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ワンス・イン・ア・デケイド【前編】

※インビジブル・ハンド本編の後日談です。

 メールに『会いたい』と書いてしまった理由を、遙兵自身おそらく理解していなかった。日常のあれこれで気が滅入っていたこともあるけれど、それだけならいつものことだ。
 目前に迫った三十路を意識しはじめて、急に人恋しくなったのだろうか。
 そういえば鉄人はどうしているだろうと、思いはじめはそんな感じだった。懐かしい思い出が感傷となり、やがて衝動となって遙兵を揺さぶった。
 思考というものは厄介で、空回りしはじめると容易にはストップできない。
 メアドと年賀状でかろうじてつながっている弓ノ間鉄人という同級生とは、もう十年も会っていなかった。高校を一年で中退した鉄人を、強引に卒業パーティに引っ張り出したのが最後である。
 鉄人も仕事に忙殺されていると聞いていたし、百貨店に勤務する遙兵も不規則なシフトに振り回されていた。遊びに来いよというセリフが年頭の挨拶がわりに交わされるだけで、互いの休みを調整してみようという試みには、結局のところ至ったためしがない。
 実際、遙兵にそんな余裕はなかった。公私双方の複雑な人間関係に振り回されて、足を引きずりながら通勤電車に乗る毎日。つくり笑顔がすき間なく貼りついているのに、ほんとうの笑い方を忘れてしまった。最後に心から笑ったのはいつだったろう。
 そういえば実家にも長いあいだ電話の一本も入れていない。お婆ちゃんっ子だった遙兵は以前はしょっちゅう祖母と電話でおしゃべりをしていたが、ここのところはご無沙汰である。
 遙兵は心の迷いがすぐ口調に出る。やさしい祖母を心配させたくはなかった。
 心はずむ会話などない。楽しみはどこにも見いだせない。そうして預金ばかりが意味もなくたまっていく。
 自由になる金があるのは、本来はよいことである。いずれは実家を継ぐことが決まっているのだから金を稼ぐことは目的ではないが、いまの給料もけして悪くはなかった。だから通帳残高はどんどん増えた。
 だがそれを見てもなんの感情も抱くことができない。金があることが、うれしくもなんともないのだ。金は、使い道があってこそ生きるんじゃないかと思う。
 持っているだけならば、ただの数字だ。
 なぜこんなに疲れるのだろう。ため息と呼吸の区別がつかなくなってしまいそうだ。
 就職に失敗したわけではない。経営戦略を学ぶために職場を推薦してくれたのは父である。企業側は牡鈴学園の生徒とあらば青田買いしても手に入れたい。その証拠に、本採用の通知は呆れるほどあっけなく届けられた。
 就職後の評価も上々。自分で言うのもなんだが、上司の受けはすこぶるよい。これでもいちおう商売人の悪知恵をDNAに組みこまれて生まれてきたのだ。
 なのに思いどおりにいっていないと強く感じるのは、どうしてだろうか。
 ”オレの人生、これでよかったのかな”と、繰り返す。
 答えは曖昧。それ以前に、疑問の所在すらも曖昧だ。
 なにもかもが曖昧で、きちんとした形を成さない。それがますます疲れを招き寄せる。
 出口のない悪循環。
 十年も昔の青かった時代を突然うらやむようになった自分が不甲斐ない。
 いまが不満であることの裏返しだ。
 それでもあのまま時が止まったらどんなによかったか、と考えてしまう。
 前だけを向いて歩いていこう。あのときの自分はたしかにそう考えていた。友の瞳も同じものを見ていた。肩に手を置き円陣を組んで、打ちつける波を踏みならし大声で校歌を歌った。
 ”睦み笑いて 共鳴(ともな)きて さやけき希望 かたりあい”
 まるで昨日のできごとのようなのに。
 楽しかった。
 そこには笑顔があった。希望があった。少年たちは共振していた。

 2006年が明けたばかりの冬。
 私立牡鈴学園の教師と生徒たちが日本の片隅で起こしたささやかな抵抗劇は、全世界を興奮の坩堝に巻きこみ、歴史年表にその栄光を記されるという名誉を賜わった。
 それでも長大な人類の興亡においてはほんのシミのようなものである。
 あれだけ大騒ぎしたのにもかかわらず、いまや語る者もない。
 いちどこぼれ落ちた記憶は、二度と還らないのだ。
