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インビジブル・ハンドvs暗黒外科医【中編】

 銀町絵麗亜がその少年に出会ったのは、自由連合州プエルトリコのアメリカ南方軍基地、フォート・ブキャナンの沖を航行中のニミッツ級航空母艦、ジョン・C・ステニスの艦上だった。
 原子炉を搭載した巨大軍艦は、輸送機の離陸準備に余念がなかった。カタパルト要員が忙しなく動きまわるのを、銀町は艦橋から物珍しげにながめていた。ひとりだけ民間人であることがわかる服装をし、そのくせに堂々とした態度で腕などを組んでいる。
 艦隊の責任者、グレン・G・キシダンチョ大将は金線を幾重もぐるぐる巻きにした士官服の袖で汗をぬぐった。いつもどっしりと構えているこの男にしてはめずらしく冷静さを欠いている。それもそのはず、彼はいま遵守すべきアメリカ海軍の軍律に個人的理由で背こうとしているのだ。
 グレンに与えられた役目は、フロリダまで輸送機を飛ばすこと。ただそれだけである。
 通常任務の一環であり、なにも問題はない。
 乗員名簿に記載されない民間人二名をひそかに運ぶことなど、造作もないことだ。
 プエルトリコ本島北側にあるハルモニア製薬の研究施設で労働者たちによる大規模な暴動が起こったことは、発生から六時間を経過した今でも国内外にはまったく伝えられていなかった。
 情報の隠蔽を手助けしたのは国家や軍、そして暗黒社会の、それもかなりの上部に属する人間たちであった。これだけでも驚愕に値するできごとである。グレンはあらためてハルモニア製薬が隠し持った秘密の重大さに慄然とした。
 暴動の数分前、ハルモニア製薬の使用するネットワークに大規模なサイバー攻撃が行われた事実をフォースセンターが記録していた。攻撃犯の所在は世界数十カ国にわたり、相互になにも関連性のない何万という数の個人ハッカーたちと考えられた。目的も、経緯すらも特定できていない。不可解きわまりない事件である。
 ネットワークがダウンした六十秒のあいだに、最初の発砲があった。沈黙した最新鋭セキュリティシステムが、重要エリアへの敵の侵入を許したのである。侵入者はおそらく用意周到にそのタイミングを計っていたにちがいない。
 グレンは一連の事件について、軍幹部も知り得ない正確な情報を持っていた。
 暴動を先導したのはハルモニア製薬の幹部職員、エドガーとブランドという血気盛んな青年医師二名と、体制に反発する研究員たちである。彼らは日本のエレノア・銀町や各国の知識人、アウトサイダーと結びつき、ハルモニア製薬の手がける恐るべきプロジェクトを糾弾する機会を狙っていたのだ。グレン自身も、その計画に関わったひとりである。
 だが、暴動は流血の惨事となった。
 エドガーたちからの連絡は途絶えたままであった。いったい施設内部でどれほどの人数が犠牲になったのか。想像するだけでグレンは胸が悪くなった。
 救出目標とされた人間のリストは十四歳から二十六歳までの男女、計二十七名。そのうちプエルトリコ沖に待機する銀町のもとに届けられたのは最年少とみられるひとりの少年だけであった。残る二十六名の所在はわかっていないが、おそらくは絶望的だろう。
 作戦は失敗だ。グレンは落胆した。
 成果が最小にして、最大の損失をこうむった。
 だが、銀町は泰然として言いはなった。
「なにをいってるんだい、グレン。今日、世界でどれだけの人間がこの難しい問題のために動いたと思ってる。六十秒の沈黙をつくったのは、人が起こした奇蹟だよ。医者たちの勇気ひとつひとつが、奇蹟なんだよ。貴艦ジョニー・レブ(ジョン・C・ステニスの愛称)が動いてくれたのも、奇蹟じゃないのかい? 星の数ほどの奇蹟がかさなったから、この子を救えたんじゃないか。ちがうかい」
 少年は顔もあげなかった。保護されたとき身につけていたライトブルーのペイシャンツ・ガウンはおびただしい血に汚れ、裂けたり穴のあいたりした箇所から素肌がのぞいていた。見かねた士官のひとりが自分のジャケットを羽織らせ、その上から毛布をかぶせてやったが、少年はいつまでも溺れた小犬のようにぶるぶるとふるえていた。
