高等部のセレブ美術教師、綴羅布衣結が講釈つきで貸してくれた隙のないコーディネイトは、万年アディダスの遠藤璃乃にとって成人式の背広以上に恥ずかしかった。
だがもう後には退けない。ファーイースト・フィナンシャルビルの五十六階に電光数字が停まる。チンという軽やかな音がして、敵サイドへの入り口が開いた。
緊張のあまり口から心臓がはみだしそうになる。
「顎を引く」
セクシーな黒のベルベットスーツに身を包んだ孤隼樹花が腕を小突いた。そのなんともいえないぞわぞわした感触に、追加で鼻血が噴きだしそうになった。
私立牡鈴学園国語教師、遠藤璃乃。独身歴四十四年。
あらゆる意味で過去最大のピンチ到来。
「はい、なにか」
すぐ目の前にあった受付カウンターにいた、夜勤らしき三十代くらいの男性は、訓練された営業スマイルで時間外の客人を迎えた。
内部のデザインはクールで医療関係というよりはIT関連企業といった雰囲気であった。壁にはこの場所の名称を示す文字が刻まれている。
九六九大学医科学研究所。
ぱっと見、なにひとつ怪しくはないご立派な施設である。
しかし璃乃たちは正体を知っていた。
暗黒界に名を馳せる巨大悪徳財団、ハルモニア製薬の実質的日本支部が、ずばりこの場所にある。
しかもいま現在、内部に璃乃の受け持ちの生徒二名が不当拉致されている真っ最中ときた。
なおかつ二名はクラスで同点一番の天才で。
もとい、全国模試で同点一番の天才で。
ついでに二名が二名とも身上書にビックリ仰天の特殊事情を抱えこんでいるが、それを考慮しても不当拉致には抗議すべき単純明快な理由があった。
うちの生徒になにしやがんだよオラァ。
つまりはそういうことである。
だが、理事長に厳しく釘をさされている。かあっと頭に血がのぼってもけしてこちらから先に手を出さないこと。けして正体を気取られぬこと。いちゃいちゃの年の差バカップルを演じて、徹底的にしらばっくれ続けること。
「どういったご用件でしょう」
朝の四時なのに目やにひとつこびりついていない。三日に一度しか顔を洗わない璃乃とはえらい違いだ。
「あー……その、なんだ。うちのばか息子がおたくさんの大学にはいりたいっつーから、ちょっくらどんなとこかいろいろ調査……あ、見学に。はははっ」
樹花は手のひらで額を押さえて、小さく「アホ」と罵った。
「ああ、そうでしたか。それはそれはわざわざごくろうさまです」
男はフロアにある来客用のテーブルに二人を招いた。終始ニコニコしているが、内心、けっとか思っているにちがいない。
すぐに緑茶をふたつと大学のカタログを手に戻ってきて、「ご質問があればなんなりと」と自分も席に着いた。
「ぶっちゃけここは、おたくの医学部の、なにやってるとこなわけよ」
日本語教師、日本語の使いかたが荒れている。
「はい、医科学研究所はもともと東京都内にございまして、当大学医学部の付属病院を併設しておりますが、ここは昨年そのなかの研究部のみが移管してまいりました。事務部門と、ゲノム解析等の共同プロジェクト部門はいまももとの場所にございます」
テーブルの上に組織図を広げる。ざっとながめてみたが医学専門用語だらけでなにがなんだかわからない。
「当施設はおもに感染症研究、癌研究、基礎医科学の研究を行っておりまして、このビルの五十六階から六十四階までを使わせていただいております。掲げる理念をご説明いたしますと……」
「ああ、もうその先はパンフ読むから省略したってください。で、さっき各階停止のエレベータに乗ったときボタンがこの階しかなかったんだけど、おたくらはなに、階段かなんかで行き来してんの」
男は「ああ」と言ってほほえんだ。
「ここではさまざまな細菌も取り扱いますから、職員には専用の内部エレベータがあるのですよ。機密事項もいちおうございますし、まあそういったもろもろの事情で一般の窓口はこの階一カ所に集約させていただいております」
「フーン」と璃乃は感心したようにうなずいた。いちおう、ねえ。