 どんな事件や、事故とて同様。みなやがて風化していく。
 世のなかはいつでも新しい関心事の発掘に余念がない。
 その事件は未解決のままうやむやにされた。しかし世間はそれで満足したのだから、当事者としていまさら蒸し返す気はない。
 マスコミが扇情した感動の奇蹟とやらを、さらに掘り下げた人物がいる。ペロー・ユウウツフジン。日本では知名度の低かった某国のコラムニストだが、当初から事件に強い関心を寄せ、自らもルポライターとして情報収集に奔走したらしい。やがて一冊にまとめあげられた本は、版権を獲得することがあのハリー・ポッターよりも困難だったというのだから、ブームとはあなどれない。そんな売れに売れた本すらも、便乗本を含めほとんど店頭からは撤去されてしまっている。
 ペローの推測はいいところを衝いてはいるのだが真実ではない。だが読み物としてはたしかに群を抜いて秀逸だ。
 いちばん重要なことは結局のところ、白日の下にはさらされなかった。
 銀町理事長が、そして政府と国連が、最後まで隠しとおしたからだ。
 白黒はっきりさせないと気の済まない遙兵でさえも、それでよかったのだと思う。
 鉄人とノエルが奇異の目で見られるなんて、愉快なこととは思えない。
 いい時代だった。かなりムチャクチャだったけれど、世界も仲間たちもきらきらと輝いていた。
 がむしゃらだった。理不尽な圧力には屈したくなかった。負けることなど考えもしなかった。
 絶望的な結果しか予測できないほど困難な問題だったけれど、戦う前から諦めてどうするんだいと、銀町理事長は言った。理事長は口うるさいし目つきも悪いけれど、持論を展開する姿はやけに凛として、格好よかった。タンカを切る岩下志麻、というのはエンちゃんこと、現在は校長職に就いている遠藤璃乃の評価である。
 学園はやがて生死を賭けなくてはいけないほどの窮地に追いこまれた。鉄人とノエルに関する、信じられないような事実も、みんなは知ってしまった。
 五百数十名の命とふたりを天秤ばかりにはかけられない。銀町理事長は決意した。
 梁山泊の存続の是非を問う、究極の選択肢を全員に突きつけた。
 ―――離脱を希望する者には去る権利が、残留を希望する者には戦う権利がある。咎める者はいない。自分の意志だけで決めろ。いま、ここで。
 だれもがみな主人公だったのだ。
 鉄人や、鉄人と”同じ”だった魁ノエルだけではない。遙兵と時雨努、経夢人の仲良しグループも。敵対していた1組の燕組だって。学園のみんなが、ひとつになって拳を振りあげた。
 たくさんの星がいっせいにきらめきだす。
 ”梁山泊ばんざい!”
 星にはひとつひとつ名前や形や色がある。同じものはひとつだってない。どれにもすばらしい個性がある。輝いている。きらめいている。
 水の滸りに集い、官軍に立ち向かったという英雄たちの伝説さながらに。
 牡鈴学園はバリケードを築いてインターポール(ICPO)と対峙した。
 なんのためだった?
 生きるため。
 そうだ。鉄人とノエルが、生きるためだ。
 銀町理事長の言葉を借りると、「お陽さまの下で生きる権利」というやつだ。
 それを戦って勝ち取らなければ、二人に未来はなかったのだ。
 だから、みんなが力をあわせて―――鉄人とノエルの手に、『生きる』という人の原初にある権利を、握らせてやったんだ。
 人は牡鈴学園の成し遂げたことを奇蹟だとか人類愛だとか賞賛するけれど、そんなご大層なものではない。
 トモダチを喪いたくなかった。たかがそれだけのこと。
 だからこそ神さまも、手を差し伸べたのだろうから。

 歴史の水面がざわついたその日から数えて十二年。
 星々はみなそれぞれの道を歩んでいる。
 時雨努はストレート合格した東大法学部をどえらい成績で卒業後、外務省に入省した。未来の総理大臣という可能性もかなり現実的になってきたような気がする。経夢人は大学で知り合ったという友人数名とベンチャー企業を設立し、それが大成功して現在は押しも押されもせぬ有名人だ。こちらは妙なところでコケなければよいが。
 数奇な運命をたどったのは燕霧流だ。
 指定暴力団燕組の有能な若頭として、別の意味で有名人だった彼は、ある日突然自家用飛行機もろとも太平洋上で行方不明になった。行動予定にもない単独フライトだったらしい。一年経ったいまでも残骸のひとかけらすらみつかっていない。
