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イスラ・イナビターダ無人島エンディング9

 傾斜のきつい上り坂を喘ぎながら広場へ急ぐと、向こうからも走り寄ってくる人影があった。孤隼樹花であった。
 様子がおかしい。
 なぜかとてつもなく慌てている。鉄人の姿を認めると、ぶんぶんと手を振った。
「いたいた、おーい、戻ってきなさい」
「なにかあったんですか」
 はあはあと肩で息をしてたずねる。
 樹花は早口で要点のみまくしたてた。
「緊急事態。とりあえず橋本さんのとこにおいで。急いでね」
 くわしい説明を求める前に、踵を返してあずまやへ走っていってしまった。
 鉄人とノエルは顔を見あわせた。
 ツタでできたのれんをくぐると、山岡と橋本さんの深刻な顔があった。酒屋で使う業務用のP箱を囲んであぐらをかいている。テーブルの用途で逆さに置かれたその上では、小型のラジオがボリューム最大で臨時ニュースをがなりたてていた。
 緊迫したアナウンサーの声。
 牡鈴学園という単語を聞き取って、鉄人は息を呑んだ。
『容疑者とみられている少年二名は依然として学園内に立て籠もっており、事件発生から二十四時間たったいまも睨みあいが続いています。機動隊に動く様子はありません。膠着が長引くことによって、生徒たちの健康状態も懸念されるところです。一方、保護者や市民団体によるアメリカへの抗議行動も激しさを増しており、市の周辺は異様な雰囲気に包まれています。政府は本日十一時、内閣総理大臣を本部長とする牡鈴学園占拠事件特別対策本部を設置しました。以上、現場から海図春斗がお伝えしました』
『こちらラジオNIKKEI。番組内容を変更して、牡鈴学園関連のニュースをお送りしております』
 音声はスタジオに切り替わり、ゲストの有識者たちによるカンバセーションがはじまった。
「どういうことですか」
「どうしたもこうしたも。さっき、東京マーケットライブを聴こうと思って短波をつけたら、こんな騒ぎになっていました。国際警察と機動隊が牡鈴学園に突入しようとしたらしいんです。でも失敗して……。それがだいぶ非常識な強攻策だったらしくて、各方面から非難が集中して、もう日本じゅうがてんやわんやって感じです」
 橋本さんはかなりの投資マニアなのである。大儲けなんか夢のまた夢でしてね、と謙遜はしているが、努力はけして怠らない。短波ラジオはどこへ行くにも肌身離さず持ち歩いてるようだった。
「容疑者の少年二名って、ずばり、ぼくたちのことですよね」とノエル。
「あんたら以外にだれがいるんだい」
「でもぼくたち、こないだからずっとこっちにいるじゃないですか」
 替え玉でも立てたんだろうよ、と言いかけた樹花を鉄人が冷たくさえぎった。
「なるほど、囮作戦、てなわけね。銀町先生の好きそうなシナリオだ」
 口調に苛立ちの色がかいま見える。
「立て籠もっているのは、誰と誰ですか」
 霧流が訊いた。
 樹花はひと呼吸おいて、ためらいがちに答えた。
「全校生徒と全職員」
 驚愕の声すらもあがらない。文字どおりの絶句であった。
 鉄人はこぶしをぎゅっと握りしめ、下唇を噛んだ。
「はじめっから自爆するつもりで、おれたち逃がしたってか」
 激しい憤り。ハルモニアに対してではない。身元保証人である銀町絵麗亜に向けたものである。
「思いあがりもここまでくると笑えねえな。大きなお世話ってのぁ、こういうことをいうんだろうな」
「弓ノ間くん……」
「ひとのこと、バカにしやがって。なんだと思ってやがんだ。あの人はなんなんだ。親か? 保護者か? 赤の他人じゃないか」
