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ラ・ダムネイション-断崖のインビジブル・ハンド2

 鉄人にとって両親とは、生命と名前をくれた人である。そこから先の情報は手元にはないし、いまの鉄人には必要ない。恨みだとか恋しさだとか、そういう特別な感情を持っているわけでもない。胎内にいるうちに殺されなかったのはありがたいとは思うが。
 自分たちの生活を最優先するために我が子を手離したという話は実体がなく、ひどく曖昧で、信じる信じないを熟考する前に鉄人はそれを人生における重要度ランキングからさっさとはじきだした。顔も知らない両親に思いを馳せろというのはどだい無理な注文である。
 だからノエルが父親と対峙する決意をかためたことを知っても、その思いがどれほどのものなのかを計りかねた。
 ノエルは良くも悪くも頑固者で、それと決めたらほかのことはいっさい見えなくなる。父親との確執も、なんとかして決着をつけなくてはならないと意地を張っているだけではないのか。
 無理をして接触することはないと、鉄人はさりげなく言ってみた。
「鉄人はさ、実のお父さんのことをどう思ってるの」
 オウム返しに訊かれ、鉄人はとまどった。
「どうって……いやおれ、そもそも親のこと憶えてないから」
「ラボには、遺伝情報に関する資料がある」
「えっ」
 それは不意にやってきた誘惑だった。知らなければ知らないままでまったく構わないのに、事実を手に入れるすべがまだあるということは、鉄人を激しく動揺させた。
「遺伝学的情報がなくてはリスク評価がうまくできないから、マウスとしての適性試験でたいがい落とされる。鉄人の両親のデータもちゃんと残っていると思う。少なくともほかのケースよりは厳重管理でね」
「だから、どうだってのさ。ラボに戻ればわかるぞってか」
「情報だけなら手にはいるんじゃないの」とノエルは言った。「けど、感情は情報じゃあない。文書やデータとちがって、形のないものだ。情報を得たからって、鉄人のお父さんへの思いがそうそう変わるとも思えない」
 鉄人はなんだか狐につままれたような気分で「そりゃそうかもしんないけど」とうなずいてしまった。ノエルはすかさずそこを衝いた。
「おんなじだよ、鉄人。ぼくが戦うのは、あくまでもハルモニア製薬幹部研究員のドクトル・ポラリス。あの人が敵という情報があったから、戦う。父親への個人的感情は障害にならない」
 そこが鉄人には不満なのだ。感情と計算をきちんと分けるなんて芸当は鉄人にはできない。やはりノエルの言いぶんは頑固者の屁理屈にしか聞こえない。
 鉄人はオレンジ色の分厚い毛布をぎゅっと握って、ためらいがちに反論した。
「でもよ、ノエル……おれは、まちがってるのはおまえだと思うな」
 議論になるとノエルのほうが上手なことは認める。こうなったら玉砕覚悟だ。
「まちがってるって、どういうこと」
 敵も攻撃モードにはいった。声にトゲトゲしいものが混じる。
 自分では説得力のまるでないことは承知の上で、鉄人は言った。
「だって、親父さんじゃねえ? 戦う、戦うって簡単に言うけどよ、テトリスじゃないんだから。殺るか殺られるかっていう究極の駆け引き、本気で親子でする気なのか。ゲーム・オーバーならまちがいなく、どっちかがいなくなっちまうんだぞ」
「そうだよ。なにかいけないことでもある」
 ノエルは開き直ったようにきっぱりと言いきった。
 鉄人は敗北感を覚えてため息をついた。
「人の決めたことにいいも悪いもいうつもり、ねえよ。けどさ、おれ……見たくねえよ、そんなの」
 段ボールに右頬を押しつけて、もごもごと言う。
 ノエルは次の言葉を用意していた口を閉じた。
 少しの沈黙のあと、ノエルはほほえんだ。
「鉄人はやさしいんだね」
「……おれ、臆病なだけなのかも」
「ううん。鉄人はだれにも負けない勇気があるよ。それから、すごい武器を持ってる。鉄人はぜったいに負けない。そういう気がする」
 鉄人はぷっと吹きだした。
「なーにいってんだか」
「ほんとだよ」
「今夜のおまえ、やっぱどっかおかしいぜ。あー、寝よ寝よ。な、ハーの歯ぎしり、けっこう強烈だろ。寮出て正解だったな、ったくよ」
「うん。でもざんねんだけどもうほとんど寝る時間なさそう」
「寝不足でラスボスとご対面だ。ウルトラ・ハイになれるぜ。スゲエな」
 ノエルはケラケラと笑って、あわてて口をおさえた。声が高すぎたかもしれない。
「ねえ、鉄人」
「ん?」
「ぼくはね、父さんを尊敬していて、やっぱりね、だいすきなんだ。うん、いまでも。だから、逃げているだけじゃだめだって……やっと決意することができたんだ」
 ノエルの大きい瞳はどこを見ているのだろう。鉄人はふとそう思った。ひたすらで、ひとつも揺らいではいない。
「鉄人にだって心のなかにだいじなものがあるよね。それから目を反らすことがどんなにつらいか、わかるよね。だったら、お願い、もうなにもいわないで」