その機密事項のためにわざわざでっちあげたんだろうが。
「あーとな、おれ、じつは消防士なんだけどよ。おたくらちゃんと消防法に基づく火災予防措置とってっか? 非常階段とか。そこんとこしっかりしとかんと、おっかなくて愛するわが子をこんなとこにやれねえぜよ。バックドラフトとか、あんた観てる?」
隣の樹花が必死になにかをこらえている。目尻の吊りあげ角度から推測するに、調子に乗るなボケ、あたりが正解であろう。
男は(なんなんですか、あんたたち)という超迷惑そうな表情をちらりとのぞかせたが、すぐにプロの技で覆い隠して手のひらをあげた。
「もちろんです! 六十五階より上部の方々のためにも非常階段まで取り払うわけにはまいりません。わたくしはさいわい利用したことはございませんが、フロアの東と西に二カ所、非常用の出口がしっかりございます。ご安心ください」
「そっか。それをきいてほっとしたよ。あんがとさん。あんたもほら、タワーリング・インフェルノみてえなことがあったらエレベータなんて過信しねえで非常階段で逃げるんだな。いま聞いといてよかったと思うだろうぜ。あとでしっかり感謝しろよ。よっし、んじゃまあ、せっかくここまで来たんだから上で夜景でも観て帰るかあ、奥さん」
璃乃はどっこいしょと立ちあがった。樹花はからからに渇いた喉をティーバッグっぽい緑茶でずずっと湿らせたあと、あわててあとを追った。
男はぽかんとしてエレベータに消えた謎の夫婦を見送ると、管理責任者に報告するために内線の受話器をとった。
音声コードをくぐったアルド・リンカーンウッドの声が冷酷に、淡々と進行状況を告げていく。
『次は、脊髄視床路を切断するところだ。これできみが触れてもわからなくなる』
汗がポタリと白い床に落ちた。まったく沁みこむことなく、水滴は跳ねてころがる。
『どうした、サーティーン』
「すこし黙ってろよ!」と鉄人はいきり立った。焦燥はすでに頂点に達していた。拳をかたく握りしめすぎたため、アーチェリーで痛めた指の傷がぱっくりと開いて血が背中を伝っていた。
ノエルが凶弾に倒れたとき、鉄人は血にまみれたその手をとって自分の命を分け与えた。あのときと条件はだいぶちがう。鉄人とノエルのあいだには、力では破壊することのできない強固な壁が立ちふさがっている。
右手は腕ごと背中にまわされて拘束されている。やるとすれば神経伝達物質をフル回転させて、ノエルのラ・ダムネイションにシグナルを送るしかない。
だが焦れば焦るほど、鉄人は自分の無力さを思い知らされた。
どうしてうまくいかないんだ。
壁くらい難なく越えていけ。ラ・ダムネイションをたたき起こせ。
右手はたしかに不満を垂れ流している。シナプスが摩擦してスパークするのがわかる。だが、伝達路がどうしてもみつからない。
『視神経を、破壊するよ』
「やめろー!」
鉄人は床に額をついたまま激しく頭を振った。
『いま、処置をした。もう……遅いよ』
ノエルの蒼みがかった綺麗な瞳が、こんな暴力で壊されるなんて。自分のせいで永遠に失われた光。
もう、いやだ。
やめてくれ。
鉄人は荒く呼吸をして、必死に懇願した。
「無理だ。みんなおまえらの勝手な思いこみだ。ノエルんとこに連れてけよ、ノエルに触らしてくれよ、そしたらなんだってできるよ。たのむから、もう、やめて、やめてよ」
『ぼくは、いまある条件だけでやれと言ったはずだけどね。理解できなかったのかな。放棄するならそこでいつまでも悔やんでいるといい。予定された手順がすめばオペは終わる。ラ・ダムネイションはしばらくのあいだ、トゥエンティセブンの身体で保管されることになる。次のテストもあるのでね』
「もう、やめろ。やめろってば。人のすることじゃ、ねえよ。おれのためにノエルを破棄……するだなんて、ひどすぎる。テストだなんて、ウソだ。ただの人殺しじゃねえかよ、こんなの」
返ってきたのは嘲笑であった。
