全身泥パックには致命的な欠陥があった。きちんと後始末をしなかった一行は、乾きはじめた泥が産毛を巻きこんでひきつる痛さに苦しんでいた。できるだけ動かないようにして、じっと我慢である。
もっとも哀れなのはネコボルトのナルクルであった。彼は思いあまって幾度も海に飛びこもうともがき、そのたびにハーヴェイにとめられた。屋敷に帰り着いたそうそう泣きながらバスルームへ走っていったのも彼だ。
ハーヴェイとテッドも苦笑いしながら、ふたたび裸のつきあいに甘んじた。衣服にも強烈な硫黄臭は染みついていたが、着替えもないので仕方がない。
「ウエエ、気持ち悪い」
「テッド、背中洗いっこしようぜ」
排水溝に大量の泥水と金の粒が吸いこまれていく。
「で、どう思うよ」
頭のてっぺんから湯を存分に浴びながら、ハーヴェイは訊いた。
テッドは湯船に頭をつっこんで十秒ほど潜水すると、ざばりと浮いてきて言った。
「……ダンナサマはたぶん金鉱脈が予想以上に膨大なのを知って、クレイ商会に丸々ぶんどられるのが惜しくなったんじゃないかな。で、探しあてた場所を明かすかわりにそのうちの何割かを手にいれようとした。で、殺された」
首を手刀で切るお決まりのポーズ。
「でもよ、そんならなぜダイイング・メッセージを遺す必要がある? いわば遺言だろ。独り占めしたかったらあの世まで持っていくモンじゃねーの」
「ああ、わからねえのはそれだよ。わざわざ宝のありかを示した地図を遺すか? それにクレイ商会だって殺しちまったら自力で鉱脈を探さなければいけなくなる。どうもそのへんがひっかかる」
「……その金を遺産として遺したかった誰かさんにあてたメッセージ、だったとしたらどうだ?」
ナルクルががしがしとシャンプーを泡立てながら口をはさんだ。
ハーヴェイとテッドは目をぱちくりしながらナルクルを見た。
「……誰かって?」
「だから、そいつをあたってみるのさ。フィリッポや島の人間ならなにか知っているかもしれねえ」
ナルクルは湯をざぶりとかぶって、悔しげに唸った。「ちっ。おれとしたことが一日に二度も風呂にはいっちまった」
ほかほかになって例の犯行現場に戻ってみると、死体はまだ変わらぬポーズで絨毯の上であった。
「フィリッポさん、マジで見なかったふりをするつもりかな。そんならそれでべつに構わねーけど、そのうち腐ってくるような気がするな」
「巨大マグロ釣っちまうような人だから解体する気満々だったりしてな」
「うへー、笑えねえ」
テッドが顔をしかめると、話題の主がやってきた。すばらしく似あわないピンクのアロハシャツを着ている。おまけにすね毛丸出しの短パンで痩せたリノ王状態だ。
「あのさ、だんなさまどうすんの」
テッドの短い問いにフィリッポは何気なく、だがおぞましい返答を吐いた。
「あすが火の山の言祝ぎの日ですから、つつしんで神の御許へお返しに参じます」
「……」
それは、つまり、なんだ、あした火口へぶんなげますよということか?
体よくいうと証拠隠滅というやつか?
でもって殺人事件もだんなさまご本人も最初からなかったことに?
マグロ一本釣り漁師、さすがただものではない。グレイト!
「あー、そ、そのだんなさまなんだけどさ。島のみんなはぶっちゃけ、どう思ってたわけ?」
フィリッポは鬱陶しげにテッドを見た。なかったことにしようと申しているのにどうして蒸し返すのだ、と目が語っている。
「ぶっちゃけとおっしゃるならすなわち嫌っておりましたがそれがなにか」
あ、そ。とテッドは頭を掻いた。たしかにあのときゾロゾロ起きてきた人たちはだんなさまの死体を目撃しても顔色も変えずにこやかに去っていったっけ。
まるで死ぬことを知っていたように。
テッドの脳になにかがチクッと刺さった。まるで、死ぬことを、知っていた?