 鉄人は牡鈴学園を中退して勤務しはじめた京東医科大学の研究所に、現在も在籍している。どういう仕事を任されているのか、元気でやっているのか、なにひとつ遙兵は知らない。
 いやな予感はぬぐい去れたわけではなかった。鉄人は表向き自由の身になったとはいえ、医学的視点から見たら貴重なサンプルであることに変わりはない。研究所で、きちんとした扱いを受けているのだろうか。それとも。
 ―――そもそもいまの状態が、体のよい軟禁なのだろうか。
 飼い殺しという手口はじゅうぶんに考えられる。
 ハルモニア製薬の行った暴挙が頭にこびりついて離れない。
 同じことを、欲に目の眩んだほかの組織が繰り返さないとも限らないではないか。
 プエルトリコに帰国したノエルも心配であった。向こうには受け入れてくれる親戚もないと言っていたのだからなおさらだ。風当たりもおそらくは、日本よりきつかろう。
 スノウ・フィンガーフートがうまくフォローしてくれればよいのだが、頼りないお坊ちゃんのイメージが強くてあてにはならない。それにもし万が一、旧ハルモニア製薬のシンパに命を狙われたら。
 そういえば、鉄人とノエルは連絡をとりあっているのだろうか。
 切れかかった糸をなんとかしてつなげたいという焦りが、遙兵から平常心を奪った。気がついたらメールを送信してしまったあとだった。
 鉄人からはさほど待つこともなく返事が送られてきて、目を通した遙兵はやはり後悔した。
 ”えー、マジー? ホント来てくれんのー?!”
 ところどころを絵文字でなごませた、屈託のない歓迎のことばだった。
 海のそばに建つ百平米マンションに引っ越したからという文につづき、男の城の自慢話がえんえん。文字数制限にひっかかったのだろう、中途半端に尻切れトンボで終わっている。
 着信音がまた鳴った。
 ”追伸追伸。遠慮してホテルなんかとることねーぞ。みやげにデパ地下の逸品はデフォルトで”
 デパートで働いていることを教えたっけ、とぼんやり記憶をたぐりながら、遙兵はそのときはじめて、鉄人の特殊すぎる事情を思いだしたのだった。
 鉄人はひょっとして、会おうということばを自分から飲みこんでいたのではあるまいか。
 きっと、そうだ。でなければ、ああ見えて寂しがり屋の鉄人が仕事を理由に、疎遠であることに甘んじるはずがない。
 鉄人の身体はみんなとは違う。
 いわば、ある種の病気である。時が隔てれば隔てるほど、それは確実に浮き彫りにされていく。
 そのことで気を遣うのも、遣わせるのもいやだったにちがいない。だから自ら昔の友人たちと縁を切ろうとしていたのかもしれない。
 前だけを向いて歩いていこうな。そう言って、友人たちが歩き出すのをひとり背後で見守りながら。
 気づかれることなく、ゆっくりと離れていく方法を選んだのかもしれない。
 己の鈍感さに、遙兵は歯噛みした。
 なんてこった。
 携帯を持った右手をだらりと下げる。
 もうすぐ三十路に手が届きそうな遙兵は、おっさん予備軍の風貌をいよいよ隠しきれなくなっていた。
 あたりまえすぎるそのことが、鉄人にとってはあたりまえではない。わかっているつもりでいて、愚かにもすっかり失念していた。
 鉄人は普通のスピードで成長できない。ハルモニア製薬の悪意によって、そのようにつくりかえられてしまったのだ。遙兵より三つ年上の身体は、おそらくはいまも遙兵の知っている十五の姿のままのはずだ。
 時に拒まれるというのは、どういう気分なのだろう。
 いつまでも十五ということは、いつまでも老いることがないということだ。
 すなわち―――不老という名の牢獄に囚われているということ。
 それを羨ましいとか、理想だとか考えなしに口にする人間のなんと多いことか。想像を絶する恐怖を知ろうともしないくせに。
 最後に鉄人と会ったのは卒業の日だから、年齢で言うならば遙兵は十七、鉄人が二十前後のときだ。あのときでさえも差異はかなり感じたのだ。
 現在はすでに見かけの年齢差は倍近い。
 痛ましくないわけがない。
 平気な顔をできる自信はなかった。鉄人もいい加減そうに見えてあんがい繊細なところがある。カラ元気を振りまくのは目に見えている。