「弓ノ間、理事長もお考えがあってのことだろう。それに予定外のハプニングだったかもしれないじゃない。いまある情報より先走るのはよくないよ」
 樹花の忠告を鉄人は無言でかわした。
 なにか言いたげな霧流のことも無視をする。
 銀町が鉄人とノエルのことを実の子のように可愛がっていることは知っている。だからといって何も知らない生徒たちを目くらましに利用するなどという暴挙が許されるはずはない。
 もっとはやい段階で疑問に思うべきであった。鉄人たちがまったくのノーマークで島にやってこられたのは、ハルモニアの目を銀町が欺いていたからだったのである。
「燕タクシーもトリックか。どこかで入れ替わったんだな、くそ」
 触れたら一閃されそうな鉄人の形相に橋本さんは怯えきって、「わたしはなにも聞かされていませんでした」と自己弁護を開始した。
「山岡さんはどこまで知ってたの」
「はい、若。自分はオヤッさんから大将たちの事情はちいとだけ聞いておりましたが、ほんとうに、そんだけです。いつもの三割ほどの気持ちで揉んでやってくれ、いう指示があったくらいで。まさかこんな大事になるたあ、夢にも思わなくて、その」
 樹花がふうとため息をついた。
「責任の所在は後回しだ。そうだろ、弓ノ間」
 鉄人は不機嫌な顔こそしたが、否定はしなかった。
 ノエルが心配そうに言った。
「鉄人、ハルモニアだって騙されっぱなしってことはないだろ。案外、ぼくたちが逃げたことに気づいて、学園を人質にとったのかもしれない。挑発して、おびきだすって手段じゃないのかな」
 鉄人はうなずいた。
「おれもそれは思った。あのハルモニアが事を外部に漏らすなんてあり得ない。こないだの脅迫文にしたってヤツらの手口にしては不自然だ。方針を劇場型に切り替えた、って雰囲気じゃねえ?」
「同感」
「くそ、メチャメチャ気にくわねェ……」
 鉄人は人差し指でごしごしと鼻をこすって、山岡に向きあった。
「山岡さん、戻ろう」
「戻ってどうするつもりだ、大将」と山岡。
「決まってんじゃねーか。ハルモニアに抗議する」
「待て、待て」と山岡は、鉄人の頭を大きな手でぽんと叩いた。
「威勢のいいのは誉めてやるが、そいつはちいと頭を冷やしてからだな。いいか、切羽詰まってるときこそ冷静になって考えてみるもんだ。狙われてンのはよォ、ほかのだれでもねぇ、大将なんだぞ? それこそあちらさんの思う壺じゃねえかよ。トサカおったててノコノコでてってみい、ヤキトリにされんのがオチだろうが」
「じゃあなに、だまって見てろっての」
「ま、たしかにそれもつまらねえからよ」
 山岡はなぜか不敵に笑った。
「大将、もいっちょのんびりと豪華客船の旅ってのはどうだい」
「はぁ?」
 疑惑の目がいっせいに山岡に向けられた。
「お帰りは飛行機で迅速快適にと思ってたが、作戦変更だ。へへっ、豪快なマジック・ショーを見せたるわい。ユリ・ゲラーも引田天功もマッツアオのなあ。金正日もびびってしょんべんちびるくれえのだ。ハンモニャーなんかメじゃねえ」
 霧流は首をかしげて、「なに?」と訊いた。
「いないはずのターゲットが空間移動ってぇ大技です。どうせならこっちも学園占拠に参戦しちまいましょうぜ」
 山岡は意味不明なことを言ったあとに、「このトリックは飛行機だと成立しないんスよ」とつけ加えた。

 なつかしいフェリーが汽笛を鳴らしながら着岸したのは、日没を目前にした時刻であった。無線連絡に成功してからわずか四時間後のことである。
「週一便の定期航路にたまたまグッドタイミングで間にあったって雰囲気じゃないよね」
 なにかを確信した霧流のツッコミに山岡は降参したようにうなずいた。
