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イスラ・イナビターダ無人島エンディング10

 自覚はぜんぜんなかったが、疲労を相当数ためこんでいたにちがいない。精神的な疲れもおそらくは蓄積していた。まったく、自己管理がなっていないというのはこのことだ。
 遙兵に揺り起こされるまで、鉄人は完全に意識が飛んでいた。
 慣れぬ酒の酔いも手伝ってか、ぐっすりと寝入ってしまったらしい。
 気がついたときにはすでに、トレーラーが自走している感覚があった。けたたましい汽笛も着岸の衝撃も知らずに眠りこけていたとは、我ながらいい度胸である。
 いや、だが―――それはどう考えても不自然だ。
 健康な人間がただの一度も目を覚まさずに二十四時間眠り続けるなどと。
 例の酒に薬でも盛られていたのなら話は別だが。
 だが、発覚した事態はそれどころではなかった。
 心配そうにのぞきこむ四つの顔の中に、ノエルだけが見あたらない。それにみんな奇妙な表情で自分を凝視している。
 身を起こそうとして、ぎょっとした。
 動けない。ロープで拘束されているのだ。両手は背中で縛られ、脚も束ねられている。
 芋虫の罰ゲームだろうか。
「なんだよ、これ」
 ようやく絞りだした声は悲惨なほどしわがれていた。喉が痛い。
「テツ……正気に戻ったのか」
「はあ? なにが」
 意味深な顔の遙兵に、思わず訊き返す。
「おれがわかるか」
「なに、いってんのさ……どういう悪ふざけだよ、これ」
「こっちのセリフだ」
 遙兵は大きく息を吐いて、強烈なデコピンを喰らわした。
「いてっ。コラ、無抵抗のニンゲンになにすんだ」
「ひょっとして、覚えてないのか」
「だから、なにが」
「ノエル……を」
 言いかけてから遙兵はちらりと背後のキャディラックを振り向いた。
 霧流がごほんと咳払いをする。
 いやな予感がした。
「ノエルは、どうした」
「車で休んでる」と樹花。ラム酒のカップを回してよこしたときの陽気な笑みはどこにもない。心なしか、青ざめているようにも見える。
「ごめんね。無理矢理縛ったの、ぼくたちだよ」
 何かを考えるようなしぐさから、ようやく言葉を発したのは霧流だった。
「覚えてないようだから最初から説明するね。ラジオがさ、ずっとニュース流してたでしょ。弓ノ間くんウトウトしてたみたいだけど、途中で急におかしくなっちゃったんだ。あの人がインタビューに応じてから……」
「あの人?」
 霧流は一瞬ためらって、視線を忙しなく動かした。
「うん。ハルモニア製薬から今回の事件のために来日しているっていってた、幹部の人」
 鉄人は息を呑んだ。
 遙兵が補足する。
「テツ、そいつの声に過敏に反応しちまった感じだった。発作か、あれ? 前にもああいうことはあったのか。とにかく、ヤバかったんだぞ。ノエルがとめなかったら、オマエとんでもないことになってたんだぜ」
「ちょっと待て、おれ、そんなの知らね……」
 言いかけたそばから、戦慄が走った。
「ノエル、は」
「まだ目を覚まさない。命に別状はなさそうだけど、かなり消耗しているみたい。なにがあったのかは、あたしたちより弓ノ間のほうが感覚でわかるんじゃないのかな。あたしたちには理解しろといわれても、限界があるんだ。おたくらとちがって」
 樹花の口調に怒りはなかったが、どこか鉄人を責めているような言いかたにきこえた。
 鉄人の身体が小刻みにふるえはじめた。
 ほんとうになにも覚えていない。だが樹花の言うとおりだ。起こったことは容易に想像できる。認めたくはないが、そういうことなのだ。
 セラフィムの暴走。
 おそらくは急激なストレスが何らかの異常行動を鉄人にとらせたのであろう。ノエルはそれを阻止しようとして、巻きこまれた。
 頭がガンガンと脈打つ。吐き気がこみあげてくる。
 ”喰った”んだ。
 体内のマクロファージが、混乱したゲノムを安定させるために。おそらくはすぐそばにいた獲物からその生命力を奪って。
 ぼんやりとした恐怖がついに現実になってしまった。
 最初の犠牲者は、ノエル。
 息が苦しい。心臓が破裂しそうだ。
「テツ、だいじょうぶか。真っ青だぞ」
「ハー……」
 自由にならない身体をよじって、懇願するように遙兵を見あげる。
「どうした。苦しいなら、いえよ?」
「頼みが、ある……」
 鉄人は唇をふるわせて、その願いを伝えた。
「おれを……に、帰して」
「なに? きこえない」
「ハルモニア、に、帰して」
 遙兵は仰天して目を剥いた。
「させないよ!」
 霧流が叫ぶ。
「だめだよ。そんなコト、ぜったいにさせない。せっかくなかよくなったのに、帰りたいだなんてウソだよね。本心じゃないでしょ。本気じゃなかったら、いわないでよ。だれも弓ノ間くんをジャマだとか、あぶないとか思ってないよ。魁くんだって必死になって守ったんだよ。それを無にする気? じぶんさえよければそれでいいの。弓ノ間くんって、そういう人だった」
「だって、もう、イヤだ。こんなの」
「また、それ」
 霧流は鉄人の胸ぐらをつかみあげた。
「弓ノ間くん、すぐそうやって逃げる。弱虫。意気地なし。幻滅させないでよね。なんのためにこんなことしてるんだか、わかんなくなるからさ。ぼくの弓ノ間くんなんだから、ちゃんと自覚もってよ。それに学園で籠城してるみんなはどうなんの。裏切る気」
