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アニバーサリー・オブ・キリタンポ

もうひとつのインビジブル・ハンド #4/遙兵
はーちゃんお誕生日SSです
ブログ掲載作を大幅改稿

 冷蔵と大きく印刷された青いシールを見て、いやな予感がした。
 差出人欄には祖母の名前がある。つまりこれは、はるばる秋田県から冷やされて運ばれてきたダンボール――実家の稼業の社名がどかんと入った、業務用ダンボールケース。
 中身は直感で読み取った。もちろん開けずに推測できた。子どもの頃からさんざん見慣れてきたアレだ。アレ意外にあり得ない。
「やりやがったな、ばあちゃん……」
 遙兵は深いため息をひとつつき、歓迎されざる宅配便をかかえてよろよろと階段を上がった。二階の自室の上がり口に、どんとそれを置く。
 さて困った。こんなものをご丁寧に冷蔵で送られても、寮住まいの身には持て余すだけだと何故気づかないのか。全まかないつきの霧船寮には寮生が自由に使える調理設備などあるわけがない。お湯が湧かせる程度のミニキッチンが利用できるようにはなっているが、残念ながら鍋だの食器だのおたまだのは常備されていない。
 悲愴な顔で足元のダンボールを眺めていた遙兵だが、いつまでもそうしていてもしかたがないと思い立った。とりあえず前向きな気分になろうと、ガムテープをべりりと剥がしはじめる。
 蓋を開けると、いちばん上に白いものが乗っていた。
 水引きの印刷された簡素なのし袋。表には「おたんじょうびのおいわい ばあちゃん」とボールペンでゴリゴリと書いてあった。
 中身を確かめると、一万円札が二枚。ドキンと胸が跳ねあがった。
 けして多いとは言えない年金のなかから、孫への小遣いを惜しげもなく出してくれる。遙兵は温かい気持ちでのし袋を引き出しに収めた。
 さて、現実逃避はいけない。目下の懸念事項を直視するのだ。冷え冷えのブツを。
 出た。特製きりたんぽ、十人前。
 泣きたくなった。
 いったいこれを、どうしろと。
 いやいやまず結論から考えよう。きりたんぽ鍋は美味い。比内地鶏でダシをとるとさらに美味い。老舗きりたんぽ屋の後継ぎとして、秋田のすばらしい食文化を後世に遺したいと思っている。ここまではオッケー。
 田舎の祖母はおそらく、可愛い孫が仲の良い寮生とあつあつの鍋を囲む姿を想像しながら、まったくの悪意なしで送ってくれたにちがいない。祖母らしい心づかいだ。小さい頃からおばあちゃんっ子だった遙兵にはよくわかる。
 だがしかし。しかしなのだ。
「厨房からカセットコンロと鍋、借りられねーよな……」
 がくりとうなだれて、ふと思い至った。
 ピコーン。
 なんで忘れていたのだろう。どんな高級料亭にも負けない、とびっきりのキッチンがあるではないか!
 遙兵はさっそく策を巡らせはじめた。
 今日は金曜日。明日は学校も休みだ。連中もどうせ暇にちがいない。
 鍋をやるならコタツ。贅沢を言うならば掘りゴタツ。本来ならばそれが理想である。しかし、あの家にコタツなどという庶民的なものがあっただろうか……?
 だが問題はそれだけだ。至極些細だ。作戦決行である。
 遙兵はさっそく携帯電話を操作した。
 呼び出し音が鳴る。五回で相手は電話口に出た。
「あー、テツ。明日、おまえんち……いいか?」