 毛布の端からちょこんとのぞく素足は薄汚れてはいたが、傷ひとつ見あたらない。
 着衣があれだけ悲惨なことになる状況におかれながら、本人は無傷というのがグレンには腑に落ちなかった。
 まるで蜂の巣にされた遺体から剥ぎ取って身につけたような、そんな感じだった。
 グレンの疑惑を去なすかのように銀町がつぶやいた言葉が、いつまでも耳から離れない。
「あの世を覗きこんだショックってのは相当キツいみたいだね。かわいそうに、この子にはなんの罪もないのにねえ……」
 そしてふるえる背中にやさしく手をおき、この子が笑顔を見せてくれることが次の奇蹟になるといいね、と言った。
 輸送機の離陸時間が近づいていた。

「テツ! 皆殺しってどーいうことだよ!」
 鉄人は携帯電話を潰れそうなほどきつく握りしめ、「どうもこうもあっか。史上稀に見る糞ジョークだ」と吐き出した。
 毒ガス攻撃の部分だけをかいつまんで説明すると、銀町は呆れはてたように天を仰いだ。
「ああ、そういやあいつは昔からカタルシスってのが大好きな男だったよ。しかしまあ、やるとなったらクレイは本気でやるだろう」
「先生はあの医者とどういったご関係ですか」
 鉄人はずけずけと訊いた。口調にトゲが含まれている。
「弟子ってとこかね」
「はあ?……デシ?」
「ちょっとした縁で経営戦略を教えてやったことがあってね。あんたらが生まれる前の話さ」
「そりゃまた、えらいこと大昔で」
 皮肉を口にできるくらいなら、心配することはあるまい。銀町はほっとして鉄人をぽんと叩いた。
「さて、どうする、ブレイン。皆殺しってのはぞっとしないね。さいわい時間はたっぷりいただけるようだし、少し作戦を練ってみるかい」
「そうだな、とりあえず……ノエル」
 名前を呼ばれてノエルは「なに?」と言った。
「トイレ、いかねえ?」
「……は?」
「便所。セルビシオ。連れション。つきあえ」
「でもぼく、まだ、そんなに……って鉄人、いたい、いたいって!」
 ずるずると引きずられてノエルは男子トイレに消えていった。

 トイレの外ドアには鍵がなかったので、掃除用具入れを引っかき回し『清掃中・しばらくお待ちください』の札を見つけると、鉄人はドアのフックにぶら下げた。ついでにモップやらバケツやら、ありとあらゆる障害物を内側に立てかけた。
 奥のエリアに左右向かい合わせに三つずつ並ぶ個室のドアもすべて開けて目隠しをし、いちばん奥の個室にノエルを連れこんで鍵をかける。
「どう考えても……連れしょんって雰囲気じゃないよね」
「でまかせにきまってんだろ」
「あからさまだったけど」
「そのほうが都合がいい」
「で、なんの話?」
 ノエルは腕組みをしてドアに背をもたれかけさせた。鉄人は洋式便座の蓋に腰掛けた。
「いまここで、おれのセラフィムの特性ってやつを確かめたい」
 ノエルは頬の肉をわずかに上にあげた。
「ぼくで実験してみる?」
「ばか。ただでさえおまえのテロメアは残り少ないのにンな危険なことができるか。やるのは、記憶回路のサーチだ。過去にあったことを引っ張りだしてみる」
「過去……?」
 ノエルは訝しんだ。
「あの医者に言われて気がついた。おれ、自分でも認識してなかったけど、セラフィムに関するなにかを無意識に狭窄させようとしたらしい。だから、そいつを思いださせるような刺激を外部から与えられるたびに、頭んなかが抵抗していろいろと妙なことになるみたいだ」
「理解したくない、って気持ちが記憶に干渉してるってこと」
「それがわからないから、これから確かめてみる」
 ノエルはうなずいて言った。「ヒプノアナリシスだね」
「そういうこと」
 鉄人は背中を伸ばして、目を閉じた。だが、すぐにまた開ける。
「ノエル、おまえに立ち会ってもらうのは確認のためだけじゃない。もしも失敗したり、その……暴走しかけたりしたときは、どういう手段でもいいからすぐに止めてほしいんだけど」