 鉄人はちょっとだけ考えてから、「わかったよ。おまえにまかせる」とうなずいた。
 ノエルも毛布にもぐりこみ、身体を猫のように丸めた。
「鉄人」
「……」
「もしどちらかが先に倒れても、前に進むって約束しようよ」
「……そうだな」
「でもふたりともだめだったら……ずっと友だちでいてくれる」
「ぷっ、なんだよ、それ。へんなの」
「へんかな」
「いいんじゃねえの」と鉄人は言った。「ずっといっしょってのも、悪かない」
 ノエルは小指を毛布からちらちらとのぞかせて子どものように歌いだした。
「クロス、マイハート、アンドホープ、トゥダーイ、スティックアニードル、イン、マイ、アイ」
 ゆびきりげんまん。
「ガキ」
 小指と小指が、からめられた。
 生命と生命のないしょ話。ふたりだけの小さな契約。
 それすらも人ならぬ力の導きであったことを、鉄人はあとになって知ることとなる。

 突きつけられた言葉を、ノエルはぼんやりと反芻した。
 ”アディオス・アミーゴ(さよなら、友だち)”
 それは決定的な別れの言葉にほかならない。アスタ・ルエゴ(またね)じゃないんだね、スノウ。
 焦点のさだまらない目で必死にスノウの姿を求めた。きっと泣きべそと恐怖のいりまじった、怖い顔をしているにちがいない。争いごとをなによりも嫌う彼をそこまで怒らせたのだから、許してはもらえないだろう。
 だが、狭められる視界に飛びこんできたのはまったく別の人物だった。
 彼が自分になにをしようとしているのか、考える必要はなかった。そのために重要な研究を一時中断してまで、日本行きの飛行機に乗ったのだろうから。
 銀町の言ったように、彼は息子が逃げのびてくれることを願っていたのかもしれない。
 その好意すらも無にし、非難の言葉をぶつけたのはノエルだ。
 だから、罰が下されたのだ―――――
 どちらが相応しいのだろう。セラフィムに殺されるのと、父親に殺されるのと。
 いずれにしても、もはや自分に選択権はない。すべては終わったのだ。
 射抜かれた胸はほんの少しのあいだ絶望的な苦痛を訴えたあと、感覚を手放した。
 鉄人が機転を利かして、ぼくの頭部を粉々に砕いてくれればいいのにと思った。
 きみが選んで。もうぼくはなにも考えられない。
 世界が遠のいていく。
 明るさが。音が。映像が。父の背が―――――背?
(庇ってる……んだ)
 父が駆け寄ったのは息子を切り刻むためではなく、守るためだったのだ。
 頬を涙がつたった。
 感覚は左手から戻ってきた。痙攣しているのがわかった。はっきりとした最初の知覚は熱だった。
 それから揺り動かされるような激しい息づかいを感じ、なにかが流れこんできた。それはエネルギーの奔流だった。逆行してほとばしるものもある。外へ向かおうとするラ・ダムネイションの吐息だ。
 磁力線を描くように光のベクトルがあらわれた。暴力的なまでのまばゆさに覆われても目を閉じることができない。さまざまな波長の光が錯乱したように躍る。スペクトルをかたちづくる秩序などどこにもない。
 ラ・ダムネイションが発動した。
 ノエルは直感した。
 それならば、いま自分の身体は分解されて塵になっていく最中だろうか。
 いや、どうも様子がおかしい。
 予定外の現象だ。その証拠に身体に力がみなぎっていく。撃たれた痛みはもうなかった。手も身体も自由に動く。
 左手を見た。
 誰かが握っていた。
「テッ……ド……」
 約束を交わしたはずの手が、置いていけないと握りしめていた。
 ゆっくりと友の顔を見、ノエルは恐怖に凍りついた。
「もういい、もう……やめろ、やめてくれ、鉄人!」
 絶叫とともに光が分断され、はじけた。拒絶されたラ・ムエルトの光は急速に収縮し、霧散した。
 支えが消滅した衝撃でノエルのラ・ダムネイションは制御を失った。
 轟音というよりも、それは悪魔の咆哮に近かった。ノエル自身もなにが起きたのかとっさに把握しかねた。
 とてつもなく膨張したエネルギーがノエルを中心に解き放たれた。それは人間を含めた周囲の物質を容赦なくなぎ払った。
 鉄人の身体がぐらりと傾ぎ、ノエルに倒れこんできた。
 ラ・ムエルトが本来、鉄人自身を守るために行うことを、鉄人は咄嗟にノエルに対して試みたのだろう。だがそれがなにを意味するか。ノエルは理解するまいと必死に首を振った。
「テ、鉄人、テッド、テッド……」
 鉄人は腕の中で動かない。
 天井が崩れてきた。ハッとして周囲を見渡す。そこは瓦礫の山。ラボのスタッフがいたあたりには大穴があき、地下一階から地下三階までのまでのみごとな吹き抜けと化していた。
 璃乃と魚太がかなり離れた場所で血相を変えて怒鳴っているのが見えた。かろうじて巻きこまずに済んだらしい。
 だが、父は。スノウは。27ラボの人たちは。
 鉄人は。
 ノエルはがたがたとふるえた。
 ラ・ダムネイション。
 いったい、なにをした?

