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イスラ・イナビターダ無人島エンディング7

 ひとつだけ用意されたオイルランタンが広場をこうこうと照らす。
 周辺の照明はすべてロウソク。素朴このうえないが、思った以上に明るいものだ。マッチに開眼した鉄人が面白がって火をつけて歩いたのである。
 トレーラーの荷台は数ヶ月分の食糧で足の踏み場もなかったが、雨に濡れても問題ないコンテナとキャディラックを下ろすとそこそこ快適なスペースができた。さっそく潰したダンボール箱を敷き、就寝コーナーにした。
「地震がこないことを祈ろう」
 遙兵が山積みの荷を見あげて不穏な発言をした。
 鉄人たちは寝袋と毛布を平行に並べ、湯冷めしないように我先にと潜りこんだ。
 携帯電話の時刻表示を見るとまだ午後九時前。さすがに眠気はやってきそうにもない。
 アンテナマークの横に赤い字で圏外と示されている。充電もできそうにないから、バッテリーが切れたら時刻を知るすべはなくなってしまう。あいにく時計はだれも持っていない。
「いっそのこと、もう電源オフにしとくか」
「それがいいかも。微弱電波を追われてもまずいしさ」
 四人はそれぞれ自分の携帯電話をシャットダウンし、学生鞄に押しこんだ。
 ふだんスケジュールどおりに動くことがあたりまえだと思っていると、正確な時刻がわからないという状況はなんとなく落ち着かないものである。鉄人もいつのまにか、何気なく携帯を開いて時刻やメール着信を確認するクセがついていた。だから携帯がないとひどく不安なのだ。
 暗くなったらやることはもうなにもない。明日に備えて眠るのが唯一の仕事。
 だが初日ともあって興奮冷めやらず、頭はぎんぎんに冴えわたっている。
 あずまやのほうから陽気な笑い声が聞こえてきた。大人グループもそれなりに楽しんでいるようではないか。
 ヤクザ山岡と橋本さんがあずまやの中にこしらえたホームレス仕様のダンボールハウスに樹花を招いて宴会をしているのだ。
 陽が落ちると、さすがに底冷えがやってくる。それでも本土とは十度以上の気温差がある。ここでは霜が降りることすらないのだろう。
 寝袋は冬期仕様だが、念のために毛布を何枚も用意する。明け方は冷えこむだろうし、風が吹きだしたら体感温度も下がるからだ。
 熱を出しても診る医者がいるわけでなし。用心に越したことはない。
「ぼく、弓ノ間くんのとなり」
 イヤだと振り払ってもきりがない。
 べっとりとひっつき虫のようにまとわりつく霧流を鉄人は無視することにきめた。
「いまごろ、どうなってんのかなあ」
 前置きもなくつぶやいたのはノエルだ。
 だれも答えられない。
「よけい大騒ぎになってなきゃいいけど」
「まかせようよ、魁くん」と霧流が言った。「理事長にもパパにもきっと考えがあるんだ。じゃなきゃこんな大がかりなイベントはありえないよ」
 鉄人もうなずいた。
「ノエル、孤隼先生はハルモニアが出てくる前に召集令状もらってたみたいじゃないか。はじめっから予定の内だったんだよ。タイミングがたまたまピッタンコだっただけじゃねえの」
「そうかもしんないけど……じゃあ、残った銀町先生の立場は。首相官邸だってうやむやじゃ済まされないだろうし、それよか、ラボがまたどんな脅迫をしてくるかわかったもんじゃない。まかせっきりでほんとにいいのかな」
 ひとりだけ事態を把握していない遙兵が目をぱちぱちさせた。
「なんか、おれだけ蚊帳の外ってカンジ、すんだけど……首相とか脅迫とか、なんだよ、それ。テツ、どういうことかきかせてくれんだろうな」
 直視されて、鉄人は視線から逃れるように顔をそむけた。
 だが遙兵の追求は緩まなかった。
「いいかげんはっきりしてくれたらいいじゃんか。ヘルムのオヤジに見張られてんだろ。それってぜってーフツーじゃねえぞ。なんかやったからさ、逃げてんだろうが。事と次第によっちゃ、味方すんのも考え直さなきゃいけねえしよ。ノエルも、燕も、知ってることぜんぶしゃべれ。じゃねーと、あしたっからどうやってやってきゃいいのか、わかんねえよ」