 ノエルはごくりと喉を鳴らして言った。
「どういう手段でも?」
「どういう手段でも」
「鉄人……それ、意味わかっていってるよね。ぼくはこう見えても容赦はしないよ」
「ったりめーだ。手加減されてたまるか。おまえ以外に頼めっかよ、こんなこと」
 ノエルは怒ったような顔をした。
「クレイ博士より鉄人のほうがよっぽど知能犯だ。あとでおぼえてろ」
「そういう役目だと思って諦めろよな。んじゃ、やるぞ」
「ゆっくりね」
 ふたたび目を閉じる。息を吐き、過去の記憶へ向かって、手をのばしていく。
 重なりあう膨大な量の記憶。そのほとんどはいまの自分には関係のない、単なる書類の束だ。必要のないものは押しのける。
 目的地はハルモニア製薬プエルトリコ研究施設。
 ふいにあらわれたものはカリブ海の蒼色。巨大な軍艦。輸送ヘリの爆音。ちがう、ここではない、肝心なところはもう少し前だ。軌道修正。
 ―――――壁に囲まれた窓のない閉鎖空間。
 消毒用アルコールの臭いが鼻をつく。もう腕を曲げるのもつらい。だめだよ、注射しすぎだってーのに。薬なんかいらねーよ。ちゃんと眠るったら。いうこと聞くからやめろよ。
 がまんするから。もう暴れたりしないから。だから拘束ベルトを外してくれよ。
 朝だって。そんな単語を使わずに時刻で教えてくれればいいのに。陽の光と縁を切られたら朝も昼も夜も変わりないんだから。
 英語とスペイン語の文字がぎっしりつまった本。これもラボに持ちこまれるときに消毒ルームを経由してくるんだよなあとぼんやり考える。なんのための消毒だろう。ウィルスを持ちこまないため。それとも希望やくだらない夢を持ちこまないため。
 一字一句まったくアレンジせずに脳内に記録して、ある程度時間を置いてから引っ張りだしてくるというテストらしい。ばかばかしいことこの上ない。
 毎日まったく変化のない内容とカロリーの昼食、いや、栄養摂取の後、午後はゲームが次々に映しだされるモニタの前に座らせられる。なにも考えずにクリアしろなんて、矛盾してるよな。命令だからしかたがないけど。
 壊れそうな勢いでキーを叩く。こんなの簡単だ。なんでこんな試験に意味があるんだ。
 ああ、そうか。意味なんて必要ない。意味なんて考えなくていい。
 意味を理解することは求められていない。
 考えることをやめたほうが自分のためだ。
 わかったよ。じゃあもう、やめる。遠回りはしない。
 ナンバー13。そう呼ばれたら返事もできる。苦痛でもなんでもない。
 どんどん流しこまれる薬のなかに、都合のよくない思考を制御する薬も混じってるのかな。
 あとは、あいつ……アルド・リンカーンウッドさえいなくなってくれたらいい。
 あいつ、きらいだ。
 せっかく努力しているのに、完璧になれないところを嫌みったらしくついてくる。
 監視カメラの向こうにあの男がいるというのに。そうだ、見ているにちがいないんだ。リンカーンウッドがおれを貶めるのを、じっと。おれが辱められるのを、おれが敗北するのを、おれがヒトの尊厳を手放すのを。
 あ、き、ら、め、ろ
 きしきしと音をたてて、歪みが生じていく。それは危険な兆候。
 わざと挑発しているのか。
 だが、なんのため? 試験のスコアはほぼパーフェクトで期待どおりのはずだ。
 あの男はまだ満足していない。おれに次の段階のなにかを求めている。そうとしか考えられない。
 フラットであるべき精神が歪んでいく。ズレはどんどん大きくなる。このままでは修復できなくなるじゃないか。せっかく、せっかく諦めようとしているのに。
 ナンバー13でいい。
 死んだまま生きてったっていい。
 だから誰かリンカーンウッドを、そこで動いている監視カメラを壊して。
 そのあとおれをバラバラに壊して。誰か。誰か。だれか。
 ―――――軌道修正。分岐を見まちがってはいけない。呼吸。
 なんだ、こりゃ。
 ヒヨコでも孵せってか?