「理事長さんの心遣いです。ありとあらゆるケースを想定して、父島に小型飛行機とドクターヘリと船を待機させといてくだすったんでさあ。いつでも即時対応できるように整備員も大量に派遣なさってたようですな」
 鉄人は不機嫌オーラを全身から発散させたまま水平線をにらみつけた。
 さっきからひとことも口をきかない。
 自分のあずかり知らぬところで己に関わる事が進行するのが面白くないのだ。
 ノエルと遙兵も、いつもの無駄口はひかえめで、手際よく撤退作業を終わらせた。
 橋本さんにうながされてトレーラーに乗りこむ。
「後ろ閉めますよ」
 運転席から山岡の声が聞こえたが、ノエルは「少し待ってください」と言って立ちあがった。
 鉄人の腕を引っ張る。
「なに」
 ノエルは鉄人を立ちあがらせて、もう一度外へ連れだした。
「いい島だったね」
 暗闇にのみこまれようとするオレンジ色の空を仰ぐ。
「ああ」
「楽しかったね」
「それなりにな」
「鉄人」とノエルは顔を向けた。「この景色を、ずっと憶えておこう」
 鉄人はきょとんとしたが、フッと笑った。
「また、来たいんだろ、ノエル」
「うん」
「じゃあ、次は夏だな。泳ぎたいから」
「そうしよう。毎年来よう」
「ここ燕ンちのだから、なんとかなっだろ」
「鉄人がお願いしたら、上げ膳据え膳でご招待してくれるよ」
 ノエルは後ろに聞こえないように、声をおとして目配せした。
 鉄人の右手がスッと伸びた。
 ノエルの左手をとる。
「だいじょうぶか、ノエル」
「へいき」
「無理すんな。いまならまだ残れっぞ」
 ノエルはすぐに首を振った。
「鉄人といっしょに帰る。最後まであきらめたくないから」
 鉄人は目を細めて、こくりとうなずいた。
「じゃあ、おれが守る」
 ノエルはぷっと吹きだした。
「鉄人じゃな」
「ンだよ。文句あっかよ」
「ううん……ありがとう」
 握った手に力が込められた。ノエルは握りかえして、聞こえないくらいの声で「鉄人がいるから、怖くない」と言った。
 フェリーから係留索が投げられた。運転席から下りてそれをビットに巻きつけた山岡が、「捨ててくぞ、てめぇら」と叫んだ。
 蓋が閉まると荷台は一瞬で闇に閉ざされた。
 ノーマークの船上で身を隠す必要もなかろうと思うのだが、万が一のことも考えてという山岡の強い押しで、往路と同様トレーラーに潜伏することにしたのである。
 船に弱い橋本さんには二等船室で横になっているほうがいいと提案しても、若頭のそばを離れないと言ってきかなかった。悲壮な決意と極度の緊張で、出航前からすでに顔色が悪い。
「欲しいものがあったらあたしが買ってくるよ。ジュースとアイスクリームとカップラーメンの自販機ならあったから」
「先生も、ぼくたちに気を遣わないで船室で休んでくださいね」
「面倒だから、もういいさ。シャワーくらいは使わせてもらうけどね」
 手探りでさがしあてた懐中電灯を天井のフックに吊るして照明にする。予備電池もたっぷりあるので、二十四時間程度なら余裕で保ちそうだ。
 もう空腹を覚えてもよい時間なのだが、なにか口に入れなければならないという考えはすっかり欠如してしまっていた。胃は栄養摂取を忘れたかのように、まったく働こうとしない。それは鉄人だけでなく、ほかの五名も同様だった。
 することもなく、キャディラックに持ちこんだ毛布にもぐりこむ。
 橋本さんが控えめな音量で短波ラジオをつけた。ニュース特番なのは変わらずで、状況にもとくに変化はなかった。
 黙りこむ少年たちを勇気づけるかのように、樹花が悪戯っぽい声をあげた。
「どう、みんな。ちょっとだけお酒飲んでみる気、ない」
 カバンから瓶を取りだす。中身は無色透明の液体で、半分くらい減っていた。