 翌日。
 時雨努と経夢人、そして遙兵の三人は、大型スーパーで鍋の材料を買って回っていた。
 椎茸があまり得意でない偏食大魔王弓ノ間のために最高級の椎茸もカートに入れた。そのへんのサービスはぬかりない。
 下仁田葱、鶏肉、ごぼう、コンニャク、シメのうどん。そしてリッター買いのコーラ。レジ袋は大きく膨らんだ。
 大量のきりたんぽと山のような食材を両手に、三人はしばし足を止めた。これを銀町邸まで担いでいくのはさすがに萎える。体育会系の合宿じゃあるまいし。
 軟弱な遙兵たちは三者合意の上でスーパー前からタクシーを使うことにした。
 暇そうに客待ちをしていたタクシーは、ワンメーターで目的地に到着する。
 銀町理事長の自宅は万人が認める豪邸だ。ぐるりを囲む瀟洒な塀、何百坪あるかわからない敷地、モダンな洋風の母屋。このあたりは高級住宅地だが、それでも周囲の景色から浮いている。これで旗など掲げていたら大使館さながらだ。
 タクシーの運転手は広大な前庭に心底感心したようで、「とんでもないお宅ですねえ」とつぶやいた。
 門扉から玄関までがこれまた不必要に遠い。遙兵たちは手のひらに食いこむレジ袋に顔をしかめながら飛び石を渡って歩いた。
 いつ来ても呆れるほど豪勢な庭である。職人気質の庭師を雇っているにちがいない。ひときわ目をひく松などはよくよく見ると鶴の形だ。
 インターホンを押すと「へいへい」と脳天気な声がして、ドアが飛ぶように開いた。
 V字ネックのセーターに白いシャツ。おとなしめのチノパン。この玄関で迎えられると、鉄人でもいい家のお坊ちゃんに見えるのだから不思議でならない。いや、実際のところ、いい家のお坊ちゃんなのだ。認めたくはないが。
「おじゃましまーす」
 前回、脱いだ靴を揃えなかったことを家主に叱咤された三人は、なけなしの学習能力を発揮して最初の難関をクリアした。
 油断大敵。なんといってもここは、学園の実質オーナー、銀町理事長の邸宅であらせられる。わずかな粗相もあってはならない。たぶん。
 十畳ほどもあるリビングに通されると、ローテーブルにはすでにカセットコンロと鍋、有田焼の小鉢に塗り箸が準備されていた。その脇にはミニ囲炉裏が炭を熾していて、部屋をぬくぬくと暖めている。
「きりたんぽ、炙って鍋に入れたら香ばしくなって美味しいんじゃない?」と笑ったのは鉄人の同居人、ノエルだ。銀町理事長のところに来てから、日本文化に凝りはじめたらしい。
「銀町先生は?」
「きょうは昼までお仕事。きりたんぽ残しておくようにって言われたよ」
 遙兵はほっとした。口うるさい理事長に鍋奉行をやられたら一大事だとちょっぴり心配していたのだ。
「さて、作ろう、作ろう!」
 まっ先に言いだしたのは鉄人だが、突っ立ったまま無意味に菜箸をカチカチ鳴らしている。もしかしたら鍋をしたことがないのだろうか。
 遙兵はぷっと笑って、レジ袋から材料を取りだした。
「そんじゃ、まず野菜を切らないと。それと鍋に水を張って、鶏ガラでダシをとるんだ。というわけで台所に移動だ」
「ふーん。さすが、ハーがいちばん詳しそうだな。よし、なんでも命令していいぜ」と鉄人。
 予想していたとおり台所もだだっ広く、五人で作業をしても有り余るほどゆとりがある。
 超高級の輸入システムキッチンに遙兵の目は釘付けになった。オール電化という代物を生まれてはじめて見た。
 包丁もぴかぴかだし、銘入りだ。どこのリストランテかと思うほど種類がある。まな板は桐製。使い込まれている感じだ。
 しかし調味料らしきものが不思議と見あたらない。シンクの上には布巾一枚置かれていない。
 遙兵の疑問に答えるように、鉄人はシンク下の扉を開けてみせた。
「醤油はここな。ほかにも好きなの使っていいからな」