 泊まりに行く約束を具体的に確定してしまってからも、遙兵は悔やみっぱなしだった。
(なんて、ばかなんだろう)
 獲得に成功した三連休が重く肩にのしかかった。指定席券をうつろにながめる。席に座ってしまったからには、もう逃げられない。鉄人はちょうど別件で駅に用事があるからホームまで迎えに行くと、とどめのメールを送ってよこした。
 ふつうに接すればいいのだと、窓に額を押しつけながら何度も自分に言い聞かせた。
 学園のある牡鈴駅を通り過ぎる。
 特急の停まらない単なる通過駅。
 カフェバー『ラプソディア』のあったビルが見えたが、一瞬で後方へ去ってしまった。
 十年の時が車窓を流れていく。
 遙兵はきつく目を閉じた。
 最悪だ。
 こんな情けない顔を、よりによっていちばん見せたくない人物にさらさなければならないなんて。
 己のアホさ加減に、ほとほと愛想が尽きそうになる。
 どうやらそのままウトウトしてしまったらしい。
 まもなく盛度中央駅に到着しますという車内アナウンスに驚いて飛び起きた。
 電車は減速をはじめたところだった。胃がきゅっとしめつけられた。
 覚悟を決められないまま、グレゴリーのザックを背負う。
 ホームがスルスルと流れていって、遙兵は鉄人が立っているのをひと目で見つけてしまった。
 ドキリとした。
 ひとりではない。背の高い男と並んでいる。
 誰だろう。

「いたいた、ハーべだ、うぉーい!」
 遙兵が視線を釘付けていると鉄人も気づいたようで、こちらに向かって大きく手を振った。
 何号車というところまでは知らせていなかったので、出口にいちばん近いところで待っていたのだろう。鉄人はホームを駆け抜けて遙兵の乗車する先頭車両に追いついた。
「ハー、よく来たな!」
 自動ドアが開くやいなや、青春まっただなかという感じのやんちゃな声に迎えられた。
「うっわー、全っ然、変わってねーなあ、あっははははは!」
 それはこっちのセリフだと遙兵は思ったが口にはしなかった。鉄人は十年前に別れたときのまま、すなわち高校生そのものの容姿だった。
 覚悟はしていたものの、遙兵は思いの外動揺してしまった。いままでなんとなく避けてきた話題をいきなり突きつけられたようなものだ。
「元気だったか、テツ」
 こみあげてきた複雑な思いは必死に押し殺し、平静をよそおった挨拶でごまかした。
 だが、せっかくの配慮もあっという間に蹴り飛ばされた。
「あったぼうよ。おれいつだって元気だぜ? 万年ピッチピチ高校生だもん。ほれほれ、若かろうが」
 鉄人はまるで冗談のようにさらりと言ってのけたのである。
「ケッ、羨ましいこって。こっちはとっくにオジサンなのによぉ」
 満面の笑顔の裏に痛々しさを感じて、遙兵は舌打ちした。軽快に笑い飛ばすのは鉄人なりのやり方なのだろうが、こちらはよけいに意識してしまうではないか。
 鉄人を見ると、あのときいかに自分たちが子供だったかがはっきりとわかる。
 鼻息を荒げて国際企業ハルモニア製薬と――世界と戦ってみた、十五の少年たち。
 その物語はとうの昔にエンディングを迎えている。
 だが鉄人の戦いはそこからが新たなはじまりであった。きちんと年輪を刻む身体を取り戻すまでは、鉄人の物語に終わりは来ない。
 悲劇を好んだという古代ギリシャ神ディオニュソスへの生贄じゃあるまいし、なぜいつも鉄人ひとりがこんな役目なのだろう。主役に与えられた重圧は、つまらないことで悩む遙兵の比ではないはずだ。
 大人の姿になった遙兵を見て傷ついたに決まっている。
 軽口は、恨みを隠すためのヴェールだ。
(やっぱり来るべきじゃなかった)
 後悔してもすでに遅い。
 ぐるぐる回転する思いのやり場を失って、遙兵は何の気なしに隣の男に目をやった。相手は丁寧にお辞儀をした。
 スキンヘッドが印象的な眼鏡男。遙兵でも見あげるほど背が高い。
 少し着崩したシンプルなトラッドスタイルと、愛嬌のある無精髭。柔和な雰囲気を漂わせてはいるが、眼鏡の奥はじっと遙兵を観察していた。
 鉄人は早口で男になにか語りかけた。日本語ではなく、かといって英語という感触でもなかった。
 判別不能のハイレベルな会話に遙兵はぽかんと口をあけた。
 ヨーロッパの映画を字幕なしで観ているような気分である。
