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イスラ・イナビターダ無人島エンディング6

 夕食のあとは腹ごなしも兼ねて、全員で風呂を焚くことにした。広場の中央にどっかと腰を下ろした大鍋。いわゆる五右衛門風呂である。
 過去に幾人ものチンピラを水炊きの刑に処してきたのであろう。年期と怨念のこもった鉄釜はいちめんに赤錆が浮き、湧き水をホースで引っ張っただけで褐色の渦が巻いた。
「気にするな。有馬温泉だってこんなもんだ。肌によさそうだし、あたしはこのままでもいいよ」
 言い張ったのは樹花である。もちろん、誰ひとりとして反論できる者などいない。
 ボタンひとつで湯温調節をはじめ、すべてを完璧にこなしてくれる銀町邸の最先端テクノロジー風呂しか知らない鉄人は、激しく面食らった。日本文化の黎明に畏れと感動がほとばしる。どこの世界に鉄の釜を底から直火であたため、ヤギ汁のヤギよろしく煮られる入浴法があるというのだ。
 側面は木製なので触れても火傷はしないが、底はそうではあるまい。
「だからこの底板がある」
 鉄人の疑問に山岡が現物を見せながら答えた。
「落とし蓋のようなもんですか」
「よく知ってるな、大将」
「料理関係なら、まあそれなりに」
 じつはこれこそがハルモニアの罠で、箸がスッと通るくらい柔らかく煮られたあとサメの入り江とやらに撒かれるんじゃないだろうな、とふと思う。
 最後の晩餐がヤギのキンタマなんてまっぴらごめんだ。
 鉄人の心配をよそに、山岡はてきぱきと指示をはじめた。
「よし、まずは薪割りだ。便所の横に薪が積んであるムロがあるだろう。なるべく湿ってないやつを何本かリヤカー使ってとってこい。ぐずぐず腐ってるのを見つけたら外に放りだしとけよ」
 軍手を手渡されて、一同は立ちあがった。
 山岡は鉄人を呼び止めた。
「おい、大将。おめぇはアタマ打ってっから今日は無理すんな。そのへんに適当に松の木があっからよ、松ぼっくりを拾ってこいや」
「ま、まつぼっくり?」
「おおよ、そいつが重要なんだ。薪がいくらあったってマッチでいきなり火がつくわきゃねっだろ。松ぼっくりちゅうやつはメラメラ燃える。焚付けってやつよ」
「ふーん」
「ふーんじゃねえ。返事しろ、返事!」
「は、はいっ!」
 ノエルのクスクス笑いを背中に受けて、鉄人はあたふたと茂みにもぐりこんだ。役立たずという烙印を押されたような気がしないでもなかったが、下手に逆らって小指を落とされるのもいやなのでプライドはこの際棄ててしまおうと思った。
 広場から一歩森に入ると、空気が変わる。濃い土壌の匂いがする。コンバースをふわふわと包みこむ腐葉土は、一歩ごとに香ばしい大地の気を発した。
 なにもかもがはじめて触れる世界だった。資料や文献ではけして得ることのできない、感触という体験。豊富だと思っていた己の知識がいかに狭いものであったかを思い知らされる。
 森が循環するシステムは鉄人もたやすく暗誦できる。だが、いかに正しくそれを解説してみたところで現実にはかなわない。宇宙学者だからといって宇宙に行けるわけではないし、医者だってミクロの決死圏のようにヒトの体内に潜りこめるわけではない。
 どんなにあがき、求めてみたところで、未知なるものはそのひとつだけではない。世界には解明されていないことがたくさんある。鉄人もいま教わるまで、松ぼっくりが焚付けになることを知らなかった。
 プエルトリコ。生まれ育ったその国を、自分はどれだけ知っているつもりでいたのだろう。カリブの青い海も陽気な人々も、光と影に満ちた歴史や文化も、すべてがイメージと聞きかじりの知識だ。ふるさとという感情はまったくない。
 少なくともあの国で、いまのように大地に触れ、青い海とたわむれて、身をそこに委ねようとしたことなど一度もなかった。いや、あり得なかった。記憶の大部分は消毒薬の匂いと白い部屋。かすかに覚えているそれ以前の自分は、貧民街の汚水にまみれていつもお腹をすかせていた。