『きみに訊きたいことがある。13ラボの通路に残っていた大量の血痕。DNA鑑定の結果はきみのものだった。きみひとりが生きのびるためにいくつの命をかわりにしたんだい。答えられる、地獄からぬけぬけと帰ってきた殺人鬼のサーティーン』
「もうたくさんだ! 殺すのも、殺されるのも、人の命を弄ぶのも」
『じゃあ、そのままオペの終わるのを待っていろ』
音声スイッチが切られる音がした。見放されたのだ。
喉の奥からくぐもった呻きがもれた。息が苦しい。身をよじるほどの圧倒的な悔恨。必死に耐えてきた涙も我慢の限界だった。
「くっ……ぅ……うっ、うっ」
白い床に水たまりができていく。グレアム・クレイが見ていようがかまうものか。
鉄人は声をあげて泣いた。人は悔しいとき、悲しいとき、涙を流すのだ。そんな簡単なことすら忘れてしまった亡者たちのようにはなりたくなかった。
銀町絵麗亜は――言った。クレイがあんたのことをタロットの数字にたとえて死神と呼んだのかい、と。
そうして可笑しそうに肩をたたいたのだ。あの男、意味がわかって言ってんのかねえ。死神のカードは、死と生のふたつの意味を持つってことに。
死は再生に通じるのさ。カードの真の意味は受胎。あんたは命を生みだしていくんだ。
すばらしいじゃないか。誇りにするんだね。
テッド、弓ノ間鉄人、ラ・ムエルト。なにを失っても、名は生きている限りあんただけのものだ。歯を食いしばってでも持っていな。けして手を離すな。棄てるんじゃないよ。
「ラ・ムエルト」
もしかして。
大きなまちがいを犯していたのかもしれない。
とたんに頭が聡明になった。
鉄人は上体をぴったりと床につけて伏せた。足首を縛める金具がジャリと音をたてる。
ノエルを救済するエネルギーを、なにかの物質と勘違いして遮二無二送ってはだめだ。
テロメア。変異マクロファージ。セラフィム。要るものは物質としてのそれらじゃない。
瞳を閉じて精神を集中させる。筋肉弛緩。余分な力配分はいっさい排除する。
血液も動きを止めろ。すべてのエネルギーをおれによこせ。
まったく新たな試みを鉄人は開始した。
送るのではなく。
近づく。
肉体は細胞ごと置いていけ。セラフィムもだ。同行するのはラ・ムエルトだけでいい。
壁はない。距離すらもない。死神と劫罰が引きあう。
接近する。息づかいが聞こえる。そして――
手を、つなぐ。
「眠ったのか……?」
グレアム・クレイは怪訝な顔でモニタに顔を近づけた。
いましがたまで子どものように泣きじゃくっていたと思えば、目を閉じて床に寝そべってしまった。まるで生まれたばかりの赤子のようだ。
背中が規則正しく上下している。
「少しばかり、13にとっては過酷すぎましたでしょうか。これ以上続けても無駄のようですね。オペの中断命令を出しましょう」
アルドが受話器に手をのばすのを、クレイはとめた。
「いや、いい。予定通り終了させてくれ。13には六時にTPN(高カロリー輸液)を与えておけ。脱水症状を起こさせないように気をつけろ。七時半にスタッフミーティングを行う。きみもそれまで仮眠しておくといい」
「わかりました」とアルドは返事をしたが、眠っているひまなどあるわけがなかった。
執刀担当医のロジェ・ウィンドブラトはいま腱を切断したばかりの血のついたメスを手にふっと顔をあげた。
助手の医師たちも落ち着きなく周囲を見わたす。
「瞬停? こんな真冬に雷じゃあるまいし」
「原因不明の異様な電圧降下が断続的に発生しています。なかなか安定しません」
「ちっ、マウスの脳温に気をつけろよ。あんまモニタを過信しねーで、目で見とけ。制御が暴走するようだったら手動に切り替えてよし。ちゃんとそいつに息させとけよ、マジ死んじまうぞ。まっ、どーせ壊れかけだからそのへん適当でもどうってことないって」
医師にあるまじき暴言の数々を口にしたロジェはマウスに目を戻そうとして、硬直した。
手術台のわきにさっきまでは存在しなかった異質な人影がある。全裸の少年だ。
生きている者とはとうてい思えなかった。線はおぼろで、しかもわずかに輪郭が発光している。