 中にあったのは。
 濃口醤油の一升瓶。薄口醤油の一升瓶。みりんの一升瓶。料理酒の一升瓶。味噌の一斗樽。サラダオイルの一斗缶。青磁の壺に収まった塩と砂糖。
 ――この家では刺身に醤油をたらすときも一升瓶からチョロリと?
「あのさ、今日は使わないからいいんだけど、マヨネーズとか胡椒とかソースとか、そんな感じのは……どこに?」
「ああ、先生、そういうのあんまり得意じゃないみたいだし」
 軽い目眩。
 江戸時代か-!
「え、もしかして、なんか足りなかった? 買ってくる?」
「いえ……結構です」
 ひとんちの台所事情に口は挟むまい。住人が不満を感じていないのならば、それでよいのだ。
 ふっと目を反らすと、見えたのは食器洗い乾燥機だった。洗剤とスポンジが見あたらない理由は、これだ。
 なにはともあれ、色々と発見の多い家である。
 遙兵の指示で料理はちゃくちゃくと進んだ。鉄人とノエルはけして包丁を握ろうとはせず、さりげなく盛り付け役に徹している。おそらく二人とも不器用なのだろうと遙兵は踏んだ。
 切る役は時雨努である。これがまた意外なほど手慣れている。
 お母さんのお手伝いをまめにこなしてきたタイプだ。
「ダシの準備オッケーだよぅ」
 リビングで、カセットコンロ見張り番の経夢人が叫んだ。遙兵は一升瓶を何本か持って、リビングへと移動した。
 穴杓子で鶏ガラを拾い、醤油味のスープに仕立てる。ポン酢でも楽しめるように、味は薄めにしてみた。
「テツ、ゴボウを入れてくれ」
「シー、バルダーナ(よし、ゴボウ)!」
 ささがきにしたゴボウがどさどさと投入される。
 ノエルが大皿に盛った野菜類を運んできた。
 巨大な椎茸に鉄人がしかめっ面をする。
 遙兵は台所で、小分けしたきりたんぽを串に刺して、味噌を塗っていた。
 せっかく炭火があるのだから、焼いた味噌たんぽは外せまい。遙兵の家でも掘り炬燵で焼いたのが格別のおやつだった。
 食べ物がすべてリビングに運ばれ、準備万端ととのった。
 鉄人の目がきらきらと輝いている。鍋というシチュエーションがよっぽど嬉しいのだろう。
 プエルトリコに鍋はないよな、と遙兵はふと考えた。鍋はおそらくアジア圏の食文化だと思う。
「テツ、プエルトリコで乾杯は何て言うんだ?」
 鉄人は「ブリンディス!」と答えた。
「よし、ブリンディスの音頭はテツがとれ」
「おれ? きりたんぽ提供者のハーがやりゃいいんでない?」
「おれはお客様だ。こういうのは会場提供者がやるべきでしょうが。んー?」
「じゃあノエルでもいいってことで」
 ノエルはぷるぷると首を横に振った。
「鉄人がかけ声かけるのがいちばん”らしい”じゃん」
 コーラをグラスにそそぎながら経夢人がぼそっと言った。時雨努もうなずく。
 鉄人は指先でぽりっと頬を引っ掻いて、「わっかんねえけど、じゃあ」と立ち上がった。
 全員がグラスを持つ。
 鉄人は目玉だけで天井を見あげて、「えー」と切り出した。
「本日はうまそうなきりたんぽをお持ち込みありがとうございます。鍋もぐつぐつ煮えてきたし……ってきりたんぽ、まだ入ってないけど、いいのか?」
「野菜を先に柔らかくしないと、煮崩れるだろ。米なんだから」と遙兵。
「ああ、そかそか。さすが奉行。てなわけでお集まりの皆さま、絶品きりたんぽと、一日遅れたけど遙兵の誕生日にィ。ブリンディス!」
「ブリンディス!」
 唱和したあと、鉄人を除く全員がきょとんとした。
「誕生日だったの、遙兵?」
「なんだ、知ってたのか。意っ外」と遙兵。
 鉄人は微妙に胸を張ったようだった。
「俺様は一度聞いたことならたいがいのことは忘れないのさ」

end

インビジブル・ハンド番外編


初出 2008-11-11 改稿 2009-01-10