 けれども、と首を振る。
 プエルトリコを憎もうとは思わない。
 生かしてもらったからだ。
 生きていなければ、今日こうしてすがすがしく笑ってなどいない。
「……あった」
 目的のものがころころと落ちていた。松の球果である。
 いくつくらい必要なのかよくわからないが、足りなければすぐに追加で拾いに来られる。
 鉄人はタオルを風呂敷に見立てて、松ぼっくりをつめこんだ。
 小笠原にとって松は外来種で、本来そこにある植物ではない。ヤギと同じく自然繁殖し、いつのまにやら住民のような顔をしているのであろう。根づいた場所がすなわち居場所というわけだ。いいのか悪いのかはさておき、松は強い。けしてへこたれない。
 人の都合で海外から移植され、繁殖したらしたで悪者にされる。
 それでも子孫を残そうと松ぼっくりを大地に落とす。
 理屈などどうでもよい。松もヤギも絶滅をよしとしなかったのだ。異国の地で強い風にさらされ、それでも生きたかったにちがいない。
 気配を感じて、ふと目をあげた。
 視線。じっとこちらを見ている。
 一頭のヤギであった。大きい。
 かなりの老齢なのか、昼に捕獲したヤギとだいぶ雰囲気が違う。
 距離は二〇メートルとあいていないだろう。攻撃するつもりだろうかと鉄人は緊張したが、ヤギは微動だにしなかった。
 目を反らせない。反らしたスキに、均衡が崩れてしまいそうな気がした。
 胸がドキドキする。
 手のひらがじんわりと汗ばむ。
「……こん、ちわ」
 口を開いたら、間抜けな声が出た。
 ヤギはかすかに小首をかしげたようだった。敵の品定めをしているのか、それとも物珍しいから見ているだけなのか。怯えや警戒色はまったく伝わってこない。
 どれくらい膠着状態が続いたのだろう。ようやく飽きたのか、ヤギは「めへ」と軽く鳴いて回れ右をした。
 巨体を気怠げに揺らして、ゆっくりと去っていく。
「……はあ」
 緊張が解けて、鉄人はへたりこんだ。
 心臓はまだバクバクいっている。見逃してくれたのかもしれない。完全にこちらの敗北だった。
 取り落とした松ぼっくりをあわてて拾いあつめると、鉄人は来たときの三倍のスピードで広場に駆け戻った。
 薪はすでに用意されていて、ノエルが鉈をふるっていた。
「よう、テツ、さっきコレでヤギを葬送ったんだぜ」と遙兵。
「次こそ鉄人の担当だからね」とノエルは蒼っぽい瞳でじろりとにらんだ。
 山岡は鉄釜の下部に石と薪を組みはじめた。燕島担当になってどれだけのキャリアがあるのか知らないが、手慣れたものである。
「よしハチマキ、そんだけ割ったらあとはもういい。追加は要るやつがやっとけ。大将、火付け係はあんただ」
「へ、おれ?」
「松ぼっくり持ってるのは大将だろうが」
「あ、はい、でもどうやって」
「マッチでつけりゃあええんじゃあ、ヴォケ!」
 鉄人はひっと肩をすくめた。ぽんとマッチを放られる。
 大ピンチだ。なにをかくそう、鉄人はマッチの擦り方を知らなかったのだ。
 タバコや墓参りに縁があるわけでもないし、アルコールランプを使った実験をしたときはライターが用意されていた。
 キャラメルのような小箱を弄んで、鉄人は呆然とした。
「どうした、大将。陽が暮れちまうぜ」
 こんどこそシメられる。胸の中で十字を切って、おそるおそる箱をあけた。ちんまりと並んだマッチを一本取り出し、薄暗くなってきた空にかざしてみた。
 爪楊枝っぽいものの先に謎の薬剤。
 たぶんこの白いところが火をつける部分だろう。
「大将、匂いは嗅がなくていいからよ」
 山岡が呆れたように言う。
「す、すいません、ははは」
 どうしよう。
「シュッと擦って点けちまえよ」
 遙兵の何気ないひとことが助け船であった。
 シュッと擦る!