 鉄人はゆっくりと遙兵を向いた。逡巡し、ようやくひとことだけ口にする。
「ごめん」
「謝ってほしいわけじゃねえよ!」
 遙兵はいきなり感情を爆発させた。平手でトレーラーの床板をドンと突く。
 怒りにふるえながら声をしぼりだした。
「ちゃんと言え、っていってんだろ。はぐらかせって頼んだかよ。いままでさんざんうやむやにされてきただけでも、ムカついてんのによ。ガマンの限界。テツがいえねーってんなら、燕に訊くからいい。そんかわりてめえとはこれっきりだかんな。信頼されなくて、だれが信頼できっか。バカバカしい」
「ハー……」
 鉄人はなにか言いかけて、またうつむいた。
 座がしんと静まりかえる。
「ハッ、それが答えか、テツ」
 遙兵は毛布を剥いで立ちあがった。靴を履き、外に出て行こうとする。
「猛地くん、ちょっと待ってよ!」
「ションベンだ、ションベン!」
 霧流は困ったような顔でちらりと鉄人を見ると、無言で靴をつっかけ、遙兵を追って暗がりに消えた。
 荷台にぽつんと残された鉄人とノエルは言葉も交わさずに、ぼんやりとふたりを見送った。
 先に口火を切ったのはノエルだった。
「鉄人、いいの」
「だーいじょうぶ。いいから心配すんな」
 深刻な顔で唇を噛むノエルを見て、鉄人はなぜかぷっと笑った。
「ハーとのケンカなんて、しょっちゅうだ」
 言いかたは明るいがやはりわざとらしい。ノエルにはわかっていた。決定的な亀裂に鉄人の心が悲鳴をあげていることを。だけど鉄人は、遙兵にだけは本当のことをいうはずがないということを。
 いちばんの友人を巻きこむわけにはいかない。
 問題はあまりにも大きすぎ、そして遙兵にはまったく関係のないことであった。
 けれど。
「鉄人は、がまんばかりする」
 ふたたび怒鳴られようが、鬱陶しがられようが、黙っているわけにいかなかった。
「いつだってがまんして、口をつぐんで、あきらめようとするんだよね。そっか、ラボではそうしなくちゃなんなかったんだ。そうだ……わかってる。ぼくだってそうさせた人間のひとりだし」
 鉄人はなにも言わず、またそっぽを向いた。
「鉄人、こっちを向いて」
 無言。
「顔をそむけないで。言いたいことがあるんでしょ。口をひらいて」
 鉄人は石のように固まったまま動かない。
 ノエルは鉄人の肩を乱暴につかんで揺さぶった。
「こっちを見ろっていってんだろ! 聞こえないのか」
 かっとなって、ノエルはついに怒鳴った。
 鉄人の顎を強引に上向け、それでも目を合わせようとしない相手を睨みつける。
「どうしたの。きのうみたいにつっかかってくりゃいいのに。それともなに? 馬鹿な優等生にはきいてさしあげる口もないってわけ」
「……せ」
「きこえない。ちゃんといってよ」
「離せ。痛い」
 ノエルは目を細めてフッと笑った。
「もっと痛くしてやろうか」
 言うなり、胸ぐらをつかみあげて手の甲で鋭く頬を撲った。
「へえ、抵抗しないの。どこまでがまんできるのかな」
 二発、三発。手加減なしで撲った。四発目の手を振りあげながら、最後通告を叩きつける。
「ひとりで解決できると思うなら、殴り返してみろよ。お望み通りそれで終わりにしてやるからさ」
 鉄人の瞳に一瞬だけ激しい怒りが宿った。
 ノエルもぞっとするような冷たい光はだが急激に萎み、鉄人の奥底にのみこまれるように消えていった。褐色の瞳はゆっくりと閉じられた。
 手足から力が抜ける。
 ノエルはあげた手を静かに下ろした。
 そのままそっと鉄人の身体を抱きしめる。
 かすかなふるえが伝わってきた。
 ノエルは腕に力をこめた。
「……っ、うっ」
 やがて胸のあたりでくぐもった声がした。
 ノエルも鼻がツンとして、柔らかい髪の毛に顔を埋めた。ほんのりとせっけんの香りがする。
 容赦なく暴力をふるった手がちりちりとした痛みと熱を訴えた。
 痛むのは物理的な刺激のせいだけではない。