 かろうじて聞き取れたのは、男が何度も発音した、テッドという固有名詞だけだ。
 鉄人の名前の読みはテッドである。本名と日本名が同じなのだ。それを知らぬ者はテツトだのテツヒトだのと呼ぶこともあったが、鉄人はそれをいちいち訂正はしなかった。
 鉄人は男とひとしきり得体の知れない会話をすると、遙兵に向き直った。
「ハー、悪いけどあと三十分くらい待ってくれよな。このあとの上りでラマダが帰るんだ。またしばらく会えないから、見送りってわけ」
「ああ、かまわねえよ」
 遙兵は電車の発着を知らせる電光板を見あげた。二番線と三番線が向かい合わせになったホームは、同じ路線の上りと下りが停車する。いま行ってしまった下りのあとは、反対側に上りの準急が到着する予定になっていた。
「まだ少し時間あっから、椅子座っとこーぜ」
 答えを待つふうでもなく、鉄人はすたすたと先に行ってどっかと腰を下ろした。
 そういえば鉄人はバスに乗っても電車に乗っても必ず席を確保したがるヤツだった。
 基本的に、楽が好きなのである。
 ラマダという男もそれに倣う。隣に座りながら、遙兵にはわからない言葉でまたなにかを言った。
 ああ、スペイン語だと遙兵はようやく理解した。鉄人の母国、プエルトリコの公用語である。
 ふたりはときどき笑いを交えながら、楽しそうに語らった。見た感じ普通の日本人少年が、よく通る声で異国語の会話をしているのだから目立つことこの上ない。鉄人は電車を待っている者たちの注目を一身に浴びはじめた。
 ふたりともとにかくべらぼうに早口で、弾丸の応酬のようである。以前もぽつりぽつりとスペイン語を口にした鉄人であったが、こんなに堂々と会話をしているところを見たのははじめてかもしれなかった。
 いろいろな意味で鉄人は自分とは違うのだということを思い知らされる気分だ。
 鉄人は英語も難なく話せるし、もちろん日本語も少しガラは悪いけれど完璧である。わかっているだけで少なくとも三カ国語を使い分ける。その上ありとあらゆる分野の専門的知識も持ち、十二年前には『ブレイン』というあだ名で呼ばれていた。
 それこそが鉄人にとっての不幸だった。だがこうしていると過去を微塵も感じさせない。
 明るくて聡明な少年。見る者だれしもそう思うだろう。
「ハー、紹介しとくな」
 ふいに鉄人が振ってきた。
「ラマダ。ハルモニア製薬の技術屋で、こっちとあっちを行き来してるの」
 遙兵は予想外の話に目を瞬いた。
 鉄人の説明は続けられた。
「ええと、どう言ったらいいかな……ノエルのいる部署とうちとの情報交換を密にするために来てもらってるってならわかりやすいか。なんだか意気投合しちゃって、つまり、友だち」
「ノエルと連絡とりあってるのか」
「うーん、あんまりプライベートって意味じゃなくね。ビジネスでつながってるって感じだな」
「なんで。あんなにいつもくっついてたくせに」
「そうだっけ」
「人の目の前でちゅーとかしたろ」
「へんなとこばっか憶えてやがるんだな」
「だって、学園公認バカップル」
 鉄人は目を丸くして、「なんだそれ、あっはっは」と笑った。
「冗談はともかく、ケンカでもしたのか」
「してねえよ。するわけあっかよ。便りのないのはよい便りってむかしからいうじゃん」
 鉄人はサラリと流した。
 ハルモニア製薬にノエル以外の友人だって。かの加害企業にはあれほど酷い目に遭わされたのに、そのことに関するいっさいの謝罪や補償も受けられぬままビジネスライクな関係を選択しただけでも驚きだ。ましてや友人に至っては遙兵の感覚からいってあり得なかった。
 ノエルがハルモニア製薬に戻ったことも仰天であったが、鉄人の態度もかなり解せない。
 ノエルも鉄人も、思考回路が常人と違う。
 ときどきなにを考えているのかわからなくなる。。
「ノエルも元気みたいだぜ。ハーはメールとかしてないの」
「あ、うん、ぜんぜん」
「フーン。んじゃあとでメアド教えとくよ。連絡してやって、喜ぶから」
「なあ、テツ」
「うん?」
 遙兵は少し間をおいて、飲みこみかけた問いを口にした。
「その……おまえ、なんでハルモニアと縁を切らないんだ?」


2006-05-08~2006-05-10初出 2006-06-13大幅加筆訂正