「おい、どうしたよテッド。いきなり黙りこくって」
ハーヴェイが小突いた。テッドはハッとして、慌てて手をバタバタさせた。
「そ、そういえば腹へったよな。朝飯も食ってないし」
「おお、そうでした。みなさまに朝食をお出ししなくてはいけませんね」
テッドはニイッと笑ってフィリッポに言った。「世話かけてすみませんねえ。あー、おれ魚大好きだからとれとれの刺身なんてあったら最高だなー、なんちゃって。あとマグロなんかも大好物なんですよ」
ハーヴェイが訝しげに眉をひそめた。「おまえが魚ばっか残すって饅頭屋のパムがぶつぶつ言ってたぜ」
「しっ」
テッドはハーヴェイの足をこっそり、だが力まかせに踏んづけた。
「!!!」
フィリッポは困ったように首を傾げて、悲しげに垂らした。「おお、ごめんなさい。だんなさまがお魚を食されない方でしたから、ここ数ヶ月は自給自足分しか漁を行っていないのです。ですがあすまでお待ちいただけましたら新鮮なお刺身をたらふくご馳走してさしあげますとも」
「あっそ? 悪いね」
フィリッポがいそいそと部屋を出て行くのを待ちきれないように、ハーヴェイは拳骨をテッドの頭に振り下ろした。
「いてえ!」
「お返しだ、クソガキ!」
「せっかくわかりかけてきたってのに、耳から落っこちるじゃねーか、ばか!」
二度目の拳骨を振りあげざま、ハーヴェイは「なに」と言った。
じんじんする頭をおさえて、テッドは死体に歩み寄った。さすがに触れることは躊躇ったようだが、後頭部を深く抉ったキズをじっと見つめる。
「なにかわかったのか、テッド」
「なあ、ハーヴェイさん、ナルクルさん」とテッドは死体から目を反らすことなく訊いた。「この付近には凶器は落ちていなかった。そうだよな」
「ああ。犯人が持ち去ったのかもしれねえな」
「このキズを見てみろよ。こんなに深く抉っているのに凶器のかけらひとつ付着していない。つまり、陶器や、石などという壊れやすいもので殴ったわけじゃねえってことだ」
ハーヴェイらも気持ち悪いのを我慢して死体をまじまじと見た。なるほど。
「じゃあ、凶器はたとえば金属とか、そういうたぐいのモンになるよな」
ナルクルもテッドを真似て顎に手をあてる。
「そのとおり。硬くて、持ち運びができて、簡単に遺棄できるもの。屋敷の前は海。そして、たくさんの船」
「……錨?」
「……オモリ?」
ハーヴェイとナルクルが同時に言った。
テッドはこくんとうなずいて声をひそめた。「大正解。海に沈んじまえば、あとから見つかっても怪しまれることはないからな。それに、おれの考えだけれど、直接の死因は殴られたことじゃない。おそらくは……」
ごくん。
「……持病の高血圧による、心不全」
固唾を呑んで聞きいっていた二人の口があんぐりと開いた。
「なんでそんなことがわかるんだよ!」
ハーヴェイが首のバンダナを苛々とねじった。
「こんなに魚のうまい土地に赴任したのに、新鮮な魚を食べないなんて勿体ないじゃないか。いいか? 魚はな、高血圧や動脈硬化を防いでくれるんだぜ。持病が治るチャンスなのにだんなさまはひどくわがままで、魚を一切口にしなかった。見ろよ、こんなに不健康にぶよぶよ太っちまって。みんな、気づいてたんだろ。生活態度を改めないと近いうちにお迎えが来るぞってな」
言われてみると体型が肉食の鬼ガエルそのものである。
「で、昨夜この部屋にいるときにそのお迎えがきちまった。そっから先は想像になるけど、運悪くここに倒れたばっかりに、落ちてきちゃったんだよ」
「なにが」
「あれが」
テッドはひょいと天井を指さした。ハーヴェイもナルクルもそれを認めて、ぎょっとした。
錨型の留め金。
「あそこに固定されていた錨が、まっすぐ頭に落ちてきた」
ナルクルはハッとしたように天井を指さした。「そうか! この部屋の真上ってもしや」
テッドは目を細めて薄くほほえんだ。「そう。おれたちが空間移動させられた屋根裏部屋。一時的にここの天井まで歪められて、留め金がはずれちまった……んだろーな」
しんとする一同。
それって。
ああ、それって、ひょっとして。
「おれたちが真犯人かよ~~~~~~!!!」
ぐわあああと身もだえするハーヴェイであった(若造にはショックがきつすぎたか)。
テッドの推理にはまだ先があった。あれだけの大きさの錨が落ちてくるのだから、相当派手な音がしたにちがいない。フィリッポも気づいたはずだ。
彼はベッドから飛び起きて真っ先にこの惨状を目撃した。マグロ漁師三十年の経歴が瞬時に自らの成すべき事を悟らしめる。
どうしたら丸くおさまるか。
どうしたら厄介者の事故死をなかったことにできるか。
どうしたら島が騒動に巻きこまれることなく平穏無事でいられるか。
百戦錬磨のマグロ漁師が実行したことは以下のとおり。フィリッポはまず重い錨を港まで運び、どこかに遺棄した。それから超特急でだんなさまの元へ戻り、あのダイイング・メッセージを偽装した。あとは何事もなかったように自室へ……。
「ちょっと待て。フィリッポがメッセージを描いただって?」
ナルクルの疑問にテッドはうなずいた。「そうさ。ナルクルさんだって言ってたじゃないか。”その金を遺産として遺したかった誰かさんにあてたメッセージ”だって。フィリッポはさんははじめから金脈のありかを知ってたんだよ。クレイ商会に盗られるくらいなら、別の誰かに気づいてもらって島の財産としたほうがいい。誰でもよかったのさ。そしてたまたま、おれたちがいたってわけだ」
「だからあんなにしつこく、第16番目の真の温泉とやらにおれたちを案内しようとしたわけか……」
ハーヴェイとナルクルは驚愕と尊敬の入り交じったまなざしでテッドをじっと見た。
「な、なんだ」
見つめられたもんだから急にテッドはどぎまぎとした。そういえば、いつになくしゃべりすぎたような気は、する。
「どうなってんだ……おまえの思考回路……」
「やっぱりヘンなガキだ……こいつ……」
ちょっとくらい誉めてくれてもいいのに、とテッドはぶうたれた。
2005-11-23