 必死で声を殺して肩をふるわせる鉄人。
 罪のないその身体に、彼はどれほどの重荷を背負わされてきたのだろう。
 とりあえずの自由を手にしながらも、鉄人は過去に束縛されて生きている。
 口をつぐみ、じっと耐え続けている。
 未知の己に怯えて。
 自分のなかにひそむものの正体がわからない。それはノエルも同じだ。
 しかしノエルの場合は自業自得である。鉄人はそうではない。
 脆いのは自分よりもむしろ鉄人なのだ。
 ノエルがいなくなったあと、鉄人はふたたび孤独になるだろう。そして、それは鉄人にとって、戦慄すべき圧倒的な孤独にちがいなかった。
「鉄人、銀町先生は」
 ノエルはためらいがちに言った。
「きっと、ぼくが苦しまずに最期を迎えるように、この島を選んでくれたんだろうと思うんだ……」
 鉄人はぴくりと身じろいだあと、かすかにうなずいた。
「銀町先生は、ぼくだったら、遙兵たちをまきこまずに決着をつけられるだろうって、信頼してくれたんだ。あとね、鉄人のこともきっと、信頼してるんだ。鉄人だったらその時に、ちゃんとぼくを送ってくれるだろうって。遙兵や燕だってそうだよ。ぼくがいなくなったあと、鉄人のことを支えてくれるって、信じてるから、いっしょに連れてきてくれた。そうでしょ、鉄人」
 鉄人が重たげに顔をあげた。暗くてよく見えないが、ぐちゃぐちゃにちがいなかった。
 ノエルはそっと鉄人の頬に触れた。
 とても熱い。
「たたいて、ごめん。すこし冷やしといたほうがいいかな」
「もうちょっと、このままで」
 小さく懇願された。
 幼い子どもが保護を求めるようにノエルの腕をつかんで離さない。
 どれくらいそうしていただろう。落ち着いてきたのか、鉄人は聞こえないくらいの小声で言った。
「ひどいこといって、ごめんな」
「えっ」
「……怖かったんだ」
「ウン」
「おまえがいなくなるの、いやだ」
「鉄人、それはどうしようもないことだから」
「いやだ。いくな。ひとりにすんなよ。オマエ、いなくなったら、どうしていいか、わっ、わかんないよ、ひとり、やだよ」
「バーカ」
 ノエルはまたぎゅっと鉄人を抱き寄せた。
「鉄人をひとりになんか、ぜったいにしない」
 両手で頭を包みこむ。目と目をあわすように、やさしく上向かせる。
 ノエルは鉄人のおでこに自分のそれをあてた。
「いつまでも鉄人のそばにいる。約束する」
「ほんと」
「ほんとだってば」
「ぜったい」
 ノエルはクスクスと笑って「ぜったい」と言った。
「約束」
 鉄人の右手が、ノエルの左手に重なってきた。
 あれ、とノエルは思った。
 いま、だれかが会話した。
 小さな予感があった。セラフィムだ。
 鉄人は気づかなかったのだろうか。それとも、ノエルの思い過ごしだろうか。
 思考を断ち切ったのは、トレーラーの外にきこえてきただれかの足音だった。
 顔をあげると、ランタンのあかりに浮かびあがったのは霧流と遙兵だった。
「ねえ、星がすごくきれいだよ。外に出てみない」
 陽気に手招きする霧流のうしろに、遙兵がばつの悪そうな顔でもじもじしているのが見える。
「弓ノ間くん、おいでよ! 寝るのはもったいないよっ」
 霧流は土足でどかどかとあがってきて、鉄人の背中をたたいた。
 そのまま強引に連れ出される。
 鉄人はうつむいたきりで、じっとコンバースの靴先を見ていた。
「テツ」
 遙兵の腕が伸びた。
 鉄人の手をとる。
「広場のむこう、行ったら、ランタンのあかり届かないから。すっげえ星だから、びっくりすんなよ」
 照れくさそうに、ちょっぴりぶっきらぼうに。
 手を引く。
 足元が暗くてよく見えず、目の慣れていない鉄人はなんども石につまづいたが、遙兵がしっかりと手を握っているので転ぶことはなかった。
「……うわあ」
 鉄人は空を見あげて、おもわず息を呑んだ。
 なんだ、これは。
 いままで見たこともない宇宙がひろがっていた。
 無数の星。町で見る夜空とはぜんぜんちがう。
 肉眼でもこれほどの星が見えることを、鉄人は知らなかった。