 最初の銃声が聞こえたすぐあと、遙兵はゲートを飛びだそうとして教師たちに羽交い締めにされた。
「猛地、ああもう言わんこっちゃない! 待機しろとあれだけ注意されたろうに」
 イライラとわめく樹花の顔も蒼白だった。同行した璃乃が心配である。四人のなかでは(いちおう)唯一の一般人だからだ。
 遙兵は拘束されながらもわんわんと吠えた。
「だからってマジ発砲事件に展開してるじゃんかよ! テツがキンケリできるやつならいいけどよ、あいつ、あいつだめなんだよ! だいじょうぶだだいじょうぶだって言い張ってカッコばっかつけてっけどよぉ、いざってときあいつ、甘すぎンだよ。手加減しちまうんだよ。だからやっぱ、くそ、はなせ! おれ、行く!」
 言い終わらないうちにさらに二発、銃声が轟いた。
 生徒たちは総立ちとなった。
 ただひとり駆けだしたのは1年1組の委員長、燕霧流だった。数名の教師が血相を変えて立ちはだかったが、小柄な身体でかるがると払いのけた。ラグビーのナンバーエイトが奪取したボールを手に、インゴールめがけてつぎつぎと相手チームのタックルをかわすのにも似ていた。
「冷静に!」
 銀町が制止したのと、飛行機でも墜ちたかというような轟音が同時だった。
 空気がびりびりと振動した。
 ゲート近くまで迫っていた霧流も、ぴたりと足を止め天井を見あげた。
「爆発?」
 地の底から響いてくるような不気味なざわめきが続いた。壁がみしりといやな音をたてる。
 さすがの銀町も言葉を失った。
 次の瞬間、耳をつんざくような絶叫が聞こえた。
 いや、絶叫に思えただけだった。眠っていたラ・ダムネイションが揺り起こされ、解放を歓ぶ雄叫びをあげたのだと気づいた者は誰ひとりとしていなかった。
 建物がごん、ごんと揺れた。直下型の地震が襲ってきたような感じだった。
「みんな、その場に伏せな!」
 銀町の声に反応して、フロアがドオンと鳴った。生徒たちの悲鳴がわんわんと大ホールにこだまする。あまりの恐怖に号泣する者もいた。
「テツ、ノエルゥーー!」
 狂ったように名を叫んだのは遙兵である。足をしっかりと踏ん張って、座りこむのを必死にこらえている。
 そのとき、ピーピーピーという甲高い電子音が鳴った。
「来たよ!」
 鉄人に持たせた近距離用呼び出しベルである。
 機械室で合図を受け取った舵狸男が隔壁解除命令を打ちこんだ。
 遙兵と霧流は、我慢の限界をとっくの昔に超えていた。
「シグ、ヘル、上に突撃だ!」
 時雨努と経夢人、さらには経夢人の父親までが立ちあがった。
「燕組も暴れるよ!」
 霧流も編駝麓と瀬音香を呼びつけて、ぱらぱらとコンクリートのかけらが降ってくる通路へ飛びだしていった。
 銀町があらん限りの声を振り絞って命令した。
「六十秒だ! 六十秒のうちに魁と弓ノ間、ほか二名を救出するよ!」
 二挺のマシンガンを両肩にかつぎ、刺繍入りスカートをけっ飛ばしながら霧流のあとを追っていく。
 腰を抜かしていた者も泣いていた者も気を取り直し、理事長に続いて我先にと狭いゲートに押し寄せた。

 鉄人の手から弾き飛ばされ、足元までころがってきた近距離用呼び出しベルをグレアム・クレイは踵で踏みつけて粉々に破壊した。ベルはその直前に衝撃でスイッチがはいり、短い信号を発した。
 クレイの周囲は武装した集団で固められていた。みなハルモニア製薬とつながりを持つ、実戦のプロたちであった。感情をあらわすことを美徳としない彼らでさえ、目前で起こったできごとに信じられないという顔をしていた。
 クレイは色素の薄い瞳で一連の事態を凝視していた。戯れと罰のつもりで配置した27ラボの愚か者たちが、思わぬ成果をあげてくれたらしい。
 それにしても。
 戦慄と興奮がクレイを悪鬼の如く嗤わせた。
 瀕死のナンバー27を蘇らせたラ・ムエルト。
 そしておそらくはラ・ムエルトに触発され、本来の力を見せつけたラ・ダムネイション。