「これね、小笠原のラム酒だって。けっこう、おいしいよ」
「センセイが未成年に酒すすめていいとおもってんですかー」
 遙兵がにやにやしながらからかった。
「いいわけないでしょ。だからナイショだよ、内緒。遠藤先生なんかにチクったら、ハヤブサ斬りのみじんぎりにすっからね」
 次いで登場したのは、石にでも打ちつけたようにボコボコにへこんだ、手つきのアルミカップ。このうえアタリメでも出てきたら完璧だ。通勤用のカバンにしか見えないが、無人島を経てアルコール専用に変貌したのかもしれない。
 軽快に蓋をあけ、カップになみなみとそそぐ。
 表面張力。ちょっとだけという話だったはずだが。
 甘い香りが鼻をくすぐった。
「いい匂い」
「サトウキビの匂いだよ」
「ロン(ラム酒)ってカリブの酒だろ。バカルディみたいなやつ。日本バージョンもあるのか」
「さすが鉄人。無駄な知識だけはたくさんもってるね」
「るっせえ」
 ノエルをにらみつけると、目の前に置かれたカップをおそるおそる手に取った。
 いまにもこぼれそうに、ゆらゆらと揺れる。
 芳香は思った以上に魅力的だが、ストレートだととてつもなくきつい予感がした。ふつうはミネラル・ウォーターや氷で薄めるのではないだろうか。カリブの海賊じゃあるまいし。

 もちろん酒など飲んだことがない。銀町邸の料理用白ワインを戯れになめったくらいのものである。
「回し飲みでいいよね。けど、ちょっとずつね」
 男は度胸。鉄人は思いきって口に含んだ。
 口中を熱にも似た刺激が走り抜ける。
 びっくりして飲みこんだ瞬間、アルコールが喉を灼いて鉄人は激しくむせた。
「げっ、げほっ!」
「テツ、大丈夫か」
「だからちょっとずつっていったのに、バーカ。40度もあるんだよ、それ」
 孤隼先生、そういう重要なことは先に言って欲しい。
「おいしい?」
 ノエルは目を輝かせて訊いた。
「げほ、がほっ」
「甘い?」
「……からい!」
 咳きこみすぎて涙がぽろぽろと流れる。
 喉も食道も胃袋もカーッと熱く燃えた。
「わあい、ぼくも、ぼくも」
 霧流が横からひったくる。
「弓ノ間くんと間接キッス!」
 いらぬことを無邪気に宣言すると、愛おしそうに口をつけた。
「うわぁ、きっつー! でも弓ノ間くんの味ィ」
「こっちにも回せ」
「ぼくも飲んでみたい」
 果てしなく陽気になっていく少年たちをニコニコと見守りながら、教師と暴力団お抱え運転手もめいめいに飲酒を開始した。双方ともかなりのツワモノらしく、瓶からラッパ飲みである。
 樹花はともかく(おそらく心配はなかろう)、乗せられた橋本さんは生きて本土にたどり着けるのだろうか。
 ラジオは変化のないニュースを淡々と流し続ける。
 焦りはつのるが、情報を断つわけにもいかない。橋本さんはおそらく、適当に飲りながら夜通しニュースの番をしてくれるつもりなのだ。
 子どもたちは少し飲んだら悪い夢も見ずにぐっすり眠れるだろう。
 ふたりの思いやりが心にしみた。
 ゆりかごのような揺れもだんだん心地よく感じられるようになってきた。ほんのひと口しか飲んでいないのにもう酔ったのだろうか、と鉄人は不思議に思った。
 どうせなら、もう少し酔ってみようか。
 いまじたばたしてもはじまらない。
 どちらにしても、あしたは来る。
 ノエルを守ると宣言したのだ。みっともないところは見せられない。だからいまは、あしたのために、なにも考えずぐっすり眠ろう。
 海賊たちの夜。
 瞼がじんわりと重くなっていく。
 ついに抗えなくなって、鉄人は目を閉じた。
 おやすみ、という声は誰のものかわからなかったが、鉄人は少しだけほほえんだ。


挿絵/斎里彩子さん

2006-07-09