 かごいっぱいに詰められた真っ白い生卵。柔和な目をした老いた医師が、割ってみなさい、と言う。
 不眠の頻度が増えてきたからだ。治療のために一時的につけられた、精神面担当の医師。ほかのスタッフとはあきらかにちがうその態度に、おれは戸惑う。
 なにがびっくりしたかといって、あのじじい。
 ”テッド”……だって?
 それは、13ラボ内ではタブーなんじゃないのか。あとでなんかいわれても、しらねえぞ。
 それともモウロクしてるんだろうか。まあおかげでリンカーンウッドがつきまとうことも少しは減ったので、おれにとっては願ってもみない幸運だったけれど。
 それにしてもこれはどういうことだ。右手だけの卵割りだって。
 いつものばかばかしいカリキュラムに輪をかけてばかばかしい。
 もちろん原理は存在する。ちょっと考えればわかる程度の。でもそれをきちんと実践するには練習という段階を踏まなくてはいけない。理屈だけではだめだ。大事なのは右手の運動ニューロン。それと、一生懸命になること。
 いままでだって一生懸命にやってきた。でも、その一生懸命とは本質的にちがう。
 老医師は検査報告書に記録しないばかりか、メモすらとろうとしない。
 にっこりと笑いながらからかう。”下手くそ”と。
 ちっくしょー。見てやがれじじい、いまに……。
 いまに、なんだ?
 デア・タグの朝だ。
 一日のスケジュールがはじまったばかりの午前七時。
 そこに突如として組みこまれる、行動予定表にない六十秒。
 六十秒あったら、卵が二ダース割れる。レベルAの計算式なら十問解ける。食事をすることも、喉を潤すことも、ラボの一辺からつぎの一辺まで走ることもできる。
 なんだってできる。
 もういちど、名前を取り戻すことだって。
 この計画に原理はきちんと存在し、いまからほんとうに実践される。世界にあるという膨大な数の”一生懸命”によって。おれにとって大事なのは自身の運動ニューロンと、最大レベル以上の一生懸命なんだそうだ。
 自分の足で出なくてはいけない。
 なにがおこっても後ろを振り返らず、走る。行くべきところは外の世界。
 もういちど、陽の下へ。
 しあわせをつかめ、”テッド”。
 じいちゃん。それがじいちゃんの願いか?
 ずるいなあ。はじめからそのつもりだったんだ。めそめそしている時間なんかないって? わかったよ。イカレてやがるぜ、くそじじい。
 コルクタイルの床を、沈みこむ感触すらもわからない速さで蹴る。13と大きく書かれたゲート。ケージの蓋があいている。
 いまだ、逃げろ、マウス。
 背後でマシンガンの音がひびく。じいちゃんがぶっ放してるんだ。温厚そうに見えておっそろしいじじいだ、ったく。
 ゲートから出ても外はえんえんと続く窓のない壁だった。
 なんでこんなに広いんだろう。窓さえあったら、ガラスを蹴破っておもてに飛びだすのに。ここが何階か知らないけれど、躊躇はしないだろう。どこに続くのかわからない通路を闇雲に走るのはかなりしんどい。
 約束の六十秒が経過した。一斉に息を吹き返す警報システム。だけどそんなものは行く手に立ちふさがる絶望的な状況の前では鳥威しにすぎなかった。
 ああ、ダメかも。
 たくさんの武装警備員と、冷たく光る銃を目にして、おれの足が止まる。
 立ちどまるな、だって。
 こんなことになってるのにまだ、それでも走れって、言うか?