「なるほど」
 鉄人は合点がいったようにすたすたと五右衛門風呂に近づくと、マッチをつまんだ右手で鉄釜をシュッと擦った。
 マッチ箱の側面に点火用の摩擦紙がついていることには気づいていない。
 ポワ。
 うまい具合に火花が起きたのだろう。マッチ棒は華麗に炎を放った。
 が、すぐに消えた。
「カッコいいけど、オーバーアクションかなあ、鉄人」
 ノエルの非難が突き刺さる。
「うっさい。集中できないじゃないか」
 要領はわかった。次は松ぼっくりをきちんと用意して……。
「ええい、なにをさせてもトロいガキじゃ! もういいもういい、よく見てオボエトケ、ヴォォケェ!」
 ぶち切れた爆発暴力団が横からマッチをもぎ取った。
 そして鉄人はマッチの正しい使用法をはじめて知ったのである。
 松ぼっくりはパチパチと爆ぜ、ほどなく薪をあかあかと焦がしだした。
「よっしゃ、レディーファーストで姐さんからだ。若はその次でよろしいですね。おめぇらは水と火の番をする。姐さんが熱いといったらすかさず水を足す。ぬるいといったら薪をくべてうちわであおぐ。ええな。ヘマすんじゃねえぞ、ジャリども」
「……かりました」
「声がちいせえ!」
「わかりましたっ!」
 樹花の個室と化したキャディラックから声がした。
「ねえ、もうはいってもいい?」
「へい、ちょうどの湯加減です。おいハチマキ、底板を用意しろ。じろじろ見んじゃねーぞ」
「じゃ、いっきまーす」
 風呂に背を向けて待機する。じゃぼんという音と、「きゃあ、気持ちいい」という歓声が背後に聞こえた。
 究極の露天風呂だ。気持ちがよくないわけがない。
「先生、湯加減どうっすかあ」
「うーん、サイコーよ。天国ってカンジ。ふーっ」
「お背中お流ししましょうかあ」
「猛地ィ?」
「すいませーん、冗談れーす」
 樹花はケラケラと笑って、「どうせならもっと広い湯船があって、みんないっしょに入れたらよかったね」と言った。
「姐さんのご要望とあらば、次回までにご用意いたします」
「ヤマ、冗談よ。次回ってなによ、次回って」
 叱られても、山岡はまんざらでもない様子だった。
「あったまったわあ。選手交代」
 バスタオルを巻きつけた樹花がキャディラックに戻っていくと、山岡は霧流のタオルと着替えをうやうやしくスノコに置いた。丁寧に湯温を見、若頭にお辞儀する。
「弓ノ間くん、いっしょにはいろうよ」
「はあ?」
 霧流はトレーナーを脱ぎながら手招きした。
「せっかくだからさ。ね」
「ね、じゃねえだろ。狭いだろうが」
「前にパパとふたりではいったけど、思ったほど狭くないよ。いいじゃん、はいろうよ」
「えー」
 山岡が横から割って入った。
「若がお誘いしてるんだぞ! つべこべぬかさんと脱ぎやがれ、ドチビ!」
 一難去ってまた一難である。
 笑いをこらえて涙を流しているノエルと遙兵をギロリとにらみつける。
 こうなったらもうヤケクソだ。コンバースを蹴り飛ばし、スノコに乗る。
「脱ぐの、手伝ってあげようか」
 鉄人の頬がぴくぴくと痙攣した。
 うっかり拒否でもしようものなら、小指が落ちないまでも明日からなにを命じられるかわかったものではない。
「どうも」
 二進法で発したような機械的な声だった。
 救いの手を差し伸べないばかりか、なりゆきを面白がっている約二名をどうしてくれようとそればかりを考えた。バンザイさせられてシャツを脱がされても、ジーンズを引きずり下ろされても、抵抗したい気持ちをぐっと抑えてノエルと遙兵への復讐心に転化する。
 霧流は掛け湯までしてくれ、うっとりと言った。
「弓ノ間くんとおふろにはいれるなんて、夢みたい」
「あっそう」
「山岡さん、せっけん持ってきてくれる?」
「はい、若。気づきませんで」
 ソープじゃねえんだからよ、と鉄人はぷるぷるした。
 霧流はシルクタオルをもわもわに泡立てた。
 湯があるとはいえ、真冬の屋外である。洗うより先に湯船であたたまりたい。霧流はなにを勘違いしているのか、赤ちゃんを産湯にいれるときのように丁寧に泡をなすりつけはじめた。
「弓ノ間くんの肌って、白くて、つるっつる」
「どうも」
「すっごく、かわいい……ああもう、タオルなんかいらないや」
 なにを思ったのやら、シルクタオルを洗面器に投げ入れた。
「こうやって、洗ってあげる」
 霧流は泡だらけになった自分の身体を密着させた。腰を振ってクネクネと擦りつけてくる。
 妙な感触のものがコリコリと触って、鉄人は硬直した。
「な、に、す、ん、だ」
 ノエルと遙兵がポカンとしてこっちを凝視していた。
 アホヅラで見てねえで止めろよ。
「ゆみのまくん……アァン……」
 刹那。
 鉄人は渾身の力をこめて発情した泡まみれの少年を抱きかかえると、五右衛門風呂にど突き入れた。
 そのまま自分も縁を乗り越える。
 ザバーッと豪快に湯があふれた。
「火が消えちゃうよ!」
 この期に及んで種火の心配をしたのはノエルだ。
「ゆみのまく……ゴボッ」
「いいから百数えて、あがれ!」
 なおも抱きつこうとする霧流の頭を両手で固定し、肩までしっかりとつからせる。
「いーち、にー、さーん、し、ごーっ!」
 ヤクザ山岡がくっくと背中を震わせているのを目の端で確かめたら、脱力感がこみあげてきた。百カウントの前に湯当たり必須である。
 もうもうと立ちのぼる湯気に目をやる。一番星がまたたいていた。
 いつの間にかすっかり晴れていた。今夜は星がきれいかもしれない。
「サイコーの風呂だな」
 霧流も空を見あげて、「うん」と言った。


2006-06-30