もうひとつのインビジブル・ハンド #7/あの四人
「どうでもいいことなんだけどさ」
どうでもいいことならば、現在の状況をわきまえて、すみやかにその話題をひっこめろ。
東(仮名)、南(仮名)、西(仮名)の三名はいずれも個性豊かな高校一年生。とある事例(仮)に対するふだんのリアクションもそれぞれで、あまり交わるところがない。ボケとツッコミの範疇を超えた変わり者揃いである。似ているところといえば成績くらいのものだ。
しかしこのたびはちがった。どうでもいいらしい話題を持ち出した北(仮名)に対する威嚇体勢が完璧に同じだった。
ぎろり(×3)。
六つの眼が睨んだのは一瞬だけ。視線はすかさず目前の戦場に戻る。
南4局。
北(仮名)はハナクソをほじっている。
そう。いままさに和了へ向けて最後の駆け引きの真っ最中なのだ。幻想水滸伝ならば敵であるキーパーソンとの三すくみイベントといったところ。防御、攻撃、必殺、あるいは生死を賭けた超必殺、敵の出方を息を殺して観察する重要な局面である。
山の残りはあと少し。どいつが自爆するか。あるいは運を引くか。どんな手で挑んでくる? この期に及んで流局など誰もが許すはずがない。やる気のない北(仮名)は別として。
北(仮名)はあくびと背伸びをひとつずつすると、ほんとにどうでもいいように牌を一枚取り、さっきまで鼻の中にあった右手の親指でつるっとそれを撫でて、ニヤリと嗤った。
「ツモ」
壁の電波時計が一瞬動きを止めた。
真っ白に燃え尽きたぜ、とはまさにこのことだろう。なんともいえないその微妙な間合い、東(仮名)南(仮名)西(仮名)、いや、ややこしいからはっきりと言わせてもらおう、鉄人とノエルと霧流は真っ白な灰となりコタツ布団の上でさらさらと砕けていった。風が吹いていなくてよかった。いやそうじゃなくて。
「ツモ、イーペーコー。あーがり」
灰から蘇り、最初にブチキレたのはフェニックス鉄人だった。
「ハー? おれにはメンタンピンなんて優等生な手を打ったらコロスとかいっておきながら自分だけ、なんだよその地味なアガリ方。ドラもねえし!」
「半荘勝負のオーラスに高め狙うアホがどこにいるよ」
「役満狙ってこそ漢だって言い張ってたの誰だし!」
「それはなんも賭けてないときの話っしょ。豪快に勝たなくたって、負けなければ、少なくともカモられることはない、ってね。商売人の鉄則っす。おーテツ、お見事に最下位だなあ。点棒スッカラカンじゃね? はいはい、約束のからあげクン買ってらっしゃい」
北(仮名)、もとい遙兵はしれっとした顔で返した。涼しい口調でつけ加える。「なんか飲み物もほしいよな。もう半荘いくか?」
どんがらがっしゃーん。
あいにくちゃぶ台ではなくコタツなので絵にはならないが、百三十六枚の牌と、タコ型に剥かれたみかんの皮が華麗に空を舞い、うち何枚かはムーンサルトを成功させた。
「ゆみのまくん、勝負は正々堂々だよ」
いつも卑怯な手を率先して使う霧流が諭す。じつに説得力がない。
「ぼくも飲み物がほしいな」
オールウェイズ空気読まないのはノエル。
「おれのチートイ!」
鉄人がご期待の墓穴を掘った。鉄人の手口が七対子であることは捨て牌や態度を見るとシロウトでもわかる。このアメリカ的なとてもわかりやすい二役が鉄人は大好きなのだ。己の運の悪さを自覚もせずに、颯爽とツモることを夢見ていることも周囲にはまるっとお見通しだ。
憤懣やるかたない東、カニ型にみかんをむきはじめる南、しゅんしゅんと湯気のあがる東をうっとりと見つめる西。
そして北は、
「あのさ、どうでもいいことなんだけどさぁ」
蒸し返した。
拾った牌を一枚手にとってつるつると撫でまわす。遙兵の癖である。指先で微妙な凹凸を判別する訓練とも言っていたが真偽のほどはさだかではない。
「ノエルの名前って」