 すっげえ冗談。
 複数の銃が、おれを向く。
 こういうエンディングか。予想はできた展開だけれど、いまさら取り消すこともできない。
 後悔する間もなかった。
 発砲音。
 はじき飛ばされる衝撃と灼熱感。撃たれた。
 床の感触。また弾かれる。こんどは背中。
 目の前が真っ赤になった。
 息が、できない。
 なんてこった。
 感覚のすべてを暴力的に満たす激痛が、もうお終いだ、と嗤っていた。マウスのくせに逃げようとするから。自業自得だって。
 ”さようなら、ぼく。おやすみ”
 あ、き、ら、め、ろ
 歪む。引き裂かれる。嬲られる。
 痛い。イタイ。
 ……熱い。
 手が。熱くて、燃えあがりそう。じりじりと焦げ臭いにおいをさせながら、床に爪をたてる。
 感覚神経が発する断末魔の絶叫に、セラフィムが激怒している。
 補完しろ。失われていくものをすべて。安定を取り戻せ。
 細胞組織に、血液に、ありとあらゆる生体物質に供給されるテロメア。レセプターは右手にある。提供源は、他人の命。
 ……や、め……ろ………。
 喰っている。
 セラフィムが命をむさぼっている。
 バシッと音をたてて、手首のタグが弾ける。必死で拒否しても、怒濤のような流入は停まらない。おれはふらつきながら、立ちあがる。足が動く。一歩。また、一歩。歩き出す。前へ。明るいほうへ。外の世界へ。そして、走りだす。
 痛覚は去ってしまった。感じるのは、右手に息づく不快な鼓動だけだ。
 怖い。怖い。怖い。
 たすけて。どこへ逃げたらいい。たすけて。
 セラフィムなんか、いらない。だれか、お願い。壊して。
 いやだ。もういやだ。
 いやだ!
「鉄人! もういいよ、やめろってば、鉄人、こら、戻ってこい!」
 ノエルに頬をひっぱたかれて、鉄人はぱちぱちと瞬いた。安堵のため息が聞こえる。
「はああ……んもう、勘弁してよ。これ以上やっちゃったら、マジやばいよ。ストッパーの身にもなってよね……」
「あ、ああ……サンキュ」
 まだ夢から覚めきらないように、鉄人は両手でこめかみを押さえた。頭が痛い。
「で、なんかわかった」
 ノエルは鉄人を下からのぞきこんだ。汗を大量にかいているが、呼吸は落ち着いてきたようだ。先ほどの異様な興奮状態には危険を感じたけれど、暴走しなくてよかった。
「引っ張りだせた」
 簡潔に言う。ノエルの瞳がかがやいた。
「干渉があったんだね、やっぱり。前からなんとなく、鉄人はそうじゃないかって思っ……」
「ラ・ムエルト」
「……えっ」
 鉄人は淡々と言った。「死神。それが正体。あの医者の言ったとおりだ。道理で執念深くつきまとってくると思ったぜ。悪党どもが寄ってたかって欲しがるわけだよ。とんでもねーバケモンだもんな、これも、おれも」
 右手をきゅっと握ってみせる。
「さらりと無差別大量殺人しときながら、都合よくのほほんと暮しててよ。なーにがフツーの高校生、だ。ハ、どうなっちまってんだか。このまんまで済むわけ、ないよな」
 ノエルはかける言葉を失った。感情をまったくさらけださない鉄人を、黙って凝視する。
 憤りを吐きだしてくれたほうが、まだ救いがあるように思えた。
「じゃあ鉄人は、その、これからどうするつもりなの……げほん」
 喉がからからに渇いて、ノエルはむせかけた。
 鉄人は急にぽかんとして、「あ?」と言った。ちょっとして、面倒くさそうに答える。
「さあて、どうしよっかな。どうしたらいいと思う」
「……ぼくに振る気」
「公正な意見を求めてるだけさ」
「意見なんて素直にきいたことないくせに」
「ああいえばこういうな、おまえ」
