビは特盛りにしときましたんで! でも坊ちゃんがた、からいのがお好きといっても注意してくださいよ。なんたってシャリよりサビのほうが多いんですから!」
 そういう手口であったか。
 では遠慮などするこたあない。盛大にいただくとしよう。なんたって泣く子も黙る、時価というオープン価格の特上寿司。
 ぴかぴかのツナ。ぴかぴかぴかのホースマッカレル。ぴかぴかつやつやのサーモン。ぴかぴかつやつやきらきらのシー・ウーチン。ぴかぴかつやつやきらっきらぷりっぷりのプローン。
「ノエル、その空いたどんぶりにこの緑色の不気味なやつをほじって捨てろ」
「食べものを捨てるなんてもったいない。バチが当たるよ」
「これはな、ジャパニーズホースラディッシュだ。そういや、先生がコレを舐めながら日本酒呑むのが好きだって言ってたな。とっとこうか。先生喜ぶぞ」
「いただきまーす。SUSHI食べるの久しぶり」
「ノエル、そりゃバラン。食いモンじゃねーっつーの」
 みるみるうちにどんぶりが緑色の物体で埋められていく。
「ひー、カラっ!」
「燕め!」
「ハハハ、燕め!」
 そのときだった。
 ぴんぽーん。
 玄関のセキュリティドアホンシステムが来訪者を告げた。
 液晶モニターで確認すると、高級花屋『ミルイヒ・オッペンフラワー』のど派手な制服を着た男であった。
 鉄人は音声をオンにした。
「はいはい、どちらさん?」
「お花のお届けでございます」
「え。うち、たのんでないけど。それとも先生かな」
「燕さまから弓ノ間さまへでございます」
「ああ、そう」
 鉄人はノエルと顔を見あわせて、「またか」と言った。
 燕から花なんて気味が悪すぎる。だが善良な花屋を門前払いするわけにもいくまい。ひとまず受け取ることにした。
 花屋は大きな羽根つき帽子を揺らして華麗に言った。
「では、ここにサインを。最高級お供えアレンジメントのお届けでございます」
 そういう手口であったか。
 では遠慮などするこたあない。エレガントに頂戴するとしよう。なんたって泣く子も黙る、身の丈三メートルはありそうな花束の集合体。
 可憐なホワイトガーベラ。鶴の首のようなホワイトカラー。優雅なホワイトカサブランカ。上品さただようホワイトローズ。おもわず拝みたくなるホワイトトルコキキョウ。
「鉄人、熨斗がついてるよ。御霊前だって」
「リボンまでご丁寧に悲しげな涙色だぜ」
「燕め!」
「ハハハ、燕め!」
 そのときだった。
 ぴんぽーん。
 玄関のセキュリティドアホンシステムが来訪者を告げた。
「燕ケータリングサービスか!」
「二度あることは三度ある!」
 四個の眼が液晶モニターをのぞき見る。
 ちがった。
「あれ? ハーじゃねえか」
 例のカフェバー『ラプソディア』傷害未遂事件(現実には殺人未遂、拉致監禁、麻薬取締法違反及び銃刀法違反が公にならなかっただけ)がきっかけで、鉄人とノエルが理事長宅に下宿していることがバレてしまった。遙兵は鉄人が秘密にしていたことを怒り、次に地団駄を踏んでうらやましがった。
 モニターには遙兵だけでなく、時雨努と経夢人の姿も映しだされていた。鉄人は音声システムを使うよりも早く、玄関に駆けていった。
「おー! どおした?」
「どーしたって、見舞いだよ見舞い! テツが退屈してんじゃねーかって、心優しい俺様が気を遣って来てやったんだぜ。もちろん雀卓も持参だ。あしたが旗日でよかったな」
「わっ、コタツまで持ってきたのかよ」
 時雨努の抱えている大荷物に鉄人は苦笑した。
「麻雀するのにコタツがなくてどうする。理事長サマのお屋敷にはどうせチープーなコタツなんかねえだろうと思ってな。どうだ図星だろ」
「そりゃ当家は完璧な空調システムを備えておりますから。はいれよはいれよ」
 鉄人は友人たちを広い玄関に招きいれた。その背後に四人目が立っていたことに、ようやく気づく。
「あ、先生おかえりなさい」
 ノエルの挨拶に遙兵たちはギクリとして振り向いた。
「り、理事長先生っ! ど、どーも、とつぜんおじゃましますっ!」
 愛想笑いをする遙兵に、きちんとお辞儀をする時雨努と、そのかげに隠れようとする経夢人。銀町絵麗亜はじろりと来客一同を見回し、次の瞬間、にたりと笑った。
「いらっしゃい。今日はにぎやかそうだね。どうぞ、おはいり」
 よけいなひと言があると思いきや、絵麗亜はむしろ愉快そうに鉄人とノエルに視線を移した。
「こういうのも、いいもんだ。わたしも若い頃はよくやったよ」
 少年たちの笑顔がはじけた。そのスキを突いて『理事長』の叱咤が飛ぶ。
「ひとん家にあがったら靴は揃える。そこの茶髪、穴の開いた靴下など言語道断! 背が高いの、ジャンは防音設備のあるリスニング・ルーム以外御法度だからね。小遣いや定食を賭けたら承知しないよ。それからその後ろ、長い前髪は切る! 鬱陶しい」
「は、はいっ!」
 三人の声が硬直してハモるのを聞いて、鉄人もノエルもゲラゲラと笑った。

 市のインフルエンザ警報が発令した連休明け、遠藤璃乃は保護者たちへの電話に追われていた。担当クラスの欠席が規定数を越えたため、学級閉鎖の措置がとられたのである。
 主たる感染源は推測するに弓ノ間鉄人。
 媒介役として、同居人の魁無影響量、鉄人となんらかの接触を持ったと思われる猛地遥兵、奇時雨努、武暗経夢人。
 そこから先は怒濤の勢いであった。
 クラスの大半がばたばたと倒れた。
 やりやがったな弓ノ間。
 教育現場の鬼婆と噂される銀町絵麗亜も撃沈との連絡がはいり、理事長室はめずらしく鍵がかかっている。
「へっくしっ」
「璃乃センセイ、だいじょうぶ? 帰って卵酒飲んで寝たら」
 同僚の孤隼樹花が、璃乃には戦場の天使に見えた。


2006-01-20