ふいに話を振られて、ノエルはみかんから顔をあげた。
「漢字だったよな」
ほんとうにどうでもいいことだった。
「え?」
ハトが豆鉄砲を喰らったような顔をするノエル。
その横で、まだふて腐れている鉄人が言う。
「ジャンしながら考えてたのかよ」
「七萬見ていて、ふと思いだしただけ」
「くそ、やっぱり七萬はテメェが囲ってたんかい!」
話がいろいろとかみ合っていない。
ノエルはばらまかれた牌を拾いあつめながら、「片仮名でノエルだよ」と言った。
「え、でも転校してきたときに、エンちゃんが黒板に漢字で……」
「無影響量」と鉄人が割り込んだ。
「あ、なんかそれそれ、そういう感じのやつ」
「ノー・オブザーヴド・エフェクト・レベル、頭文字をとってノエル」
「それだそれだ。すごく変わった名前だと思ってびっくりしたんだけどよ、あんときだけじゃん、漢字で書かれたの」
鉄人はフッと口の端を歪めて、「バッカじゃねえの、オマエ」と言った。
バカと言われて動じない少年はいない。
「テツにバカ呼ばわりされたくないね」
「あのね、猛地くん」 今度は霧流があいだに割って入った。「日本では、戸籍に記載できる漢字が決められているの。常用漢字と人名用漢字がそれなんだけどね、無も影も響も量もその中にたしかに含まれてる。けど、どこの親が無だの、影だのっていうマイナスイメージの漢字を子どもにつけたがる? 名字ならばまだしもさ、名前ってもうちょっと気持ちをこめるじゃない」
「おー、たしかに。ドキュンネームってやつだな」
「法務省がいいよっていっても、世間では非難されるよね。前にも悪魔って名前をつけようとして係争になったでしょ」
「あったあった。どうなったんだっけ」
「裁判では親が勝ったの。だけど戸籍法違反だし、マスコミもめちゃくちゃ叩いたから、違うような似たような名前をつけてうやむやにしたんだよね。魁くんだって、まさか法務省がそんな漢字を戸籍に使うわけ……」
「燕。ストップ」
怒ったような口調で遮ったのは鉄人だ。
幸いにも、霧流が口にしかけた機密事項は、遙兵には気づかれなかったらしい。
「なるほど! たしかに、あんまり前向きな漢字じゃねえよな。無とか、影とか、ええと、響はいいとして、量もなんだかヘンだ」
「そういうことです、ハイ」 きょとんとしながら成り行きを見守っていた本人もうなずいた。
しかし遙兵は「ん?」と首をかしげ、いまわいてきたらしい新たな疑問を口にした。
「じゃあなんで転校生紹介のとき、エンちゃんは漢字で書いたんだ?」
ごもっともである。
ノエルは何故か、くすくすと笑いだした。霧流もニヤリとした。鉄人だけが複雑な表情をうかべている。
ノー・オブザーヴド・エフェクト・レベル。無影響量。
それは薬学のことばで、毒性物質の投与においてなんらかの影響を生じさせないギリギリのラインを指す。ここでいう影響とは、有害無害を問わない。
それは鉄人へのメッセージだったのだ。ノエル、トゥエンティセブンは、鉄人に対して有害にも無害にもなれる。リスクはまったくゼロではない。しかし、
(きみに危害を加えるつもりはない)
ところが鉄人は、ノエルの発したメッセージを見逃した。
いくら知識が豊富でも、応用力や想像力が伴わなければ意味がない。鉄人にとっては、しまった、のひと言である。なかったことにして引き出しにしまっておいたのに。
よりによって遙兵が勝手に人の引き出しを開けるとは。
「まあ、過ぎたことだからね」とノエルはみかんを口に放り入れた。
「あ、そうだ。どうでもいいことなんだけど」
またなにかろくでもないことを思いついたらしい遙兵を避けるために、鉄人はオーバーアクションでコタツを抜けだした。
「おれ、からあげクン買ってくる!」
反動で尻ポケットから財布が落ちたのを、ノエルと霧流は見ないふりをした。
おしまい
2012-04-24