「鉄人にだけだよ」
「あっそ……そりゃまた、どうも」
 鉄人の表情がゆるんだ。寂しそうだ、とノエルは思った。声よりも先に身体が動き、鉄人をぎゅうと抱きしめていた。
「……あにすんだよ」
「鉄人ったら、いつもそうやって無理ばっかりするんだよね。たまには息ぬけばいいのになあ。いまだって、疲れたーってカオしてさ。気ばっか張って。見てるほうがつらくなるじゃない」
 抗議しようとする鉄人をノエルは離さなかった。しっかりと腕をからめて、抵抗を封じる。やがてその身体が小刻みにふるえた。
「ラ・ダムネイション(劫罰)が理解者じゃ、頼りない?」
 しゃくりあげる感触を小さく感じ、ノエルもまた胸が熱くなった。
 死神と劫罰。
 誰がそんなことを決めたんだろう。
 悪魔だろうか。それとも神様。どうしてぼくたちは苦しまなければいけないのか。
 弓ノ間鉄人と魁ノエル。テッドとノエル。どうしてそれだけではだめなのか。
 悲しすぎて、切なすぎて、絶望しそうになる。
「だけど……諦めない」
 ノエルは小さくつぶやいた。
「おーい、凶悪立てこもり犯の少年Aと少年B! 続きがあんなら別の部屋でやれ。ションベン暴動が抑えきれねえんだよ!」
 外から遠藤璃乃の大声が聞こえた。

 鉄人とノエルの姿を認めて、霧流は足を速めた。
 さっきまで父親の魚太とともに情報通信室にいたのだが、外部カメラが破壊されたのかモニタが突然砂の嵐に切り替わって役にたたなくなったので、現在の制圧状況を確認するために配電回路監視パネルのある機械室へ移動するところだった。
「弓ノ間くん、さがしてたんだよ。ちょっと見せたいものがあるんだけど」
 鉄人は不機嫌をあらわにして振り返った。
「んだよ」
「情報通信室。すぐ戻るから、先に行ってて」
 鉄人とノエルが顔を見あわせているうちに、霧流はいなくなってしまった。
「どうする、鉄人」
「うさんくさいなあ。あいつら、情報通信室占拠してラプソディア支店でもつくりやがったんじゃないのか」
「うーん……でももし大切なことだったら、あとでまたからまれるんじゃないの」
 鉄人は苦虫を噛み潰したような顔をして、「ちっ」と言った。
 アリーナ席横の階段を上りきったところにある情報通信室は、LANでつながれた四十二台の端末が整然と並んでいた。数人の教師たちが配置しているなかに、霧流の父、燕魚太がいた。
「弓ノ間くん、魁くん、ちょうどいいところに」
 小指の欠損した手で招かれて鉄人はしぶしぶ近づいた。
 魚太は手慣れた様子でマウスをクリックすると、モニタに画像を呼びだした。
「この連中に見覚えはあるか」
 解像度はよくないが、数名の外国人と思われる人物が映しだされている。顔を近づけたノエルが硬直するのがわかった。
「ノエル、知ってるのか」
 鉄人の視線の先で、ノエルは固まったままモニタを凝視しつづけた。
「カメラが破壊される直前、とらえた映像だ。どう見ても機動隊の連中ではないし、外国人というのも奇妙だ。あるいはハルモニア製薬かなと思ってな。わたしも、資金提供したといっても連中の実態には明るくないもんでね」
 ノエルはぎこちなくうなずいて言った。
「プエルトリコにあるラボ、ナンバー27の……研究員たちです。27番目のケースに関わっています。つまり、ぼくだけど。手前にいるのがスノウ・フィンガーフート、以前はぼくの友だちでした。私服ですが、いるのはみんな医療関係者です。それから、この人」
 ノエルの指がすっと動き、無表情にライフルを構えるひとりの男を指した。
「父です」


2006-02-05