ロジェは自分が幽霊を見ているのかと思った。
ぶるぶると頭を振ってみたが、少年は消えない。
瞳は無表情に、冷却ブランケットに包まれて横たわるトゥエンティセブンをとらえていた。
唇がかすかに動く。そして音もなく意味のある言葉をつぶやく。
ノ、エ、ル――と。
次の瞬間、ロジェとその場にいた全員が雷に撃たれたように昏倒した。
手が、つながった。ようやく届いた。
なんだ、こんなに簡単なことだったんだ。鉄人は頭で考えすぎた自分の失態にふっとほほえんだ。
「お待たせ。ラ・ダムネイション」
指がそっとのび、ノエルの血だらけの額にそっと触れた。
切断された神経のすべてが手に取るようにわかる。鉄人に医学の知識はあまりないが、生命をかたちづくる静と動は感覚で理解できた。額から顎、首、そして身体にかけて撫でながら、どこをどうすればいいのかをさぐっていく。
左手を握った。
「動かしてみろよ。おれの左手、貸してやる」
麻酔で縛られているはずの左手が空にもちあがる。
その手が口を覆っていた人工呼吸器を自らはずした。
「上出来。足も動かせるか。おれの足、使え」
寝相の悪い子どものように身をよじって、ブランケットを蹴った。
鉄人はノエルの上に倒れこんだ。ゆっくりと額と額をあわせる。
「ゆっくりでいい、目をあけてみろ。おれの目、やる」
ぼんやりと天井に向けたノエルの蒼みがかった瞳が、次第に焦点を結んでいく。
「体温、持ってけ。必要だろ」
ノエルの唇が動いた。
「テ……鉄、人」
「最後に、右手」と鉄人は言った。「ずっといっしょだ。おれはおまえ、おまえはおれ。ひとつの魂だろ」
13ラボに戻ったアルドはマウスを入れてあるガラスケースをのぞきこんだ。モニタで見たときとおなじポーズで眠っている。
目を外そうとして、ふと違和感を感じた。はっとして振り向く。凝視する。
息をしていない。
アルドは内線電話を乱暴につかんだ。
「ドクトル・クレイ! 緊急事態です、すぐラボに」
クレイが駆けつけるまでのあいだ、アルドはガラスケースを開けて鉄人を上向かせた。
なんということだろう。いったい、いつから。
なぜ。
「どうした!」
「自発呼吸、心臓拍動停止。ゼロです。いつからこのような状態なのかわかりません。瞳孔……散大」
クレイはぶるぶると白衣をふるわせた。
アルドは虚ろな声で報告を続けた。
「死亡しています」
クレイの怒号が飛んだ。
「すぐオペ室へ運べ! ラ・ムエルトを摘出する」
足首を固定していた金具が慌ただしく外され、鉄人はアルドに抱えあげられた。まだぬくもりが残っている。セラフィムを無事に回収できる確率は五分五分というところか。
まさか過度のストレス負荷が心停止を招いたわけでもあるまいが、それにしても予期せぬ事態だ。ナンバー12のケースと同じように、セラフィムが急激な拒絶反応でも示したというのか。
アルドはエレベータに乗り、唇をきつく噛みしめた。
サーティーンが離脱した。
宝物をうっかり深海に落としたような気分だった。
ひとつしかない手術室の回収廊下を走り抜けてドアを開ける。中では現在もナンバー27のオペが継続中のはずであった。
だがそこでは、新たな驚愕がアルドとクレイを待ちかまえていた。
床に横たわるオペ室スタッフたち。その中央に、薄い布を一枚まとっただけの少年がスッと立っていた。
少年はアルドの腕のなかの鉄人を確認すると、やさしくほほえんで左手を伸ばした。
「来たんだね、鉄人」
「トゥエンティ……セブン」
クレイがわなないた。
ノエルは眠る鉄人にゆっくりと語りかけた。
「鉄人、ぼくのこの身体は、ぼくのこの命は、鉄人のものだ。ぼくは二度も鉄人に命をもらった。ううん、鉄人、ぼくたちはおなじエデンから来たひとつの川だから――ふたつにわかれたけど、ぼくたちはもとはひとつだったから。
ラ・ダムネイションが言ってたよ。ずっと待ってたんだって。罰を与え続けながらずっとずっと。許す日を。ぼくたちが贖うのを。たくさんの人をわたり歩いて、そして、ぼくにたどりついたって。