 いまにも噛みつきそうな剣幕で一気にまくしたてた。ふだんの冷静沈着(ついでに狡猾)な霧流とはえらいちがいである。
 鉄人は顔をそむけた。
「おれ、制御しきれない」
「ハルモニアのシンクタンクなら制御できるっていいたいわけ」
「そんなこと、知らない。どうだっていい。もうこんなことにならずにすむんなら」
「じゃあ弓ノ間くんはどうするの。ぜんぶあきらめるの。せっかく外に出られたのに、またあそこに戻って、それでいいの。ほんとに」
 鉄人はこくんとうなずいた。
 霧流は大きく息を吐いて、手を離した。
 鉄人の身体が力なく床に落ちる。
 座がシンと静まりかえった。
「こんなの、弓ノ間くんじゃない」
 霧流がつぶやいた。
「ぼくの愛してる弓ノ間くんじゃない。弓ノ間くんだったら、守りたかったけど……そうじゃないマウスだったら、ちゃんと送ってあげなきゃ。抹殺指令まだ効力あるんだよ?」
 霧流はすっくと立ちあがって、少し離れた場所に積んである工具箱から黒光りするなにかを取りだした。
「わわわわわわわ若っ!」
 橋本さんが慌てるまでもなく、そこにいた全員が度肝を抜かれた。
 霧流の手に握られたのはあからさまに本物の小型拳銃。
 燕組の工具箱から出てきた以上、オモチャのハジキではあるまい。
 樹花も遙兵も硬直して動けない。
 ぴったりと鉄人の頭部に狙いをつける。
 撃鉄を起こす不穏な音が聞こえた。
「さいごにひとつだけ訊くけどさ」
 うつろな表情の鉄人を見据えたまま、霧流は言った。
「最愛の魁くんを置いていっても平気なんだよね。守るって宣言したのはどうせウソなんでしょ」
 鉄人の肩がピクッと跳ねた。
「ごめんね。盗み聞ききちゃった。あんなその場しのぎの大嘘つける人なら、殺っちゃっても良心痛まないしさ。だいじょうぶ、苦しまないように一瞬でカタをつけてあげる。ほんとのこと素直にいって」
 鉄人にはじめて動揺の色が浮かぶ。
 何かをいいかけて、躊躇する。
「どうしたの。ちゃんとはっきり」
「……る、ために」
「きこえない」
「守る、ために、そばにはいられない」
 弱々しいけれど、しっかりとした意思表示であった。
 霧流はにっこりとした。
「うん、わかった。やっぱ弓ノ間くんだ。……だいぶまちがってるけど」
 拳銃が下げられるのを見て、遙兵はへなへなと膝を折った。
「つ、燕~……」
 樹花も大汗をぬぐっている。
 橋本さんは白目を剥いてご臨終の金魚のように口をぱくぱくさせていた。
 霧流は拳銃を工具箱に戻して、鉄人に歩み寄った。
 ふわりと肩に腕を回す。
「そばにいなくて、どうやって守るの」
 耳許でささやく。
「ぼくはずっと弓ノ間くんのそばにいるよ。奇蹟は起こせないかもしれないけど、愛してるから、きっと守れる」
「つばくろ」
「キリルって呼んで」
「ヤだよ。気色悪い」
「魁くんのことはノエルって呼ぶくせに」
「そりゃ愛してるからだ」
「チェッ。ガード固いんだから」
「貞操とか命とかカンタンに奪われちゃたまんねーからな」
「その調子」
 鉄人の肩をぽんとたたき、「もうだいじょうぶだね」と言った。
 遙兵もニヤリと笑い、ロープの結び目をほどくために横に来た。
「次にあんなことしたら、もっとキツく縛るぞ」
 わざとおちゃらけたように後頭部を小突く。
「自殺行為なんて、サイテーのヤツのすることだ」
「おれ、そんなことしたのか」
「似たようなモンさ」
「わかった。もうしない」
 キャディラックに視線を這わせる。
「ノエルにも、きちんと謝るから」
 声は沈んでいたが、揺らぎはなかった。
 今回のことがすべて無意識の行動なら、自分のなかに破滅願望が存在するのだろう。それからそれと相反するような、他人のテロメアを奪っても生きのびたいという意志。セラフィムの生存本能は貪欲で、その人工ニューロンを所持するのはたしかに自分自身だ。
 ノエルは己の命を狩るセラフィムと闘っている。
 恵まれている自分のほうが先に離脱するわけにはいかない。
 燕のパフォーマンスにもたまには感謝してみるものだ。演技でないことは彼の悲痛な眼を見たときわかったが。
 フィルムの貼られた窓ごしに、毛布に包まれて昏々と眠るノエルを見つめる。
 目が覚めたら、ありがとうと言おう。
 それから、ごめん、と。
 守ると豪語しておきながら逆に守られてしまった醜態に対してだ。
 ノエルは笑って水に流してくれるだろう。
 やがてトレーラーが大きく右折するのがわかった。
 スピードをじょじょに落とし、ほどなく完全に停止する。
 後部ドアが開け放たれて、そこからオレンジ色の常夜灯が見えた。
「長旅お疲れさん。道中なにごともなく、尾行や妨害もなく、無事到着ですわ。では若からお先にどうぞ」
 どこかな、ここは、と訊きかけて、霧流の足がぴたりととまった。
 トレーラーの外には、人、人、人。
 しかも、とってもよく知った顔が勢揃いであった。
 大歓声があがった。
「おかえり。梁山泊を旗揚げして、諸君らの入城を待っていたよ」
 先頭にあったのは、銀町絵麗亜の狡知に長けた笑みであった。

イスラ・イナビターダ無人島エンディング 完結
本編と合流するなら、インビジブル・ハンド・セカンドステージへどうぞ


2006-08-04