 それよりもなによりも、いままで夜空をこうして見あげたことなど、あっただろうか。
「スゲエよな、テツ」
 遙兵がぎゅっと手をにぎった。
「プエルトリコの星空と、どっちがすげえ」
 ふいに訊かれて、鉄人はとまどった。
「プエルトで、星見たことなんて、ない」
「ああ、そっか」
 鉄人はびっくりして遙兵を見た。
「つらかったな」
「え……」
「悪ィ。燕から、すこーしだけきいた」
 鉄人は息を呑んだ。
 遙兵が振り向く。
「すこーし、だけな。あとはテツが話してくれるのを待つよ」
「ハー……おれ……」
「いまじゃなくてもいい」と遙兵は笑った。「いつかそのうち。おれもホラ、あんまりにも突拍子ねえからよ、気持ちの整理ってやつが……その……ま、まあいいか! とりあえず、さっきのアレはなし。チャラにしようぜ、チャラによ。スパッと」
 鉄人はまたしも顔をくしゃくしゃにして、こぼれかけたしずくをあわててぬぐった。
 背後で霧流とノエルが大声で笑いあっている。
「魁くん、みっつ並んでるのがオリオン座で、その左にあるのが冬の大三角! シリウス、ベテルギウス、プロキオン」
「燕、意外にくわしいんじゃん。あ、ポラリスならわかる。オサ・マジョール(北斗七星)の先っちょから七つぶん。あった、あった。ぼくの星」
 ノエルは北極星を誇らしげに指し示した。
「あした、クリスマス・イブはなにをかくそうぼくの誕生日」
 鉄人は驚いてノエルを見た。
「えーっ!」
 霧流も頓狂な声をあげる。
「ほらほら、祝えよ、皆の衆。ふははは」
「なんでそのことをもっとはやくいわないの」
「だってさ、そんなことうかつに宣言したらヤギのタマタマ、鉄人の三倍くらい食べさせられそうな気がしたんだ」
 ノエルは悪戯っ子のようににやりとした。
 ああ、そうか。鉄人は理解した。  ノエルという名前。
 聖なる夜という意味だ。
 クリスマス・イブに生を受けたノエル。
「The first Noel the angel did say……」
 鉄人は歌いはじめた。
 賛美歌第103番、「牧人ひつじを」。
 多くのことを抑制されてきたが、賛美歌を歌う自由は鉄人にもあった。
 だれに教わったかはすでに覚えていない。そもそも、歌が人を救済するなどとは思わない。
 もちろん、やつらの前で口ずさむ歌などありはしない。
 忘れかけていたその歌を。
 鉄人は歌った。
 ノエルもともに唱和する。
「Noel, Noel, Noel, Noel, Born is the King of Israel」
 ノエルはアハハと笑って、「最高のプレゼントを、ありがとう」と言った。
 降るような星空の下。
 ノエルと、鉄人と、遙兵と、霧流。
 この世界にはいま四人きり。
 誰の思惑も介在しない。邪魔をする者はいない。そのかわり、四人には代理もごまかしもいっさい通用しない。
 自分の口から話さなくては。
 なりゆきに身を委ねているだけでは、ここにいる意味などない。
 それが大自然の掟なのだ。
「流れた!」
 遙兵が大声をあげた。鉄人も同時に確かめた。流れ星が、みごとな尾をひいて天を横切っていった。
「あっちはゆっくりと動いているよ。ほら」とノエル。
「へえ、人工衛星だ」
 鉄人が言うと、遙兵が別の方角を指さした。
「ワオ、こっちの衛星はイカスぜ。ジグザグに飛んでらあ」
「……ジグザグ?」
「なんだろう。最新鋭の偵察衛星かな。あー、ひょっとしてガンダムかも」
「はっ……遙兵」
 鉄人は硬直した。
 ノエルも霧流も息を呑んだ。
 平然としているのは遙兵ひとり。
「ゆっ」と鉄人はひきつった声をあげた。
 ジグザグと不規則な動きをし、点滅と瞬間移動を繰り返す謎の飛行物体。
 ここまであからさまだと、出る声も出せない。
「UFOだぁ~~~~~!」
 少年たちは(約一名をのぞき)一斉に絶叫した。
「夜遊びしてねえでとっとと布団にもぐれ、ジャリどもがぁ!」
 あずまやから山岡さんとおぼしきアルコールの混ざった怒号がきこえた。


2006-07-03