 人的影響力のみならず、物理的破壊も引き起こしたとは。
 想像以上の、いや、科学などではとうてい語ることのできぬ、世の摂理を根本から無視した恐るべき干渉だ。
 これぞ、増えすぎた人類がいまもっとも必要とする究極のパラダイムシフト。
 もはやセラフィムは単なる人工ニューロンなどではない。ヒトを旧人類と選ばれし者に分ける、最終兵器。
「……すばらしい」
 鉄人をしっかりと抱いたノエルがクレイに気づき、顔をあげた。衣服も顔も血まみれだが、さっきまであった致命的な銃創は認められない。上目遣いにきっとクレイを睨んでくる。
「サーティーンをたすけたいかね」
 ノエルはぎりっと歯を噛んだ。
「こちらへおいで、トゥエンティセブン」
 おごそかに、だが拒絶をけして許さぬ口調でうながす。
「近づくな」
 ノエルはスッと左手をかざした。
「いま気づいた。ぼくにあるこの力。死にたくなかったら、それ以上ぼくらに近づくな」
「ほう」とクレイは笑んだ。「わたしもきみが覚醒してくれたようで嬉しいよ。できそこないからずいぶんと昇格したものだ。だが、サーティーンの助力なしではそれも不可能だったろうがね」
 ノエルはギクリと身を強張らせた。
「全知全能のセラフィムとて無から有は得られまい。サーティーンも馬鹿なことをしたものだ。せっかく供給源が目の前に何人もいたのに、それらを利用することも考えられなかったとはね。天才とはいえ、子どもは子どもだな」
「ヒトを材料のように扱えるのはあんただけだよ!」
 クレイはクックッと嫌味な音をもらした。言いはなったノエルも、自分の矛盾にいたたまれなくなって目を反らす。
「さて、トゥエンティセブン、訊こうじゃないか。きみは死から逃れた代償をなにで支払うつもりなのかね」
 抱きしめる腕に力をこめたが、反応は返ってこない。唇は真っ青で、まるで息をしていないようだ。ノエルは悪い予感にわなないた。
 小さく、問う。
「……クレイ博士、優秀な医者のあなたなら、鉄人を救えるよね」
「救うという定義がどのあたりにあるのかわからんが、命をという意味なら少なくともきみよりはうまくやれるだろう」
 ノエルはかすかにうつむき、鉄人の髪の毛に唇をおしつけた。
 鉄人。
 ごめん。許してね。
 そっと左手を下ろし、背後にのばす。親指の付け根が安全ピンでとめたマスコットのお守りに触れた。その下に拳銃が落ちているのを、ノエルは知っていた。
 手触りを確かめ、しっかりと握る。
 鉄人を身体にもたれかけさせたままま、力いっぱいスライドを引いた。カチャリという音をたててチェンバーに弾丸が送りこまれた。
 銃口をおしあてる。
 鉄人の側頭部に。
 クレイから嗤いが消えた。
「どういうつもりかね、トゥエンティセブン」
 ノエルは凛として言った。
「ぼくは鉄人と誓った。二度とラボには帰らない。鉄人と約束した。おまえの手に渡るくらいなら、セラフィムは破壊するって。どうしてもダメだったら、お互いに頭を撃ち抜こうって、約束したんだ。グレアム・クレイ、おまえなんかには屈しない」
 クレイの顔が歪んだ。
 ノエルの指がぴくりと動く。
「魁くん、やめろ!」
「チ、気ィ狂ってやがる、ハッタリじゃなかったのかよォ、魁ぇ!」
 武装集団の威嚇のなかでは、魚太と璃乃もただ叫ぶしかなかった。
 ノエルは決意した。
 悲壮だろうがなんだろうが。気が狂っていようが。
 鉄人を先に送り、その後、自分を処分する。
 結末は至極単純だ。
 難しいことなどなにもない。
 二度、引き金を引く。それだけのことだ。
 少なくともラ・ムエルトとラ・ダムネイションはもう誰も脅かさない。
「ずっといっしょだ」
 Cross my heart and hope to die, stick a needle in my eye.
 最後に鉄人の耳元でゆびきりげんまんをもういちどだけつぶやいて、ノエルは左手に力をこめた。


2006-02-10