ラ・ムエルトだってそうだ。きみだから選んだ。
いまなら、鉄人もわかるよね。ぼくたち、ずっと呼びあってた。きっと、たぶん、生まれるはるか前から。もしかしたら、どこかもうひとつの世界で約束したのかもしれない。
鉄人……ありがとう。ぼくはもう大丈夫。塵になったりしない。いつまでも鉄人といっしょだ。ぼくはきみ、きみは、ぼくだから。だからもう心配しないで」
一歩前に踏みだしたノエルに、クレイが短銃を向けた。
「化け物め。あいにくだが、サーティーンは死んだ。おまえも地獄へ送ってやる」
だが、指は凍りついたかのように動かない。
「くそ、なぜだ」
「ぼくがあなたの運動ニューロンをコントロールしたからだ。いま鉄人がやりかたを教えてくれた」
クレイは吃驚として目を剥いた。
ノエルは音もなくアルドに近寄った。
「ドクター・リンカーンウッド。鉄人の身体を返してください」
薄衣がさらりと揺れた。両手を差し伸べたのだ。
硬直するアルドの腕からノエルは鉄人を引きはがした。右手がだらりと力なく垂れる。
呼吸をしていない。鼓動も届かない。ただの魂の抜け殻だ。
しかし、ノエルはうっすらとほほえんだ。
「やっと、会えた」
クレイとアルドは眼を瞑った。その一瞬になにが起こったのか、わかるはずがなかった。
まばゆい光が手術室を満たす。光は壁をやすやすと透過し、上空へ、水平方向へ、地上へと拡散した。
「永遠なる許しの刻がきたよ、鉄人」
生命が地上をうるおしていく。
ノエルの招く声に導かれ、鉄人が生命の種を蒔いていく。
罪の贖いを終えた者に、赦しを。
死にゆく者に再生を。
「起きて、鉄人」
鉄人は静かに目をあけた。
「ノエル」
「うん」
「……よかった」
ノエルは鉄人の右手を左でとって、「こっちのセリフ」と笑った。
鉄人をそっと床に下ろす。ふらりとよろめいたが、ノエルが支えていたのでなんとか立てた。
「さて」と鉄人。「逃げるか」
「うん。でもけっこうヤバイかもその格好。ぼくはまだましだけど」
「そういうときは、ちょっくら拝借」
鉄人はひっくり返っているロジェから白衣をひっぺがすと、とりあえず羽織ってみた。黄色いスマイルバッジがついている。全裸に白衣一枚なんて霧流が見たら萌えすぎて、三百回くらい余裕で卒倒だろう。
ノエルも鉄人にならって意識不明者軍団からいろいろとぶんどった。
「逃げられるとでも……思っているのかね」
グレアム・クレイが威嚇した。手には短銃を握ったままである。痺れが緩和されるまでたっぷり十分はかかるだろうとノエルは思った。
「逃げられると思っていますがそれがなにか」
さっきまで死んでいたとは思えない鉄人の痛烈な一撃であった。
ノ、アイ、ドス、シン、トレス(二度あることは三度ある)。だが三個目の棺桶もサイズがあわなかったとあればこれはもうあの世に見放されているとしか言いようがない。お次はもう、じじいになるまでまっぴらごめんだ。
「ああ、うーん……じじいか。なれればの話だけどな」
鉄人は微妙な独り言をつぶやいた。
ノエルは「急ごう」と言って先に手術室を飛び出した。
麻痺したように動かない足を無理に動かして、アルドが内線電話をつかんだ。
「マウス二匹が逃げだした。なんとしてでも捕獲するんだ。逃がすな。痛めつけてもかまわない。すべての出口を封鎖しろ」
激怒の表情を顔じゅうにはりつけて、クレイはようやく銃を投げ捨てた。
絞りだすように毒を含んだ言葉を紡ぐ。
「アルド、やつらを上に追いつめる。そう……屋上だ。ヘリが用意してある。パイロットに発進準備を伝えろ」
「キャンプ座間に連れていきますか」
「貴重なセラフィムを回収するのに最適な舞台がある。上空五千メートル。ふたりとも同時に切り刻んでやる。麻酔を準備する必要はない。それとも、七十階から仲良くダイブしてもらうほうが手っ取り早くてよいと思うかね。臓器と肉片の海から大事なものを拾う勇気がきみにあればそうしてくれても結構だよ、ドクトル・アルド。ハ、ハ、ハ」
2006-02-21
